<きつね陰陽師> 4

 

 

 

「……とても他人とは思えないよね……?」
「ああ……」

 木陰でヒソヒソと話し合いながら、着物を着る蔵馬とぼたん。

 

 少し暑いが、いちおう今まで着ていた服は脱がず、その上から着物を着ることにした。
 もし現代へ戻った時、幻海師範の寺へ直通でたどり着ければいいが、万一町中に出てしまったら、かなり異様な瞳で見られるだろう。

 何かの撮影と勘違いされれば、それだけでも厄介である。
 その容姿から芸能人だと間違われ、追いかけられた経験のある蔵馬だからこその考えかもしれないが……。

 

 その風貌だが、蔵馬は目立たない薄茶の狩衣に、黒の立烏帽子。
 見事な紅いロングヘアも、目立たぬよう、束ねて烏帽子の中にしまい込んでおいた。
 ぼたんは質素な単や袿に垂衣付きの市女笠という、これもまた水色の髪が目立たないような服装であった。

 木陰から出てきた時には、姫も着替えを終えており(ほとんどぼたんと同じような格好であった)、4人は都へ向けて出発した。
 白烏帽子の少年が姫の手を引いているため、おのずと蔵馬とぼたんはその後ろ2人で歩くことになる。

 それは本人たちにとっても、好都合なこと他ならない。
 他の者に聞かれず、色々と話したいこともあるのだし。

 

 

「……桑ちゃんもあの場にいたんだから、タイムスリップしたよね? まさか本人なんてことは……」
「それはないよ。霊気が弱々しすぎる。気の質は似てるけどね」

「……じゃあ、先祖ってこと?」
「と考えるのが自然だな。しかし……」

 突然、蔵馬が押し黙った。
 言葉が切れたことに、きょとんっとしつつ、彼を見上げるぼたん。

 蔵馬は緊張こそしていなかったが、辺りを警戒していた。
 ふと見れば、陰陽師の少年も同じようにしているではないか。

 

「……来ていますね」
「ああ」

「え? 何が?」
「ぼたん。そこから動かないように」

「姫もその場を離れぬよう」
「え? あ、うん……」
「…………」

 姫はぼたんと違い無言だったが、その通りにしてくれた。
 というより、その場にへたりと座り込んでしまったのだ。

 突然目の前に、さっき自分を襲ったモノと同じ奴らが現れたのだから……。

 

 藪の中から、一匹また一匹と現れ出てくるそれは、流石のぼたんも冷や汗を感じた。
 物の怪であることは一目で分かるのだが……今まで数多くの妖怪を見てきた彼女でも、こんな奴らは初めてだった。

 なまじ今までまともな妖怪と会ってきただけに、こいつらの姿は衝撃的で、唖然とするしかない……それくらい形容しがたいカタチをしているのだ。

 しかし正直のところ恐怖はなかった、蔵馬が何とかしてくれると何処かで感じているからだろう。
 ただあまりに気持ちが悪くて、思わず吐きそうになった……。

 

 

「随分と趣味の悪い物の怪だな」
「やはり蔵馬殿もそう思われますか」
「ああ。これが気に入るヤツがいるなら、是非お目にかかりたいところだ」

 こんな気味の悪い物の怪が自分たちを囲んでいるというのに、余裕綽々の会話をしている蔵馬たち。

 まあ落ち着いてみれば、感じられる妖気など微々たるものなのだから、彼らの手にかかれば、何の問題もない。
 それを怯えている姫や呆然としているぼたんにも、遠回しに知らせているのかもしれない。

 ……最もそれは必要なかったかもしれない。

 

 次の瞬間、物の怪たちは一斉に蔵馬たちに飛びかかってきたのだ。
 最終的には、二十匹ほど集まったであろう物の怪たちが、である。

 だが、頭数だけ揃えても蔵馬たちの敵ではなかった。
 蔵馬は瞬時に髪の中へ手を入れ、一本の薔薇を取り出した。

 そして……妖力を込めた薔薇の花びらを宙に浮かせ、間合いに入ったモノを切り刻む華麗な美技、風華円舞陣を炸裂させたのだ。

 

「風華円舞陣!」

 キラキラと輝く薔薇の花びらが、宙を舞い、そして物の怪を切り刻んでいく。
 それも肉片を散らすようなことはなく、物の怪の肉体はさっくり切れていくため、血が彼にかかることもなく、周辺に肉塊が転がっただけだった。
 薔薇の美しさと後始末の良さから、相手が死んだというのにあまり残酷に思わせないところは、流石、元極悪盗賊妖狐蔵馬……。

