<11 父さん>

 

 

 

 案の定、光るオーブを手渡された蔵馬は、先ほどとの違和感を感じ取ったらしく、少し怪訝に大人の蔵馬を見上げていた。

 だが、大人の蔵馬は何処ふく風といった感じで、笑みを浮かべている。
 いくら蔵馬でも、子供は子供。
 大人の彼に勝てるわけがない。

 

「……『自分』で遊んでる」
「父さんらしいといえば、そうなんだけど……」

 何となく脱力しかけた、その時だった。

 

 

 

【蔵馬。何処にいる?】

【あ、父さん】

【!!】

 

「「!!!」」

 

 幼い蔵馬が振り返った。
 その先に……屈強な男の姿。

 父さん、そう呼んだことで、嫌でも理解してしまった。

 この人が祖父。
 この人が、父の父。

 この人が……もうすぐ亡くなることを。

 

 

【ん? 誰だ? 見かけん顔だが】
【…………】

 どうやら、祖父は大人の蔵馬のことが、全く分からないらしい。
 髪の色も瞳の色も。
 息子と全く同じであるのに。

 いや、無理もないかもしれない。
 本人がこの場にいなければ、あるいは何かを感じたかもしれないが、たった今自分の足元に息子がいるのだ。

 大人と子供。
 並べられては、逆に分からなくなるのかもしれない。

 

【ついさきほど、会ったばっかりだよ】
【そうか。息子の相手をしてくれたのか。ありがとう】

【……いいえ。元気な息子さんですね】

 

「「…………」」

 

 その、あまりに他人行儀すぎる態度に、紅光と碧は胸の奥が痛くなるのを感じた。

 分かってしまった。

 蔵馬は……何も言う気がないのだと。

 

 

 

【それで、父さん。何か用事?】
【ラインハットへ出発する日程が決まった。そろそろ用意を始めなさい】
【はい】

【ラインハット……ですか】
【おお、知っているのか。いや、あの国は大きいから、旅人なら誰もが知っているか】

【……そうですね】

 

【では、私は忙しいので、これで】
【ええ……ああ、そうだ】

【ん? 何だね?】

 

 

【お気を付けて】

 

 その短い一言に……どれほどの意味がこめられているのか。

 おそらく、祖父は分からなかっただろう。

 

 

【……ああ、ありがとう】

 返事を返し、祖父は幼い蔵馬を連れて、近くの民家へ入っていった。
 去り際、一瞬だけ会話が聞こえた。

【父さん、どうかしたの?】
【ああ、あの人の瞳が……いいや、何でもないよ】
【そう? あ、そうだ、父さん――】

 

 声が遠くなって行く。
 ぱたりと閉じられた扉。
 周辺で、村人たちのざわめきがしているはずなのに。

 何も聞こえなかった。

 

 

 ゆらり。

 絵が揺れた。

 そして、次の瞬間、大人の蔵馬は碧たちの前に戻ってきていた。

 

 

 

 

「……ゴールドオーブ、手に入れたよ」

 見せられたオーブは、確かに光るオーブではなく、ゴールドオーブ。
 間違いなく。
 天空城を浮かせるためのオーブだった。

 

「……父さん、すまない」
「紅光?」

「その……見ていた」
「……ああ、『緋の目』か」

 得心したように、苦笑する蔵馬。
 気まずさに、視線をそらす紅光は、もういつもの碧眼に戻っていた。

 

 

「本当に……すまない」
「……別に見るなとは言っていないし、見られて困るものでもないよ。謝ることはない」
「…………」

 確かにそうだけれど。
 見られたくなかったはずだ。

 だって、自分から、何があったのか、言わなかったのだから。

 

「忘れてもいいよ。元々、お前たちが生まれる前のことなんだから」
「…………」

 それでも、受け入れてくれた。
 見てしまった……触れてしまった自分たちを。

 

 

 

 辛い過去のこと。
 誰にも見られたくない、心の傷。

 

 それだけでも痛いのに。

 それを……蔵馬は、変えようとしなかった。

 

 正しいのは、分かっている。
 過去を変えるということは、未来を変えてしまうこと。

 今の蔵馬が、碧が、紅光がこうしているのは、あの過去があったからこそ。
 一つでも歯車が狂えば、蔵馬は此処にこうして居なかっただろうし、碧も紅光も生まれていなかったかもしれない。

 だから……例え、どれほど辛い過去であっても。
 変えていいわけがない。

 

 蔵馬が行ったのは、『未来』を変えるための、最小限の行動だけ。

 それは最も正しい形だった。

 

 

 でも。

 正しいそれを、一体誰に見られたいと思うだろうか?

 

 心の傷を……失いたくない人を。

 変えようとしなかった。
 時間の正しさに身を任せた。

 

 もしも……もしも、あの時言っていれば。
 ラインハットへ行かないでと言っていたならば。

 何かが違ったのかも知れない。
 もちろん、何も変わらなかったかも知れないけれど。

 

 あの時、あの時と。

 その疑問と後悔は、一生抱えて行かねばならないものだ。

 

 

 それを見られた。

 

 

 なのに、すぐに許して……いや、最初から怒ってもいない。

 それはつまり。
 痛みを抱えるなと言っているのだ。

 自分が背負うものだから、と。

 

 

 

 

(……全部自分で……背負っていくのか)

 部屋から出て行こうとする父の背中を見つめ、碧は思った。

 桑原との会話から、知っていたことだけれど。
 今回のことで、よく分かった。

 父の自分たちへの想い。
 その深さが。

 

(背負いこみすぎだよ……俺たちだって、無関係なんかじゃないのに……)

 彼が、過去を変えたくなかったのは。
 それが正しいからだけではなく。

 変えた結果が、怖かったから。
 自分たちが生まれなくなってしまうかもしれないから。

 

 不器用な愛情を、こんな形で理解してしまうなんて。

 

 

 

 

「ねえ」
「何だい、碧」

「俺も見えた」
「! そうか……」

「でも、俺は忘れない。兄さんだって、忘れないよ」
「碧……」

 

「だって、俺たちは父さんの子供だから。忘れない、絶対に」
「……そうか」

 くしゃくしゃと頭を撫でられたけれど。
 その手を払いのけなかった。
 隣で、紅光も頭を撫でられていることで、真意が分かったから。

 

 

「……今日だけだよ」

「うん。それでいい」

 獣耳に水滴が落ちてきたことは、黙っておいた。

 

 

 

 

 

 第五章 終わり

 

 

 

 

 

 〜後書き〜

 第五章にして、まだ天空城復活ならず……遠い、果てしなく、終わりが遠いです。
 男の子と父親の親子関係って、女の子と母親よりも難しいらしいですね。
 うちには、男の子いないから、よく分からないけれど。
 碧くんは特に反抗期まっただ中なので、素直になりにくかったみたいです。

 次回はまた間章で、妖狐ファミリーになるかと思われます。