「……えい…飛影?」
目の前にいたのは……赤い髪の少年だった。
いや…少女だろうか?
大きな緑色の瞳が、やや童顔気味の印象を与える。
多分、綺麗な方なのだろう。
最もあまり顔立ちになど興味はないから、大して気にもならなかったが。
「どうしたんだ? ずっと寝てたけど」
起きあがったが、まだ少し頭が痛く、片手でぐしゃぐしゃとかき回した自分を、少し心配そうな表情で覗き込む。
強引というか、遠慮がないというか、そんな様子に少しむっとし、質問には答えず、こちらの疑問をぶつけた。
「貴様……誰だ」
「……何言ってるんだ?」
「だから、貴様誰だと聞いている」
自然な質問だった。
知らない相手に対してなら、誰でもぶつける質問だろう。
だが、向こうはそうは思っていないらしい。
「飛影? まさか、覚えてないとか…」
「何の話だ。第一、『ヒエイ』など、訳の分からない言葉知らんぞ」
「……じゃあ、聞くけど。君、名前は?」
怪訝に聞く赤毛少年(ひとまず男と思うことにした)。
何を当たり前な。
そんなこと……。
「……」
そんなこと分かるはずだった。
名前など、生まれたばかりの赤ん坊でもない限り、大概の奴は持っている。
まあ持っていない者も魔界にはちらほらいるが。
だが、自分にはあった。
それは確かなのに……。
「思い出せん……」
再び頭をかき回す。
今度は痛みではなく、ワケが分からなくて……。
あったはずの名前。
なのに、思い出せない。
どんなものだったのかも……自分が誰なのかも。
顔も思い出せない。
髪も眼の色も。
服装は見れば分かったが。
家族も…いたのだろうか?
魔界には家族などいない者も多い。
しかし、いたのかいなかったのかも分からなかった。
「まさか…記憶喪失?」
ふいに赤毛の少年が口に出した言葉は、正に自分にぴったりだと思った。
が、肯定するのは、何だか灼に触る。
「……貴様」
「はい?」
「俺を……知っているのか?」
半ば肯定のような聞き方だが、しかし赤毛の彼はそれには突っ込まずに、頷いて、
「うん。知ってるよ、よく」
「……」
「名前は『飛影』。炎を操る邪眼師だよ」
「炎? 邪眼師?」
「それも覚えてない?」
答えず、俯く飛影。
赤毛の彼の言葉に嘘はなさそうなので、とりあえず名前は『飛影』なのだろうと納得したが、炎を操る邪眼師など、いきなり言われても、ぴんと来ない。
どうすれば炎など出るのだろうか?
いや、操ると言っているから、炎自体がないと無理なのだろうか?
邪眼というのは、大体見当がつくが、自分にとっては両眼のことなのだろうか。
見たところ、身体の何処にも眼らしいものはないが……。
「……あのさ。君の邪眼。額だよ、額」
身体を見回していることで、何を考えているのか見抜かれたのか、少し呆れ口調で言われた。
腹も立ったが、しかし確認のため、額に手をやる。
どうやらバンダナを巻いているようなので(そういえば、頭に感触はあったが)、ばりっと外し、額を触る。
しかし、そこに眼はない。
変わりに、中央辺りに、横に走ったヘコミのような部分があった。
多分これが邪眼だろう。
ただ、開き方が分からない。
どう力を入れれば開くのだろうか?
