「事の発端は、昨日、化生の前なる姫が入内したことに端を発しているのです」
「あのさ〜、蔵馬。さっきから気になってたんだけど、入内って?」
疑問があれば、即座に突っ込まずにはおれないぼたん。
しかし、少年は気分を害した様子もなく、蔵馬が答えるのを待ってくれた。
流石彼の弟子。
今時の14歳前後とは思えぬ落ち着き……最もまあ、今時ではないけれど。
「簡単に言うと、帝……この国の最高権力者に嫁ぐことだよ」
「へえ〜。そうなんだ〜……って、嫁ぐ?? え、それって姫のことでしょ!? 姫は入内してるんでしょ!? 何で入内してる人が姫以外にもいるのさ!!」
御簾の向こうを指さしながら、怒鳴るぼたん。
蔵馬はため息をつきながら、その手を膝に下ろさせ、
「この時代では一夫多妻制が基本なんだよ。だから入内する姫は1人とは限らないんだ」
「……ふ〜ん」
理屈は分かるが、感情がついていかないらしい。
この姫とは、ついさっき会ったばかりだが、なまじ桑原に似ているだけに、親近感が湧いて、むかついてしまうらしい。
思い出したら、また吹き出しそうにはなるけれど。
そんなぼたんの微妙な心中を知ってか知らずか(確実に知ってるだろうが)、蔵馬は肩を落として、付け加えた。
「むしろ入内といったら政略婚がほとんどだから、妻1人の方が少ないくらいだよ。帝の気持ちは、あんまり関係ない。一夫多妻だからって、夫側だけがいい目を見るとは限らないよ」
「あ、そうなんだ。で、その化生の前がどうしたの?」
興味津々に身を乗り出すぼたん。
見開かれた瞳は好奇心に満たされている。
この調子では眠くなるという心配は皆無に近そうである……。
少年は、ぼたんのらんらんと輝く瞳を見ても、別段調子を変えることなく淡々と続けた。
くどいが、流石蔵馬の弟子である。
「彼女は、とある中流貴族の娘であります。しかし私の見る限り人間ではないようで」
「心当たりは?」
「噂では、その貴族には子供がなかなか出来なかったそうです。そこで観音の元へも願掛けに行かれ直後、女児をもうけたとか」
「……弱みにつけ込んだ妖怪の仕業か」
「おそらくはそうでしょう。そして彼女は人並み外れた才色の持ち主で、見目も美しく都中の噂の的でした。それ故に帝の目に留まるのにも差ほど時間はかからず、入内に至ったそうなのですが……」
少年は少し目を伏せた。ここからが話の大筋らしい。
いよいよだと、ぼたんはドラマのクライマックスでも見ているような緊張感に浸っていた。
「それ以来、帝の様子がおかしいのです。突然、奇声を発せられたかと思えば暴れだし、ついには奇怪な病に……御典医もサジを投げたので」
「陰陽師が呼ばれたわけか」
「……陰陽頭が診たところ、物の怪の邪気に当てられたものらしいのです。それが化生の前から発せられているという事実も突き止め、このままでは取り殺されると帝にも申し上げたのですが……」
「もしかして聞き入れられなかったとか?」
ぼたんは何となく感じた予感を素直に発しただけだが、図星だったらしい。
しかし少年は落ち込む様子もなく、ぼたんの言葉に首を縦に振っただけだった。
「帝は化生の前をこの上なく寵愛されています。彼女がいなければ生きていく甲斐もないと……」
「でもこのままじゃ帝取り殺されるじゃないのさ!」
「……それだけならば、まだ良いのですが」
「それだけならって……(それだけなら良いの!? かなりマズイことじゃん!!)」
本当は口に出して叫びたかったのだが話がなかなか進まないので、蔵馬がぼたんの口を抑えたため後半は口の中でモゴモゴ言っただけだった。
これ以上、話を折られては、全然進まない。
何が進まないって、話の進展というよりは、ページ数の問題が。
一方、2人の行動に、少年は顔に出ない程度だったが呆気にとられていた。
ぼたんがやかましく言うことまでは彼女の性格なのだろうと納得出来ても、あれだけ冷徹だった師匠がこのようなことをするとは……。
しばらく無言で見つめていたが、そこはやはり、くどくどしいが蔵馬の弟子。
やがて何事もなかったように話を再開した。
「……実は化生の前は恋敵である女御や更衣を襲っているのです。こちらの姫でもう4人目に……」
「何それ!? 自分が寵愛独り占めにしてるくせに!? そんな自分勝手な女聞いたことないよ! おとぎ話で綺麗なお姫様いじめる悪役女王みたいじゃないか!!」
