第二話・悩

 

 

  

 

 瑪瑠は悩んでいた。

 梅流は、出会った時から、瑪瑠と仲が良かった。
 蔵馬は、適応力がありすぎるきらいがあったが、その分初対面の瑪瑠ともすぐに打ち解けた。
 シロは、梅流と蔵馬が警戒していない相手は怖くないらしく、その上で瑪瑠を好いており、懐いていた。

 これだけ見ると、瑪瑠は一行にとけ込めているように見えるのだが……。

 

 正直なところ、瑪瑠はかなり悩んでいた。

「はあ……妖狐と仲良くなれないかな……」

 

 

 原因は、妖狐にあった。

 別段、妖狐が何かしたわけでもないし、瑪瑠と何かあったわけでもない。

 そもそも妖狐は、瑪瑠が仲間に加わるほんの少し前に会ったばかりで、仲間になったのに至っては、ほとんど同じ時。
 つまり、妖狐と瑪瑠の付き合いは、蔵馬や梅流のそれと、全くかわらないはずなのだ。

 

 しかし、瑪瑠は妖狐が……怖いのだ。

 「何処が?」と聞かれれば、「分からない」と答えるしかないだろう。

 

 妖狐のような人物は、今まで瑪瑠の近くにはいなかった。
 妖怪のようで、妖怪ではない……という意味では、梅流やシロについても、そして瑪瑠自身にも同じことが言えるのだが。

 梅流とシロには感じていない何か≠ェ、妖狐にはあるようなのだ。
 その何か≠ェ、瑪瑠には怖い。

 

「どうして……怖いんだろう……」

 

 それが何かなのかは、分からないのだけれど。

 

 

 

「でも……多分、その何か≠セけじゃないんだよね……」

 不可思議な何か≠ェあっても。
 多分、梅流ならば怖くなかった気がするのだ。

 妖狐は別段集団行動に向かないわけではないのだが、割と何でもきっぱり言う方で。
 初対面のおりに、家族と共にいた時の妖狐を見ていた梅流や蔵馬にとって、皮肉屋で正直な彼など、いつものことだと自然に受け流しているけれど。

 一人だけ後に出会った瑪瑠には、それが怒っているようにしか見えないのだ。

 

 わけのわからない何か≠セけでも、充分怖いのに。
 加えて、妖狐の性格も。

 ……そんなこんなで、瑪瑠は他のみんなと同じように、妖狐に接することが出来ないでいるのだった……。

 

 

 

 

「ねえ、梅流〜」
「なあに? 瑪瑠」

 風呂上がり。
 食事は丁重にお断りし、自分たちの持ち込んだものですませ(その頃には、シロののぼせも治っていた)、蔵馬と妖狐は隣の部屋へ移っていった。

 とはいっても、部屋は一部屋。
 真ん中で二つに区切られているだけだけだったが、分厚いカーテンのおかげで、小声でかわす会話は向こうには聞こえていなかった。
 明日には全てなくなっていると言っていたが、幻術が効いているうちは冷暖房も保たれているだろうと、男女に分かれて眠ることにしたのだった。

 

「あのね。妖狐って……瑪瑠のこと……」
「え? 梅流のこと?」

 自分を指さす梅流に、瑪瑠は首を振って、

「あ、違うの。私のこと」
「瑪瑠のこと?」

 梅流は手を下ろし、瑪瑠を見つめた。

 

「うん……妖狐って、私≠フこと……嫌いなのかな?」

 突然、突拍子もないことを言う瑪瑠に、梅流の目がまん丸になる。
 しばらくして、瑪瑠に近づき、更に小声で言う。
 いつもの梅流ならば、大声で反応したろうが、瑪瑠の空気が誰にも聞かれたくない≠ニいっているようで。

「……どうして、そんなこと言うの?」

 問うたその顔は真剣だったが、怒っている風ではなかった。

 

 

「だって……あんまり、にこっとしないし……何だかいつも怒ったみたいに……」
「……でも、妖狐がにこっとしないの、いつものことだよ? なんていうのかな? 不適な笑みっていうのは、よく見るけど。――けど、それも妖狐なんだし」

「でも……」

 瑪瑠は、少し目をふせた。

 

 

「妖狐は……一度も、瑪瑠の名前呼んでくれないんだもん」

 

 

「え? ……一回も?」
「うん。いつも『おまえ』とか『そこのやつ』とかしか……それも滅多にないし。メル≠チて、妖狐が言うのは、梅流を呼ぶ時だけだよ……」

 名前を呼ばれない。
 それは、人にとっても妖怪にとっても、寂しいことだ。

 とりわけ、ずっと愛する兄弟と暮らしてきた瑪瑠には、自分の名前を呼ばれるというのは、特別なことで……。
 例え、蔵馬や梅流がよんでくれていても、妖狐が呼んでくれないのは。

 とても……寂しかった。

 

 

 

「瑪瑠……」

 梅流は瑪瑠の寂しそうな顔を見て、自分まで悲しくなった。

 本当に、心が痛かった。

 しばらく部屋に沈黙が続いた。

 

 

「……もしかして」

 ふと、梅流が言った。

「……それってさ。同じ名前だからじゃないかな? 梅流と……」
「同じだから?」

 梅流の言葉に、瑪瑠は首をかしげる。

 

「うん。どっちを呼んでるのか、分からないからじゃないかな? 梅流の名前を先に聞いてたから、梅流の名前は呼ぶんだと思うの。本当は瑪瑠の名前も呼びたいけど、ややこしくて、中々呼べないんだと思う。蔵馬が梅流たちを呼ぶ時も、視線をあわせてから呼んだり、瑪瑠のこと瑪瑙の瑪瑠≠チて呼ぶじゃない?」

「そうかな〜?」
「そうだよ! きっと!」

「そっか〜〜」

 まだ疑問も残っていたけれど。

 

「うん! そうだね、きっと!!」

 瑪瑠の心は、温かくなっていた。
 なんだか、梅流に言われたら、すごくほっとしていた。

 

 梅流もまた、瑪瑠が笑顔になってくれて……すごくすごく、心が温かくなった。