「君は先天的な邪眼師じゃないからね。コツをつかめないと難しいかも」
「……」
何だか考えていること全てが見透かされているようで……気にくわなかった。
額にバンダナを巻き付けると、立ち上がり、その場を後にする。
「何処へ?」
「貴様の知ったことか」
「そうかもね。でも記憶喪失で、炎も使えないのに、魔界をうろつくのは危険だよ?」
後ろで言っているが、無視して歩き出す。
自分のいた場所は、森の中にある泉のようだが、地理も何も覚えていないので、魔界のどの辺りなのかもよく分からない。
ただ、あまり瘴気が濃くないところを見ると、魔界の上層部らしい。
だからといって、何がどうなるわけでもないが。
「……」
しばらく無言で振り向きもせず、一方向へ歩いていたが……後ろからついてきていることくらい、最初から分かっていた。
「何故ついてくる」
刺々しく、鬱陶しそうに振り返り、赤毛の彼を見やる飛影。
しかし向こうはこちらの不機嫌さなど、気にも留めていないように、笑顔で、
「一人にしておくと、あぶなっかしいから」
と言うのだった。
「ついてくるな」
「気にしなくていいよ。君の邪魔はしないから」
邪魔はしないと言われても、別に何をするというわけでもないから、邪魔も何もないような気もするが。
「鬱陶しい」
「だろうね」
「大体、何故俺に構う」
「まあ、仲間だったから」
「貴様のような奴、覚えていない」
「自分のことも覚えていないなら、当たり前だよ。ああ、名前は蔵馬だから」
「聞いていない」
「勝手に言っただけだよ」
「邪魔だ」
「何もしてないよ」
「五月蠅い」
「答えてるだけだよ」
「目障りだ」
「ほとんど見てないじゃない」
「殺すぞ」
「懐かしい台詞だね」
「死にたいのか」
「あ、それも」
終始ニコニコしている蔵馬に、飛影の方がげんなりとしてくる。
何を言っても無駄。
どれだけの悪言暴言を吐こうと、全くこたえない。
さらりと返してくるだけ。
少しは怒ってくれた方がこっちも言いようがあるというのに……。
「……」
「……」
ふいに二人の足取りが止まる。
お互いに何も言わずとも分かる。
記憶がなくても、それくらいは分かった。
敵……邪悪な気配がすぐ近くまで来ている。
「狙いは君らしいね」
「フン」
それくらい分かっていた。
回りにある気配は六つほど。
それ全てが自分の方へと殺気を放っている。
炎が使えるらしいが、使い方が分からないため、あえてアテにはしない。
殴る蹴るくらいでも何とかなるだろう、あまり強い相手ではなさそうだし。
「邪眼師飛影、覚悟ー!!!」
ありがちのお決まりの台詞を叫びながら、飛び出してくる妖怪たち。
蛇かトカゲか…何となくは虫類的な連中だった。
バキ!!
ドカ!!
ボコ!!
ゲシ!!
ベキ!!
ドッカーン!!
戦い方はよく分からない。
記憶がないから。
だが……身体が動いた。
考えるよりも先に。
的確に相手の急所をつき、次々と倒していく。
あっという間に、辺りには妖怪だったモノの死体が転がった。
「お見事。流石だね」
ぱちぱちと軽く拍手を送るのは、もちろん蔵馬。
「……貴様」
「加勢する必要なかったね」
「……」
最初からする気などなさそうだったが……。
全く構えもせず、のんびりと岩に腰掛けている様子は苛々させられるが、何となくほっとしていた。
何故かは分からないが……。
「フン。貴様のような奴に助けられてたまるか」
「はいはい。次からもしないよ」
「……おい」
「何?」
「こいつらは何故俺を狙う?」
ふいに浮かんだ疑問を投げかける。
名前を呼んだ以上、連中はただの盗賊ではないだろう。
明らかに自分の命を狙っていた。
となれば、何か目的があるはず……。
「俺は賞金首か何かか?」
「いや、違うよ。ただ、君は強いから。味方も多いけど、敵も多い。上に立とうとする雑魚はよく相手にしてたよ」
つまりよくあることらしい。
すごく面倒で鬱陶しく、不愉快……これからずっとあんな連中を相手にせねばならないのか。
「準備運動にもならない連中で、欲求不満かもしれないけどさ。ま、頑張ってね」
「……」
記憶喪失の現状を分かっている上で、蔵馬は何処か楽しそうに言う。
それがものすごく腹が立つ反面……何故、殺したいほどに憎めないのだろうか?