「ぼたん、怒るところの点がずれてるよ……(というより、ある意味当たってるんじゃないのか、それ……)」
はあっとため息をつく蔵馬。
ぼたんと話していると、どうしてもゆっくりになってしまう。
退屈しないといえばしないのだが、しつこいけれど、ここはさっさと終わらせたいので少年に話を進めるよう促した。
「帝は化生の前以外の者には目もくれません。当然です。物の怪の邪気は危険な反面、強く人間を引きつけますから。しかし……」
「被害を受けた女御や更衣は、皆、懐妊している?」
「はい」
「かいにん??」
「ぼたん。言っておくけれど、任務を解かれる解任≠カゃないからね」
「あ、そなの。んじゃあ、何?」
「ようするに、妊娠しているってこと」
「ああ、なるほど。…………。ふが」
叫ばれたら、またフォントを大きくせねばならないので、口を塞いでおくことにする。
「彼女で4人目ということは、化生の前が現れるまで、帝はそこそこ平等に訪っていたわけか」
「はい。勿論、身分によっても違っていましたが。それでも、どこへも不穏な空気が流れぬように、と」
「……よく分かんないけど、大量にいる奥さん全員、一緒に寝てたってわけ?」
そこら辺はすぐに分かるらしい。
むっつりしながらも、しかしはっきり言うぼたんに、御簾の向こうで、ぎくりとした空気が流れたことは言うまでもない(誰も気にしてくれなかったけど)
「まあ……そうなりますね」
「なあなあ主義っての? やだな、そういう男って」
「そう言わないの、ぼたん。――それで、化生の前が訪れる前に、既に妊娠した妃が4人いたと」
「はい。1人の女御さまと3人の更衣さまが。最も、陰陽師の占いにより、男児を産まれるのは女御さまのみだろうという結論が得られていたので、そこそこ平穏ではありました」
「? 女の子じゃ、何でいけないの?」
「帝になれるのは、例外を除けば、男の子だけだからだよ。娘を入内させたい親は、孫を帝にして、権力を手に入れたいっていうのが、ほとんどだからね」
「は〜、男尊女卑〜」
「そういうこともあるんだよ、こういう世の中にはね」
「う〜ん、分かるのも悔しいな〜。あたいもさあ、この間残業してたら、上の男共に……」
「ぼたん、その話は後でね」
夜があけて、日が暮れそうな勢いで語りそうな雰囲気に、蔵馬はすぱっと話しを切った。
「化生の前の目的は分かっていません。しかし、人間の世界へ進出することが目的とすれば、」
「時の帝に近づくのが、てっとりばやい。だが、出家などさせられては、どうにもならない。跡継ぎを作らせないのが狙いか」
「おそらく。東宮さまも病に倒れていますから」
「とーぐー?」
「皇太子のこと」
「あ、なるほど」
「帝に、他に縁者は?」
「いません。院も先日崩御されましたから。それ以上の遠縁となると、貴族同士の争いは必須かと」
「化生の前が人間界を転覆させるのが目的なら、願ったり敵ったりだな」
「最も、女児と判断された更衣さまも狙っているとなると、それ以外にも自分の妖力を上げるためのエサとしても利用している可能性もありますが。――にも関わらず、どの件に関しても、一切の証拠がないのです。陰陽師でさえ、惑わされているものもいる始末で……」
「何それ、腹立つーっ!!」
「随分と頭の切れる物の怪だな」
そう言うと、蔵馬は懐に入れていた扇をパンッと広げ口に翳した。
その姿は美しく優麗で……思わずドキッとさせられるものがあった。
ぎゃーぎゃーと怒鳴っていたぼたんが瞬時に押し黙ってしまうばかりか、御簾の向こうにいる姫までもが見とれて甘いため息をついた……。
「事情は分かった。つまり、それだけ頭脳が発達し、強力な邪気をもつ妖怪ならば、姫が偽物だとすぐに見破り、ここに本物の姫がいるということなどすぐに分かるということだな?」
「はい。それに蔵馬殿のお仲間が、危険な位置におかれていることになります」
「ああそれは問題ないさ。腕の立つ人だからね。この状況下では、か弱い姫と無理に入れ替えるより、そのまま『姫』でいてもらった方が好都合だ。物の怪にはバレるだろうが何とか対処していてくれるだろう。むしろ妖怪をあおって本性を現させてくれるかもしれない」
(ようするに、桑ちゃん……オトリってことかい?)