 

 しかし、少年の技も彼に負けず劣らずであった。

 彼が使うのは、植物ではなく、袖に忍ばせてあった札のようだった。
 先程蔵馬と対面した際に抜いた太刀は使わずに腰に差したままである。おそらく相手の力を見切ってのことだろう。

 少年は札に向かって何事か囁いた後、しゅっとそれを物の怪に向かって軽く放った。
 驚いたことに、風もないのに札は地面へ落ちることもなく、物の怪目掛けて一直線に飛んでいく。

 そして札が物の怪に当たった瞬間、連中はスパッと真っ二つに裂け地を這った。
 こちらもまた血はほとんど飛び散らずに、辺りは綺麗なままだった……。

 裂かれた瞬間、札から淡い琥珀色の光が放たれ、それが神々しいまでに輝いたのを、ぼたんは見逃さなかった。
 思わず魅入ってしまい、気づけば、穴の開くほど少年を眺めてしまっていた……。

 

 だが、そのことに少年は全く気づいていないらしい。
 物の怪が立っていた地点まで足を進め、地面に落ちた札を拾い上げた。

 その後ろから蔵馬がのぞき込み尋ねる。

「どうだ?」
「間違いありません。姫を襲ったモノと同じです」
「そうか……詳しい話を聞きたいが、とにかく山を下りてからだな」

 

 

 

 

 

 それから数時間後。
 何度か物の怪どもの闇討ちにあったものの(もちろん全て圧勝)、蔵馬たちは山中から抜け出し、京の都付近へ辿り着いていた。

 といっても、夜はとっくにふけているし、そうでなくとも消えた姫のことで、てんやわんやしている都の中心部へ、堂々と入るわけにはいかない。

 まあ蔵馬の頭脳に任せれば何とかならないこともないだろうが、時間がかかるのは目に見えている……ようするに面倒なのだ。

 

 とりあえず、少年の術で姿を見えなくし、こっそり都へ侵入。
 今夜は少年の家で休むことにし、これからのこともそこで話し合うという結論に達した。

 

 彼の家は一応都にあるものの、かなり隅っこ……都へ入ってすぐのところにあった。

 しかもこれでもかというくらいの荒れ果てよう……草はボーボー、塀は崩れ、瓦は半分以上無くなっている。
 常人ならば、こんな幽霊屋敷のような家、誰も入りたがらないであろう。

 だが蔵馬はそんなことまるで気にせず、ぼたんは少々虫を嫌がっただけだった。
 姫はもしかすると嫌悪を感じていたかもしれないが、1人取り残される方がよっぽど怖いと判断したのか、少年に手を引かれるまま屋敷へ入っていった。

 

 

 しかし……外も酷いが、中もかなり酷いものだった。

 ボロボロの簀子は歩くたびにギシギシと音を立てているし、簀子が簀子なら部屋も部屋で、几帳も襖も簾も、皆ビリビリに破れてしまっている。
 おまけに勧めてくれた円座(座布団)も落ち着きが悪く、下手すると後ろへ引っくり返ってしまいそうだった。
 別にそれがイヤだったわけではないのだが、ぼたんはため息をつきながら少年に問いかけた。

「改築とかしないのかい? せめて床板くらい変えたら? もう腐ってるよ」
「この方が落ち着くので」

「ふ〜ん。でも霊的には良いね。ボロボロだけど風水に乗っ取って、ちゃんと造られてる」
「流石、蔵馬殿のお知り合いですね。女性でそこまで理解されている方は初めてですよ」
「え? そう?」

 これだけ可愛く美しい少年に、裏心なしで褒められて悪い気はしないぼたん。
 元々おだてに乗りやすい彼女だが、やはり言ってくれた相手が相手なだけに、かなり舞い上がっていた。

 それに気づいているのかいないのか……多分気づいているのだろうが、蔵馬は苦笑しながら話題を変えてきた。

 

 

「ところで、女房はいないのか?」
(? 何言ってるんだろ、蔵馬。どう見たってこの子、まだ中学生くらいじゃない。どう考えても結婚なんて……
「出しましょうか?」

 少年があっさりと言い切ったので、当然ぼたんは驚いた。

 

 彼女が目を真ん丸にしているのを余所に、少年は袖口から小さな札を数枚取り出す。
 先程、物の怪に放ったものとは違い、少しばかり切れ目が入っている。
 近くで見れば、それが人の形に切られていることに気づいたかもしれないが、そんなヒマもなく少年は札に息を吹きかけ宙へ放った。