さっき言っていた仲間の言葉……多分嘘ではないだろうが。
それ以上に、こいつとは何かあったような気がする。
「(……何だ? 何があった?)」
しかし思い出せない。
自分のことは、正直時間と共にどうでもよくなっていた。
家族や顔などあまり気にもならなかった。
だが……蔵馬のことは思い出したい。
そんな気がして、ならなかった。
それから数日間。
飛影と蔵馬は微妙な距離を保ったまま、生活していた。
終始一緒というわけではなく、蔵馬はふらりといなくなったり、また現れたり。
果実を取ってきて、「適当に食べていいよ」などとヌカしたり。
時折、飛影がキレても、全然へこたれず、笑顔でいる。
世ほど暇なのだろうか……。
彼にも生活はあるはずなのに、何故かつきまとっている。
仕事など、魔界にはない者ももちろんいるが、しかし家にも帰らず、何故自分に……。
「(まさか……)」
木の上でごろ寝しながら、嫌な予感がよぎる。
真下で蔵馬は笑顔で飛影を見上げていた。
「(同棲していたとでもいうのか?)」
考えた瞬間、身震いがした。
かなり嫌だった。
……が。
それでも……『嫌』はあっても、『憎』はなかった。
度々襲ってくる連中には、嫌気もさせば、憎しみもあった。
それほど大きなものではなく、ただ殺したいだけだったが。
しかし、蔵馬に対しては、それがない。
不思議な感覚だったが……それも嫌ではなかった。
……そんな折り。
「あ! 飛影!」
突如、遠方から名が呼ばれた。
蔵馬ではない。
蔵馬は今、少し離れた場所にいる。
呼ばれる直前に飛ばされた、飛影のバンダナを取りに。
名を呼ばれ警戒する自分をよそに、蔵馬は声のした方をみやって、言った。
「大丈夫。敵じゃないよ。仲間たちだから……おっと」
再び風が吹き、バンダナが茂みの向こうに飛ばされる。
「拾ってくるよ」
ガサガサと茂みに入っていく蔵馬。
少しの間、そちらを見ていた飛影だが、やがてやってきた来訪者たちの方へ視線を移した。
「何処行ってたんだべ? ずっと戻ってこんで」
「探したぞ」
やってきたのは、二人の少年。
頭に角を持つ、蔵馬とよく似た赤い髪を持つ少年と、灰青と緑色の髪に、澄んだ空色の瞳の少年。
様子からして、蔵馬の言ったとおり敵ではなさそうである。
「……貴様等、味方か?」
「えっ……」
「まさかお前……記憶が…」
角の少年は呆然としていたが、空色の瞳の方は冷静に尋ねてきた。
蔵馬ほどではないが、彼らにも不機嫌な印象は湧かない。
頭を縦にふると、
「まいったな〜。マジで覚えてねえのかよ」
ガリガリと頭を掻く角の少年。
しかし、空色の瞳の方は、
「……まあ、無理もないな。忘れた方が楽なことだってあるもんな……」
と、少し寂しそうに言った。
「? どういうことだ?」
「いや。じゃあ、思い出したら、帰って来い……嫌なら、別にいいが。お前の仕事は俺たちでしておくから」
「じゃあな。元気出せよ」
「……ああ」
よく意味が分からず、曖昧な返事しか返せなかったが、二人はそのまま去っていった。
やけにあっけない。
根掘り葉掘り聞くかと思ったのに。
「何を言っているんだ、奴等は」
「……忘れた方がいいくらい酷いことがあったんじゃないかな。ああ、これ。どうぞ」
しゅるっと頭に布の感触がよぎる。
いつの間にか、蔵馬が背後まで近づいていた。
バンダナをきっちりと止めると、ぽんっと肩に手を置いて、
「受け入れられる時、記憶も戻るかもね」
「……貴様、知っているのか?」
「いいや。悪いけど、俺は知らない」
「……そうか」