<子守りは大変> 9

 

 

「コエンマさま…何かだらしない格好で固まったんだね」
「おめえ…死にかけた上司に対する第一声がそれか?」
「死にかけたのは、てめえのせいだろ、浦飯」
「しょ、しょうがねえだろ! あの女がいきなり石なんかしやがるから!」

「けど、直してくれたのだって、あの子だろ。ほっとかれたら、今頃コエンマ粉々だぜ。おめえ、ショックでその辺歩き回って破片踏み荒らしてたんだからよ」
「うわ、幽助。そんなこともしてたの?」
「どっちが悪だか分からないわね…」
「うるせえ! あっちは蔵馬をちっこくした奴の仲間だぞ! 敵で悪役に決まってんだろーが!!」

……いくら奇妙な体勢で固まっているとはいえ、今のところ命の別状がないとはいえ(多分ないと思われるが…実際どうなのだろうか?)、これが石にされてしまった仲間を目の前にしての会話だろうか?

緊張しっぱなしというのも問題だろうが、これはこれで問題だろう。
緊張の「き」の字すら、今の彼らには感ぜられないのだから……。

 

 

「とりあえず、コエンマさまは隣の部屋に移動させようか。ついでに桑ちゃん、外に出てよね。蔵馬が起きちゃう」
「え゛……」
「『え゛』って何?」
「いや、その……ありゃ?」

何やら気付いたような思いだしたような、素っ頓狂な顔をする桑原。
怪訝そうに全員がそちらを見たが(といっても、雪菜は普段の顔だし、蔵馬は寝ているが)、桑原は首をかしげているだけである。

「おい、どうしたんだよ、桑原」
「いやちょっとな……なあ、姉貴」
「何?」
「姉貴たち帰ってきた時、玄関なんもいなかったのか?」
「いいえ、誰も。ねえ、誰もいなかったよね?」

振り返って、螢子や雪菜に同意を求める静流。
2人とも顔を見合わせながらも、こくんっと頷いた。

 

「変な人なんていなかったわよ」
「ええ、いませんでした」
「い、いや、人じゃなくて……」
「じゃなくて?」

きょとんっとして尋ねる螢子。
しかし、桑原はなかなか言おうとしない。
そわそわして、落ち着かない様子で、絨毯をむしっていた。

「和ー。いくらもうボロボロだからって、絨毯これ以上ダメにすんじゃないよ。ほら、さっさと言いな」
「……ネ、ネ…」
「根?」
「値?」
「『根』でもねえし、『値』でもねえ!!」
「じゃあなんだよ」

 

「ネ、ネズミの大群とか…」

 

 

 

長い沈黙。

全員が桑原の発言に…というか、その発言をした時の桑原の怯えるような表情に、呆気にとられてしまっていた。
その視線を受けながら、絨毯をいっそう激しくむしっている桑原和真。
部屋にはその絨毯の毛がちぎれる音だけが、しばらくの間続いていた。

ようやく部屋に別の音が混ざったのは、そ〜っと問いかけてきた幽助の発言だった。

「おい、桑原…まさか、さっきかけこんできたのって……」

嫌な予感がする。
元を正せば、あれさえなければ、メドゥーサは部屋に入ってこられなかったのだから…。
あれさえなければ、コエンマが石になることもなく、ひいては粉々になって、幽助が歪みかけることもなかったはずである。
その原因がまさか…ただのネズミだったというのだろうか?

ふいに思いだしたのは、以前迷宮城へ侵入した際、桑原がネズミを目撃して、腰を抜かしていたこと。
あれは単に何もいないと思っていた通路に生物がいたことに驚いただけだと思っていたが……。
もしかすると、ネズミ自体がダメなのだろうか?

