第十二話・御輿

 

 

 

 

「……ひっく……バカ……バカ……嫌いだ……」

 泣きながら、ずっと同じ言葉を繰り返す梅流。
 元の大きさに戻ったシロは、心配げに梅流の顔を覗き込んでいたのだが、そのことにも気づいていなかった。

 しかし、

「……ひっく……うっく……。…………」

 街へ入る頃には、次第に興奮は収まり、青年に対する暴言を反省していた。

 この間、外の世界へ出たばかり。
 だが、梅流は世間知らずであっても、分からず屋ではない。
 どこまでも感情が優先してしまうだけで、理解力には長けているのだから。

 

 梅流にだって、本当は分かっているのだ。

 到着した街は、夕暮れの薄暗い中にも灯が灯り、建物も立派。
 東の村と比べても、発展しているとよく分かる。

 行き交う人々も、断然多い。
 梅流を見る目はあまり好意的には見えないが、そんなことは気に止まらなかった。
 少なくとも、街の人たち同士は、それなりにシアワセに生きていた。

 

 今のこの世界で、大きな妖怪の被害を受けずにいられるのは、その『神』のお陰。
 『神』がいなくなれば、街の外から妖怪の大群が押し寄せ、この街が消えるのは、自明の理……。

 分かっている……。

 分かってはいるのだが……。

 

 

 

 ふと気付くと、梅流は広い敷地の前に立っていた。
 シロと出会った公園のような……しかし、何か雰囲気が違っていた。

 遠くに小さな建物があり、その手前にコの字型を組んだ建造物がある。
 それ以外には、飛び石のようになっている石畳、砂と白い砂利ばかりだった。

 

「……何だろう、この感じ……あっ」

 歩を進めていって気がついた。
 唯一の建物の前に、誰か居た。

 建物に続く石段の途中に、ちょこんっと座っている。

 

 全身真っ黒。
 一枚の大きな黒い布を、頭からすっぽりと被っているようだ。
 足下まできっちりと覆われ、中が全く見えない。

 しかし、顔の部分だけは、黒くなかった。
 灰色……というよりは、茶色に近いような、奇妙な面を付けていたのだ。

 

 梅流は、その面をとても恐ろしく感じた。
 理由の分からない、底知れぬ恐怖……。

 

(何だろう……この気持ち……)

 まるで……蔵馬がいなくなってしまうと考えた時のような。

 

 今現在、蔵馬とは一緒にいないのに、何故か不安感はなかった。

 きっと蔵馬は、すぐに来てくれる。
 確証もないのに、確信していた。

 一緒にいても、想像して不安になったのに。
 今の梅流には、それがなかった。

 

 

 

「…………」

 恐怖心にかられながらも、梅流はひるまず、一歩一歩、近づいていった。
 シロも怖いのか、肩に乗ったまま、蹄をきゅっと緊張させている。

 と、梅流に気付いたのか、下を向いていた面が、梅流の方を向いた。

 

「えっと、あなたは……だあれ?」

 小鳥のように可愛い、少女の声だった。

 

「え? あ、あの……」

 きょろきょろと見渡して。
 自分しかいないことに気づき、梅流は自分自身を指さした。
 黒づくめの少女は、こっくりと頷いた。

 

「梅流、だよ。こっちは、シロちゃん」
「えっ、メル?」

 少女は驚いたようだった。

 

「うん、梅流。――あなたは?」
「あ、瑪瑠っていうの」

「え? メル??」
「そう……同じだね!」

「うん! 同じだね!」

 あまり多くはない名前であるということを知らない梅流は、さほど驚かなかった。
 それどころか……とても懐かしい気がした。

 

(懐かしい……すっごく……)

 蔵馬に出会った時にも、シロに出会った時にも、あの青年やその家族に出会った時にも、感じなかった……不思議な感覚。

 何故、顔も見えないこの少女からだけ、感じているのか。
 梅流には分からなかった。

 しかし、このあたたかい気持ちは、とても心地よく、疑問など簡単にうち消してしまうものだった。

 そしてそれは、瑪瑠にとっても、

(なんでだろう? 懐かしいな……)

