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<8 故郷>

 

 

 

「ここが……」
「御祖母様の故郷……なのか」
「ふは〜……」

 碧と紅光、それに狐鈴も一緒になって、ぽかんっとしてしまったのも無理はない。
 そこはおおよそ、今まで訪れたどの国とも村とも違っていた。

 

 大国でもなければ、オアシスでもない。
 港町でもなければ、街とは程遠い。
 だが、単純に田舎と言ってしまうことも出来ない。

 例えるなら……物語に出てくる、物の怪か妖精の隠れ里のような。

 

 

 

 

 まずは場所が問題だった。

 

 寵から、光の教団アジトの大神殿のある島に潜り込めそうな場所を聞いたはいいが。
 よくよく確認してみると、其処は波こそ打ち付けていないため、近づくことは出来るけれど、とても船から登って上がれる所ではないらしい。

 崖の高さと鼠返しのようになった頂上部分を考えると、ロッククライミングも無理。
 身体を浮かせるような魔法は、碧も紅光も知らなかった。

 

 

 せっかく前に進めそうだったのに……落胆する碧は、ふと銀色が顔をしかめていることに気づいた。

「何かいい方法でも浮かんだのか?」

 ついでに、あんまりその方法を使いたくないことも、察してはいた。
 しかし、口にはしない。
 嫌悪していること自体、触れられたくなさそうだったから。

 

「……まあな」
「今すぐ出来る?」
「無理だな……要るものがある」
「それは何処に行けば、手に入れられるのだ?」

 紅光もまた、期待に満ちた眼差しを向ける。
 狐鈴も同じ思いだった。
 会ったことがなくたって、助けたい気持ちに変わりなど、あろうはずがない。

 そして、それは。
 銀色だって同じこと。

 

 

 

「……俺の故郷だ」

 溜息をつきながら、吐き捨てるように言う銀色。

「お父さんの?」
「銀色さんの故郷……ということは」
「……御祖母様の故郷か」

 闇の世界によって攫われた祖母。
 愛する男への想いを一族に反対され、カケオチした女性。

 父・蔵馬の……知らぬ内にしていた、一番最初の旅の動機。

 

 

「でも、ずっと戻ってないんだよね? お父さん」
「まあな」
「何故だ?」

「基本的に、保守的で閉鎖的な一族だ。外に出て行った者は、罪人扱いされている。戻る気にもなれない」
「じゃあ戻ったら、投獄とか?」
「それはない。言っただろう、「罪人扱い」だとな」

 つまり、暗黙の了解というやつだろう。
 一度出た以上、戻ってくるなという……しかし、戻ったところで、実際に罪が科せられるわけでもない。

 

 

 まあ、あたたかい気持ちで受け入れてくれるとは思えない、そんなところか。

 だが、戻っても銀色に直接的な被害がないのならば、是非ともお願いしたいところ。
 それに隠し事のうまい銀色が、あえて表情に出したのだから、特別拒否しているわけでもない。

 ただ……自分から言い出したくはなかったようだけれど。

 

 

 

 

 そして、再び船に乗り――幽助らからの援助により、小型ながら専用の船が用意できた。しかも、少人数でも舵がとれるタイプなので、5人だけの航海が可能な船である――大陸を大きく廻って、辿り着いたのは。

 海から続く洞窟だった。

 

「これは……」
「此処にある…と分かっていなければ、とても気づけそうにないな」

 紅光がそう言うのも無理はなかった。
 何せ、船の先端が洞窟にさしかかるまで、皆、崖にぶつかるのではと、内心ひやひやしていたくらいである。
 銀色がいたって平然としていたので、口にはしなかったが。

 

 

 洞窟内は、船がゆったりとおさまるほどの川幅があったため、降りることなく、そのまま進む。
 試練の洞窟とは地形の違いもあるにせよ、随分と雰囲気が異なっていた。

 何処か、そう……神秘的な空気さえ漂っている。

 

「水がキラキラ光ってるよ、碧兄ちゃん」

 甲板の手すりから身を乗り出していた狐鈴の言葉に、見下ろしてみれば、なるほど確かに光っている。
 だが、船からの光の反射ではなさそうだ。
 一体どういうことなのだろうか。

 ちらりと見た銀色は、いつもの表情で舵をとっていた。
 つまりこの状況は、彼が一族の里を出た時から変わっていないということになる。

 

 

「銀色。これって、どうしてか分かる?」
「知らん。元々外界に通じるこの洞窟は、一族でも長老格のみに伝わるものだからな。里のほとんどの者たちは、存在さえ知らなかった……お前たちの祖父が、偶然迷い込んでくるまではな」

「へえ? 父さんの親父さん、此処を目指してきたわけじゃなかったのか」
「ああ、偶々らしい。そして、生き倒れていた所を、俺の姉が拾った。後は以前話した通りだ」

「ふうん……」

 

 そして、2人は恋に落ちて。
 しかしそれは、誰にも許されなくて。
 里を出た。

 銀色は1人になった。

 そう思うと、少し切なくなる。
 でも、申し訳ないとは思わない。
 だって、それは、自分も両親も祖父も祖母も、皆を否定することだ。

 それはしたくなかった。

 

 

 

「では、銀色さん。あれが何かも分からないか?」

 船首で前を見ていた紅光が、振り返った。
 その先には……どう見ても、自然のものでない、扉があった。

 しかし、つい最近のものとは到底思えない。
 むしろ、「大昔」という言葉が、ぴったりと当てはまりそうな遺跡だった。

 

 

