<子守りは大変> 7
その頃。
蔵馬を小さくした張本人であり、広い範囲で見れば幽助たちが死にかけた原因ともいえるパイパーが、何処で何をしていたのかといえば……。
彼は今、とある古びた屋敷にいた。
おおよそ和風とは言えない、中世ヨーロッパを思わせる城にも似た巨大な屋敷。
このようなもの、日本では遊園地か博物館くらいにしかないだろう。
しかし、そこは遊園地でもなければ博物館でもなかった。
例えるならば、幻海の住んでいる寺のような人目につかない山奥である。
だが、数週間前にこの近くを通りかかった者ならば、「おや?」と思うことだろう。
何せこの辺りは、ほんの2ヶ月前までは何もないただの森だったのだから。
普通の家が建つだけでも、たったの二ヶ月では厳しいだろう。
まして、こんな巨大な屋敷など、どれだけ労働基準法を無視して、従業員を数百名過労死に追いやったところで無理がある。
しかし、この屋敷は2ヶ月どころか……実は半日もかからずに、ここに建てられたのだ。
むろん人間の力ではない。
滅多に人が足を踏み入れないのをいいことに、この物語で『悪役』と呼ぶべき連中が建築し、堂々と居すわっているのである。
屋敷はいくつかの部屋に別れていたが、ここは中でも最も広い部屋。
出入り口は1つしかなく、窓はあるがカーテンがしているため、かなり薄暗い。
まあ、日が落ちかけているのだから、暗くて当たり前かもしれないが。
造りはどちらかといえば、正方形よりも長方形に近い。
部屋を縦断するように、中央を幅のある赤い敷物がひかれている。
その上には髑髏などのついた趣味の悪いテーブルや椅子、燭台など様々なものが、大量に置かれていた。
部屋の入り口から見て、絨毯を渡りきった先……つまり、部屋の一番奥には黒いカーテンがかけられ、その辺りには灯りが全く置かれていない。
奇妙で嫌な感じがするような…逆に何も感じないような、不思議な空間がそこにはあった。
「あら、これは綺麗ね! 割と使えるわ。こっちはダメね、捨ててちょうだい! あ、こっちもね。それはダメよ、とっておくの!!」
部屋の中央辺りにある、大きな揺り椅子に腰掛けた女が、頭のてっぺんから響くようなキンキン声で、歓喜や失望の悲鳴をあげていた。
ブロンドの巻き毛に白い肌、口元から覗いているのは牙…だろうか?
声はすごいが、割と美人だ。
彼女は先程から目の前に並べられた球体を手にしては、投げ捨てたり大事そうにしまい込んだりと、チェックをつけている。
その度にこんな声が上がるわけて……。
いつものこととはいえ、周囲にいる者たちにしてみれば、五月蠅い以外のなにものでもない。
耳を両手で塞いではいるが、しかし人間よりも聴覚が発達している以上、あまり効果はないし…。
そして彼らの怒りが爆発するのに、それほど時間はかからなかった。
それもまたいつものことであるが…。
「おい、ドラキュラ! あの女なんとかしろ!」
「てめえの女だろ!! 面倒くらいちゃんと見ろ!!」
ギャイギャイ怒鳴ったのは、おそらく見た目は幽助たちと差ほど変わらないであろう少年たちだった。
1人はバサバサの黒髪と黒いトンガリ帽子で、それらが顔を覆い隠していてよく見えない。
もう1人は全身包帯まみれで、やはり顔はよく見えなかった。
しかし、怒声を発している大口だけは、暗がりの中でもしっかりと克明に見えたものだが。
「そこがカーミラのいいところでもあるんだよ」
ドラキュラと呼ばれた青年は、おそらく20歳過ぎ。
長く黒いロングヘアに紅い眼、口元からは先程の女よりも若干長く鋭い牙が覗いている。
血色の液体…いや本当に血の入ったワイングラスをクルクルと回しながら、あっさりと少年たちを受け流す。
あれだけの怒りに燃えた顔を向けられて尚、彼は平気そうであった。
どう見てもこっちの方が2枚も3枚も上手……いや、他にも理由はありそうである。
「あら、ドラキュラ。優しいのね♪」
「当然さ、カーミラ。愛しい君のためだからね…」