大体、蔵馬の考えていることが読めたぼたん。
まあ桑原なら妖怪くらい、自分でぶった切るだろうが……。
しかし、本当に大丈夫なのだろうか?
いくら姫と桑原似ているからといって、彼女は女で彼は男である。
妖怪に見破られるとかいう以前に、普通の人間でも、『姫』が偽物だと簡単に分かってしまうではないか。
『姫』が偽物で、しかも男と分かれば、また宮中が大騒動になるだろう。
桑原の身を案じる必要はないかもしれないが、騒ぎに乗じて、妖怪が何をするか分かったものではない。
第一、男の桑原が『姫』を演じ続けてくれる保証など、何処にもない。
事情が分かっているならいざ知らず、桑原は物の怪のことも本当の『姫』のことも何も知らないのだから……。
が、蔵馬はぼたんの心配を余所に少年と共にその作戦でやることを決定していた。
「では、申し訳ありませんが、姫。貴方には事が片づくまで、ここにいてもらいます」
御簾の向こうの姫を振り返って少年が言った。
姫は一瞬硬直したように見えたが、少年の瞳があまりに真っ直ぐ何も言わせないといった風だったため、仕方なく首を縦に振った。
「でも、どうするのさ? 桑ちゃんにオトリになっててもらうったって、何にも知らないんじゃ……」
「分かってる。オトリではいてもらうけど、とにかく一度会って事情を説明しないとね。一度襲われてる以上、護衛と称せば会う機会もあるだろう?」
「ええ、そうですが……」
「じゃああたいたち、一緒に行くの? でもそれじゃ、姫、結局1人になっちゃうよ?」
姫を振り返って言うぼたん。
いくら顔が桑原そっくりでも、中身はか弱い少女である。
ぼたんの言葉で、1人にされるかもしれない……という不安が頭をよぎったのだろう、彼女はまた小刻みに震えだした。
それを見て、ぼたんが笑わないはずもなく、不謹慎だと分かりつつも姫とは別の意味で肩を震わしていた……。
まあ、蔵馬たちが姫のことくらい考えていないはずがないのだけど。
「式神を残していきますよ、護衛用のを2〜3体。この屋敷には結界が貼ってありますから、これで十分でしょう」
「でっ、でもっ……万一ってこと……も……」(←笑いをこらえている)
「……そうだな。ぼたんの言うことも一理ありますね。じゃあ、君は残っててくれ」
「え゛っ……」
一瞬にして凍り付くぼたん。
笑いは完全に吹き飛び石のようになった体に、ピシッとヒビが入る音が聞こえた。
その様子に蔵馬はきょとんっとした顔をしながら、
「イヤなの?」
「イ、イヤじゃないけど……」
イヤではない、イヤではないが……。
笑ってしまう。
確実に絶対に100%、笑い転げてしまう。
蔵馬たちがいてくれるからこそ何とか耐えていられるくらいなのに……(いや本当に耐えられているかといえば、そうでもないが)
だが、ぼたんが戸惑っている理由の分からない蔵馬は、完全に問答無用だった。
「イヤじゃないなら、よろしくね」
「って、蔵馬!」
「しかし、蔵馬殿はどうやって行かれますか? 私は護衛と称せますが……」
「分かっている。お前の師匠と言っても宮廷とは無関係、宮中へ赴くのは難しいと言いたいのだろう? 大丈夫だ、ちゃんと考えてある」
「ほ、本当に大丈夫かい? 蔵馬……」
「ああ、心配ないよ」
不安なところはいくつかあるぼたんだったが、蔵馬が「大丈夫」と言っているのだから、多分問題ないだろう。
いや、むしろ問題は明日から自分が姫と2人きりで留守番をするという事実……。
さあどうやって、笑わずに過ごすことが出来るだろうか……。