「ああ。洞窟が一族中に知れ渡った後も、あの扉のことだけは、誰も話したがらなかった。長老連中は知っていたようだがな。俺も興味が無くてな。深く調べようとは思わなかった」
「そうか……」

「兄さん? 何かあったのか?」

 女装は続けているが、他人のいないこの船の上ならば、「兄」と呼んでいる碧。
 駆け寄ってみると、彼の瞳は紅く光っていた。

 

 

「いや……声がした」
「え?」

「【もっと後で来い】……だそうだ」

「それって……モンスターの声?」

 狐鈴が聞いたが、紅光は首をひねるばかり。

 

「いや……リオたちのとは、少し違う気がするが」
「何なんだろうね。あの扉の先にあるのは……」

「…………」

 子供たちが見つめる中、船は扉の前を素通りし、更に奥へ奥へとのぼっていった……。

 

 

 

 

 そして。
 船が通れなくなるまで川幅が狭くなったところで下船し、歩くこと幾日。

 とんでもない山奥の、更に奥地。
 周囲を切り立った崖に囲まれている上、高さも険しさも半端でなく、白い岩肌を見る限り、植物さえ生えない環境のようである。

 銀色の先導で進むのも、細く険しい獣道。
 だが、おそらくは、これ以外に道はないのだろう。

 完全に陸の孤島。
 あの洞窟の存在を知らなければ、まず辿り着くことなど出来まい。
 グランバニアの誰もが、祖母の故郷を知らなかったのも、頷ける。

 

 

 だが、道もすごければ、村自体もすごかった。

 絶壁に囲まれた、一際巨大な険しい山。
 細長いそれ自体が、村となっている。

 洞窟を繋いで道を造り、急斜面が緩やかになっているところを選んで、通路と家が並んでいる。
 なかには、洞窟に埋め込む形になった家まで。
 しかしそのどれもが、この過酷さでも、廃れることなく、安定した強度を持っていた。

 

 

 エルヘブンという名のそこは、言うまでもなく、銀狐の隠れ里。
 よって、当然のことながら、暮らしているのは、皆、銀狐。
 銀の髪を持ち、銀の耳と尾。

 この村の不思議な空気は、そんな民族の違いもあるのかもしれない。

 狐鈴も銀狐の血をひいていることになるが、白狐の血が入っているだけに、若干色が異なっていた。
 碧も似てはいるけれど、やはり何処か違う。
 銀色は碧の容姿は蔵馬からと言っていたが、もしかすると梅流の方に、別の「狐」がいるのかもしれない。
 今は興味のないことだけれど。

 

 

 

「行くぞ」
「あ、うん……それで、何処にあるんだ? あの島に上陸するためのものは」

 こんな山にこれだけの文化を形成出来るのだから、それだけ使えば、大神殿のある島にも上がれる可能性は十二分にある。

 

「昔住んでいた家の隣に爺さんがいる。そいつが持っているはずだ」
「そっか」

 此処へ入ってから、やはり銀色の機嫌はあまりよくない。

 だが、それは碧たちも差して変わりはしなかった。

 

 何せ……さっきから、すれ違う人すれ違う人、皆ひそひそと囁きあっているのだ。
 明らかに、歓迎されていない眼差しで。

 リオがモンスターだから…というのもあるだろうが、視線の大半は紅光に向かっている。
 この中で、ぱっと見、「狐」でないのは、彼だけだ。
 むしろ、モンスターよりも目立つ存在なのだろう。

 まあ、急に襲ってきたりしない分、まだマシだろうけれど。

 

 

 

「銀色さん」
「何だ、紅光」
「御祖母様は、貴方の姉なのだろう? その家というのは……」
「彼女の家でもあるか? …と聞きたいのか?」

 紅光は頷いたが、

「生憎違う。彼女は特別扱いされていたから、山頂の社に住んでいた」
「社?」
「あれだ」

 指さしたのは、遙か山のてっぺん。
 そこには確かに他とは違った雰囲気の建物がある。
 綺麗だけれど……何処か冷たい印象を受けた。

 

 

「そうか……」
「行きたいならば、行けばいい。歓迎はされんだろうが、別に危害を加えようとはせんさ」

 銀色本人に行くつもりはないのだろう。
 拒否の色を滲ませた言葉に、どう返そうかと悩んだ、その時だった。

 

 

 

「蔵馬様……ですか?」

 問われた声に、全員が振り返った。
 誰かが近づいてきているのは、察していたけれど。

 その言葉が予想の範疇外だったから。

 

「え? え?」
「何処に父さんが!?」
「落ち着け、紅光、碧……『蔵馬』はお前の父親の名前だが、俺の名でもある。姉が俺の名をとってつけた名だ」
「そう…なんだ」

 そういえば、銀色の本名を聞いたことがなかった。
 狐鈴は『お父さん』としか言わないし、リオも『銀色さん』と呼んでいるので、深く考えたことがなかったのだ。

 

 

「あの〜…」
「何だ」

 声をかけてきたのは、若い女性だった。
 もちろん、銀狐で。
 少しおどおどした眼差しだったけれど、敵意や殺意はなかった。

 

「はい……あの、蔵馬様、ですよね?」
「ああ……そうだが?」

 それがどうしたと言わんばかりの銀色に、女性は小さく悲鳴を上げかけた。
 ただでさえ長身で目つきが鋭いのに、威圧的な空気がバリバリに滲み出しているのだ。
 どうも、初対面ではなさそうだが、彼のことをよく知らなければ、碧たちだって怖いかもしれない。

 

 

「そ、その……長老様たちがお呼びなのです……どうぞ…社まで……と」

 それだけ告げると、女性は大慌てで走り去っていった。