<8 妖精の村>

 

 

 

 桑原に後を任せ、一端天空城の外へ。
 サラボナへ飛んで、狐白に詳細を尋ねに行った。

 

 久方ぶりに出会う彼女は、驚きよりも喜びで溢れていた。
 聞いたところ、碧たちが出発した翌日、銀色と狐鈴も再び旅に出てしまったらしい。

 また子供1人になって、少し寂しい想いをしていたのだろう。

 

 

 しかし、今度は長居は出来ない。
 そう告げると、しゅんっとする狐白だったが、自分の持っている情報が役に立つと聞かされると、張り切って地図とにらめっこをした。

 

「えっとね……うん! ここ! 間違いないよ!」

 狐白が指さしたのは、サラボナから東へ行った、間違いなく森の中。
 茂った森の中は、絨毯では進めないけれど、川と平原を利用すれば、辿り着けそうだった。
 何より、船は入れない。

 

「ありがとう、狐白。また来るからね」
「約束だよ! 絶対だからね!」
「ああ。またな」

 少しの休息と物資の補給。
 薬草も毒消し草も多めに購入した。

 

 まだ幼い狐白が行ける場所だから、そこまで危険ではないのかもしれない。
 だが、狐白も妖精が消えていった森の奥へは踏み込んでいない。

 そこから先へ進んだ時、何があるのかは、誰にも分からない。
 侵入者を警戒し、特殊な力が働いている可能性も充分あるのだ。

 

 

 

 ……そして、その予感は見事に的中した。

 森の奥。
 人の踏み込んだ形跡がないほとんどない其処は、まさに幻想的な異空間。

 周辺の木々が、風もないのに、さわさわとざわめき、何か共鳴しているようにさえ見える。
 ふわふわと浮いているのは、蛍かそれとも森そのものが生み出す、幻か……。

 しかし、問題だったのは、その様子ではなく。
 入った途端、魔法が制限されてしまったことだった。

 

 

「ルーラが使えないな、この森は……」
「……父さん…も、そう思うのか?」

「紅光も?」
「それと、リレミトも無理のようだ」

「そうか。脱出手段がないとなると、気をつけないとね」
「ああ」

 

 この間の一件以来、紅光はぎこちないながらも、なるべく蔵馬を『父さん』と呼ぶようになった。
 父に一体何をすればいいのか、どう接すればいいのか、まだ答えは出ていない。

 でも……せめて、呼びたかった。
 呼び続けたかった。

 蔵馬があんな小さな頃に、呼べなくなった……『父さん』を。

 当の蔵馬は、不思議に思っているようだが、その反面、少し嬉しそうだった。

 

 

「…………」

 碧は、まだ、呼べない。

 

 

 

 そして、モンスターを倒しつつ、森の奥へ進んでいくと……森の少し開けたところに、ぽつんっとたき火がなされていた。

 傍には小さな女の子。
 蔵馬よりも明るい赤い髪は、朝焼けのようで美しい。
 くりくりとした大きな瞳で、驚いたようにこちらを見ていた。

 

「えっと……君は?」
「!」

 いちおう警戒しつつ声をかけると、少女の硬直が解け、はっとした彼女はそのまま踵を返して走り出してしまった。

 

 

「あ! ちょっと!! 待ってよ!!」
「父さん、追いかけないと」

「……誰を?」

 蔵馬の言葉に、2人が揃って振り返った。
 碧たちだけではない。

 モンスターたちも驚いたように、こちらを見上げていた。

 

「……見えなかったのか?」
「誰が?」

「居たじゃないか! 俺たちくらいの女の子!!」
「全然……ひょっとして、その子が妖精じゃないのか? 大人には見えないはずだから」

「「あ」」

 

 言われて、桑原の言葉を、狐白の言葉を思い出す。
 そうだ、妖精は大人には見えないのだ。

 あまりにもはっきりと……それこそ、普通の女の子のように見えたから、全然意識していなかった。
 妖精といったら、有と無の間のような、儚いイメージだったから……。

 

 

「どっちへ行った?」
「向こうの方へ……あっ」

 紅光の声に、碧もそちらを見る。

 先ほど駆けだした少女が、木々の間からこちらを覗き込んでいた。
 どうやら本気で逃げる気はなかったらしい。

 

「えっと……妖精、だよね?」
「うん」

 声も普通に聞こえる。
 紅光も『緋の目』になろうかとしたが、必要なかった。

 

 

 

「私の名は紅光。こっちは弟の碧」

 紅光が丁寧に挨拶すると、少女は目の前に立ち、軽く会釈して言った。

「わたし、ひなげし。貴方たち、どうしたの? こんなところで」
「妖精の村への道を探している。どうしても行きたいのだ」
「…………」

 

