間章「二人の歩み寄り」
第一話・罠
「わあ〜! すっごいあったかい水!!」 「温泉っていうの? どういうのなの?」 「そっかー!! 入ろう入ろう!!」
ざっぱーん
「二人とも。あんまりはしゃぐと危ないよ」 木壁の向こうから聞こえる蔵馬の声に、温泉から顔だけ出した梅流は、叫んだ。 「大丈夫っ! ねえ、蔵馬! そっちの温泉も気持ちいい?」 ほのぼのとした空気が流れる此処は、とある松林の中。 ほこほこと湧く天然温泉の露天風呂を有する、大きく立派な屋敷であった……。
……この日までのこと。
「ついたーっ!!」 丸一日かかって、梅流たち四人と一匹は、穏やかになった大河を超え、西側の陸地へ到着した。 大河を渡りきってすぐ、蔵馬の調べておいた通り、そこには小さな村。 「あの街とは全然違うね。同じ河に沿った村なのに」 言って、蔵馬は溜息をついた。
どうやら、大河を根城にしていたあの妖怪は、両岸の街と村の規模を考え、東にある街にだけ脅しをかけていたらしい。 この村の規模では、一年に一度の生け贄でも、人数調整が厳しいと考えたのだろう。 川幅が広すぎるせいで、西の村の人々は、対岸で起こっていた生け贄騒動のことも、あやふやにしか知らないくらいだった。 まあ、この大河をはさんでの交易はないに等しいし、旅人だって河を超えようとする者は少ないだろうから、無理もないが。
「あ、あった! 雑貨屋さん、あったよ!」 交易も盛んでない小さな村では、品揃えはあまりよくなかったが、ひとまずの食糧と衣服や必需品を購入。 銀髪と白銀の髪を持つ妖狐と瑪瑠は、不思議な衣装を纏っていた梅流以上に、目立つ外見である。 とにかく、それを少しでも隠せるようにと、それぞれにマント、妖狐には耳を折り曲げて被る帽子、瑪瑠には獣耳を立てたままで被れるニット帽を買った。 若干、瑪瑠の獣耳よりも大きく編まれており、元々つけていた鳥の羽のイヤリングを外さずに、被れるようになっている。
「瑪瑠、似合うよ!」 瑪瑠に言われ、梅流は自分の額に手を当てる。 そこには、頭をくるりと囲む形で、金色の輪っかがあった。 というのも、外れないのだ、何をしても。
「覚えてないんだけど、ずっと付けてたみたいなんだ。でも、可愛いから、梅流も気に入ってるの!!」 楽しそうに言う梅流に、瑪瑠や黙っていた蔵馬たちは、複雑な表情だった。 河を渡っている一日の間に、蔵馬の旅の目的や、梅流と蔵馬の邂逅、シロや妖狐と出会った時のこと、梅流と瑪瑠の遭遇も、全て語りあっている。 そう、梅流が何も覚えていなかったことも……。
「? どうしたの?」 「……あ」 瑪瑠が静かになった理由に気づいた梅流は、慌てて、 「覚えてないけど、梅流は全然気にしてないよ!! だって、覚えてなくても、全然困らないもん! 大事なことは、蔵馬が教えてくれたし! それに、これからは妖狐もシロちゃんも、瑪瑠にも教えてもらうから!!」 「うん!! 瑪瑠に分かることなら、なんだって!!」
そして、その日は一晩宿を借り。 無論、村中の食糧を、梅流が食いつぶす前に……である。 流石に小型の舟に乗せられていた食糧は、大した量ではなく、梅流もかなり我慢していたのだが。 梅流の大食漢を知らなかった妖狐と瑪瑠は、大変驚いていたが、蔵馬が、 「いや、まだマシな方だよ。むしろ、小食になったんじゃないかと思うくらい」 というので、更に驚いたのは言うまでもない。
村を出てからは、傾斜の緩やかな丘が続き、緑豊かな山々や野の草花が咲く街道を歩いていた。 「あ! 瑪瑠見て!! あの花、きれー!!」 はしゃぎにはしゃぐ二人と一匹を、男たち二人は遠巻きに見ていた。
「……双子みたいだな」 「進むのが遅れるがいいのか?」 男たちは男たちで、気があっているようだった。
