<子守りは大変> 5
「何か賑やかだな……」
「コエンマ!」
蔵馬が大泣きが止んでから数十分後。
唐突に部屋に入ってきたのは、やたらとデカイ風呂敷を抱えたコエンマだった。
しかもデカイだけではなく、かなり重いらしい。
額には疲れのせいか汗が光り、持ち上げている腕も若干震えている。
「コエンマさま。何です? その荷物」
「見てわからんか」
「分かりません。本…ですか?」
風呂敷の凹凸で、かろうじてそのくらいまでは分かった。
が、風呂敷が不透明である以上、それ以外は皆目不明である。
「資料だ。とにかく西洋妖怪の文献、全部持ってきた」
「ぜ、全部!?」
「ああ。わしらの審判の門にある分だけだがな!」
ドサッとテーブルの上に風呂敷を置くコエンマ。
その拍子に小さな結び目が解け、辺りに本が散乱した。
当然、テーブル周りに座っていた幽助たちには、多大な被害が……。
「コ、コエンマ……」
「あ〜、悪い悪い……ん? あははっ! 蔵馬、何だ! その格好は!」
ふと雪菜に抱かれた蔵馬を見て、大笑いするコエンマ。
この時点で蔵馬が泣き出さないところを見ると、コエンマも大丈夫のようではあるが。
いくら何でもそこまで笑うだろうか?
ヒラヒラレースつきのベビー服をまとった蔵馬は、別段笑うようなモノではないはずだが。
元を知っていると、笑ってしまうものなのだろうか?
「えっと、可愛いですよね。似合いますよね?」
「にっ、似合う! 似合うがな! あはは!!」
「……」
何を笑われているかまでは分かってないようだが、流石にここまで露骨に笑われれば、バカにされていることくらい赤ん坊でも見当はつくだろう。
蔵馬の小さな眉間にはシワがよっていたが……しかし、残念なことに誰も気づいていなかった。
そう、何となく見ていた飛影以外は……。
「あっはは! おお、そうだ。ぼたん、何かレナのヤツがお前探しとったぞ」
「え? レナが?」
「ああ。季節限定の新作がどうたらこうたら……」
「あ、そっか! 新しいベビー服入ったんだ! ちょいと行ってきます!」
言うが早いか、オールを取り出し、窓から飛び出していくぼたん。
幽助が窓枠にたどり着いた時には、既に空高く上っていた……。
「……ところでよ〜。これどうすんだ?」
ため息をつきながら、コエンマを振り返る幽助。
この深いため息には、既に蔵馬が元に戻らないことを願っているようなぼたんへの呆れと、今尚笑い続けているコエンマへの呆れが含まれていた。
最も、彼もさっきまで、コエンマと同じように大爆笑していたのだが……まあ着せてから大分経っているので、もう止んでいるらしい。
ちなみに飛影は無関心、桑原は見せてさえもらえていない(理由:蔵馬が怯えるから)
「わし1人では、埒があかんでな。お前らにも調べてもらう」
「って、おい! 俺たちフランス語なんか読めないぞ!?」
「何言っとる。英語もドイツ語もペルシャ語も古代ギリシャ語もくさび形文字も混ざっとるぞ」
「読めるか!!」
何故にくさび形文字まで……と、ここで突っ込む者はいなかった。
ついでに、コエンマが気づいてないので、付け加えておくと、象形文字と甲骨文字もあったりする……。
「まあ落ち着け。何もなしに訳しろとは言わん」
「本当だろうな?」
「ああ。ほれ、辞書持ってきた」
「……おい」
適当にコエンマがほおった本を受け取り、適当にめくっていく幽助。
それは確かに辞書ではあったが……。
「何だ?」
「こんなの読めねえよ!! 辞書からまず訳しろってのか!?」
「はあ? ちゃんと日本語になっとるだろ?」
「漢字だらけじゃねえか!! 漢和辞典もってこい!!」
「贅沢だな」
「うるせー! 中学中退には、漢字も外国語でい!!」
「悪いが無理だ」
きっぱり言い切るコエンマ。
ここまで一発ではっきり言われると、そのまま殴る方向へはいかず、一瞬固まってしまった。
「ど、どういう意味だ?」
「実はこの文献な〜。辞書も含めて全部、霊界図書館の持ち出し禁止のでな。秘書に言っても『無理だ』と言われたもんだから、適当に殴り倒してかっぱらってきたんで」
「……つまり今戻ったら、尻百叩きか?」
「それはない。親父は出張中だからな。だが、ジョルジュにまたギャーギャー言われるのが面倒だ」
「あのな〜」
「それで結局のところ、これどうやって訳するの?」
散らばった本を回収しながら、コエンマに問いかける静流。
雪菜も脇でそれを手伝っていた。
「これ結構難しいわよ。確かに漢和辞典も用意した方がいいかも」
あくまで喧嘩をいさめるために発した言葉だったが、コエンマは静流が言うならと、
「そうだな。じゃあ漢和辞典借りてくるか」
