ところで、突然現れた謎の一群に幽助たちが呆然としていた頃(正確には、桑原を「姫」と呼んだことに呆然としていた頃)
その場にいなかった蔵馬とぼたんだが……。
幽助たちが人通りの多い所に落ちたのに対し、彼ら2人は、とある山中に落ちていた。
一体どういう経緯で、皆が同じ場所に落下しなかったのかは分からないが、独りきりになった者がいなかったことは、不幸中の幸いだったと言えるだろう。
「蔵馬〜。どうなのさ〜?」
とある大木に登って、周囲の様子を伺っている蔵馬に、ぼたんは下から呼びかけた。
何も木になどわざわざ登らなくとも、ぼたんのオールがあるし、蔵馬とて浮妖科の魔界植物があるではないかと言いたいところだが。
……実はぼたんのオール、地面に落ちかけた時、無理に乗ろうとした結果、真っ二つに折れてしまったのだ。
元々霊力を具現したものなのだから、修復出来ないこともないが、かなり時間がかかる。
こんなわけの分からないところで、のんびりと修復作業に当たっているわけにもいかないのもまた事実……。
それに、ここが何処だか分からない状況の中、幽助たちとはぐれたままなのは色んな意味で困ることが多い……。
幽助たちのことだから、簡単に死ぬとは思えないが、それでも早く見つけた方がいい。
本人たちは無事だろうが、彼らに関わった人たちの命の保証は、全くと言っていいほど出来ようはずがない!
オールの修理を後回しにするのは、当然である……。
ちなみに蔵馬は事態が分からない以上、むやみに妖力は使わない方が良いと魔界植物は使わずにいる。
空を飛べば有利なことも多々あったというのに、A級妖怪に戻る以前は使用不能だったほど、意外にもあれは妖力を消耗するのだだから。
「……困ったことになったようだな……」
「ねえ、蔵馬ったら〜!」
「ああ。すぐ下りるから」
そう言った直後、蔵馬はトンッと地面に目の前に降り立った。
ぼたんはすぐさま彼に駆け寄り、息つく間もなく、質問攻めにした。
「ここ何処だか分かったかい? 師範の寺から結構離れてる? 幽助たちは? 近くにいるの?」
「そんないっぺんに聞かれても……まあ場所は分かりましたよ。ただ師範の寺からはかなり遠いかと。幽助たちはまだ分からないが、この近くにはいないらしいね」
あれだけ次々と言われたぼたんの質問全てを、あっさりと答えてしまう蔵馬は、やはりすごいのだろう。
連発で聞いた本人であるぼたんも、まさか全てにすぐ答えてくれるとは思っていなかったらしく、感心した瞳で彼を見上げていた。
「? どうしたの、ぼたん」
「え? いや、何でもないさ! とりあえず探してみようよ」
と、ぼたんが方向も考えず、適当に歩き出そうとした、次の瞬間!
「伏せろ!」
「へ? うわっ!!」
突然、蔵馬が彼女を地面に押し倒した。
あまりに突然だったので、ワケが分からず、きょとんっとするぼたん。
しかし……、
ヒュッ……カッ!!
目前を何かが高速で通過し、すぐ近くの木に深く突き刺さり、それが鋭い矢であると分かった時には、自らの顔から血の気が引くのを感じた。
あのまま立っていれば、確実に脳天に突き刺さっていただろう……。
「なっ、なっ……」
「ぼたん、大丈夫か?」
「えっ……う、うん……」
先に立ち上がった蔵馬に手を借り、彼の誘導の元、後ろに立つぼたん。
こうして見上げてみると、普段は細身だと思っていた蔵馬も、大きく逞しいのだと、変に感心するぼだんであった。
非常事態だというのに、暢気なものである……。
(そうか。いつもは桑ちゃんとかと比較してるからか。何か変なの)
「どうかした?」
「え、いや何でもないよ! それより、さっきの矢は……」
「物の怪!」
ぼたんが蔵馬に聞き終わらないうちに、何処からか声が聞こえてきた。
何処からか……というのは、正確ではない。
すぐ近くからなのだろう、方向ははっきりと分かっていた。
ただ、ぼたんの今いる位置からは全く見えない……つまり今、彼女の前に立っている蔵馬の向こう側ということである。
「何? 何、今の……」
「再び姫の命を狙って現れたか。愚かな、成敗してくれる!」
「ま、またって??」
さっぱりワケが分からないぼたん。
物の怪? 再び? 姫? 命を狙って??
