第十四話・説得

 

 

 

 

「ああっ!!」

 渦の波が、御輿に覆い被さった時。
 瑪瑠は梅流の手をしっかりと握りしめ、シロの背中に這い上がっていた。

 牛ほどの大きさもあるシロにとって、体重の軽い少女二人など、軽いもの。
 ふわりと軽やかに、波も届かぬ高さへ舞い上がった。

 

「な、なんてことを……」

 役人たちが呆然と呟いたのも、無理はなかった。
 生け贄制度が始まって以来の大失態に、彼らが怯えたのは、『神』からの怒りか、上司の怒りか……。

 しかし、梅流の目に彼らは映っていない。

 

 

「シロちゃん、河の方へ!!」
「ミー!!」

 梅流の声に応え、シロは高度を保ちながら、大河の上へ。
 満月の煌々とした灯りの下、相変わらず渦が巻き起こり、波立っている大河は、遙か上空から見ても恐ろしい代物だった。

 

「瑪瑠。しっかりつかまっててね!」
「うん!! 梅流も!!」

 手綱がないため、タテガミ以外にしがみつくところはない。
 だが、大きなシロのタテガミは、梅流の後ろに乗る瑪瑠のところにも届くほどの長さがあり、二人は落ちないように、ぎゅっと両手に力を込めていた。

 

 

 

「聞こえる!! 『神』!! こんなこと絶対に駄目だよ!! 生け贄なんて、絶対によくないことだから!! もう止めて!!」

 大河の濁流にも負けない梅流の声は、一体に響き渡った。

 

 

 

「……な、何言ってるんだ、あの娘は……」
「あ、アホなのか……?」

 呆然と呟く役人たちの声は、当然梅流には届かない。
 しかし、

「がっ」
「ぎゃっ!」
「ぐはっ」
「げほっ」

 別の者たちには、しっかりと聞こえていた。
 それに苛立った一人によって、背中を殴打され、その場に失神……。

 

 

「……結構、お前気が短いな」
「場合によりけり。こいつらに気を配る必要がないと思っただけ」

「!!? 蔵馬っ!!」

 空の上からでも。
 濁流の勢いがあっても。
 遠くでも。

 聞き逃すはずがない。

 この声だけは。

 

 

「蔵馬!! 来てくれたんだっ!!」

 梅流が何を言ったわけでもないが、シロには梅流の気持ちが分かったのだろう。
 旋回し、そちらへ一直線に飛んでいった。

 川岸に立つ蔵馬は、手に緑色の太い紐のようなものを持っていて。
 足元に転がる役人たちには目もくれず、梅流たちを見上げていた。

 あの、どこまでも綺麗な輝きと共に……。

 

 

「梅流……怪我はない?」

 シロから降りてきた梅流の肩に手を置き、心配げに覗き込む蔵馬。
 梅流の声から、おそらく元気であることは予想していたのだろう。
 それでも、心配は拭えなかったらしい。

 

「うん、梅流は平気!! 蔵馬が来てくれて、よかった! 『神』を止めてから、探しに行こうって思ってたんだ!」
「止めるって……コレを? 倒す≠カゃなくて?」

 少々驚いて蔵馬は言った。
 目の前には、相変わらず……いや、先ほどより明らかに勢いを増した大河。
 これが妖怪のせいであれば、止めるのは……はっきり言って、倒すより遙かに難しい。

 

 

 

「……それは無理だ」

「え? あっ!」

 その言葉につられて視線を動かすと、驚くことに蔵馬の後ろに……彼がいた。
 長い銀髪が、夜風に揺れ、月明かりに光っていた。

 

「あ、あの時の……えっと」

 そういえば、名前を聞いていなかったと、考え込む梅流。
 その様子に、蔵馬が苦笑し、

「彼のことはね……妖狐って呼んだらいいよ」
「妖狐=H」

 言ってから、梅流は青年を見上げた。
 青年――妖狐は、そっけなく頷く。

 

「そう呼ばれることが多かったんだって」
「分かった! 妖狐だね!! ――梅流だよ、梅流!!」

「……さっき、蔵馬に聞いた。で、そっちは?」
「あ、瑪瑠だよっ!! 梅流の友達!!」

 腕を引っ張っていた瑪瑠を、前に立たせて、紹介する。
 小さくなったシロを抱えた瑪瑠は、突然現れた男二人に驚いていたようだが、梅流が当たり前に接しているので、梅流の友達なのだろうと安心し、ぺこりと頭を下げた。

 