奇妙な球体をほおりだし、ドラキュラに歩み寄る女。
名前はカーミラというらしい。
そしてあっさりその場で、イチャツキだした。
周囲に呆れの空気が流れているにもかかわらず、二人は既に二人の世界へ行ってしまっている。
湿気がこもった陰気な雰囲気の部屋なのに、そこだけが燃えたぎる夏の太陽のごとく、暑い。
暑いを通り越して、熱そうである。
「…ったくよ……」
「てめえらのノロケは耳タコだぜ…」
げんなりして俯く少年たち。
その横ではおそらく同世代と思われる少女が、似たような顔をして、ため息をついていた。
サングラスに目深に帽子を被っている。
そこら辺だけは奇妙な格好といえるが、首から下は意外にも現代の女子高生のような活発そうな服装であった。
しかし、今の彼女には活気さはあまり見られない。
確かに目の前で、毎日のようにイチャツクお二人さんは(いや確実に毎日イチャツイている)、見ているだけで疲れるものだろうが…。
「それにしてもさ。これ何とかなんない? 邪魔でしょうがないじゃない! ねえ、パイパー! きいてんの?」
「……聞いてるわよ」
帽子の少女に言われたのは、例の奇妙過ぎる格好をした奇っ怪妖怪パイパーである。
ドラキュラやカーミラが椅子に腰掛け、少年たちや少女が絨毯の上に座り込んだりテーブルに乗っかったりしているのに対し、彼は相変わらず宙に浮いていた。
その彼の周りには、カーミラがさっきからチェックをしていた球体が大量に浮いている。
もしこの数を数えるほどヒマな者がいたならば、カーミラがしまい込んだ分と投げ捨てた分もあわせれば、失踪者の人数分あると気付いたことだろう。
それにしてもすごい数である。
部屋の天井は高いはずなのに、そのほとんどを埋め尽くしていた。
しかし、少女がパイパーに文句を言っている原因だが、この球体全てに対してではなかった。
元々この球体はバスケットボール程度しかない。
数だけあっても、それほど邪魔にはならない。
そう、たった1つ。
想像を絶する巨大な球体があったのだ。
それこそ他の球体を全て合わせたような……確かに、大きすぎて邪魔かもしれない。
「けど、仕方がないでしょ。大きいからこそ、ここにしかおけないんだから」
「だからってさ……ガキどもの部屋に置いとけば?」
「割られたらどうするのよ!」
「割れるわけないじゃん。針もないのにさ……あ」
少女とカーミラが吠え合っていると、ふいに入り口の扉が開いた。
入ってきたのは、1人の青年。
長い茶髪に金色の瞳、少し野性的な印象を与える風貌だが、しかし上品そうな面持ちであった。
外見的な年齢はドラキュラと大差なさそうである。
最も、人間でなさそうであるから、実際のところは全く分からないが。
「ウルフ! 地下室出来たの?」
「ああ。移していいぞ」
「やった! これでちょっと広くなる! さ、パイパー。さっさと移動させてよ。ついでにカーミラが見終えた分も」
「分かったわよ」
多少の不満はあるらしいが、しぶしぶ巨大な球体を引っ張っていくパイパー。
ついでにカーミラがチェックし、いらないと捨てた分も。
しかし一度には持って行けそうになかったため、まず小さな球体たちを先に持って行くことにした。
「しかし、尋常ではないな。この大きさは。こやつ……一体、どれだけの齢を重ねているのか」
「そうよね。少なくとも、1000は越えてるわよ。妖怪にしたって、長寿ね」
巨大な球体を見上げながらウルフの言った言葉に同調したのは、見た目的に20代後半と思われる女性だった。
青みのかかった黒髪と細い瞳。
物腰は丁寧だが、しかし身体にはいくつか縫い目があり、意外と怖い。
まとうドレスはところどころ薄く、腕などは透けて見えるため、そこからも縫い目が見えた。
「どう思う? フラン」
「そうね……」
どうやら彼女はフランというらしい。
縫い目のある手をあごにあて、何やら考えているらしい。
慣れているのか、誰も動じないが、ハタめには結構怖い光景である。