そして、遅れに遅れた上で進んだ先で。 「おや、お客さんとは珍しいですねぇ」 日が暮れかけようとしている頃、突如目の前に現れた立派な屋敷。
「あ、こんばんは」 梅流と瑪瑠は、挨拶して軽く会釈するも、蔵馬と妖狐は黙ったまま。 「今日はもう遅いです。泊まっていかれたら、どうです?」 「え?」 いきなり親切に言われたことに、梅流と瑪瑠は驚いた。
「蔵馬。どうする? 泊めてもらう?」 くるりと振り返った梅流に問われ、蔵馬は少し考えた。 「……好きにしろ」 妖狐の返答は、とても面倒そうなものだったが、警戒している様子はない。
「……では、一泊お願いします」
「ねえ、蔵馬。どうして、すぐ泊めてもらおうってしなかったの?」 豪華な部屋に案内された後、女性が去ってから、梅流が蔵馬に問いかけた。
「まあ……罠には違いないだろうから」 罠の名称は、以前、山中に張られた動物避けの罠で、説明済みである。
「ああ。でも、気にしなくていいと思う。少なくとも、悪意はないから。シロも無反応だったし、妖狐もね」 話をふられたが、妖狐はそっぽを向いただけだった。
「じゃあ、大丈夫なの?」 「え? あのベッド、使えないの?」 部屋に備え付けられていた天蓋付きベッドを指さす瑪瑠。 「多分、幻術だ。瑪瑠、嗅覚とぎすませてみて」 言われて、瑪瑠は己の中にある獣の才に静かに身をゆだねた。
「あ、本当だ。木枠の香りも、羽毛の匂いもしない」 「すぐ分かるだろうが、それくらい」 呆れた妖狐に言われ、瑪瑠はびくっとしたようだった。 「妖狐〜。そういう言い方しなくたっていいじゃない!」 梅流はそう言うが、妖狐の性格なのだと分かっているだけに、怒った様子はなかった。
「失礼します」 会話が途切れた頃。
「お風呂の支度が調いましたので、よろしければ」 罠だと分かっているとは微塵も感じさせぬ笑みで、蔵馬が問う。 「ええ。天然の露天風呂にございます」 「「やったーっ!!!」」 蔵馬が言うのだから、大丈夫なのだろうと、久しぶりの湯船に大はしゃぎの梅流たちだった。
……そして、話は冒頭に戻るのである。 温泉は男湯と女湯に別れていたが、それぞれを妖狐と瑪瑠が確認し、罠はないことを確信。
「ねえ、蔵馬! そっちはどんな景色? こっちは、夜空が綺麗だよ!!」 梅流は瑪瑠と遊んだり、壁越しに蔵馬と他愛ない会話をかわしていた。
「……妖狐、もうあがるのか?」 「のぼせ……シロちゃん!?」 急いで、壁を上ろうとする梅流と瑪瑠。 壁の揺れで、梅流たちがよじ登っていることに気付いたのだろう。
「二人とも、落ちついて。そんなに酷くはないから……登ると、危ないよ」 そういう問題でもないと思うのだが……。
「梅流は、このくらい平気だよ!」 「それでも、ダメだ!」 強く言われ、しゅんとして湯船に降りる梅流たち。
「ねえ、シロちゃん、本当に大丈夫なの?」 壁から離れた後、梅流が聞いた。 「ああ、このくらいなら、軽く水を飲めば、すぐに治るよ。先にあがっているから。――梅流たちも、長湯しないように」 蔵馬の声が落ちついていたので、梅流は安心して、湯船に浸かり直した。
「あ、あの……妖狐っ! シロちゃん、大丈夫かなっ!?」 一度言いよどんで、瑪瑠が叫んだ。 しかし、返事はない。
「瑪瑠。蔵馬が、大丈夫だって言ってたもん。大丈夫だよ」 「え? え?? あ、うん。そうだよね」 頭に巻いていたタオルをとりながら、梅流は洗い場に向かった。 黒い髪の毛が、夜風に揺れているのを見ながら、瑪瑠は一人湯船で、暗くなり始めた空を見上げながら、ため息をついた。
「……やっぱり……嫌われてるのかな……」
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