「メル? 梅流と同じ名前?」

 蔵馬に問われて、瑪瑠が答えた。

「あ、うん! 瑪瑙の瑪に、瑠璃の瑠で、瑪瑠!」
「ああ、じゃあ漢字は違うのか。それも綺麗だね」

「? あ、そういえば、聞いてなかったけど、梅流のは?」
「梅の流れ!」
「わ〜、綺麗な名前!」

 

「……和んでいるところ悪いが、アレはどうする」

 妖狐に言われ、はっと梅流と瑪瑠、それにシロは背後を振り返った。
 蔵馬だけは警戒を怠っていなかったらしく、ごく普通に大河を見ていた……いや、睨んでいた。

 

 

 

「どうやら、梅流の説得≠ヘ通用しなかったらしいが?」

 妖狐の皮肉を込めた言葉に、梅流はむうっとする。
 別段、妖狐の言葉が嫌だったわけではない。

 あの時は「大嫌い」などと言ったが、この話し方が妖狐の素なのだと分かった今、怒ることはなかった。

 

「どうして、分かってくれないのかな……一年に一度しか食べないってことは、人間を食べなくたって生きていける妖怪なんだよね?」

 世界の異変を、蔵馬から細かく教わっている梅流。
 街に起きていることと、それらを考えた末の結論だった。

「だが、これが一番簡単な食事≠セろうからね」
「そんなのは、ひどいよっ!! 絶対に止めてもらうんだ!!」

「……だから、それは無理だと言っている」

 溜息混じりに妖狐に言われ、梅流は少し考えた。
 しかし、すぐさま代替え案が浮かぶはずもない。

 楽≠フために、他者を傷つける者の気持ちなど、梅流には到底理解できないのだから。

 

 

「……蔵馬」
「何?」

「説得≠ェ出来ない時……蔵馬はどうするの?」

 問われて、蔵馬はあっさり答えた。

 

「その時は、『神』でなくなってもらう、それだけだ」
「? どうやって?」

「……丁度、目撃者もいることだし」

 蔵馬が視線を送った先には、先ほどまで失神していた役人たち。
 何とか目を覚ましたが、まだ起き上がることは出来ないらしい。
 痛みに呻きながら、こちらを怯えた目で見ている。

 

 

 

「妖狐」
「何だ」

「君、気の質は?」
「植物変化」
「なら、水には強いか……瑠璃の瑪瑠は?」

「え? あ、狐火と幻術と変化……でも、全部同時には出来なくて」
「炎の色は?」
「蒼だよ」

 妖狐と瑪瑠の妖気を訊ね、ふむと少し考える蔵馬。

 

 

「……妖狐。水中戦は?」
「そこそこ……行けということか」

「今更下りないよね?」
「……貴様と来た時点で、諦めている」

 言って、妖狐は銀色の髪に手を入れた。
 出した白い掌には、何か植物の種らしきものが。

 

「シロを借りる」
「分かった。――気をつけて」
「それこそ、今更だ」

 言って、妖狐はシロを手招きする。
 何をすべきか、シロには分かっているようだった。

 ぴょんっと瑪瑠の手の中から出で、すぐさま大きな姿へ。
 長身の妖狐が跨ると、小柄な梅流たちとは違う趣だったが、シロ自身に重みを感じている様子はなかった。
 そもそも、梅流と瑪瑠の二人を乗せて平気だったのだから、背が高くとも細い妖狐を乗せてたとしても問題がないのは、想定済み。

 シロはふわりと舞い上がり、大河へと飛んでいった。

 

 

「えっと……瑪瑠はどうしてたらいい?」

 瑪瑠の問いかけに、蔵馬は彼女を見て、

「ここへ来るまでに、情報を仕入れておいた。此処にいる妖怪は、河童らしい。つまり、弱点は……」
「あっ!!」

 蔵馬の言葉に、己がやるべきことを見定めたのだろう。

「出来るね?」
「うん!!」

「あの〜??」

 何がなんだか分からず、きょとんっとする梅流。
 そんな梅流の手を引いて、蔵馬は川岸から少し離れた。

 

 

「梅流。君の気の質は、俺にもよく分からない。――万が一、此処にいる妖怪と相性が悪ければ、大怪我の可能性もある……今回は此処で見ていて」
「……うん」

 妖狐と瑪瑠、それにシロが戦っている。
 『神』を『神』でなくしている。
 梅流が一番やりたかったことを。

 自分も一緒にできないことに、歯がゆさを感じながらも、自分自身に何が出来るか分からない……。

 

 梅流は、きゅっと唇を噛みしめ、渦巻く大河を見つめたのだった。