最も他の連中も普通ではないから、気にならないのかもしれないが……。
それにしても、一度に7人もゲストが増えるとは…。
今までの敵の中で、グループとしては一番大人数のようである。
最高でも魔界の境界トンネルの時の7人なのだから(まあ、仙水一人を7人と考えるならば、話は別だが)。
今回はパイパーも含め、8人…いや、何も喋らないが、もう1人いた。
彼らよりも一段上の…例の黒いカーテンがかけられているところの奥。
玉座のようなものがあり、誰かが腰掛けていた。
暗がりで見えないが、あまり体格は大きそうでない。
連中の中では、一番小柄らしいが…。
「パイパー」
「なに?」
「この玉の持ち主……連れてこなかったようだけど、今、子供の状態なのね?」
「そうよ。邪魔されて、連行できなかったけどね」
小さな球体を地下室へ移動し、大きい球体を運び出そうとしていたパイパーに話しかけるフラン。
パイパーは疲れ切ったような顔で彼女を振り返りながら言っていた。
その言葉に、またフランは少し考えた後、
「連れてらっしゃい」
と、あっさりさらっと言った。
「え゛、え゛え゛ー!!」
気味の悪い大絶叫をあげるパイパー。
同時に運び出そうとしていた大きな球体が、バランスを失い、彼の上に落下。
まるでシャンデリアが落ちてきたように、彼は物の見事にペタンコに押しつぶされた……。
飛影の剣はきかなかったが、球体による攻撃は効くのだろうか?(最も今のは攻撃ではないだろうが…)
しばらくすると、球体の下からペランペランのうすっぺたく圧縮されたパイパーが紙切れのように出てきた。
天井まで舞い上がっていきそうなのを、足の先っぽをつかんで止めたのは、帽子の少女だった。
「何、その『え゛え゛ー!!』って? さっき偵察行かせたんだから、場所は分かってるんでしょ? それとも何か嫌なことでもあんの?」
「え、いや…その……」
「まさか近くに猫がいるからイヤだとか言わねえよな?」
どきっ
トンガリ帽子の少年の何気ない言葉に、カチンと固まるパイパー。
その様子に誰もが納得した。
子供になった球体の主の近くに、彼の大っっっっっ嫌いな猫がいるのだと…。
「ったく、図星かよ……いい加減に慣れろよな。今時、猫怖がるネズミなんかいねえぜ?」
「う、うるさいわね!! 私は今時の低落なネズミじゃないのよ!! 中性ヨーロッパより生きてきた、由緒正しい…」
「中世っつっても、おめえどうせ十五世紀程度だろ。俺は紀元前からこの世にいるんだぜ。ま、生きちゃいねえがな」
包帯まみれの少年が、けろっとした声で言った。
生きていない……しかし彼は間違いなく、この場にいるが。
ということは、幽霊だろうか?
それにしては、足はちゃんと床についているし、さっきから色々食べているようだが。
一方、返す言葉がないといった様子のパイパーだが、しかし行くのは嫌らしい。
彼が何故ネズミと言われているのかは不明だが、もしこれが変化した姿で、正体がネズミならば、猫が嫌いな理由も頷けるが。
ブツブツと口の中で「いやだいやだ」と連呼しているパイパーを見ながら、フランはため息をついていたが、
「仕方ないわ。メドゥーサ、ついていってあげなさい。二人ならいいでしょう、パイパー」
「え〜、あたしが行くの〜?」
フランに呼ばれ、面倒くさそうに振り返ったのは、例の帽子の少女。
メドゥーサという名前だったようである。
少し膨れた顔で、抗議の視線を送ったが、しかしフランは問答無用といった感じで、
「貴女が適任でしょう。帽子さえ被っていれば、普通の人と変わりませんし。他の人では危険だわ」
「ちぇ〜、かったるいな〜」
「がんばれよ〜!」
「しっかりな〜!!」
ケラケラ笑いながら言うのは、少年二人組。
ただでさえ機嫌が悪いのに、そのようにからかわれれば、怒るのは最もなことで、メドゥーサは彼らを向き直るなり、ばっとサングラスを外し、二人を睨み付けた。
「ウォーロック!! マミィ!! あんたたちねー!!」
カッ!!