全くもって意味不明である。
『物の怪』とは妖怪のこと……とすれば、蔵馬のことだろうか?
自分のことであれば、それは大きな誤解だが、人間からしてみれば霊界案内人……つまり死に神である自分も物の怪には違いないかもしれない。
だが、『再び姫の命を狙って』に関しては、ぼたんは全く心当たりがない。
自分が連れて行った霊で、人間界へ戻った者は、幽助と幻海の2人だけ……双方共に『姫』ではないだろう。
となれば、やはり蔵馬が妖狐だった時に命を狙った姫だということに……。
「……なるほどね」
「く、蔵馬?」
何かを納得したらしい彼を見上げたぼたんだったが、その表情が意外なものだったので、きょとんっとしてしまった。
自分と同じように驚いているか、そうでなければ突然襲ってきたことに腹を立てたか、過去に命を狙った者……あるいはその者と懇意であった者が目の前に現れたと意外に思っているのか……。
そのいずれかだと思っていたのに……今の蔵馬はそのどれでもなかった。
笑っている……何も、嘲笑しているわけではない。
微笑を浮かべているのだ。
それも、呆れの微笑でも、嬉しさの笑みでもない。
何か……前にも同じことがあったから、それを思い出しているような、そんな感じである。
蔵馬の考えていることも、さっきの声のことも、さっぱり分からないぼたんだが、とりあえず蔵馬の後ろから少しばかり顔をのぞかせ、彼が見つめている前方に瞳をやってみた。
と、そこには……1人の少年の姿があった。
純白の直衣を優雅に着こなし、珍しい白い立烏帽子を被っている。
つまり上から下まで真っ白なのだ。
しかし、それよりも目をひくのが、雪のように白い彼の肌……何処か青白い感じもするが、そんな些細な点を気にすることも出来ないほど、彼は美しかった。
切れ長の瞳は意志の強さを表しているも、まだ幼さが残っており、美しさと同時に可愛らしい印象も与えられて、それでいて威厳や気品は損なわないで……。
身長はぼたんよりも若干高い位だが、体重は彼女より軽そうである。
直衣ではっきりしないものの、白く細い首筋や、太刀を握る手指から考えると、かなりの細身のようなのだ。
少年なのに、そんじょそこらの女よりも……いや、まず自分よりも綺麗だと言い切れた。
悔しい気もするが、その差は歴然としている……好みの問題を省けば、螢子や静流、雪菜よりも美しいだろう。
対抗出来るとすれば、今自分の目の前にいる蔵馬くらい……(と言えば、多分本人は怒るだろうが)
それにしても、この顔は何処かで見たことがあるような……。
「全く、相変わらずだな。お前は……頭が良いくせに、早とちりなところがある……」
突然言った蔵馬の言葉に、ぼたんは驚いた。
言葉自体もそうだが、その言葉遣いに……。
彼は自分たちに話す時には、少なくともちょっとした丁寧語が混ざっている。
もちろん機嫌が悪い時(例えば女に間違われた時とか)は、かなり投げやりな言い方になるが、今は怒ってもいないし呆れてもいないはずである。
なのに、随分と尊大な口調になっているような……。
「相変わらず? 何をわけのわからないことを。私は貴様に会うのは初めてだぞ」
「そうかな?」
と言うと、蔵馬はすっと瞳を閉じ、妖気を高めた。
人間の姿の時には抑えているのだろう、ほとんど感じない「妖狐」の気が蔵馬の内から溢れ出して来る。
辺り一帯が、銀色に光る妖しくも美しい妖気に包まれた。
その中心で、妖狐変化こそしていないが、淡く銀色に輝く蔵馬は、幻想的な雰囲気を醸しだしており、真後ろで見つめていたぼたんも、思わず見とれた。
少年はじっとその光景を見つめていたが……やがて、ハッと気が付いたように、顔を強ばらせた。
「……!」
「思い出したか?」
「失言を。お許し下さい」
突如、少年は態度を一変した。