「さっさと行ってこい」
「何言っとる。お前ら行ってこい」
「は?」
「漢和辞典くらい人間界にもあるだろう。とってこい」
「持ってねえよ!! んなもん!!」
「私のは和にあげたからね〜。ねえ、和。あの漢和辞典どうした?」
未だに一人寂しく廊下に置き去り状態の桑原に向かって言う静流。
しかし、帰ってきた返事は、
「……大久保の弟が欲しいっていうから、やった」
「そうか。なら仕方ないな。螢子は?」
「さっき家行ったきりだぜ。まだ戻ってこねえ」
「じゃあ私電話してくるわ。ついでに図書館でも行ってこようか?」
「ああ、そうしてくれると助かる」
「決まりね。雪菜ちゃん、一緒に行かない?」
「あ、はい。じゃあ蔵馬さん、お願いします」
すっと抱いていた蔵馬を幽助に手渡す雪菜。
幽助は慣れない手つきで、受け取った。
「早めに帰ってこいよ」
「そうするわ。じゃあ留守番よろしくね。和、あんたは居間に入らないんだよ」
「わーってる……」
「行ってきますね、和真さん」
「はい!! 雪菜さん、男桑原!! きっちりと留守を守ってみせます!!」
「……調子のいい」
こうして静流と雪菜も外出。
桑原家には、男だけが5人残ったのだった。
「とりあえず静流たちが戻ってくるまで、本の整理でもしてるか」
「そうだな……っと、飛影も手伝えよ」
「フン。知るか」
「あ、あのな〜。ったく、それが嫌なら蔵馬持ってろよ。ほれっ」
ポンッと蔵馬をほおり投げる幽助。
このとき、彼には何の悪気もなかった。
ただ無意識に……何となくプーと接している時のように、何の気もなしに軽く投げたのだ。
ちゃんと座った状態の飛影が受け取れるように、そして衝撃などは全くないように……。
しかし、それがこれからの幽助たちの悪夢の直積的な引き金となったのだが……。
「……あ〜」
「ん? 何だ?」
「どうした、飛影」
「いや、今蔵馬が……」
「ああぁーー!!!」
突然の絶叫……そう、桑原の顔を目撃した時の“あれ”である。
しかし今、彼は部屋にいない。
ならば何故……。
といっても、普通に考えれば、幽助に投げられたことだと思われるだろうが、ここにその常識が通用する者はいなかった。
「い、いきなり何だよ!」
「腹でも減ったのか?」
「けど、あれからそれほど時間は……いや、赤ん坊って早く腹すかすんだっけ?」
「と、とにかく何か喰うもんを……ん゛?」
今……幽助とコエンマ、蔵馬を抱いている飛影、そして廊下にいる桑原。
4人の背筋に悪寒が走った。
嫌な予感がする。
とてつもなく、嫌な予感が……。
台所に走ろうとしたところを、ゆっくりギクシャクしながら振り返る幽助&コエンマ。
目線を僅かずつ落としながら、自分の腕の中へ視線をずらす飛影。
そして、廊下の影からそっと顔をのぞかす桑原……しかし、桑原の行った行動は、大きな間違いであった。
ただでさえ、投げられて機嫌が悪いところに、恐怖の塊がきたのだから、当然……、
「あああああっっ!!!」
耳をつんざく悲鳴。
キンキンとした子供特有の声は、差ほど耳障りなものではないが、ここまでデカイと話は別である。
思わず全員が、両手で耳を塞いだ。
……全員?
そう、全員である。
もちろんその「全員」には、蔵馬を抱いていた飛影も……。
ゴン…
カーペットがあったからまだいいものを……蔵馬はキレイに頭から床に落下。
一瞬、時が止まったような静けさが辺りを包んだ。
何が起こったか分からず、蔵馬自身も泣くのを止め、大きな瞳をぱちくりさせていた。
「あ゛……(×4)」
濁った声が4つ、はもった。
同時に全員のコメカミに小さな汗が光り、つうっと頬を伝って落ちた。
それが終わったとほぼ同時に……、
「あぁ……」
意外にも蔵馬の声は小さなものだった。
ひっくり返ったままの姿勢のため、喉が圧迫されてあまり出なかったのもあるだろうが……おそらく、それが鳴き声ではなかったことが、一番の要因だったろう。
ゴゴゴゴゴッ……
地の底から、響くような音……というより、その音は本当に床下から聞こえてきた。
同時に床が揺れる。
むろん、居間だけではなく、桑原がいる廊下も……。
「な、なんだ? この音に揺れ……」
「何か……ものすご〜〜く嫌な予感がするんだけど……」
「ああ…考えたくはないがな……」
「……」
4人ともが、同じ心境の中にいた。
拭いたいが、どうしても拭えない嫌な予感……なかなか起こらないことが、余計に不安をかき立てる。
そして……ついに、それは起こってしまったのだ……。
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