 同じだった……。

 

 

 

「それでね〜」
「へえ〜、そんなことがあったの〜」

「それで、このシロちゃんはね」
「わ〜、すっごいんだ!!」

 出会ってから、数分。
 石段に座り、他愛もない会話を交わす二人のメル。
 シロはいつの間にか、梅流の膝で寝入っていた。

 ほんの数分。
 しかし二人には、十分な時間だった。

 すっかり打ち解けてしまっていたのだ。
 ずっと前から、知っている大切な人。

 そんな感じがするのだ。

 

 

「そうだ。ねえ、瑪瑠」
「なあに?」

「瑪瑠は何で、そんな変なお面しているの?」
「あ、これは……」

 瑪瑠は一度言いよどんで。
 それでも、はっきりと言った。

 

「その……生け贄になる人が被る……面なの」

「……えっ……」

 いきなり言われた、衝撃的な事実に、梅流は絶句した。

 

 

「な、何で?」
「何でって……あ、梅流は旅人さんなんだよね。――この街は年に一度、生け贄をあの河の『神』に捧げるんだけど」

「それは……さっき聞いたけど……」
「今回は……瑪瑠の番、なんだ……」

「そんなのダメ!!!」

 立ち上がり、叫ぶ梅流。
 驚いて、目を丸くする瑪瑠。

 はっと、我にかえり、恥ずかしかったのか、ストンと座る梅流。

 

 

「……ダメだよ……その……『神』は悪い妖怪なの。 だからそんなの絶対にダ……」

「しいぃ――――っっ!!」

 突然、梅流の口を押さえる瑪瑠。
 梅流は訳が分からず、キツく抑えられた瑪瑠の手を握りしめた。

 

「あ、ゴメン。キツかった?」

 思わず、力を入れすぎたことに気付き、瑪瑠はゆっくりと手を外した。

 

 

「ぷは〜、苦しかった〜」
「ゴメンね。大丈夫?」

「平気、大丈夫。――それより急にどうしたの?」
「うん……」

 瑪瑠はキョロキョロと辺りを見回し、誰もいないことを確認すると、一息いれてから、言った。

 

「実はね。梅流と同じこと言った人がいたの。『神』は悪い妖怪だって……そしたら、その人……殺されたの」
「えっ、何で!?」

「『神』に対して、罰当たりなこと言ったからって、それだけ。この町の人はほとんどが『神』を信じているから。例え、妖怪であっても、『神』が居てくれるだけで、皆安全に暮らせるんだからって……でも、その人が火あぶりにされるのを止めようとしたのは、一人だけ。その人の妹さんだけだった。でも、その人も……」
「……殺されたの?」

「ううん。その人は生け贄にされたの。生け贄に選ばれるのは、ある程度まで成長した女の人だけだから……黙っているけど、皆知ってることなの。生け贄に差し出されるのは、『神』を信じていない人だって。街中の人みんな……」
「……瑪瑠……も?」

「ううん。あたしも『神』は悪い妖怪だと思ってる。でも、瑪瑠が生け贄に選ばれたのは原因は、それじゃないの」
「えっ。じゃあ……どうして?」

 瑪瑠はそれには答えずに、ゆっくりと面に右手をかけ、空いている左手を、体を覆っている黒い布にやり、一気に引きはがした。

 

 

 

「…………」

 ……仮面と黒衣を外した瑪瑠の姿は、誰かに似ていた。

 

 さらさらとした、白銀の跳ねっ毛ストレートヘア。
 黄色に近い、意志の強そうな金色の瞳。

 髪と同じ白銀の獣耳と、ふわふわしたしっぽ。
 乳白色の華奢な体を包んでいるのは、純白の魔装束。

 そして、誰もを魅了するような、美しさ……。

 

 そう、あの青年にそっくりなのだ。
 青年と違うところといえば、女であること、青年より幼いことくらい……。

 

 いや、それだけではない。

 青年とは違う、真っ直ぐな瞳。
 梅流の姿が映る金色のソレは、一点の曇りもなくて

 そして、穏やかでありながら、何処かキリッとした真っ白の妖気。
 風が吹く度に蒼く見えたのは、気のせいだろうか?

