第三話・叫
「すーすー」 「…………」 その後、すぐに梅流は寝付いたのだが、瑪瑠は中々寝られなかった。 そっと寝袋の布団をめくり起きあがっても、隣の梅流は起きない。 少し不思議なことなのだが、シロは妖狐に一番懐いていたりする。
「……ちょっと、散歩に行ってこようかな」 こっそり瑪瑠は、部屋を抜け出し、外へ出た。 夜の風は痛い。
「はあ〜、息が白〜い」 屋敷の外へは門の開け方が分からないため出られない。 のんびり歩いていると、中々端に辿り着かない広い庭。 しかし、あちこちにある豪華な装飾の数々も、立派な彫刻も、瑪瑠の気にはとまらない。
「汀兎兄の弓の練習によさそうな庭だね」 瑪瑠が考えていたのは、そんなことだった。 足もいつの間にか止まっていた。
……瑪瑠が兄弟たちと暮らしていた家に、庭はなく、どちらかというと、家も狭い方だった。 兄妹は、瑪瑠を含めて、五人。
「どうしてる……かな」 群青色のカーペットに、金銀様々な飾りを施したような空へ、白い息が舞い上がるように消えていく。
「元気にしてるよね……瑪瑠が生きてることは、もう皆知ってるよね……」 自分に言い聞かせるようにしながら、一歩また一歩と歩いていく。
と、ふいに話し声が聞こえた。 「? こんな夜中に誰だろう?」 気配を絶つのは、あまり得意ではないけれど、なるべく消すよう努力してから、そちらへ向かった。
「……あ」 大きな庭石の陰から覗いてみた先にいたのは、 「考えて下さいませぬか……」 風呂の用意が出来たと知らせてくれた女性と……妖狐だった。 女性はあの時とは違う衣装を纏っている。
「わたくしの父も祖父も亡くなりました。母と二人きり、もはや頼るべく身寄りもなし……」
「ダ、ダメっ!!」
瑪瑠がそう叫んだのと、庭石の陰から飛び出したのは……ほとんど同時だった。 今にも妖狐に触れようとしていた女性の前に立ちふさがり、妖狐に背を向けて、両手を思い切り開く。
「ダメ! ダメなの!!」 「…………」 「そんなのダメ!!」 「…………」 「ダメったら、ダメなの!!」 「…………」
女性と妖狐が黙っている間、瑪瑠はひたすらそう叫んでいた。 理由も理屈も何もなく。 何も考えていなかった。
それはほとんど反射……本能に近かった。
「くすくす……」 同じことを繰り返し、瑪瑠の声が枯れかけた頃。 ふいに女性の声がした。
「……何がおかしい」 ハアハアと肩で息をする瑪瑠にかわり、ずっと黙っていた妖狐が問いかけた。
「いえ……おかしいわけではないのです……くくっ……」 今度の妖狐の声は、かなり呆れていて、何処か嫌そうだった。
「その下手な女言葉、いい加減に止めたらどうだ」 驚く瑪瑠の目の前で、女性はぴたりと笑い止んだ。 が、再び笑い出した。
「あははは!! くくっ……何だ、気づいてたのか」 姿は変わらない、声もそのまま。
「けど、全部嘘ってわけでもないんだぜ?」 「いや、逆。無性体」 「ん? 聞かないのか? 何で、性別もねえくせに、求婚したのかをよ」 げんなりと言う妖狐に、女性……の姿をした無性体の人物は、ふっと違った笑みを浮かべた。
「……何だ、その顔は」 ヒラヒラと手を振って、背を向けた。
「あ、あの! あのおかあさん≠ヘ!?」 はっと思い出し、慌てて聞いた瑪瑠に、若干姿が薄くなったような無性体は言った。 「ああ。あいつはこの山の御法神だ。朝になったら、この屋敷全部なくなってるが、まあ気にすんな」 とっとと行けと言わんばかりの妖狐。 もはやほとんど見えなくなっていたが、またあの懐かしみの笑みが、瑪瑠には見えた気がした。
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