瞬間、メドゥーサの両眼から、奇妙な光線が発せられた。
それを見た途端、少年たちは顔色を変え、
「うわっ!!」
「あっぶね〜」
叫びながら、慌てて飛び退いた。
呼ばれた様子からして、ウォーロックとマミィという名前のようだが…。
テーブルの下に隠れたり、椅子の脇に非難したりと、行動はそれぞれだったが、共通していたのはメドゥーサから見えない位置に避難したということだった。
しかし……僅かに椅子からはみ出していた包帯の一部を、メドゥーサがしっかりと見た。
途端、包帯がそこだけ硬く重くなった。
「げっ!」
「ちっ、マミィにしか当たらなかったわね…」
「メドゥーサひでえよ!」
「ふんだ。このくらい当然でしょ! もういいわよ、グラサンしたから」
「ったく、この乱暴女!!」
とはいえ、自業自得のような気もするが…。
硬くなった部分の包帯を引きちぎりながら、椅子の影から出てくる少年−−マミィ。
もう一人の少年−−ウォーロックも安全を確認した後、ゆっくり出てきた。
「貴方たち、いい加減になさい」
「フラン。だってさー!」
「私たちがこの国へ来たのは、何の目的? 喧嘩のために来たの?」
「……そりゃ、違うけどよー」
「だったら、目的の遂行に全力を注ぎなさい。メドゥーサもむやみにサングラスを外さないの」
「…分かったわよ…」
少年少女を窘めると、フランはゆっくりと玉座を振り仰いだ。
彼女に続いてウルフが、そして三人組やパイパー、イチャツイていたドラキュラとカーミラも、玉座へと視線を移す。
「私たちの目的はただ一つ」
「我等が主の復活」
「結構待ったもんだぜ。なかなか丁度いい生け贄が見つからなかったもんな」
「日本にいるって聞いたけど、まさかこんなに早く見つかるなんざ、ラッキーだったな!」
「あれはスペースとって、邪魔だったけどね…」
「運ぶのも大変だったのよ」
「けれど、よかったわ。これで主さまが…」
「そう。ついに復活される」
「我等が主……悪魔サタンさま」
「……もう…いや…」
所変わって、こちらは桑原家。
蔵馬が小さくなってから、2日が経過。
その間に幽助たちは何度死にかけたことか……。
ある時は魔界の食虫植物の大群に喰われかけ、ようやくおさまったと思ったら、部屋中は散らかり放題で、それにたいする説教もとい体罰を女性軍から散々受けまくった(これは初日の1回目の話であるが)。
ある時は魔界のキノコの山が撒き散らした毒の胞子で死にかけ、ようやくおさまったと思ったら、室内や庭の植物が全て胞子のせいで枯れ果て、それが幽助の霊丸やら桑原の霊剣やらのせいと勘違いされて、女性軍から思い切り殴られた。
ある時は風呂場や洗面場のカビが急成長し、家中をカビだらけにした上、蔵馬自身が泣きやんでも、カビは残ったままで、またしても幽助たちのせいにされて、思い切り蹴飛ばされた。
ある時は畳の藁が全て種に戻ってしまい、ついでに床板までが種に戻ったため、いきなり床が抜け、地面があらわになり、それもまた幽助たちのせいになって、思い切り殴り飛ばされた。
……と、ここまでが初日に起きた悲劇である。
最も後半二つはどうやっても、幽助たちには無理のような気もするが…。
しかし女性軍の幼い蔵馬への支持は高く、幽助や桑原が何を言っても、耳を貸そうとしない。
とりあえずイタヅラをしてやったのだろうと、理由をこじつけられて、その度その度に絆創膏やら包帯やらが減っていくばかりであった……。
一方、飛影は何故かどれも荷担していなかったことになっているらしく、蔵馬を静めた後の被害は全く受けていなかった。
むしろ雪菜の手厚い看護を受けており、蔵馬の暴走も少しはいいことがあるかと思っていたくらい…。
当然、桑原には酷く羨ましがられていたが。
ちなみにコエンマは一度目のことで懲りたのか、危険を感じるたびに(蔵馬が泣きそうな顔をするたびに)真っ先に逃げていた。
蔵馬が静まって、幽助たちへの説教が終わった頃、何事もなかったように帰ってくるのだから、やはり霊界の次期長は侮れない…。
そして今日…つまり2日目であるが、この日は更に悲惨であった。
昨日、蔵馬が泣いた原因はほぼ幽助たちの扱いが悪かったことや、桑原の顔をかいま見たことのため、それさえ何とか回避すれば、いちおうは平和を保っていられた。
