<子守りは大変> 3

 

 

「うわあああんっっ!!!」

 

地の底まで響くのではないかというほどの泣き声。
全員がハッと我に返り、目の前の現実を凝視した。
銀髪、金色の瞳、白い肌、恐ろしいほど美しい顔立ち……。

信じたくない……かなり信じたくないことだが……。
たった今泣いている彼は、さっきまでここにいて、現在姿が見えないあの人物であるとみて、間違いないだろう。
それでもまだ、自分の考えが違っていると思いたいらしく、他の者たちに否定してくれと言わんばかりに視線を送った。
だが、返ってくる答えは皆同じである……。

「ってことは……」
「やっぱり……」
「こいつって……」
「……」

 

「……く…蔵馬?」

 

自分の名前が呼ばれたからだろうか、銀髪の彼はピタリと泣きやんだ。
呼んだ幽助の方をじっと見つめている……。
送られてくる目線の高さこそ違う、雰囲気も冷徹なものではなく、かなり穏やかで……しかし、他に類をみない凛とした趣は、紛れもなく、あの妖狐蔵馬のものであった。

だが……。

 

 

 

「な、何でいきなり若返ったんだ??」
「若返ったっていうより……」
「ガキだろ、完全にこれ……」

……確かにガキであった。
彼らの目の前にいる、蔵馬らしい妖狐は……。

妖狐どころか妖怪の年齢など、ロクに知らない幽助だが、いくら何でもこれはまだガキ…子供だとはっきり言い切れた。
彼が会ってきた子供妖怪といえば、修羅や鈴駒くらいだが、それよりももっと幼い。
やっと1人で歩けるようになって、走れるか走れないかくらいだろう。
実際、今も立たずに床に座り込んでいるくらいなのだから……。

 

「何でガキなんかに……まさか植物とかで?」
「自分からなるわけないだろうが、馬鹿め」
「ば、馬鹿とはなんだ、馬鹿とは!!」
「あ〜、喧嘩してる場合じゃないでしょ!!考えないと考えないと……」
「ぼたん…お前既に混乱しとるだろ」
「これが混乱せずにいられますか、コエンマ様!!」
「き、気持ちは分かるがな……と、とにかく無理矢理、子供にさせられたとすれば、さっきの変な音と関係が…」

 

 

「ピンポーン、正解〜」

「だ、誰だ!?」

突然聞こえてきた、自分たち以外の第三者の声……幽助が叫んだのも、当然のことだろう。
しかし、その第三者は彼らをあざ笑うかのように、姿を見せない。
妖気を感じようとするが、辺り一帯から感じられるようで、何処にいるのか皆目見当がつかない。

「くっそ〜!」
「こら出てきやがれってんだ!!卑怯もん!!……卑怯?」
「そういえば、さっき蔵馬がそう言ったような……」
「ってことは、やっぱりてめー、パイパーか!!?」

「ホーッホホッホッ、正解」

 

幽助に正体を見破られたとかではないのだろうが……。
不気味な笑い声と共に、ヤツは姿を現した。

透けた肉体に、ピエロのような……いや完全にピエロの顔。
うっすら見える襟元や靴もまた道化師のそれであり、右手には奇妙なラッパを持っている。
同じピエロでも、かの美しい魔闘家鈴木よりも数段趣味の悪い出で立ちであった。

敵の正体がどうこう言う以前に、呆れるしかない幽助たち。
これが本当に、蔵馬を幼くさせた犯人であり、世間を騒がせている張本人なのだろうか……?

「お、おいコエンマ……本当にこいつが?」
「た、多分……何分、西洋の妖怪には詳しくないから、よく知らんが……」

半信半疑といったコエンマの気持ちも分からないでもない。
段々見慣れてくると、呆れすら通り越して、笑い転げたくなる風体なのだから……。

 

 

 

ザシュッ!

 

呆気にとられていた幽助たちが我に返ったのは、飛影がヤツに邪王炎殺剣で一撃を与えたときだった。

「き、きさまっ……」
「……死ね」

再び剣を構え、切り込む飛影。
しかし、パイパーには傷一つついていないようである。
切られたところは、一瞬分離するものの、すぐにまた接着してしまっている……。

「ちっ…」
「ホーッホホッホ! おいらにそんな攻撃が通用するとでも思っているのかい〜? 可愛いことだね」

ここまでバカにされて飛影がキレないはずがない。
いきなり剣を投げ捨て、右腕の包帯を取り始めた。

「ま、まさかあいつ……ここで黒龍波撃つ気なのか!!?」
「じ、冗談じゃねえぞ!! これ以上破壊されてたまるか!!」
「……破壊されたの、1回だけじゃなかったっけ?」
「放火魔にやられたの合わせれば、2回だ!」
「あれは破壊はされてないと思うけど〜」
「お前ら、そんなこと言っとる場合か!! 速く止めんと!」

飛影の腕は、今にも飛び出さんばかりの龍が蠢いている。
冗談抜きで本気でやるつもりらしい……。
こんなところで魔界の炎を呼び出されては……類は近隣だけでなく、日本中に広がってしまうかもしれない!
何としてでも止めねば……。

 

 

「と、とにかく抑えねえと!!いくぜ、桑原!」
「おう! ……ん?」

ふいに桑原の足に暖かい感触が……。
見下ろしてみると、そこには彼の愛猫・永吉がいたのだ!
確かに今日は連れてきていたが……来る途中で眠ってしまったため、さっきまで隣の部屋で寝ていたはずである。
それなのに、何故、今、こんな時に……!

