間章「二人の歩み寄り」

 

 

 

第一話・罠

 

 

 

 

「わあ〜! すっごいあったかい水!!」
「温泉だ! 温泉だ!」

「温泉っていうの? どういうのなの?」
「えっと……とにかく、あったかくて身体にいい水なんだ!!」

「そっかー!! 入ろう入ろう!!」
「うん!!」

 

 ざっぱーん

 

「二人とも。あんまりはしゃぐと危ないよ」

 木壁の向こうから聞こえる蔵馬の声に、温泉から顔だけ出した梅流は、叫んだ。

「大丈夫っ! ねえ、蔵馬! そっちの温泉も気持ちいい?」
「ああ」

 ほのぼのとした空気が流れる此処は、とある松林の中。

 ほこほこと湧く天然温泉の露天風呂を有する、大きく立派な屋敷であった……。

 

 

 

 

 ……この日までのこと。

 

「ついたーっ!!」

 丸一日かかって、梅流たち四人と一匹は、穏やかになった大河を超え、西側の陸地へ到着した。

 大河を渡りきってすぐ、蔵馬の調べておいた通り、そこには小さな村。
 東の街とは対照的に、本当に穏やかな川沿いで、のんびりとした生活を送る小さな集落だった。

「あの街とは全然違うね。同じ河に沿った村なのに」
「規模が違いすぎるが、それが功を奏したんだろうな……」

 言って、蔵馬は溜息をついた。

 

 どうやら、大河を根城にしていたあの妖怪は、両岸の街と村の規模を考え、東にある街にだけ脅しをかけていたらしい。

 この村の規模では、一年に一度の生け贄でも、人数調整が厳しいと考えたのだろう。
 下手をすれば、村人全員が出て行きかねない。
 東の街で生け贄が途絶えた際の保存食≠ニして居続けてもらうには、手出ししない方が得策と睨んだと思われた。

 川幅が広すぎるせいで、西の村の人々は、対岸で起こっていた生け贄騒動のことも、あやふやにしか知らないくらいだった。
 中には、もう大昔の御伽噺だと思っていた子供もいたくらい……。

 まあ、この大河をはさんでの交易はないに等しいし、旅人だって河を超えようとする者は少ないだろうから、無理もないが。

 

 

「あ、あった! 雑貨屋さん、あったよ!」
「衣類、食糧……ほとんど揃っているな。つまり、そこそこの規模の店は、此処だけか。比較しなくていいのは、楽だけど」

 交易も盛んでない小さな村では、品揃えはあまりよくなかったが、ひとまずの食糧と衣服や必需品を購入。

 銀髪と白銀の髪を持つ妖狐と瑪瑠は、不思議な衣装を纏っていた梅流以上に、目立つ外見である。
 村に入ってからも、ジロジロ見られ通しだったくらい。
 最も、長身で目の鋭い妖狐が、ちょっと睨めば、全員そそくさと退散したものだったが。

 とにかく、それを少しでも隠せるようにと、それぞれにマント、妖狐には耳を折り曲げて被る帽子、瑪瑠には獣耳を立てたままで被れるニット帽を買った。

 若干、瑪瑠の獣耳よりも大きく編まれており、元々つけていた鳥の羽のイヤリングを外さずに、被れるようになっている。
 外見的に違和感がないだけでなく、可愛いアクセントとなっていた。

 

 

「瑪瑠、似合うよ!」
「ありがとう、梅流! そういえば、梅流の額あても可愛いね」
「あ、これ?」

 瑪瑠に言われ、梅流は自分の額に手を当てる。

 そこには、頭をくるりと囲む形で、金色の輪っかがあった。
 蔵馬と出会う前から纏っていた衣装は、最初の村で着替えたが、これだけはそのまま。

 というのも、外れないのだ、何をしても。
 風呂の際には、かなり邪魔だったが、仕方ないと諦めている。
 最も、デザインも悪くはないので、風呂以外の時には気に入っているのだけれど。

 

 