慌てている様子はなく、太刀を鞘におさめ、静かにゆったりとその場に膝をつき、頭を下げただけだが、さっきの攻撃的な姿勢とは明らかに違う。
蔵馬は当たり前のように少年を見下ろしていたが、ぼたんはただただ驚くばかり。
「く、蔵馬? この子、誰? 知り合い?」
「知り合いというか……俺の弟子」
「で、弟子!?」
ぼたんが再び驚異の声を上げたのは言うまでもない。
蔵馬は大体予測していたのだろう、耳を塞いでいたが、ぼたんは構わず、叫び続けた。
「何で!? この子、どう見たって人間だよ!?」
「……幻海師範は人間だけど、妖怪の陣たちを特訓させた。その逆があってもおかしくないでしょ?」
「そ、そりゃそうだけど……でも変わった格好だね、まるで平安時代みたい」
「多分……その平安時代なんだよ、ここは」
「……は??」
少年に聞こえないよう、小声で言う蔵馬。
しかし、彼の突拍子もない発言に、ぼたんは一瞬固まった後、きょとんっした声を張り上げてしまった。
が、幸いなことに少年は、その奇声を聞かなかったことにしてくれたらしい……地面を見つめたまま、じっと静止していた。
おそらく彼女はそういう反応をするだろうと、蔵馬は予想していたらしく、別にその様子を非難も呆れも慌てもせず、
「タイムスリップでもしたんでしょう、あの鏡のせいで」
「うぞ……」
声が濁り、冷や汗が頬を伝うぼたん。
信じたくないが……しかしそう考えた方が妥当である。
直衣や烏帽子など、今の時代では演劇かドラマくらいでしか見られない。
それをこんな山の中で当たり前のように着ているのだから……古代文化が残っていたと言われるよりは、過去にきてしまったという方が、まだ信じられるというものだ。
「……蔵馬殿」
「ああ、別に良いさ、気にしてない。それより、そっちの子は?」
なかなか自分へ話をしないのは、蔵馬が激怒していると少年は感じたらしく、更に蔵馬はそれを読みとっていた。
これしきのことでと蔵馬は苦笑しながら、少年が自嘲気味に呼びかけたのを優しく流し、話題を反らした。
何とか立ち直ったぼたんが、ひょこっと彼の後ろから覗いてみると……先程の位置からは見えなかったが、少年の側に1人の少女がうずくまっていた。
十二単姿で、こちらに背を向けているため顔は見えないが、どうやら同じ年頃の女らしい。
彼女の頭から流れるようにある髪は、正に純日本人に相応しいと言わんばかりに黒々としていて、長さもこの時代の女性に申し分ないほど長くあった。
だが、座っていて、この座高だとすると……この時代でなくとも、現代でもかなりの長身に値しそうである。
「さっき言っていた『姫』かい?」
「はい。物の怪に襲われ、都からこの山へ転移させられたため、私が保護に参ったところです」
「なるほど」
「……ところで蔵馬殿は何故、ここへ? 魔界へ戻られたのでは……」
「私用だ。仲間が人間界へ行ったらしいんだが、次の仕事があるからな。迎えに来たまでだ」
さらりと嘘を吐く蔵馬。
だが、未来から来たと言うと話がややこしくなるのは目に見えている。
この時代の蔵馬は魔界にいるとなれば、誤魔化しておくのが一番手っ取り早く、かつ安全かもしれない。
「とりあえず都も探してみたいが、この格好では違和感があるだろう。着物を貸してくれないか? そっちの唐櫃、何か入ってるだろう?」
「はい、ただいま。そちらのお方も入り用ですか?」
ぼたんに目を向けながら言う少年。
蔵馬は迷わず頷いて、
「ああ。動きやすいのを頼む」
「蔵馬、あたし良いよ。霊界案内人の和服に戻るから……」
「デザインが派手だよ、あれじゃ目立つ」
「あ、なるほど」
蔵馬の言うことも一理ある。
確かにぼたんの衣装は目立ちすぎだろう。
この時代、染め物などで色々な色が作られてはいるが、いくらなんでも一面ピンクに白と赤の帯……目立たないはずがないだろう。
