<傍にいて>
「じゃあ、ここで」
「ああ」
「気をつけてな」
「お互いに」
皿屋敷市と蔵馬の住む町へ向かう分かれ道。
丁度、環状線の高架下に当たるそこで、蔵馬は幽助たちと別れた。
一番怪我が酷いし、泊まって行けと誘われたが、とりあえず断った。
ただでさえ、幽助や桑原は、螢子や雪菜のことで頭がいっぱいなのだ。
もちろん、ぼたんやひなげしのことも……。
いちおう動かすのはマズイだろうと、四人ともまだ幻海の寺に寝かせてもらってはいるが、頭の中は女性たちのことで埋め尽くされているはず。
男の自分のことまで、気を配っている余裕はないはず。
だが、傍にいれば、それでも気になるだろうし。
家に一人で帰れると言えば、それなりに安心出来るはずである。
……冥界との戦いを終えて、ほぼ一日が経った。
コエンマが霊界からエネルギーを送ってくれたため、とりあえず全員ある程度は回復した。
が、あの状態からの救援である。
何とかなった程度だったため、ぼたんもひなげしも速攻で手当が必要な状況だった。
むろん、蔵馬を含め、他の男三人も……しかし、普段から戦っているだけあって、女性たちよりは数倍マシだったのだ。
その後、すぐに幻海の寺へ急ぎ戻り、まだ目覚めない螢子や雪菜の隣に、二人とも寝かされた。
昼頃には、螢子も雪菜も目覚め、全員が安堵の息をもらした。
明日にはコエンマも様子を見に来ると、夕方頃に連絡が入り、その後幽助たちは一度家に戻ることになったのだ。
本当は傍で看病したかったところだが、幻海に、
「お前等がいると五月蠅くて、寝られんだろう」
と言われ、しぶしぶ帰ったのだった。
そして現在に至っている。
幽助と桑原の後ろ姿を見送った後、蔵馬はすぐに帰ろうとしなかった。
一番近くの鉄柱に寄りかかり、線路の間から僅かに見える薄暗い空を見上げていた。
思うことは、一つだけ。
冥界のことではない。
申し訳ないが、寝ている女性達のことでもない。
幽助や桑原は…まあ、心配する必要もないから、思うこともないだろう。
「何をしている」
ふいに声をかけられ、蔵馬は振り返った。
まあ、少し前から気付いていたから、驚きはしなかったが。
雪菜が目覚めてから数分後に、いつの間にかいなくなっていた邪眼師。
彼のことだから、長居するとは思わなかったが、それでももう少しくらいいてあげればよかったのに、と思わずにはいられなかった。
「飛影…」
「何を考えている」
「……別に」
「あの黒鳥か?」
「……」
分かっているならば、わざわざ聞くこともないのに……そう思ったが、あえて蔵馬は何も言わなかった。
何となく、立場がいつもの逆のようで。
居心地が悪いわけではなかったが、しかし何となく黙っていたのだ。
「鵺族。偽物とはいえ、初めて見たな」
蔵馬のほぼ正面に立ち、しかし視線は合わせず言う飛影。
その横顔は少しだけ笑っているようにも見えた。
からかっているのか、それとも……いずれにしても、蔵馬にとってそれは、嫌なものではなかった。
正直…今は、誰かに傍にいてほしかったから。
自分から幽助や桑原と別れたのに、奇妙な話だが……。
「ああ。魔界でも滅多にいない種族だからね。俺も彼以外知らないし……どんな種族か。知ってる?」
「……噂くらいならな。黒髪に黒い翼を持つ、妖鳥だとな」
「ああ……そして、強く、誇り高く、卑怯なことはしない。一度仲間と認めたら……絶対に裏切らない」
「フン。そこまでは知らん」
知らなくて当然だろう。
あくまでそれは、黒鵺に関すること。
他の鵺がどうなのか、そんなことは蔵馬にも分からないのだから。
「……ねえ、飛影」
「何だ」
「生きようとするのは……卑怯なことなのかな」
突然、ワケの分からないことを言われ、思わず視線を蔵馬へ向けてしまう飛影。