「覚えてないんだけど、ずっと付けてたみたいなんだ。でも、可愛いから、梅流も気に入ってるの!!」

 楽しそうに言う梅流に、瑪瑠や黙っていた蔵馬たちは、複雑な表情だった。

 河を渡っている一日の間に、蔵馬の旅の目的や、梅流と蔵馬の邂逅、シロや妖狐と出会った時のこと、梅流と瑪瑠の遭遇も、全て語りあっている。
 此処にいる皆が集まった経緯を全て、皆が知っている。

 そう、梅流が何も覚えていなかったことも……。

 

「? どうしたの?」
「あ、うん……」

「……あ」

 瑪瑠が静かになった理由に気づいた梅流は、慌てて、

「覚えてないけど、梅流は全然気にしてないよ!! だって、覚えてなくても、全然困らないもん! 大事なことは、蔵馬が教えてくれたし! それに、これからは妖狐もシロちゃんも、瑪瑠にも教えてもらうから!!」

「うん!! 瑪瑠に分かることなら、なんだって!!」

 

 

 

 

 そして、その日は一晩宿を借り。
 翌朝には、出発。

 無論、村中の食糧を、梅流が食いつぶす前に……である。

 流石に小型の舟に乗せられていた食糧は、大した量ではなく、梅流もかなり我慢していたのだが。
 村についたら、話は別。

 梅流の大食漢を知らなかった妖狐と瑪瑠は、大変驚いていたが、蔵馬が、

「いや、まだマシな方だよ。むしろ、小食になったんじゃないかと思うくらい」

 というので、更に驚いたのは言うまでもない。

 

 

 

 村を出てからは、傾斜の緩やかな丘が続き、緑豊かな山々や野の草花が咲く街道を歩いていた。
 気温がほどよく、小川もあり、草木にとっての条件がよいせいか、今のこの世界においては珍しいくらい、穏やかな地であった。

「あ! 瑪瑠見て!! あの花、きれー!!」
「こっちもだよ、梅流!! ほら、シロちゃん、匂いかいでみて〜」
「蔵馬―! 妖狐―! こっちおいでよー!!」

 はしゃぎにはしゃぐ二人と一匹を、男たち二人は遠巻きに見ていた。

 

「……双子みたいだな」
「あはは。確かに」

「進むのが遅れるがいいのか?」
「急ぎの旅じゃないよ。世界を救えるとか、特に思ってもいない……ただ、知りたいだけだ」

 男たちは男たちで、気があっているようだった。

 

 

 

 そして、遅れに遅れた上で進んだ先で。
 この松林に到着したのだった。

「おや、お客さんとは珍しいですねぇ」

 日が暮れかけようとしている頃、突如目の前に現れた立派な屋敷。
 初めて見る巨大な建造物に、梅流が驚いている前で、その頑丈そうな扉が、ゆっくりと開いたのだった。

 

「あ、こんばんは」
「こんばんは」

 梅流と瑪瑠は、挨拶して軽く会釈するも、蔵馬と妖狐は黙ったまま。
 扉の向こうから現れた妙齢の女性は、それに気分を害した様子もなく、ニコニコと笑顔で、

「今日はもう遅いです。泊まっていかれたら、どうです?」

「え?」
「いいんですか?」

 いきなり親切に言われたことに、梅流と瑪瑠は驚いた。
 が、蔵馬たちはやはり黙ったまま。

 

 

「蔵馬。どうする? 泊めてもらう?」

 くるりと振り返った梅流に問われ、蔵馬は少し考えた。
 そしてシロの様子を見てから、妖狐に視線を送る。

「……好きにしろ」

 妖狐の返答は、とても面倒そうなものだったが、警戒している様子はない。

 

「……では、一泊お願いします」
「はいはい、どうぞ」

 

 

 

 

「ねえ、蔵馬。どうして、すぐ泊めてもらおうってしなかったの?」

 豪華な部屋に案内された後、女性が去ってから、梅流が蔵馬に問いかけた。

 

「まあ……罠には違いないだろうから」
「えっ!? 罠!? 罠って、騙して捕まえるっていう、罠!?」

 罠の名称は、以前、山中に張られた動物避けの罠で、説明済みである。

 

「ああ。でも、気にしなくていいと思う。少なくとも、悪意はないから。シロも無反応だったし、妖狐もね」

 話をふられたが、妖狐はそっぽを向いただけだった。

 