「に、逃げろ!永吉!お前じゃ、飛影の妖気にあてられただけでも……」

 

「ぎゃああああ!!!」

「へ?」

突如、響き渡る絶叫。
突拍子もなさすぎて、全員がぴたっと固まってしまった。
もちろん黒龍波を撃とうとしていた飛影も……それは好都合以外の何物でもなかったが。
全員の視線の先では、さっきまで余裕綽々にバカにしまくっていたパイパーが、カーテンの裾にしがみついて、顔を引きつらせていた。
しかし、永吉が何気なく彼の方をみやると、真っ青になり、

「ね゛ご〜〜!!」

と、叫び残して、ぴゅ〜っと飛び去ってしまった……。

 

 

 

「……何だったんだよ、あの妖怪……」
「ワケわかんねえ……」
「……それはそうと」

パイパーが飛び去っていった空の彼方を眺めていた幽助たちだったが、今問題なのはヤツではない。
部屋の隅で、壁にもたれかかって座っている幼い妖狐蔵馬のことである。

パイパーが騒ぎの元凶であり、弱体化というのが敵を幼子に変えてしまうというところまでは分かった。
更にはそれに使う楽器も発する音も、そして猫が苦手らしいということも。

 

しかし、それ以外のことは何も分かっていない。
だからといって、本に書かれた残りの文章を訳出来る者が、ハタしているだろうか……しかもただのフランス語ではなく、500年も前のほとんど消えかかったフランス語である。

これからどうすればいいのか……全く見当がつかない。

ヤツを追わなかったことも原因だろうが、誰もそうしなかったのは、ただ単に呆れていたからではなく、何となくイヤな予感がしたためである。
まるで仙水と初めて会ったときのような……そんな底知れぬ不気味な雰囲気を、皆が感じ取ったのだ。

 

 

 

「……とにかく、わしは一端霊界に戻る。パイパーについての文献、他にもあるかもしれんからな。探してみることにする」
「あ、ああ頼む……」

こっくりと頷くと、コエンマはフッとその場から姿を消した。
冗談も何もない。
本当に危機的事態に陥っていると、分かっているからこそ、コエンマは即決して霊界に戻ったのである。

「じゃああたいたちも移動しよう」
「え? 何処に?」
「何言ってんのさ。窓ガラスがいきなり全部割れたんだよ? 絶対におかしいって思って、誰か警察呼んでるさね」
「あ、なるほどな。じゃあ行くぜ、蔵馬……蔵馬?」

ふと、近づいてみた時、彼の様子がおかしいことに気づいた。
声をかけてみても反応がない。
何処か具合でも悪いのかと、前髪をかきあげて顔を覗いてみる幽助。
しかし、ただ彼が眠っているだけだと気づき、ホッと胸をなで下ろした。

何せ、今の蔵馬には何が起こってもおかしくない。
小さくなった、ただそれだけならいいが、いきなり泣き出したりした辺り、おそらくは中身も若返っているだろうから……。
記憶があるのかどうかも危ういところ……幸い、自分の名前だけは覚えているらしいが。

しかし、今はそんなことよりも、警察が来る前にこの場を離れなければ。
警官を殴って逃走出来なくもないが、事を荒立てれば、当然後で螢子の鉄拳を食らうことになる。
警察はどうでもいいが、鉄拳制裁はなるべくなら遠慮したい……。

 

 

「で、何処行く?」
「幻海ばーさんのところとかか?」
「ちょっと遠いよ。蔵馬が起きて泣き出しちゃったら……一端、桑ちゃんの家行こう。そこから対策練ってさ」
「そうだな。じゃ、蔵馬は俺が……あれ?」

と、さっきまで目の前すーすー寝ていた蔵馬が、忽然と姿を消した。
また敵が現れたのかと、慌てて辺りを見回してみたが……心配することもなかった。
少々持ち方は荒っぽいが、蔵馬が目覚めることのないよう、飛影が抱きかかえていたのだ。

彼も気にしているのだろう。
蔵馬が幼くなってしまった原因は、彼には全く関係ない。
しかし、彼にとって蔵馬は一番親しい仲間であり戦友である。
守る必要はない相手とはいえ、守れなかった自分も悔しいのだろうし……。

 

それを察したのか、幽助は自分も気にしていて(こうなったのも、自分が避けなかったせいだと思っているため、飛影よりも余計に…)、蔵馬に何かしてやらねばと思っていたのだが、それについては何も触れず、

「行こうぜ」

と、短く言っただけだった……。