信じたくなかったが…しかしそれが真実だったのだ。
桑原の次の言葉がそれを見事に証明したのだから……。

 

「しょ、しょうがねえだろ! こえーんだから!!」
「このやろ! ネズミ程度で怖がってどうすんだ、てめえは!! ドラ○もんじゃあるまいし!! そのせいで蔵馬がびびったんだぞ!! ついでにガラスは割れるし、コエンマは石になるし!!」
「い、言っとくが、粉々になったのは、てめえのせいだからな!」
「それは関係ねえだろ!」
「ないわけねえだろー!」

数行の口げんかの後、あっさり拳のケンカに発展。
蔵馬が目覚めてはまた泣かれるだろうが、止めるのももはや面倒…というか、アホらしい。
とりあえず女性軍+飛影は蔵馬を連れて二階へ上がっていることにした。
ちなみにコエンマは居間にほったらかしたまま……とばっちりで、また壊れないことを祈りたいものである。

 

 

「それはそうとさ。これからどうする?」
「幽助が言うには、この地図のここへ連れてきてって言ってたらしいけど…」

静流の部屋で、メドゥーサが残していった地図を広げるぼたん。
同時に螢子が鞄から地図帳を取り出し、関東地方のページを広げた。
照らし合わせてみると、どうやら埼玉の西部のようである。

「罠…かな?」
「でも虎穴に入らずんばって、和真さんよく言ってます」
「あれは竹を割ったような無策なだけだ」
「あら、飛影くん。いいこと言うね」

部屋の隅で寝ている蔵馬を抱えている飛影を振り返る静流。
普通、露骨に弟を馬鹿にされて、あっさりと同意するものだろうか…。

 

「まあ、行かないとコエンマさま、あのまんまだし。とりあえずは行くってことで、結論づけようか」
「そうね。うちの車7人乗りだから、定員オーバーになるけど、何とか乗れるでしょ」
「じゃあ、2台に分けて乗ったら?」
「誰が運転するの。1台は私がするとして」
「あ…」

タバコを吹かしながらの静流の一言。
確かに1台は静流が運転するにしても、残り1台は誰も運転出来ない。
今まで皆で出かけた時は、車2台に別れて、それぞれを静流と蔵馬が運転していたのだ。
螢子はまだ無免許だし、ぼたんやコエンマ、雪菜や飛影が免許を取れるわけもない。
幽助や桑原は例え免許を持っていたとしても乗りたくないし……。

しかし今回は運転手が1人減るのだ。
ということは、定員オーバーか地獄を覚悟しての無免許運転か…。
幽助や桑原に同意を取る必要はないだろう。
意見を聞けば、100%自分が運転するという無茶な発言をするに決まっているのだから……。

電車で行くのも無理だろう。
1人や2人ならばともかく、この人数である。
それに今更幽助たちが電車のスピードで満足するとも思えない。
車ならば、ギャーギャー文句を言っても堂々とその場で殴れるが、電車ではそれも無理だろうし。

 

だが、この会議……皆、肝心なことを忘れていることに気付いていないのだろうか?
そう、メドゥーサは蔵馬を連れてくるように言っただけで、何人で来いとは一言も言っていない。
ということは、別に何人か留守番をしていてもいいのだ。

しかし既に全員で行くことが決定済みのようである。
戦力になりそうもない者もいるが、戦闘中に蔵馬の面倒を見る人物は必須。
つまり、万が一留守番をおくことになれば、蔵馬の面倒を見られない人物になるのだろう。
そんな者、1人しかいないが…。

 

 

「9人…乗れるかな?」
「蔵馬くん小さいから、実質8人でしょ。無理すれば何とかなるんじゃない?」
「でもコエンマさん固まってるから、スペースとりそうね」
「あ、車の屋根に縛り付けるっていうの、どう!?」
「……確かにそれで7人になるから、いちおう全員乗れるけど……いいの、それで? 後でぼたんちゃん怒られない?」
「平気平気!」

あっさり言うぼたんだが、果たして本当に平気なのだろうか?
石になっているとはいえ、屋根に乗せられ、ボートのように担がれて、いい気分になる者などまずいないだろうに。
元に戻った際、コエンマが何も覚えていなければいいのだが……まあ覚えていた場合は、まず車よりも首の方を思い出すだろうから、もしかすると平気なのかもしれない。

階下では幽助と桑原のケンカが続く中、ぼたんたちは次々と話を進め、出発を明日の日曜に決定。
充分体力を養った方がいいと、ぼたんは螢子を家まで送り届けた後に、霊界へ帰還。
静流と雪菜も適当に夕飯をすませた後(その間もずっと2人はケンカしていた…)床につき、飛影は廊下で寝ることにした。
雪菜から一緒に部屋で寝ようと誘われたが、断固として拒否。
蔵馬だけ寝かせろと言って、早々に眠りに入ってしまった。

