第三話・叫

 

 

  

 

「すーすー」

「…………」

 その後、すぐに梅流は寝付いたのだが、瑪瑠は中々寝られなかった。

 そっと寝袋の布団をめくり起きあがっても、隣の梅流は起きない。
 耳を澄ましてみても、隣の部屋から物音はしない。
 おそらく、蔵馬も妖狐もシロも寝ているのだろう。

 少し不思議なことなのだが、シロは妖狐に一番懐いていたりする。
 呼べば、梅流たちと寝るのだが、今日のように、声をかけなかったりすると、妖狐の寝袋で寝ていることが多いようなのだ。

 

 

「……ちょっと、散歩に行ってこようかな」

 こっそり瑪瑠は、部屋を抜け出し、外へ出た。

 夜の風は痛い。
 とはいえ、普段から薄着に慣れている瑪瑠には、十分耐えられる寒さだが、部屋から毛布を持ってきたのは正解だった。

 

「はあ〜、息が白〜い」

 屋敷の外へは門の開け方が分からないため出られない。
 瑪瑠の脚力をもってすれば、塀を跳び越えることも勿論可能だが、皆と離れての遠出はしない方がいいと、中庭を歩くことにした。

 のんびり歩いていると、中々端に辿り着かない広い庭。
 走っても、端から端まで数分はかかりそうだった。

 しかし、あちこちにある豪華な装飾の数々も、立派な彫刻も、瑪瑠の気にはとまらない。

 

「汀兎兄の弓の練習によさそうな庭だね」

 瑪瑠が考えていたのは、そんなことだった。
 そして、ふと家族を思い出して、寂しくなる。

 足もいつの間にか止まっていた。

 

 

 

 ……瑪瑠が兄弟たちと暮らしていた家に、庭はなく、どちらかというと、家も狭い方だった。
 最も、家族が多かったから、ともいえるのだが。

 兄妹は、瑪瑠を含めて、五人。
 兄が二人と姉が二人いた。
 そして、兄妹の母と、その父である祖父、長兄の奥さん、姉たちの旦那さんたち、兄弟のように育った幼馴染み。
 更には幼い甥や姪……という大家族であった。

 

「どうしてる……かな」

 群青色のカーペットに、金銀様々な飾りを施したような空へ、白い息が舞い上がるように消えていく。
 その中で、しばらく一人佇んでいた瑪瑠だが、やがて歩き出した。

 

「元気にしてるよね……瑪瑠が生きてることは、もう皆知ってるよね……」

 自分に言い聞かせるようにしながら、一歩また一歩と歩いていく。
 その足取りは瑪瑠にしては、決して速い方ではなかった。

 

 

 と、ふいに話し声が聞こえた。

「? こんな夜中に誰だろう?」

 気配を絶つのは、あまり得意ではないけれど、なるべく消すよう努力してから、そちらへ向かった。

 

 

 

「……あ」

 大きな庭石の陰から覗いてみた先にいたのは、

「考えて下さいませぬか……」
「…………」

 風呂の用意が出来たと知らせてくれた女性と……妖狐だった。

 女性はあの時とは違う衣装を纏っている。
 ひらひらと軽そうな羽衣のようなものを幾重にか巻いているだけのような……しかし、妖艶な空気は衣装のせいだけではなさそうだった。

 

「わたくしの父も祖父も亡くなりました。母と二人きり、もはや頼るべく身寄りもなし……」
「…………」
「ここへあなた様が訪れたのも、何かの縁です。どうぞ、わたくしの夫に……」

 

 

 

 

 

「ダ、ダメっ!!」

 

 

 

 瑪瑠がそう叫んだのと、庭石の陰から飛び出したのは……ほとんど同時だった。

 今にも妖狐に触れようとしていた女性の前に立ちふさがり、妖狐に背を向けて、両手を思い切り開く。

 

「ダメ! ダメなの!!」

「…………」
「…………」

「そんなのダメ!!」

「…………」
「…………」

「ダメったら、ダメなの!!」

「…………」
「…………」

 

 女性と妖狐が黙っている間、瑪瑠はひたすらそう叫んでいた。

 理由も理屈も何もなく。
 ただひたすらに、ダメ≠ニ繰り返していた。

 何も考えていなかった。

 

 それはほとんど反射……本能に近かった。

 

 

 

 

「くすくす……」

 同じことを繰り返し、瑪瑠の声が枯れかけた頃。

 ふいに女性の声がした。

 

「……何がおかしい」

 ハアハアと肩で息をする瑪瑠にかわり、ずっと黙っていた妖狐が問いかけた。
 特に怒ってもいない、淡々とした声で。

 

「いえ……おかしいわけではないのです……くくっ……」
「……どうでもいいが、貴様」

 今度の妖狐の声は、かなり呆れていて、何処か嫌そうだった。

 

 

「その下手な女言葉、いい加減に止めたらどうだ」
「え??」

 驚く瑪瑠の目の前で、女性はぴたりと笑い止んだ。

 が、再び笑い出した。
 今度は豪快に。

 

「あははは!! くくっ……何だ、気づいてたのか」

 姿は変わらない、声もそのまま。
 だが、口調は完全に男のソレだった。

 

 

「けど、全部嘘ってわけでもないんだぜ?」
「両性体か」

「いや、逆。無性体」
「そうか」

「ん? 聞かないのか? 何で、性別もねえくせに、求婚したのかをよ」
「……聞くのも面倒だ」

 げんなりと言う妖狐に、女性……の姿をした無性体の人物は、ふっと違った笑みを浮かべた。
 何かを懐かしんでいるような。

 

「……何だ、その顔は」
「いや何。深い意味はねえよ。そいじゃな。オレはもう行くわ」

 ヒラヒラと手を振って、背を向けた。

 

 

「あ、あの! あのおかあさん≠ヘ!?」

 はっと思い出し、慌てて聞いた瑪瑠に、若干姿が薄くなったような無性体は言った。

「ああ。あいつはこの山の御法神だ。朝になったら、この屋敷全部なくなってるが、まあ気にすんな」
「元より、想像している」

 とっとと行けと言わんばかりの妖狐。

 もはやほとんど見えなくなっていたが、またあの懐かしみの笑みが、瑪瑠には見えた気がした。