第十一話・生贄
「……悪かったな。だしにした」 山頂を越えた辺りで、青年が急に立ち止まった。 ここから先は、道が二つに割れている。 ずっと黙って後をついて行っていた梅流と蔵馬も、ぴたりと立ち止まる。
青年に言われた言葉に、蔵馬は、 「別に」 素っ気なく返すだけだったが、未だ状況が分かっていない梅流は、 「? だしって??」 よく分からないが、蔵馬が言うのだから、そんなものだろうと、梅流は納得した。
「ねえ」 シロを肩から下ろしている青年に、梅流は問いかけた。 「どうして、皆から離れたの? 嘘ついてまで……」 責めても、咎めてもいない。
「銀色は俺だけだ。彼らの毛並みも美しいが、最近の密猟者の狙いは白い妖怪≠ェほとんど……それを利用した噂も広めたからな。俺はいない方がいい」 蔵馬は納得したと、溜息をつくが、梅流は言わずには居られなかった。
「けど、あの人たち……あなたに居て欲しかったと思う」 確証も確信もない。
真っ直ぐで、一切を隠さない梅流の言葉に、青年は、 「…………」 やや驚いた様子だった。 内心では思ったとしても、直接はっきりと言われるとは思わなかった。 しかし、自分を見上げる瞳は、どこまでも曇りがなくて。 正直に答える気になったのは、多分そのせいだ。
「……だろうな」 「……どうして?」 梅流の問いに、蔵馬が重ねて聞いた。
「ああ。無理だ。俺は妹としか見られなかったし、それ以上の問題もある」 答えないかも……と思っていた蔵馬だが、青年は意外にもあっさりと答えてくれた。
「……だしにはしたけれど、全てが嘘だったわけではないわけか。誰を捜してる?」 「分からない」 所謂、カン≠ニいうものは、陰陽に左右されることが多い。
「さてな。そもそも、俺は自分が妖怪だという自身もない」 言って、蔵馬は言葉に出さずに思う。
(梅流とシロと同じ感じだな……) 人間でも、動物でも、妖怪でもない……不思議な感覚。
「それで? これから、何処へ行くんだ?」 もはや、蔵馬と梅流が何を言おうとも、彼は家族の元へは帰らない。 そう察した蔵馬は、青年に聞いた。
「そうだな……一人になった時の事は……考えていなかった……」 そう言う青年の声は、嗤っていた。 自分から離れた。 でも……家族として、彼らを愛していたのは、紛れもない事実だった……。
「……行く当てはないのか?」 特別聞きたくて聞いたわけではないようだが、梅流はぱっと手を挙げて答えた。 「西!! 西だよ!! 二人で行ってるの! あ、今はシロちゃんも!!」 言って、足元にいたシロを抱き上げた。
「西? ……随分とアバウトだな」 「あばうと??」 きょとんっとして、蔵馬を見上げる。 「……さして悪い意味じゃないよ」 苦笑気味に答える蔵馬は、さして良い意味でもない≠アとは言わなかった。
「あの街か?」 青年が指さしたのは、麓まで続く急斜面の向こうに見えるそこそこ大きな街。 「通るだけだ」 「君はしないのか?」 「……意外と失礼なヤツだな、君は」 溜息をつく蔵馬に、梅流はきょとんっとした。
「……?? 蔵馬、どうして気をつけないといけない? あの街、危ないの?」 「…………」 しまった……と思ったが、今更遅い。 そして、蔵馬がどうしたものかと思っている間に、 「あそこを通る以上、知らんわけじゃあるまい。時期、生け贄の儀式があるだろうが」 青年が言ったことに、蔵馬はぴくりと眉を動かすだけに留まった。
「街の連中が、年に一度、河の『神』に捧げてるモノだ。丁度、お前たちくらいの若い娘を、な」 絶句……とはこういうことなのかと、梅流を見ながら、蔵馬は思った。
「ど、どうして……」 「…………」 青年の言った言葉を、梅流は半分も分からなかった。
「そんなの……そんなのよくないよ!! 街の皆のために、一人が犠牲になるなんて!!」 ぎゅっと抱きしめられ、シロが苦しがっていることも気がつかず、梅流は叫んだ。
「梅流……」 直情的に気持ちを叫ぶ梅流に、蔵馬は別の意味で驚いていた。 (犠牲≠チて言葉……知ってるのか……) おそらく、何かしら近しい経験がある。
ハアハアと肩で息をする梅流に、青年は少し考えて。 「確かにその妖怪は、友好的な奴ではないだろう。しかし、あの街の住人にとって、そいつはやはり『神』だ」 「その強力な妖怪が居るために、大河には他の妖怪は住み着けない。つまり、ヤツがいる限り、街の犠牲者は年に一人以上はまず出ない。それも働き手の男は除外され、また適齢期を過ぎれば、女も無事にいられる。――自分たちに被害がないとなれば、人間はその道を選択するに決まっている」 「で、でも! 若い女の子たちは、皆怖い思いしてないといけないんでしょ!? その家族だって……」 言いかけた梅流に、青年はたたみかける。
「こういう街ぐるみの取引は、余所者にどうこう出来るほど、薄っぺらなものじゃない。ある種、洗脳に近い信仰だ。たとえ、それがどんなに邪悪なものでもな。余所者は余所者で、街人でなければ数に入れられないと分かっているから、手出しはしないのが常識だ。行商人まで襲っては、妖怪としてもエサが逃げるだけだからな」 「……だ、だって……」 言葉に詰まる梅流に、青年はさらなる追い打ちをかけるが如く、 「第一、その妖怪が下等妖怪の侵入を阻んでいるのは紛れもない事実。そいつがいなくなれば、下等妖怪が街を滅ぼすのは明白だ。あの街の住人は、生け贄を差し出すという方法で安全を得た。――通り過ぎるだけの余所者に、奴らが選んだ道を否定する権利はない」 「…………」 しばらく、場は静まりかえっていた。
「…………カ…」 「ん?」 「バカ!!! 大っきらいっ!!! うわああああんっ!!!」 大声で叫ぶと、梅流はそのまま走り去ってしまった。 そう、避けようとしていた急斜面を。
「梅流!」 慌てて後を追おうとしたが、本気を出した梅流に蔵馬が追いつけるわけもない。 「バカか。お前、人間だろう。死ぬぞ」 確かに、いくら運動神経がいいとはいっても、蔵馬のような人間に、この斜面を下るのは危険すぎる。 見れば、梅流はシロを抱いたまま、坂をもう1/4ほど駆け下りていた。 「梅流!! ……あ」 手から転げ落ちた瞬間、シロは先ほどのように巨大になって……その背中に、梅流はぽすりと落ちた。
「……飛べたのか、シロ」 羽もない、翼もない。 左右にフラフラと揺れながら。 ごま粒ほどの大きさの梅流は、先ほどと変わらぬであろうスピードで、街へと全力疾走していく。 日も陰っており、おそらく大きなシロを見られている心配はないが……梅流一人であの街へ行くのは……、
「少し、一人にしておけ。感情の整理がつくまでな……どうせ、今年の生け贄はもう決まっているらしいしな」 蔵馬の考えを読んだように、青年が言った。
「……やはり、知っていて言ったのか……」 「……いいや」
そのまま二人は、しばらく道に立ちつくしていた。
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