第十一話・生贄

 

 

 

 

「……悪かったな。だしにした」

 山頂を越えた辺りで、青年が急に立ち止まった。

 ここから先は、道が二つに割れている。
 右は、蔵馬たちが向かう予定だった迂回路。
 左は、断崖絶壁に近い急斜面。
 青年は若干左に足を傾けた状態で、振り返った。

 ずっと黙って後をついて行っていた梅流と蔵馬も、ぴたりと立ち止まる。

 

 青年に言われた言葉に、蔵馬は、

「別に」

 素っ気なく返すだけだったが、未だ状況が分かっていない梅流は、

「? だしって??」
「利用したってこと……あの妖怪たちから離れるために。俺たちと一緒に行くと言えば、彼らも送り出すしかないからね」
「…………」

 よく分からないが、蔵馬が言うのだから、そんなものだろうと、梅流は納得した。
 しかし、納得できないことがあるのも事実。

 

 

 

「ねえ」

 シロを肩から下ろしている青年に、梅流は問いかけた。

「どうして、皆から離れたの? 嘘ついてまで……」

 責めても、咎めてもいない。
 だが、ただ聞いているだけではなかった。

 

「銀色は俺だけだ。彼らの毛並みも美しいが、最近の密猟者の狙いは白い妖怪≠ェほとんど……それを利用した噂も広めたからな。俺はいない方がいい」
「なるほど。噂を限定的にしたのは、そのためか。頃合いを見て、旅立つことも計算ずくか……」

 蔵馬は納得したと、溜息をつくが、梅流は言わずには居られなかった。

 

 

「けど、あの人たち……あなたに居て欲しかったと思う」

 確証も確信もない。
 ただ、何となくそう思っただけ。

 

 真っ直ぐで、一切を隠さない梅流の言葉に、青年は、

「…………」

 やや驚いた様子だった。

 内心では思ったとしても、直接はっきりと言われるとは思わなかった。

 しかし、自分を見上げる瞳は、どこまでも曇りがなくて。
 幼い甥姪にさえ、見られないほどに、澄み切っていて。

 正直に答える気になったのは、多分そのせいだ。

 

 

「……だろうな」
「だったら……」
「だが、俺は応えられない」

「……どうして?」
「さっき言っていた縁談か?」

 梅流の問いに、蔵馬が重ねて聞いた。

 

「ああ。無理だ。俺は妹としか見られなかったし、それ以上の問題もある」

 答えないかも……と思っていた蔵馬だが、青年は意外にもあっさりと答えてくれた。

 

 

「……だしにはしたけれど、全てが嘘だったわけではないわけか。誰を捜してる?」

「分からない」
「妖怪のカンか?」

 所謂、カン≠ニいうものは、陰陽に左右されることが多い。
 故に、人間よりも妖怪の方が鋭いことが多いのだ。

 

「さてな。そもそも、俺は自分が妖怪だという自身もない」
「……そうだな。さっきは気がつかなかったが……そのようだな」

 言って、蔵馬は言葉に出さずに思う。

 

(梅流とシロと同じ感じだな……)

 人間でも、動物でも、妖怪でもない……不思議な感覚。
 それでもそれが三人目とあっては、もはや驚くこともなかった。

 

 

 

 

 

「それで? これから、何処へ行くんだ?」

 もはや、蔵馬と梅流が何を言おうとも、彼は家族の元へは帰らない。
 帰れない。

 そう察した蔵馬は、青年に聞いた。

 

「そうだな……一人になった時の事は……考えていなかった……」

 そう言う青年の声は、嗤っていた。
 他の何でもない、自分自身をあざけ嗤っていた。

 自分から離れた。
 仕方ないと分かっていた。

 でも……家族として、彼らを愛していたのは、紛れもない事実だった……。

 

「……行く当てはないのか?」
「ないな。――そういう貴様らは、何処へ行くつもりでいる」

 特別聞きたくて聞いたわけではないようだが、梅流はぱっと手を挙げて答えた。

「西!! 西だよ!! 二人で行ってるの! あ、今はシロちゃんも!!」

 言って、足元にいたシロを抱き上げた。

 

「西? ……随分とアバウトだな」

「あばうと??」

 きょとんっとして、蔵馬を見上げる。

「……さして悪い意味じゃないよ」

 苦笑気味に答える蔵馬は、さして良い意味でもない≠アとは言わなかった。

 

 

「あの街か?」

 青年が指さしたのは、麓まで続く急斜面の向こうに見えるそこそこ大きな街。
 言われるまでもなく、蔵馬には件の街≠セと気づいた。

「通るだけだ」
「そうか。なら、迂回して行くんだな」

「君はしないのか?」
「俺は男だからな。見るからに。――そっちの娘もだが、お前も気をつけるべきだろう」

「……意外と失礼なヤツだな、君は」

 溜息をつく蔵馬に、梅流はきょとんっとした。
 シロも分かっていないらしく、首をかしげている。

 

 

「……?? 蔵馬、どうして気をつけないといけない? あの街、危ないの?」

「…………」

 しまった……と思ったが、今更遅い。

 そして、蔵馬がどうしたものかと思っている間に、

「あそこを通る以上、知らんわけじゃあるまい。時期、生け贄の儀式があるだろうが」
「生け贄……って??」

 青年が言ったことに、蔵馬はぴくりと眉を動かすだけに留まった。
 余計なことを……と思わなかったわけではないが、今更止められもしない。
 元々は、自分の失言だったのだから。