ようやくケンカを終わらせた時、周囲に誰もおらず、既に暗くなったことには、流石の幽助たちも驚いたが…。
しかし、それ以上にコエンマの前髪が全部砕けてしまっているのを見た時には……驚く前に、青ざめる前に、大笑いしてしまったものである……。

 

 

 

翌日。
一行は桑原家の車にて、埼玉へ向け出発した。
予定通りコエンマを車の屋根に積んで、静流が運転席へ螢子が蔵馬を抱いて助手席へ。
後部座席は2列あるので、前方に雪菜とぼたんが、後方に幽助・飛影・桑原が。

当然、一番狭いのは一番後ろだが、3人のうち前方へ回るとすれば、一番小柄の飛影のため、それだけは許し難いという桑原の意見で、狭いながらも3人無理に入ったのだ。
飛影も飛影で、照れくさいのか雪菜と一緒の座席には座りたがらなかったので……ここで蔵馬がいつもの彼であれば、笑顔でからかってくるのだろうが、残念なことに螢子の腕の中で安眠中である。

 

「ここか」

何度か道の駅やコンビニや車があまり通っていないところで路駐しての休憩をいれながら、到着した時には既に昼の三時を回っていた。
といっても、敵のアジトとやらはかなり山奥にあったため、最後の一時間くらいは徒歩だったのだが。

「ここまでは不気味なくらい何もなかったね」
「敵からの攻撃は、な……」

戦う前だというのに、げっそりとやつれた表情の幽助。
いや、彼だけではなかった。
隣にいる飛影や後方10mほどの地点にいる桑原も同じように、10年ほど走り続けたような疲れ切った顔をしている。
女性たちは歩いてきた疲れ程度しか感じていないらしいが……。

それも当然のことだった。
確かにここまで敵からの攻撃は一切無かった。
誰からか見られている気配すらない。
つまり敵はこちらの動きに気付いているかも知れないが、とりあえず奇襲をかけてくるつもりはないのだ。

 

 

だが、幽助たちにとってはそれ以上に恐ろしいことの連続で……。
なるべく蔵馬が桑原の顔を見ないように見ないように注意していたが、狭い車の中ではどうしても無理がある。
ミラーに映った影にすら、蔵馬は怯えて悲鳴をあげてしまうのだ。
その度に車は急停車、静流は激怒してわざわざ運転席から降り、後部座席の窓から弟をこてんぱんに殴りつけるのだ。

それだけならば、まだ桑原だけの苦労だろう。
しかし、言った通り狭い車内である。
しかも後部座席は男3人詰め込まれた、すし詰め状態。

当然静流が桑原を殴るたびに、四肢はその動きにつられて、四方八方へ振り回されるがごとく動き回る。
その被害を幽助と飛影が受けるわけで……しかし文句も言えない。
元を正せば桑原が悪いのだから、静流が彼を殴り終えた後で、改めて殴って気張らししていたのだが、またそのせいで蔵馬が桑原をかいま見て……と完全な悪循環を繰り返していたのだ。

 

車を降りた後は更なる悲劇が待っていた。
桑原一人が10mほど離れて歩いているのだが、しかし先を行く集団の会話の中に彼の名前が出てきて、それが本人にとってあまり好ましくないことだったりすると、殴りかかろうと走ってやってくる。
言わずとも分かるだろうが、それが原因で蔵馬が大泣き…。

挙げ句の果てに、山の中を歩いているのだから、周囲は全部植物。
蔵馬の武器だらけなのである。
ここで女性たちは幼くなった蔵馬がこういうことも出来るのだと、ようやく知ったのだが、しかし何故か蔵馬の攻撃は上手い具合に男性たちのみに向けられているのだ。
故にぼたんたち4人は避ける必要性もなく、危険はゼロ……。

ここでいい格好をみせておきたい桑原だが、雪菜はぽかんっとして立っているだけで、自分は死ぬ寸前。
いい格好どころか、瀕死の重体で治療を受けるハメになることもしばしばだった。
幽助はそこまで酷くないが、石になっているコエンマを担いでの回避のため、いつもより動きが悪い。
飛影は慣れてきたのか、余裕で避けていたが……それでも暴走している蔵馬を止めるべく、必死だった。

 