 札たちはしばらく宙を泳いでいたが、やがて少年の背後へと移動し列よく並ぶと、次の瞬間、淡い光を帯び出した。
 物の怪を倒した琥珀色の光ではなく、穏やかな桃色の光……。

 

 ぼたんはまたしても見とれてしまったが、やがてその光は大きくなり、そして少しずつ消えていった。

 光がおさまったところにいたのは、札の数だけの女達だった。
 ほとんどがぼたんほどの年頃で質素な和服を着、長い黒髪を揺らしながら行儀よく座っている。

 突然何もないところから人が現れたのだから、ぼたんは思わず、腰を浮かせてしまった。

 

 

「なっ、なっ……」
「上達したようだな」
「どうも」

 半ばパニックになっているぼたんとは違い、蔵馬は暢気なものだった。

 そして彼女が呆気にとられているのに気づき、軽く説明した。
 あれは少年の操る『式神』だと……。

 

 式神くらいなら、ぼたんも知っている。
 確か、陰陽師の命令に従って呪詛や妖術の不思議な業をする鬼神のことのはず……。

 蔵馬によると、呪術以外にも普通の手下として使うことが出来る者もいるらしい。
 ようするに今、少年が出したのは呪術用の式神ではなく、女房としての式神なのだ。

 ちなみにこの時代での『女房』とは、簡単にいえば女性の使用人のことで、配偶者のことではなかったのだ。
 妙な勘違いをしていたので、ぼたんは少々恥ずかしがりもしたが、平安ならこの年齢で結婚していてもおかしくないよと、蔵馬にフォローされたため再び安堵のため息をついたのだった。

 

 

 蔵馬とぼたんがそんな会話をしている間に、少年は呼び出した式神に命じ、食事などを運ばせていた。

 どうやら少年は菜食主義らしく、魚や肉はなかった。
 それも日持ちさせるためかかなり塩味がキツい……が、昼食以降何も食べていないぼたんにとって、この食事はありがたいものだった。

 

(そういえば幽助たちどうしてるだろう。何か食べてるといいけどな〜)

 まあ空腹に負ければ、何でも食べそうな連中だから、大して心配することもないかもしれないが……万引きや恐喝などをしていないかと、その辺りがかなり気になっていた。

 桑原はともかく、幽助は実際にやっていたことだし、飛影も元盗賊なのだから平気でやりそうである。
 コエンマも空腹には耐えられないところがあるし……。

 

 考えれば考えるほど、本当にあり得そうなことなので、こんなところで暢気に食事をしていていいのかと、不安になってきた。

 かといって何処を探せばいいのやら……大体、同じ時代に来ているとも限らないのだし……。

 が、蔵馬は大体、皆が同じ時代に来ているのだと、察していた。
 そして今が、どれくらいの年代なのかも……。

(こいつが145歳ってことは1150年代程度……コエンマの推測も間違ってはいないか。鏡が創られた時代にタイムスリップしたんだろうから……とすれば、飛影達も同じ時代に来ている可能性が高いな。戻るためには、この時代の鏡を見つけるしかなさそうだが、大体そういうのは宮中にあるんだろうし……

 色々と試行錯誤した結論は、結局宮中へ自ら赴くしかないということだった。

 

(問題は、どうやって宮廷に忍び込めばいいのかってことだな)

 姿を消す植物は持ち合わせていない。
 弟子の少年の術も、見たところ、まだ完全とは言い切れない様子……半日も経てば、自然に切れてしまうだろう(実際は半日も保つ方がすごいのだが)

 だからといって堂々と入れば即死罪。
 しかし、こそこそ隠れながらでは返って怪しまれるかもしれない。

 詳しくは分からないが、本来、護られているべきそこそこはイイ所の娘であろう姫≠ェ、物の怪に襲われているような状況である以上、宮中の妖怪への防御策はかなりのものだろうし。

 

 実の所、妖怪を信じない現代より、信じ切っている平安時代の方が、妖怪退治対策は勝っているのだ。
 蔵馬が人間界への潜伏に苦労したのは、実際、霊界の監視のせいではなく霊力の強い人間たちにあったくらいなのだから。

 と、蔵馬があれこれ考えながら酒を飲んでいた時だった(高校生だろう、そんなツッコミはしてはいけない)

 1羽の鳥が屋敷内へ入ってきたのは。
 外は真っ暗だというのに、何故……

 

 

 