 

 

 

「瑪瑠はね……普通じゃないんだって。見た目は妖怪に近いけど、妖怪じゃなくって……でも、人間でもなくて、動物でもなくて。けど、事情を知らない人には、妖怪にしか見えないから……今、妖怪は嫌われてるから」
「……それだけ、なの? 理由って」

 梅流は何とかそれだけ言った。
 瑪瑠は、小さく頷く。

「うん……本当は、もっと早くに殺したかったんだって。それでも、今日まで生かしてたのは……生け贄にするためだったんだ」
「そんな……」

 

 シンジラレナイ……。

 それだけが、梅流の頭の中を駆けめぐっていた。

 

 

 

 放心している梅流を、瑪瑠が軽く揺さぶった。
 そして、まっすぐな瞳で、梅流を見つめた。

「仕方ないよ……瑪瑠は、人間じゃないんだもん……それに、瑪瑠が行かなかったら、紅唖姉や流籠姉や紫音姉さんが……仕方……ないん……だよ……」

 そういう瑪瑠の目は、透明の涙で潤んでいた。

「瑪瑠……」

 梅流の瞳にも、じわっと涙が浮かび……ついに、二人は泣き出してしまった。

 

「梅流は! 梅流は、瑪瑠が大好きだよ!! 死んでほしくないよ!!」
「……梅流っ!!」

 誰もいない広場。
 二人の悲しき少女の叫びが交差する。

 

 瑪瑠だって……本当はとても恐い……。

 生け贄になんか、なりたくない……。

 もっともっと生きていたい……。

 

 たとえ、叶わぬ夢と分かっていても……。

 

 

 

 日が傾き始めた頃、急に瑪瑠が耳をぴんっと立てた。
 そして、慌てて立ち上がり、面と黒衣をまとった。

「瑪瑠?」
「梅流、もう行って! 役人がきちゃう!」

「えっ、でも……」
「いいから! 瑪瑠と話しているところ見られたら、梅流とシロちゃんまで酷い目に遭わされちゃうよ!」

 建物の陰に、梅流を隠すように押し立てる瑪瑠。
 しゃがんだ梅流に、シロをしっかりと抱くように言い、自分は立ち上がった。

 

「瑪瑠……」
「梅流……瑪瑠は、梅流と友達になれてよかった……本当に、ありがとう」

 寂しい笑顔を向ける瑪瑠。

 まだ、涙はかわいていなかった……。

 

 

 

 しばらくして、瑪瑠が言っていた役人らしき男が数人、小さな御輿を担いでやってきた。
 そして、その御輿の中へ、瑪瑠を強引に押し入れると、

「よいか! 月が天にさしかかるまでには、『神様』へお届けするのだ!!」
「はっ!!」

 と叫び、御輿を担いで、西の方へ走っていったのだった。
 おそらく、その方向に大河があるのだろう。

 

「瑪瑠……」

 梅流は「行って」と言われても行くことなど出来ず、一部始終を見ていた。
 しかし、ただ隠れていたわけではない。
 彼ら役人に言っても、おそらく駄目だろうと、察したのだ。

 そして、

「よ〜し! このままついていって、直接『神』に会って話そう!」

 ぐっと拳を握りしめ、梅流は立ち上がった。
 シロも同じ気持ちのようで、梅流の肩で鼻息をあらくする。

 

 茂みや岩陰を巧みに利用しながら、役人たちの後を追っていく梅流たち。
 御輿の中の瑪瑠は分からないが、役人らは、全く気付いていないようで、一度も振り返らなかった。