その割りには4回も死にかけたようだが…(正確には8回だろう。螢子たちからの説教もある意味、九死に一生ものである)。
しかし2日目となれば、そうもいかない。
赤ん坊の三大欲求といえば、食欲とトイレと睡眠。
とはいえ、トイレだけは自分一人でなんとか出来るので、行きたそうにしていれば、桑原をのぞく誰かがトイレのところまで連れて行ってあげているので、問題はない。
そんなに頻繁に行くわけでもないのだし。
問題は食欲と睡眠。
もちろんミルクや離乳食の段階ではないが、しかし大人と同じものはまだ食べられない。
ある程度柔らかいもの……とりあえず好き嫌いはあまりないらしいので、螢子たちが買ってきたり作ったりする子供向けの食べ物でOKらしい。
だが、問題は食べる内容ではなく、誰が食べさせるか、ということなのだ。
コップなどは何とか両手で持てるらしいが、それもかなり危なっかしい。
誰かが支えてあげた方が、やはりいい。
お箸などまだ使えるわけもないし、スプーンで食べることもまだ難しいようである。
よって、ほぼ全てを誰かが食べさせなければならないのだが……。
女性軍がいる間はいい。
彼女たちは自分で進んでやってくれるし、何より上手い。
だが、螢子や静流は学校に行かねばならないし、ぼたんは仕事がある。
雪菜は家にいるはずだが、都合の悪いことに、丁度今、静流が学校でやっている髪型の研究のアシスタントをするために毎日彼女と共に家を出ているのだ。
よって、この日も行かねばならないため、桑原家には男4人が子守りとして残されることとなったのである……。
現在の時刻は、午後3時頃。
今のところ蔵馬は螢子が買ってきた子供用ビスケットをかじっていて、大人しい。
素手でつかめるため、こればかりは1人で食べられるのだ。
その横には、ぐったりと疲れ切った様子で寝込んでいる幽助・飛影・コエンマの姿がある。
例によって桑原は廊下へ…かと思えば、実は玄関の外へ追い出されていた。
よたよたながらも、蔵馬は時々歩き出すため、廊下にいるだけでも結構危険なのである。
何分扉が壊れたままなのだから……。
だったら、何処かへ出かけてくればいいではないかと思われるかもしれないが、後始末など色々静流に押しつけられているため、出かけるに出かけられないのだ。
蔵馬が寝るたびに、家に入り、片づけ、そして目が覚めたら一目さんに玄関へ。
最も、浦飯チームで一番鈍足な桑原なのだから、その度にしっかり蔵馬に目撃されて、大泣きされていることは言うまでもない……。
「ちくしょ〜。体中、ガタガタだぜ…」
「泣き言言うな……これも蔵馬が元の姿に戻るまでだ」
「…って、いつ戻るんだよ? 結局、文献全然解読出来てねえじゃねえか」
昨日散らばった本の山は結局未だに散らばったまま。
無理もない、蔵馬が暴走するたびに、また散らばるのだから、片づける気も失せるだろう。
だが、そのせいで、せっかく螢子が漢和辞典を持ってきてくれたにも関わらず、全てをほったらかしたままなのである……。
「早く元に戻ってほしいなら、お前がやれ」
「面倒…っつーか、無理だ! こんな宇宙語みてえなの、俺に読めるかってんだ!! 漢和辞典使ったってな…」
「しいー!!」
慌てて幽助の口を塞ぎ、自分の口に人差し指をあてるコエンマ。
顔面蒼白で冷や汗を流すその様子に、ハッと思いだしたらしい幽助。
その頬にも汗が伝った……。
おそるおそる固まっている頭を後方へ向ける。
今日になってから7回目の悲劇の始まりだろうか……。
1回目は蔵馬に食事をさせるのを誰がやるかということになり、ジャンケンをしているうちに、腹が減ったと抗議の泣き声があがったことに始まり、御飯に入っていた人参がマンドラゴラのような悲鳴をあげ、鼓膜が破れかけたかと思うと、いきなり巨大化した人参の下敷きになって、ペタンコに押しつぶされた。
そもそもジャンケンで決着がつくはずがないのに、バカなことをしたと思うほどの余裕はなく、その後も襲ってくる人参から逃げるだけで精一杯。
何とか飛影が御飯に近づき(もちろん人参が入っていない皿のである)、無理矢理にでも食べさせたところ、ようやく落ち着いた。
が、巨大人参は結局元には戻らず、捨てるわけにもいかないので、4人で必死に食べ、証拠隠滅。