「そいつも式神か」
「はい。宮中の偵察に放っておりました」
「出仕しているのか」
「まだ見習いですが」

 そう言うと、少年は鳥を指先に止まらせた。
 鳥は羽を閉じると、可憐な声で、鳴き始めた。

 ぼたんにはただ鳴いているだけに聞こえるのだが、少年には鳴き声がちゃんと喋っているように聞こえるらしい。

 

 しばらくすると、少年は蔵馬を向き直り、

「……桑姫様が戻られたそうです。後宮へ」
「えっ!? 何で!?」

 この発言は、むろん蔵馬ではなく、ぼたんである。
 しかし、そう言うのも当然で、姫はまだ彼女の側にいるのである。

 御簾1つ隔てた隣の部屋に……一度顔は見られたものの、やはり帝以外の男性と同じ部屋にいるのは恥ずかしいだろうと、少年の配慮だった(ちなみにぼたんもそうした方が良いかと聞かれたのだが、1人にされる方がイヤだと丁重にお断りした)

 とはいえ御簾一枚なのだから、こちらの話など筒抜け。
 そしてこちら側からも姫が動揺しているのは一目瞭然だった。

 

「ど、どういうこと!?『戻られた』って、どういうことさ!! だって姫はここに……」
「どういうことだ? 後宮に戻ったというのは……入内しているのか?」

 蔵馬の疑問は、ぼたんのものとは全く異なるものだった。

 ここにいる姫が別の所にいるという事実ではなく、姫が戻るべき場所というのが想像していた所ではなかったらしい。
 しかし『後宮』や『入内』の意味が分からないぼたんには、蔵馬が何故そんな疑問を持っているのか分からなかった。

 大事なのは、ここに姫がいるのに姫が戻るべきところに戻っているという事実のはず……だが少年はまず最初に師の問いかけに答えることにしたらしい。

 

 

「はい。昨年入内されました」

「なるほど……更衣か?」
「ええ。梨壺の更衣さまです」

「となると、襲われたのは、まさか後宮で?」
「そのようです。私は同席していたわけではありませんが」

「く〜ら〜ま〜!!」
「何? ぼたん」

 怒り混じりのぼたんの声だが、蔵馬は差して驚きもせず彼女を振り返った。
 それがかんに障ったのか単に怒っているだけなのか……ぼたんは身を乗り出して怒鳴った。

 

「何言ってるのかよく分かんないけど、今大事なのは姫のことでしょ!! 姫はそこにいるのに何で『戻ってる』のさ!!」

「……あのさ、ぼたん。忘れたの? 姫が誰に似てるか……」

「あ゛っ……」

 さっきから姫の顔を見ていなかったため、すっかり忘れていた。
 と言うより、記憶から放り出していたのだ。

 思い出すと、吹き出してしまいそうだったから……そして今思いっきり笑い出しそうになっている。

 

「ま゛、ま゛ざが……」
「多分、その『まさか』だろうね」

「どういうことですか?」

 少年が怪訝そうに説いてきたので蔵馬は苦笑しながら、

「言ったろう? 仲間が人間界へ来てるって。その1人が姫に瓜二つなんだ」
「そうですか。では、その方が間違われて後宮に」

「だろうな。まあいい。本物の『姫』でないにしろ、抹消したはずの『姫』が後宮へ舞い戻ってきたんだ。物の怪どもがこちらに来ることもなくなるだろう」

「ええ、しかし……」

 

 少年は蔵馬の意見に完全には賛成出来ないらしい。

 ようするに蔵馬の考えは、

【物の怪の狙いである『姫』が後宮へ戻った以上、こちらを襲ってくる可能性は低くなり、また『姫』が戻った以上、捜索隊もいなくなる。物の怪の軍団や厳重な警備をかいくぐっていくよりは、偽物の『姫』に注意を向けておいて、頃合いを見計らい本物の姫と入れ替える方がいい】

 と言うことなのだが……それを分かっていつつ少年は不安なところがあるらしい。

 蔵馬は自分の意見を無理強いする気もないし、ましてその策戦が最良だとも言い切れない。
 彼が感じている不安も気になるので、

「ところで、聞かせてもらおうか。宮中に出現した物の怪のあらましを」

 蔵馬が言うと、少年は不安内容について話しやすいと思ったのか、すぐに顔をあげ、姿勢を正した。
 何となく話が長くなるということを予感させる瞳である。

 

 ぼたんはアクビをかみ殺せる自信がないので、退屈な話でなければいいと心底思ったのだった……。