 ひなげしは、少し考えたようだが、ほとんど迷わず、顔を上げ、

「分かったわ。こっちよ」

 パタパタと走り出した。
 あまりのあっけなさに拍子抜けしかけたが、案内してくれるというならば、願ってもないことだ。

 罠の可能性の否定出来ないけれど、彼女に邪気はない。
 行ってみて、ダメならば、引き返せるよう、保険はかけてある。

 

 

「父さん、こっち」
「ああ……紅光」
「何?」

「妖精ってどんな子?」
「どんな……変わった衣装着ているが、外見は普通の少女に見える。赤い髪で」

「赤毛か……じゃあ、彼女じゃないな」

「? ああ、知っている妖精?」
「まあね。でもそれはないな。俺が子供の時に会ったのだから、彼女も大人になっているはずだ」

 妖精の成長速度は知らないけれど、そう付け足して、蔵馬は黙った。

 

 

 

 ひなげしの案内で、森はすぐに抜け出せた。
 辿り着いたのは、広々した池。
 中央に神殿のような建物がある。

 ひなげしが何かを池に向かって唱えると、ハスの花が幻想的に咲き乱れ、それが道を作り上げた。

 

「ハスの道か……これ沈まない?」
「平気よ! ……多分」

「多分って……」
「だ、だって私ドジばっかで……よく失敗してて……」
「ああもういいよ」

 落ちたら落ちたで、仕方がない。
 あそこまでくらいなら泳げるだろう。

 幸い、珍しく成功したようで、その必要はなかったが。

 

 そして、神殿内にあった不思議な柱……ひなげしが、旅の扉と呼んだそれに飛び込むと、視界ががらりと変わった。

 

 

 

 

「ここが……妖精の村?」

 温かな日差し。
 見渡す限り、春の息吹。

 桜の香りで溢れた、まさに桃源郷。

 

「うん! いいところでしょ!」

「確かに……」
「ああ……」

 賛同以外、何も出来ない。
 これほどまでに、あたたかで、おだやかで、綺麗で、安らげる場所は……今までになかったのではなかろうか?

 

 

「父さん、見える?」

 はっとして、蔵馬を振り返る紅光。
 ひなげしの姿が見えなかった父である。
 もし、この風景が見られないのだったら……と、不安に思ったが、その心配はいらなかった。

 

「ああ、大丈夫だ。此処へ入ってから、その子も見えるようになったしね……それにしても、冬の妖精界とは打って変わったものだな」
「冬の妖精界を知っているの?」

 不思議そうに見上げるひなげし。
 意味が分からず、兄弟は首をかしげたが、

「子供の頃にね」
「……あ! じゃあ、貴方が蔵馬さんなの?」

 ぱっと蔵馬を見上げ、ひなげしは詰め寄った。

 

「ああ……そうだけど」
「わ〜、会えて嬉しい! 妖精界を救ってくれたんでしょ? すごいすごい! あ、ぼたんに会って行って!」

「君、ぼたんの友達?」
「もっちろん! あ、ちょっと呼んでくるね! 待ってて!!」

 浮かれつつ、何処か危なっかしく。
 それでも、ひなげしはおそらく本人の全速力で、村の中心にある桜の木向かって、駆けだしていった。

 

 

「……ぼたんって?」

 呆然と事の成り行きを見守っていた碧が、久しぶりに声を出した。

「ああ。子供の頃、妖精界へ連れてきてくれた妖精の子供だよ」
「もしかして、さっき言いかけた?」

 紅光の問いに、頷く蔵馬。

「まあね。ぼたんは、赤毛じゃなかったから、すぐに別人だと分かったけど」

 

 

 

 

 まもなく、ひなげしが1人の女性を引っ張って戻ってきた。

「蔵馬! あんた蔵馬かい!? いや〜、おっきくなったね〜」
「久しぶり、ぼたん。その言葉、そのまま返すよ」

 蔵馬が言ったとおり、赤毛ではなく、空色の髪の女性だったが、テンションはなんとなく似ていた。

 

「あ、その子、リオちゃんだろ? この子もおっきくなったね〜」
≪ご健勝、何よりです。ぼたんさん≫

「ぼたんさん。『ご健勝、何よりです』だそうですよ」

 紅光がさりげなく通訳すると、彼女は驚いたようで、

「え? モンスターの言葉、分かるのかい?」
「全部ではありませんが……」

 は〜っと感嘆を漏らした後、ぼたんははっと真面目な顔になり、言った。

 

「っていうか、その子たち、もしかしなくても、蔵馬の子供? 蔵馬の子供が、『伝説の勇者』だったの?」