「じゃあ、大丈夫なの?」
「ああ。ただ、食事には手を付けない方がいいだろうね。後、夜が明ければ、此処には何もないだろうから、いつも通り寝袋で寝ること。風邪ひくよ」

「え? あのベッド、使えないの?」

 部屋に備え付けられていた天蓋付きベッドを指さす瑪瑠。
 蔵馬は首を振って、

「多分、幻術だ。瑪瑠、嗅覚とぎすませてみて」
「うん……」

 言われて、瑪瑠は己の中にある獣の才に静かに身をゆだねた。

 

「あ、本当だ。木枠の香りも、羽毛の匂いもしない」
「だろう?」

「すぐ分かるだろうが、それくらい」

 呆れた妖狐に言われ、瑪瑠はびくっとしたようだった。

「妖狐〜。そういう言い方しなくたっていいじゃない!」

 梅流はそう言うが、妖狐の性格なのだと分かっているだけに、怒った様子はなかった。

 

 

 

「失礼します」

 会話が途切れた頃。
 ノックの後、入ってきたのは、先ほどの女性……に、よく似た若い女性だった。

 

「お風呂の支度が調いましたので、よろしければ」
「この辺りは温泉が有名と聞きましたが」

 罠だと分かっているとは微塵も感じさせぬ笑みで、蔵馬が問う。

「ええ。天然の露天風呂にございます」
「……だったら、入ろうか」

「「やったーっ!!!」」

 蔵馬が言うのだから、大丈夫なのだろうと、久しぶりの湯船に大はしゃぎの梅流たちだった。

 

 

 

 ……そして、話は冒頭に戻るのである。

 温泉は男湯と女湯に別れていたが、それぞれを妖狐と瑪瑠が確認し、罠はないことを確信。
 幻術であれば、衣装をほとんど脱ぐことになるので、かなり危険だが、ここにはないと判断し、入ったのだった。

 

「ねえ、蔵馬! そっちはどんな景色? こっちは、夜空が綺麗だよ!!」
「こっちも似たようなものかな」

 梅流は瑪瑠と遊んだり、壁越しに蔵馬と他愛ない会話をかわしていた。
 その時だった。

 

 

「……妖狐、もうあがるのか?」
「シロがのぼせかけている。先に行く」

「のぼせ……シロちゃん!?」
「大丈夫なの!?」

 急いで、壁を上ろうとする梅流と瑪瑠。

 壁の揺れで、梅流たちがよじ登っていることに気付いたのだろう。
 慌てて、蔵馬が止めた。

 

「二人とも、落ちついて。そんなに酷くはないから……登ると、危ないよ」

 そういう問題でもないと思うのだが……。

 

「梅流は、このくらい平気だよ!」
「瑪瑠も!」

「それでも、ダメだ!」

 強く言われ、しゅんとして湯船に降りる梅流たち。

 

 

 

「ねえ、シロちゃん、本当に大丈夫なの?」

 壁から離れた後、梅流が聞いた。

「ああ、このくらいなら、軽く水を飲めば、すぐに治るよ。先にあがっているから。――梅流たちも、長湯しないように」
「うん分かった」

 蔵馬の声が落ちついていたので、梅流は安心して、湯船に浸かり直した。

 

 

「あ、あの……妖狐っ! シロちゃん、大丈夫かなっ!?」

 一度言いよどんで、瑪瑠が叫んだ。

 しかし、返事はない。
 そのままガラガラと戸が開く音がし、続いて閉まる音がした。

 

 

 

「瑪瑠。蔵馬が、大丈夫だって言ってたもん。大丈夫だよ」
「…………」
「瑪瑠?」

「え? え?? あ、うん。そうだよね」
「? ――じゃあ、髪洗ってくるね!」

 頭に巻いていたタオルをとりながら、梅流は洗い場に向かった。
 無論、そちらも罠でないことは確認済み。

 黒い髪の毛が、夜風に揺れているのを見ながら、瑪瑠は一人湯船で、暗くなり始めた空を見上げながら、ため息をついた。

 

「……やっぱり……嫌われてるのかな……」