第三話・昼食

 

 

 

 

「じゃあ、蔵馬は西に向かって旅をしてるの?」

 山を下り、街道を歩きながら。
 梅流は蔵馬が何をしているところなのかを、聞いていた。
 高山というわけではないが、獣道程度しかない山道を下りてくる間に、蔵馬は語ってくれた。

 長い話ではあったが、要約すると、そういうことになる。

 

「ああ。都の占い師に、『手がかりは西にある』と言われたからね。まあ、何とかしたいというよりは、知りたいという気持ちでなんだけれど。俺一人にどうにか出来るとも思っていないし」
「ふ〜ん??」

 蔵馬の知識欲と身の弁えが、今ひとつ分からない梅流。
 だが、それよりももっと単純な疑問の方が大きかった。

「でも、変なの! お腹がすいてるわけじゃないのに、食べないと生きていけないなんて」

 蔵馬は梅流に、自分の旅の目的だけでなく、今、世界の置かれている現状も分かりやすく語ってくれていた。

 梅流は、つい昨日までたった一人で牢の中にいたとは思えないくらい、飲み込みが早かった。

 

 知っていることは、本当に少ない。
 一つ一つ、単語と意味を教える必要はあった。

 だが、理解力は、都一の知能だと言われた蔵馬でさえ、驚く面があった。
 一度覚えれば、それらは決して忘れはしない。

 更に、単語と単語の関係性も理解し、砂が水を吸うが如く、知識を得ていく。
 おそらくは覚えていないだけで、かなりの高等教育を受けた経験があるのだろう。

 今はまだ、その一端が見え隠れしているだけ。
 少し触れてやれば、すぐに使いこなせるくらいに。

 

 しかし、牢に入れられる前のことを全く覚えていないという梅流に、それを尋ねる蔵馬ではなかった。
 別段、焦って思い出してもらわねば困ることはないし、むやみやたらに触れていい事柄でもないだろう。

 

 

 

「おそらく、世界全土に何か異変が起こっているんだろう。原因が何なのかは、全く分からないけれど」
「いつからなの?」
「俺が生まれる少し前かららしいけど、詳しいことは、ね」
「その困ったことになってるのは……えっと、妖怪っていう種族だけなの?」

「そうだね。今は妖怪だけだけど、人間に異常が発生するのも、時間の問題。現に、霊気の強い人間の一部は、コントロールに苦労しているようだから」

「……蔵馬は? 蔵馬は大丈夫なの?」

 見上げる梅流の瞳は、心配に揺れていた。
 昨日出会ったばかりの蔵馬を、本気で案じている。

 

 そこには、牢から出してくれた人だからだとか、彼がいないと自分はどうすればいいのか分からないとか、そんな打算的な感情は、一切ない。

 ただ、心配していた。

 

 そのことに、内心驚きながらも、蔵馬は応える。

 

「俺は大丈夫。霊力はそこそこあるけれど、影響を受けるほどじゃないから」
「そうなんだ、よかった!」

 心底ほっとした様子に、また蔵馬は少しだけ驚いた。

 生まれてまだ20年にもならないけれど。
 その僅かな間だけでも、色んな人間や妖怪を見てきた。

 色んなタイプがいたのは確かだけれど。

 

(……初めてだな。梅流ほど純粋な子は……そういえば、梅流も陰陽が安定しているのか。種族がよく分からないから、何とも言えないけど。妖気とも霊気とも判別ができないのは、初めてだな)

 

 

 

「あ、蔵馬! 見てみて! あっち、人がいっぱい!!」

 梅流が指さした先を、自分の考えに没頭していた蔵馬も見た。
 どうやら、考えながら歩いている内に、村に近づいていたらしい。

 

「思ったよりも、早く着いたかな。次の村までは遠いから、今夜はここで泊まろうか。まずは昼食……いや、その前に買い物、か」
「?」

 蔵馬が見下ろした先で、梅流はきょとんっと首をかしげた。

 梅流は気づいていないようだが、彼女のしている格好は、この辺りではあまり見かけるものではない。
 素材が何なのか分からないけれど、薄い生地が幾重にも重なりあって、衣装として形成されている。

