第八話・妖怪

 

 

 

 

「シロちゃーん!!! 何処―!!? シロちゃーん!! ……あ、あれ?」

 霧が濃淡をつける中、必死に叫びながら走り回っていると。
 梅流の耳に、音が聞こえた。

 

「なんだろう……? この音……」

 川の音に似ているけれど、それよりも激しい。
 何かしら手がかりがないかと、そちらへ向かった。

 

 

 そこにあったのは――梅流はそうとは知らなくとも――滝だった。

 決して大きくはない。
 おそらく、さっきの川から下流のあそこへ続く途中だろう。
 高低差からして、何カ所かは滝があっても、不思議はない。

 そして、その滝壺に。

 

 

「…………」

 誰かが立っていた。

 梅流の方を見ていた。

 

 

 年は多分、蔵馬よりも上。
 背も蔵馬より高い。

 長くまっすぐの銀髪に、白い肌。
 瞳は金色で、するどく尖っている。

 頭には獣のような耳、腰から下には長い尾……。

 纏う装束は、紅……いや、よくよく見ると、ところどころが紅く変色しているだけで、元は白一色らしい。

 

 人間とは違う外見。
 そして、気配。

 ということは、おそらく……妖怪。

 

 

 だが、梅流はこの山にいるという盗賊妖怪のことも、すっかり忘れており、

「あ、はじめて会った人には、こんにちはって言うんだっけ。こんにちは!」

 

 この前すれ違った行商人に、蔵馬が言っていた言葉だ。
 何なのかと問うと、昼間にする挨拶だと言う。

 言ったら、言い返す。
 旅する上で、覚えておいた方がいいと教えられた。

 最も、蔵馬としては危険でないと確信できた相手≠ノのみへの挨拶だったのだが……梅流にはそこまで通じていなかったらしい。

 

 梅流にとって、はじめての「こんにちは」だったのだが、

「あれ? 違った??」

 青年は黙ったままだった。

 

 

 

 

「…………」

 小柄な梅流を見下ろす瞳からは、良い感情も悪い感情も見られない。
 ただ、見ているだけ……という感じだった。

 

「あの〜?」
「……何をしに山へ入った」

 問う言葉は、突っ慳貪ではあったが、決して怒っている風ではなかった。
 目つきは鋭いものの、敵意はなく、悪い雰囲気はない。

 

「あ、あのね! この辺りで馬を見なかった? 梅流探してるんだけど……」
「…………」

「あ、えっとね……真っ白で、瞳は紅くて、可愛くて……」

 しどろもどろ説明する梅流を、青年はしばらく見下ろしていた。

 

 

 

「……ねえ、ひょっとしてこの子のこと?」
「え?」

 突如した第三者の声に、梅流はきょろきょろと辺りを見回す。

 若い娘のようだった。
 だが、姿はない。

 ただ青年と滝があるだけ。

 

「……おい」

「平気だよ、兄ちゃん。――悪い子じゃない気がする」
「うん、あたしもそう思うよ。だって、この子……怯えてないもん、さっきと違って」

「…………」

 続いた発信源の見えない声は、先ほどとは違っていた。

 一人目が梅流と同年代であろう若い娘だったのに対し、二人目は同世代の若い少年。
 三人目は幼いといっていい子供の声で、性別は分からなかった。

 つまり、第三者は……最低でも三人はいるということになる。

 

 

「ねえ、兄ちゃん。出てもいい?」
「…………」

「平気だって」
「…………」

「この子も出たがってるよ。ね?」
「…………」

 言われた言葉に根負けした……というよりは、声がしてから、ずっと観察していた梅流に、邪気を感じなかったからだろう。
 青年は溜息をつきながら、すっと手を挙げた。

 

 

 

 ……と、突如滝が割れた。

 

「わあっ! すごいっ!!」

 

 水の流れが、大きく二つに分かれる。

 それがどれほど凄まじいことなのかは分からずとも、梅流はその光景に感動していた。

 

 

 更に、割れた滝の奥に……穴があった。

 比較的大きく、奥行きもあるようだった。
 外側から全く気づかなかったのが、嘘のような……。

 そして、

 

「わっ!! ――えっ? シロちゃん!?」

 穴の中から最初に出で、梅流に飛びかかったのは、

「ミー!」

 確かにシロだった。
 白い毛並みも、紅い瞳も、鳴き声も。

 梅流には一目で、シロだと分かった。

 ……驚きはしたが。

 

 

「よかった見つかって!! それに、大っきくなったねー!!」

 ぎゅっと抱きしめたシロは……大きかった。

 

 

 

 

 

 

 

 つい先ほどまで、梅流が軽々抱き上げられるような企画外に小さなシロが。

 梅流が手を必死に伸ばしても、首に抱きつくのがやっと……というほどの大きさ。
 一般的な馬よりも、むしろ大きいくらいだった。

 しかし、伸び縮みする馬が普通でない、普通あり得ない≠ニ知らない梅流。
 あるのは、いなくなっていたシロが見つかったことへの安堵と、大きくなったという感動のみであった。

 

 

 

「やっぱり、その子の友達だったんだ」

 ふと言われた声に、梅流はシロに抱きついたまま、割れたままの滝を見た。
 奥の深い洞穴の入り口に立ち、梅流の方を見ていたのは、やはり三人の若者。

 二人は梅流と同い年くらい、もう一人は少し下のようだった。
 皆、獣耳に長い尾をしており、青年とよく似た衣装を纏っている。
 明らかに妖怪。

 だが、梅流は全く気にせず、

「あ。ありがとう! シロちゃんと一緒にいてくれたんだね!」

 礼を言うべく、頭を下げた。
 これも、蔵馬に教わったことだった。

 が、

 

「あれ?」

 顔を上げた時、そこに穴はなかった。
 先ほどのように、一筋の滝が流れているだけ。

 きょとんっとして、横を見ると、青年は変わらず立っている。
 ということは、見間違いや聞き違いではなさそうだが。

 

 

「?? どうなってるの? ねえ、シロちゃん、さっきまで居たよね? あの子たち……シロちゃん?」

 見上げると、シロの瞳が緊張していた。
 首を大きく曲げ、滝とは逆方向の後方を睨んでいる。

 

「何かあるの?」

 見やるが、何も見えない。
 さっきと違うところといえば……、

 

「? あの棒、さっきあったっけ??」

 後方六メートルほどの位置に、棒が一本立っている。

 梅流が来た方角とは違うし、ちゃんと見ていなかっただけかもしれないけれど、さっきは気がつかなかったが……。