実はコエンマは人参嫌いだったのだが、そんなことこの状況では口が裂けても言えず、吐きそうになりながらも無理して食べたが……まさか幽助・桑原・飛影の3人とも、人参嫌いだったとは夢にも思わないだろう。
その後も、寝かしつけようとしたら、子守歌が下手だったのか抱き方が悪かったのか、喚かれ泣かれて、トリカブトやらジギタリスやらが大量に口の中へ押し寄せてきたり、また十時のおやつが遅れたのが悪かったのか、ケシやらコカやら大麻やらが庭いっぱいに咲き乱れて、あわや警察沙汰になりかけ…。
お昼はコエンマが螢子のレシピ通りに作ったのだが、砂糖と塩を間違えたらしく、激マズになったようで、まあ当然だが大泣きされて、杉やらケヤキやらが床を突き破って生え、部屋中花粉だらけにして、あわれ桑原のぞく3人は花粉症に…。
更に作り直したお昼も激マズ…というか激辛だったらしく、喚かれた上に口を冷やしたかったのか、氷河の国の固有植物などを呼び出して、桑原家を凍り付かせた。
最も飛影だけは、少し懐かしく思っていたらしいが……半分かき氷のようになった幽助とコエンマ、更には外にいる桑原も、そんなことに気付く余裕は微塵もなかった…。
もはや作る方が危険と考え、近くのスーパーへダッシュし、子供用の食事を買ってくると、何とか泣きやんだ。
もちろん、最初からこうするべきだと幽助がコエンマに怒鳴りまくったのは、言うまでもない…。
しかしその後また寝かしつけるのが大変で……寝る前にまた大泣きされ、ウルシやハゼや銀杏などが大量発生して、僅かにかすっただけで、そこが思い切りかぶれてしまい、無茶苦茶痒い思いをした。
これは何とか飛影があやすことで、おさまったものの、植物自体はおさまっても、かぶれは当分おさまらなかった。
コエンマが閻魔大王の許可なく、魔封環を使うほどだったのだから、世ほど痒かったのだろう…。
ちなみに外にいる桑原にも被害は及んでいたのだが、蔵馬の眠りが浅そうだったので、扉をあけるわけにはいかず、今なお彼は痒い思いをしているのだが……少々気の毒だが、どうしようもないので、ほおっておかれた。
……話を戻すが、大きな声を出したことで蔵馬がまた泣き出すのではと思った幽助とコエンマだが……。
しかし、蔵馬は至って普通だった。
ビスケットを食べるのに夢中らしく、2人がゴチャゴチャ言っているのは、気付いてもいない。
ホッとした幽助だが、同時に湧いてくるのは、ムカムカと苛立ちである。
「……大体、蔵馬のやろう。何で、螢子たちがいる時には、何にもしねえんだよ。本当は全部分かってやってんじゃねえのか?」
「それはない」
「何で分かるんだ、飛影?」
「分かってやっているならば……やり方が甘い。奴はもっとエグく、しつこく、鋭く、嫌がらせをする。昨日からのこいつの行動は中途半端だ。いつもなら、文句も言わせないが、昨日からやっているのは充分言える範囲だ」
「そりゃ、まあ…そうだが」
確かに中身が大人のままで、全てを分かってやっていると仮定しても、やり方が普段とは明らかに違う。
昨日から蔵馬がやっていることは、自分の思い通りにならない…つまり、子供の駄々なのである。
もし蔵馬の知能が大人の状態であれば、幽助や飛影の発言から気に入らないことがあれば、あっさり攻撃してくるはず……しかし、今の彼にはそれがなかった。
「しっかしな〜。わかってねえとなると、ますます腹立つな……元に戻ったら、ぜってー文句言うぞ」
「ま、覚えてればの話だがな……忘れてたら、こっちが悪役だ」
「……」
「どうした? 飛影」
「……外に何かいる」
「はあ? 螢子たち帰ってきたのか?」
「それにしては早くないか。確か4時頃になると言っとったが……ぼたんか?」
「…違う」
立ち上がる飛影の表情が、明らかに変わっていた。
恐怖はもちろん感じていないが、緊張している。
それを見て、幽助は何が起こったのか、見当がつき、立ち上がって飛影が見据える先を見た。
割と大きい居間の窓。
カーテンは掛かっていない。
しかし、そこから見えるのは、空と道路をはさんだ向かいの家の屋根くらい……。
だが、幽助と飛影には分かっていた。
見える赤い屋根の上。
2つの影がこちらを見ていることを……。
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