 

「街の連中が、年に一度、河の『神』に捧げてるモノだ。丁度、お前たちくらいの若い娘を、な」
「……捧げるって、どうすること?」
「簡単に言えば、殺すということだ」
「!!」

 絶句……とはこういうことなのかと、梅流を見ながら、蔵馬は思った。

 

 

 

「ど、どうして……」
「簡単にいえば、取引だ。あの街にいる『神』は、おそらく人食い妖怪……そいつが街を支える大河を牛耳っているんだろう。溢れさすことも、逆に枯らすことも自在な妖怪といえば、そこそこ力があり、人間に退治するのは難しい。水がなければ、人間は生きられない。年に一度、一人の命ですむなら、と思っているんだろう」

「…………」

 青年の言った言葉を、梅流は半分も分からなかった。
 それでも、その妖怪がよくない@d怪なのだということは、よく分かった。

 

 

「そんなの……そんなのよくないよ!! 街の皆のために、一人が犠牲になるなんて!!」

 ぎゅっと抱きしめられ、シロが苦しがっていることも気がつかず、梅流は叫んだ。

 

「梅流……」

 直情的に気持ちを叫ぶ梅流に、蔵馬は別の意味で驚いていた。
 梅流ならば、これくらいは言うだろうと予想は付いていたから。

(犠牲≠チて言葉……知ってるのか……)

 おそらく、何かしら近しい経験がある。
 思い出して欲しくない、蔵馬はそう思った。

 

 

 

 ハアハアと肩で息をする梅流に、青年は少し考えて。
 急に冷たい表情になって、言った。

「確かにその妖怪は、友好的な奴ではないだろう。しかし、あの街の住人にとって、そいつはやはり『神』だ」
「な、何で……」

「その強力な妖怪が居るために、大河には他の妖怪は住み着けない。つまり、ヤツがいる限り、街の犠牲者は年に一人以上はまず出ない。それも働き手の男は除外され、また適齢期を過ぎれば、女も無事にいられる。――自分たちに被害がないとなれば、人間はその道を選択するに決まっている」

「で、でも! 若い女の子たちは、皆怖い思いしてないといけないんでしょ!? その家族だって……」

 言いかけた梅流に、青年はたたみかける。
 梅流の言っていることが、正しいのだと分かった上で。

 

「こういう街ぐるみの取引は、余所者にどうこう出来るほど、薄っぺらなものじゃない。ある種、洗脳に近い信仰だ。たとえ、それがどんなに邪悪なものでもな。余所者は余所者で、街人でなければ数に入れられないと分かっているから、手出しはしないのが常識だ。行商人まで襲っては、妖怪としてもエサが逃げるだけだからな」

「……だ、だって……」

言葉に詰まる梅流に、青年はさらなる追い打ちをかけるが如く、

「第一、その妖怪が下等妖怪の侵入を阻んでいるのは紛れもない事実。そいつがいなくなれば、下等妖怪が街を滅ぼすのは明白だ。あの街の住人は、生け贄を差し出すという方法で安全を得た。――通り過ぎるだけの余所者に、奴らが選んだ道を否定する権利はない」

「…………」

 しばらく、場は静まりかえっていた。
 蔵馬も青年と完全に同意見だったため、言えることは……なかったのだ。

 

 

 

 

「…………カ…」

「ん?」

「バカ!!! 大っきらいっ!!! うわああああんっ!!!」

 大声で叫ぶと、梅流はそのまま走り去ってしまった。
 シロを抱いたまま。
 青年の横をすり抜けて。

 そう、避けようとしていた急斜面を。

 

 

「梅流!」

 慌てて後を追おうとしたが、本気を出した梅流に蔵馬が追いつけるわけもない。
 急斜面にさしかかる前に、腕を引っ張られた。

「バカか。お前、人間だろう。死ぬぞ」
「…………」

 確かに、いくら運動神経がいいとはいっても、蔵馬のような人間に、この斜面を下るのは危険すぎる。

 見れば、梅流はシロを抱いたまま、坂をもう1/4ほど駆け下りていた。
 と、見ている前で、派手に転びかけて……、

「梅流!! ……あ」

 手から転げ落ちた瞬間、シロは先ほどのように巨大になって……その背中に、梅流はぽすりと落ちた。
 かといって、馬が崖を下るのもあまり安全ではないはずだったが、

 

「……飛べたのか、シロ」

 羽もない、翼もない。
 それでもシロは飛んでいた。

 左右にフラフラと揺れながら。
 山の麓付近を通り過ぎ、街より少し手前で着地。
 瞬間、シロが見えなくなったので、元のサイズに戻ったのだろう。

 ごま粒ほどの大きさの梅流は、先ほどと変わらぬであろうスピードで、街へと全力疾走していく。

 日も陰っており、おそらく大きなシロを見られている心配はないが……梅流一人であの街へ行くのは……、

 

「少し、一人にしておけ。感情の整理がつくまでな……どうせ、今年の生け贄はもう決まっているらしいしな」

 蔵馬の考えを読んだように、青年が言った。

 

 

「……やはり、知っていて言ったのか……」
「性分でな。――怒ったか?」

「……いいや」

 

そのまま二人は、しばらく道に立ちつくしていた。