第一章「必然の出逢い」

 

 

 

第一話・邂逅

 

 

 

 

「空、大きいな…」

 青い空を見上げる度に、少女は思った。
 そしてその度、狭い岩の牢から出られない身の上を、つまらなく思うのだった。

 

「風、気持ちいいな…」

 僅かに吹き込んでくる春風を感じる度に、少女は思った。
 そしてその度、思い切り風を感じる事が出来ない身の上を、面白くなく思うのだった。

 

「太陽、月、綺麗だな…」

 東から昇る時だけ見える太陽や月を眺める度に、少女は思った。
 そしてその度、それらのように自由に動けない身の上を、退屈に思うのだった。

 

 

 少女はずっと前からここにいた。
 この岩から出られずに、いつもいつも太陽と月ばかり眺めていた。

 いつ出られるのかなんて分からなかった。
 もう出ることを諦めてさえいたかも知れない。

 いや、それよりも。
 「出る」という行為自体が、よく分からなかった。

 

 外は見える。
 牢に東の天井に開けられた、小さな穴から。

 けれど、いつからここにいるのか分からない少女にとっては……自分が外へ出る行為そのものが、よく分からなかった。

 自分は果たして、外へ出たことがあるのだろうか?
 それとも、この世に生を受けた時から、此処にいたのだろうか?

 

 答えは、ない。
 出てくるはずがない。

 

 言葉は知っている。
 言葉を発することは、多分最初から出来た。

 そして文字を読むことも、いちおう出来た。
 誰にも教えられた覚えがないから。

 

 けれど、言葉を知るのと、単語を知るのでは、違いすぎる。
 ぼんやりと知る単語はいくつかあるが、はっきりと意味を知るのは、「空」「風」「太陽」、そして「月」くらい。

 それらは、彼女が閉じこめられている岩の内側に、絵と文字と共に描かれていた。
 今はもう大分薄れて読めなくなっていたけれど、随分前にはそれらだけは読めた。
 だから、その4つだけは知っている。

 

 ……それほどまでに、少女の知識は幼子のように乏しかった。
 その事実にすら、本人は気づいていない。

 

 

 あまりにも。

 一人で生きすぎていた。

 

 

 

 

 でも……。

 

 

 

 

「何をしてるんだい?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 眠っていた少女に誰かが声をかけた。
 眠りが浅かったせいもあるだろう。

 が、彼女の覚醒ぶりと驚きようといったら、半端なものではなかった。

 無理もない。
 風の音と、時折降る不思議なモノたち……空からの音、そして己の言の葉以外、何も聴いたことがなかったのだ。

 

 

 顔を上げると、そこには……一人の人間が立っていた。

 といっても、少女は「人間」など知らない。
 かといって、人間以外の種族も知らない。

 自分以外、知らないのだから。

 

 

 けれど。

 どんな空よりも大きく見えた。
 どんな風よりも心地よかった。
 どんな太陽よりも月よりも綺麗な輝きを放っていた。

 その長くて紅い髪も。
 緑色の瞳も。

 不思議そうに、けれど微笑みを浮かべた、優しげな表情も。

 

 少女は思わず見とれた。
 顔が赤くなって体温が上がっていくのが、ドキドキと胸がはげしく高鳴るのが、はっきりと分かった。

 しかし、それは驚きだけではなかった。
 それ以上に、何か。

 そう、懐かしいものを感じていた。

 初めて見るはずなのに。
 知っているはずないのに。

 ずっと前から知っていたような……。

 

 

 

「ずっとここにいるの?」
「うん」

「どれくらい前から?」
「…………」

「ずっとずっと前から?」
「うん」

「君、一人?」
「…………」

「他には誰もいない?」
「うん」

「ここで何をしているんだい?」
「…………」

「ここにいて楽しい?」
「ううん」

 

 少女はぼんやりとした頭のまま、ほとんど反射的に答えていた。

 答えのあるなしに関わらず、反射で答えが出なければ、黙っていた。
 言葉はある程度話せても、ずっと誰とも語り合わずにいたのだ。
 赤子のような受け答えになっても、致し方ない。

 人間はそんな少女に、嫌な顔一つしなかった。

 牢の外に腰掛けて、色んな質問を投げかける。
 それはとても単純で、簡単なものばかりだった。
 それでも分からない時でさえ、人間は更にかみ砕いて語りかけてくれた。

 

 

「好きなものは何?」
「…………」

「あれ、好き?」
「うん。太陽、好きだよ」

 東の空を照らす太陽を見つめながら、人間はまたいろいろなことを語った。
 辺りが暗くなれば、

「あれは好き?」
「うん。月も好きだよ。綺麗だから」

「そう。綺麗だよね」
「でも、何で形が変わるの?」

「月と太陽が仲良しだから」
「仲良し? けど、一緒にいるところ、見たことない」

「そうだね。でも、同じ蒼空にいるんだよ。離れていてもね」
「そっか〜」

 人間と語っていくうちに、少女は知らず知らず、喋る言葉を増やしていた。

 段々と言葉遣いも流暢になっていく。
 それは新たに会得したというよりは、忘れていたものを取り戻しているようだった。

 

 

 そして……再び、太陽が、昇った。

 

 少女はその日、一睡もしていなかった。

 いつもは月が見えなくなった辺りで眠ってしまっていたのに。

 

 この日の晩、彼女は寸部の眠気も感じず……太陽が昇る瞬間を見たのだった。