ましてぼたんの髪の毛は水色なのだから、それだけでも目立つというものだ。
最もそれは赤毛の蔵馬も同じだが……。
しばらくして、少年は2人の前に、丁寧に着物を差し出した。
「これなど、いかがでしょうか?」
「ありがとう! あ、そうだ」
着物を受け取りながら、視線を少年の向こうへやるぼたん。
彼女の目線に従って、少年も振り返った。
「姫が何か?」
「うん。そっちのお姫様もちょっと着替えたら? 十二単じゃ、山道歩きにくいんじゃない?」
「そうですね。姫、着物をお替えください」
「…………」
姫と呼ばれた彼女は何も答えなかった。
肩が僅かに震えているようにも見える。
突然、山中に飛ばされたのだから無理もないが……それ以外にも理由はありそうだった。
「安心してください。私は陰陽師、顔を見たところで何の問題がありましょう」
「ねえ、蔵馬。どういう意味??」
「この時代の身分の高い姫はね、結婚する相手以外の男とは、顔を合わせないという仕来りがあったんだよ。まあ完全にってわけじゃないけど。とにかく見られることは恥とされていたからね」
「ふ〜ん。じゃあ陰陽師なら良いっていうのは? と言うより、陰陽師って何さ?」
「この時代の役職の1つさ。星の動きで運勢を占ったり、物の怪を払ったりする仕事のこと。厄払いのためには、顔を会わせないといけない場合もあるだろ?」
「ああなるほど……ん?」
ふと、視線を蔵馬から少年へ戻した時、彼女の視界に振り向いた姫の面が飛び込んできた。
そして次の瞬間!
ぼたんは脇目も降らず、遠慮もなく、喉が潰れるのかと思われるくらいの大声で叫んだ。
「え、えええええええぇ!!!??」
その驚きたるや……山中どころか、日本中に響き渡るのではないかと思われるほどの絶叫だった。
最も、蔵馬や少年は直前で耳を塞いだので、無事だったが……姫はもろに悲鳴を聞いてしまったらしく、頭をくらくらさせていた。
が、しかし……ぼたんが驚いたのも無理はないかもしれない。
なぜなら、姫の顔は……。
「く、く、く、くわ、くわ……」
「どうかなさいましたか。鍬などないですが……」
「桑ちゃん!!!?」
変に勘違いしている少年を尻目に、ぼたんは姫を指さしながら、再び叫んだ。
そう……今、蔵馬とぼたんの目の前にいる姫……何と桑原にそっくりなのだ!
むろん、髪の毛はリーゼントではなく、茶髪でもない。
足下まである黒いストレートヘアである。
だが……少年とは別の方向性で切れ長となっている瞳に、針のように細い眉、ほお骨が突き出たような輪郭……どれをとっても、桑原そのものである。
ただ、桑原はいつも明るく元気なのが一目で分かるくらいの笑顔なのに対し、彼女は怯えた表情でぼたんたちを見上げていた。
まあこの状況の上、いきなり耳元で悲鳴をあげられたのだから、無理もないが……。
しかし桑原の顔で怯えられると、かなり違和感がある……というより、ハタから見れば、かなり笑えたものかもしれない。
最も、今の蔵馬には、笑いよりも驚きの方が大きく、呆気にとられてしまって、笑うどころではなかった。
隣で硬直しているぼたんの魂が半分抜けかかっていることにさえ、全く気がつかないくらいだったのだから……。
少年は、何があったのかと2人を交互に見つめていたが、やがて軽くぼたんの肩を揺すって話しかけた。
「……大丈夫ですか? 何かありましたか?」
「へ? あ、えっと……」
「貴方は姫をご存じなのですか?」
「え? え?」
「おい、この娘……本当に『姫』なのか?」
疑っているというよりは、確認するように尋ねる蔵馬。
どうやら彼は何とか立ち直れたらしい。
その代わり、少しばかり笑いを抑えている節はあったが……。
少年はそれには触れず、あっさりと頭を縦に振り、
「はい。桑姫様とおっしゃいますが……」
「く、くわ……姫……」
もはや、ぼたんに発せられる言葉などなかった……。