目前には、鉄柱を背に座り込んで、何処か寂しげな笑みを浮かべている蔵馬……しかし、言いたいことは一行に分からなかった。
生きること=卑怯など、どう考えても成り立つ公式ではない。
まあ、魔界を生き抜くためには、それなりに卑怯なこともしなければならないかもしれないが。
しかし、あの蔵馬にここまでの表情をさせるなど。
今まで、蔵馬はどんなことがあっても、こんなに弱気な…悲痛な表情は見せなかった。
少なくとも、自分の前では。
母親が病に倒れ、自分の死と引き替えに助けようとした時も……遠くから邪眼で見ていただけだが、しかし割としっかりした顔をしていた。
戦いの時など、幽助や桑原であれば、とっくに取り乱していたはずの状況で、氷のように冷静だった。
一日ほど前、偽物の黒鵺が現れ、「裏切り者」と連発していた時や、倒した後は多少落ち込んでいたが、それでもここまでではなかった。
全てが終わり、冥界など頭の外にはじき出し、頭の中が黒鵺一色になってしまった今だからこその表情なのだろう。
一体どんなに卑怯なことを、あの黒い鳥はしたのだろうか……。
……違う。
話の流れからして、むしろ逆だろう。
黒鵺は卑怯なことはしない男。
となれば、最期までそれを貫いたのだろう。
つまり、生きようとしなかった=卑怯なことはしない。
こちらの方である可能性の方が高いはず……そして、飛影の口に出さなかった感は、見事に的中した。
「黒鵺はあの時……生きようとしなかった」
「……」
自分の感が当たっていても、ちっとも嬉しくない。
こんな感なら、むしろ外れていてくれた方がよかった。
蔵馬がこんな表情になるくらいならば……。
「生きようと思えば、生きられたんだ……あの時……ただ一声……啼けばよかったんだ」
「……啼く?」
怪訝に反芻する飛影。
啼くといえば、ようするに声を上げて叫ぶことだろう。
泣き叫ぶこととは違うように思うが……それとも、幻海が時々やっている、喝などのようなものなのだろうか?
「鵺族には……」
飛影の疑問に答えるように、口を開く蔵馬。
飛影は無言で次の言葉を待った。
「鵺族には、一撃必殺の奥義がある。決して他の種族にはマネ出来ない……不特定多数の相手を一度に壊滅させる……無二の絶対無敵攻撃法……」
それだけ早口で全て言うと、蔵馬は大きく肩で息をしてから、少し震えた口調で言った。
「『啼』。鵺族の声には、特殊な妖力があって……それを耳にした者は、全く猶予を与えられることなく、息の根を止められる。正確に言えば、耳にしなくても、雄叫びを肌に感じただけで死んでしまう……どれだけ強い妖気を持っていたとしても、それを避けるすべはない……」
自分に言っているというよりは、蔵馬自身が彼自身に確認するような話し方に、少々むっとした飛影。
何となく微妙な疎外感を覚えたが……しかし、蔵馬には飛影を無視して悪いといった雰囲気はまるでない。
というより、いつもの彼と何かが違うような……。
しかし、次の蔵馬の言葉には、完全に呆れてしまい、もはや彼の心中など、どうでもよくなった。
「生き延びたいなら……啼けばよかったんだ」
「……貴様、分かっていて言っているだろう」
ため息をつきながら、座り込んでいる蔵馬のすぐ目の前にかがむ飛影。
俯いている蔵馬がどんな表情をしているかは分からないが……多分、さっきと同じ、暗く寂しい表情でいるのだろう。
それを無理に見るつもりはない。
見たところで、ただ空しさが増すだけである。
「お前の話を聞けば、そいつが啼かなかった理由など、造作もない」
「……」
ポツポツと小さく雨が降り出し、やがて大粒になり、線路を激しくたたき出した。
隙間から雨は二人にも降りかかる。
だが、どちらも濡れることを防ごうとせず、またぬぐおうともしなかった。
「啼けば……お前が死んでいたんだろうが」