……ということで、ここへ来るまでの間、彼らは敵襲以上に恐ろしい体験をしてきたのである。
ついでに霊力も妖力もかなり使ってしまった。
むろん蔵馬へ向けて使ったわけではなく、避けるためだけに使ったのだが……それが結構な量だった。
幽助は後1発くらいしか霊丸が撃てそうにないし、桑原も霊剣を出すのが精一杯で、手裏剣のように飛ばすのは無理だろう。
飛影も黒龍波を撃てそうにはない。
これから敵のアジトへ潜入するに当たって、少々不安なような気もするが…。

 

 

 

「で、どっから入る?」
「正面から以外無理だろ。塀も高ーし」

屋敷というより城に近い、巨大な敵のアジト。
迷宮城のような奇妙な形ではなく、現実に存在していてもおかしくないものだが、それでもこんなところにあるのは不自然だった。
だが、今はそんなことを考えている場合ではない。
まずは入る方法を考えねば…。

「でも、跳ね橋は下りてるけど、その後どうするの? 門開きそう?」
「そうだなー」

考えながら、とりあえず橋を渡る一同。
罠でもあるかもしれないと、幽助が先頭に立ち、万が一不意打ちを喰らった場合でも蔵馬がかばえるよう、彼は飛影が抱いておくことにした。
橋は何事もなく無事通過。
だが、目の前に立ちふさがるのは、巨大な門。
鉄か何かで造られているらしいが、かなり重そうで、簡単には開きそうにない。

「ま、壊すしかねえな」
「え、いきなり? 来てるの、バレるよ?」
「もうバレてるだろ。ここまで来りゃあな。やるぜ。おりゃあああああ!!!」

 

ドゴッ!!

ジ〜ンッ…

 

「いって〜…」
「幽助のパンチでも開かないの!?」
「ヒビも入ってないね……あれ?」

ふいに扉を見上げたぼたんが、何かを見つけた。

「ってて…どうした〜? ぼたん」
「あれ…」
「あれって…あっ!! あいつ!!」

手の痛みも忘れ、バッと立ち上がる幽助。
その顔は僅かに怒りに燃えている…飛影も似たような表情だった。
もちろん彼の場合は、ハタ目には分からないくらいの微々たるものだったが。

彼らが見た先にいた者……それは間違いなく、昨日桑原家へ押しかけ、コエンマを石にした張本人・メドゥーサだった。

 

 

「やっと来たんだ! 待ちくたびれたよ〜」
「てめえ…覚悟は出来てんだろうなー!!」
「ちょっ! 幽助!!」

螢子たちが止める間もなく、メドゥーサに殴りかかっていく幽助。
しかしその拳は彼女に当たることはなく、空をつかんだだけだった。
弾みで前方へ転がると、そのまま門へ激突。
先程痛めた腕をもう一度ぶつけたのだから、その痛みは半端ではなく、

「○△●×!!」

と、言葉にならない声を上げて、橋の上を転がりまわった。

 

「これは映像だよ…って、もう遅かった? 大丈夫?」
「お、そい…」
「幽助っ!!」

慌ててかけよる螢子とぼたん。
てっきり幽助を心配してのことかと思われたが……どうやら違ったようである。

「あんたね! 映像だったから、よかったものを! 女の子に殴りかかるなんて、どういう神経してんのよ!!」
「そうだよ、あの子まだ何もしてないのに!!」
「お、おい待て…こ、こいつはコエンマ石にしやがった敵だぞ…」
「敵でも女の子でしょ!!」

「まあまあ、落ち着いてよ」

目線が合うように、地面すれすれまで降下してくるメドゥーサ。
飛影も殴りたいらしいが、映像である以上は無意味だと、止めておくことにした。
それに蔵馬を抱いているので、両手が塞がっているし。

 

「ゴメンね、大丈夫だった?」
「全然平気! そっちこそ大丈夫?」
「なんてことないよ。こいつ丈夫だから!」
「お前等な〜」

何故か敵と意気投合しているぼたんたち。
まあ同い年くらいの少女だし、格好は少し変わっているが、それほど悪い人には見えない。
今の状況では、殴りかかっていった幽助の方が悪役に見えてしまうと思われる……。

 

 

「この扉…っていうか、屋敷全体がね。魔術で造られてるの。特に門は他人が入らないように、厳重にしてあるから」
「先に言えよな…」
「だって言う前に殴るんだもん」

まあ正論だろう。

「とりあえず門あけるから、入ってきてね」

そう言うと、メドゥーサはふっと消えた。
直後、ギギッと音がして、重い門が開かれたのだった……。