 風がふく度、サラサラと音をたてる様は、とても綺麗なのだが……あまりにも目立ちすぎるだろう。

 

 

「村に入る前に、俺の上着を着てもらうとして……古着屋があればいいけど。持ち合わせもあまりないし……」
「ねえ、蔵馬。チュウショク≠チて何?」

「ああ。昼に食べるご飯のこと」
「ご飯……」

 言って、梅流はいきなり倒れた。

 

 

「め、梅流!?」
「おなか……すいた……」

 すぐ横にしゃがんだ蔵馬に、梅流はぽそりと呟いた。
 その細い腹部から……小さく音がした。

 

「変だなぁ。山の中にいた頃は、全然お腹なんか減らなかったのに……」
「……推測だけど、あの中は時間が止まっていたのかもな。そうしたら、空腹になるはずもないし」

「そういうことって、よくあることなの?」
「多分稀。けど、ゼロじゃない」
「そっか〜」

 頷く梅流の肩を覆うものがあった。

 蔵馬が鞄から出した上着を、かけてくれていた。
 これである程度は目立たないだろう。

 

「とにかく行こう。買い物は後回しかな。先に食べに行こう」
「うん!!!」

 

 

 

 

 

 

「……梅流。あのさ」
「はひ?(なに?)」

「もう少し、ゆっくり食べたら?」

 何百年も牢に封じられていて。
 その反動があって。
 梅流の食欲が凄まじいであろうことは、なんとな〜く予想がついていた蔵馬だが。

 まさかここまでとは思わなかった。

 

「ん? ゆっくり食べてふひょ?」

 一方の梅流は、本当にゆっくりと味わって食べているつもりだったもので。
 蔵馬の言うことが、よく分からなかった。

 答えながら、とても美味しいと感激していた特大桃饅頭を、ぱくりと食べてしまう。
 ちなみに、既に5個目であり、それが一般的な少女の食欲ではないことなど、もちろん知らない。

 

(この小さな体の何処に、それだけ入る胃袋があるんだろう……スピードも量も、計算外だったな……)

 蔵馬が溜息をつきたくなるのも、無理はなかった。

 

 

 

 ここは、訪れた村の入り口近くにある小料理屋。

 席数は6組分ほどと、カウンター。
 どちらも木製で、手作り感あふれるものだった。
 壁には、村の催しものの広告が無造作に貼り付けられ、窓には観葉植物かと思いきや、スパイス用のハーブが飾られていた。

 何処か店主の生活感もあるその店で。
 その日起こっていたのは、すごい≠ニしか言いようのない光景だった。

 

 一番隅っこの席に、美しい青年の正面に座る少女は。
 次々、来る料理を手当たりしだいに掴み取り、口は押し込んでいく。

 咽を詰めそうな勢いだが、その様子は一向に見られない。

 好き嫌いはあまりないらしく、何がきても子どものように喜んで食べている。
 但し、茄子だけは苦手らしく、漬け物だけがチラホラ残っていた。

 

 アルバイトらしき女性も、厨房にいる男性も、他のテーブルで食事中の若者たちも、お菓子をねだっていた幼い子供も。
 皆、ぽかんっと口を開けて、眺めている。

 まるで、田舎から出てきたばかりの若者が、都会の喧噪に呆気にとられる時のように。

 無論その最たる者は、他ならぬ蔵馬なわけだが。

 

 

 

「!? ふはは(蔵馬)! ほれ、ほいひいひょ(これ、おいしいよ)!! ふははほ、はへはほ(蔵馬も、食べなよ)!」

「いいよ、俺は。梅流が全部食べなよ」

「ふぁ―――い(は―――い)!!」

 

 時折、すごく美味しいと思うものに関して、梅流は蔵馬に勧めてくるのだが。
 蔵馬はその度、丁重にお断りしていた。

 見ているだけで、お腹いっぱいになる。
 よく聞く言の葉だが、それを正に実感している真っ最中なのだった。