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 ……それから、グランバニアはしばらく、いい意味で混乱気味だった。

 

 何せ、『伝説の勇者』が現れたのである。

 勇者を切望していたのは、碧たちの父母に限ったことではない。
 世界をモンスターから、闇の世界から救ってくれるのだと、皆が皆して、待ち望んでいたのだ。

 それが自国から、しかも王子から現れたのだ。
 もはや、落ちついていろという方が無理がある。

 

 それでも、その喜びは国内に留めなければならない。

 もしも、闇の世界にカンづかれでもしたら、即座に碧はあの世生きである。
 ただでさえ、幾年も前から、身分の高い男子がモンスターに誘拐される事件が相次いでいるのだから。

 グランバニアでは、今のところそのような現象は起きていない。
 おそらく、この『剣』が守ってくれていたのだ。
 城壁だけで守れるのならば、その外へ遊びに行っている碧を守れたわけがない。

 

 だが、実際に勇者が現れたとなれば、闇の世界も全力で奪いに来るに違いない。

 大叔父は全国民に働きかけ、勇者を失わないため、国外には決して伝えぬよう、必死に取りはからってくれた。
 おかげで、碧が『伝説の勇者』であることは、国外に広まることは少なくともなかった。

 

 

 ……正確に言えば、「広まらなかった」だけで、国外の人間が一人も「知らない」でいるわけではないのだが。

 

 

 

 碧が剣を手にしてから数日経った頃、蔵馬と梅流の知人だと言って、尋ねてきた銀色の青年。
 幼い息子を引き連れた彼を、もちろん城の皆は最初警戒していた。

 だが、警戒心強く、余所者は決して招き入れないリオたちモンスターが、喜んで迎えたのである。
 入国許可を求めてきた際の書を見ると、確かに以前、蔵馬と梅流に宛てた手紙の一つと同じ筆跡でもあった。

 

 おそらくは本物なのだろう。
 少なくとも、「知人」だということは。

 とはいえ、ただでさえ怪しいのに、普通の人でない姿――狐のような耳と尾がある――であるが故、国の中に入れることは、大叔父らも躊躇い、蔵馬の昔の家来である壮年の男性宅を宿として貰った。
 王の知人に対するものではないが、本人は特に気にした様子もなく、数日で出て行くとだけ告げ、本当に数日間だけの滞在で出て行ってしまった。

 

 ……その間に、碧や紅光がこっそりと尋ね、自分たちのことを全て暴露していたことは、大叔父たちにとって知るよしもないことだろうけれど。

 

 

 

「勇者? お前が?」
「ああ。ほらこれ、抜けた」

 ひょいっと何でもないように、抜き身の『剣』を差し出すと、銀色と名乗った彼は、ほんの少しだけ驚いたようだった。
 だが、大叔父たちに比べれば、その驚きは大したことはなく、その後の反応も、

「そうか」

 だけであった。
 拍子抜けした反面、ほっともした。
 何せここ数日、騒がれすぎて疲れていたから。

 だが、同時に一抹の寂しさのようなものを覚えたのも事実で。
 国外の人にとっては、大した問題ではないのかと思った途端、

 

「すっごーい! お兄ちゃん、すごいよっ!!」

 と、連れていた子供――狐鈴というらしい――が叫んだ時には、やっぱりちょっと嬉しかった。

 

 

 

「ならば、明日にでも俺は家に帰る。お前が真の勇者なら、渡す必要があるからな」
「何を?」
「『盾』だ。うちの家宝だが、『勇者』の使っていたものらしいからな」
「!」

 思いがけないとんとん拍子。
 あまりにも上手くいきすぎている気がするが、彼が嘘をついているようには見えない。

 ちらりと見やったリオらも、何の警戒心も訝しげな様子も見せてはいなかった。

 

 

「じゃあ、お願いします」
「ああ。旅立つなら、俺たちが戻るまで待っておけ」
「「…………」」

 見抜かれていた。
 全て。
 何だか、面白くない。

 少しふくれっつらになった碧と紅光に、銀色はくくっと笑った。

 

 

「お前たち面白いな。若い頃の薔薇によく似てる」
「薔薇?」
「誰のことだ?」

「お前たちの父親。俺はそう呼んでる」

 薔薇みたいな赤毛だからな。
 そう言われて、はっとした。

 自分たちは……両親の顔どころか、髪の色も知らなかった。

 

 

 

「? どうしたの?」

 狐鈴に問われ、紅光が言う。

「いや……髪の色なんて、教えて貰ってなかったからな」
「大方、お前ら2人ともが、親と違う色をしているからだろう。下らないことを考える連中は、何処にでもいる」

「「…………」」

 言いたいことは何となく分かる。
 全ての子供が、親と同じ色の髪になるとは限らない。

 けれど、双子のうち2人とも違うとなると……血の繋がりを疑われることもあるのだろう。
 疑っていない人たちだって、余計な誤解を招かないように、口を閉ざしたとしても不思議はない。

 

 

「ってことは、母さん何色だったんだ?」
「黒だ。だが、お前の髪の白銀色は、母方だろうな」
「? 何で分かるんだ?」

「薔薇の血筋にはいない。グランバニアに『伝説の勇者』の血筋がなかったことは、調べ済みだ。その時ついでに、大体の系統を調べたが、金や銀ならばともかく、白銀色の髪になるような人種はいなかった」

 

「いつ? どうやって?」
「薔薇が生まれたと知った時にな。その剣、預けたついでに」

「……ついで£度で出来ること?」
「凡人と一緒にするな。造作もない」

 ふんっと尊大に言うが、それが似合っているから、おそろしい男だと思った。

 

 

 

「だが何故だ? 何故、わざわざ父の家系を? 『伝説の勇者』を求めるなら、父の家系でなくてもいいだろう?」
「……まあ、今更黙っておく必要もないが」

 聞いた話は、これまた驚きの連続だった。

 

 彼の姉が、父の母……行方不明となっている、自分たちの祖母であったとは。
 しかも、滅んだと言われていた銀狐で。
 それも滅んで等なく、生き残りがおり、彼女はその中でも強い力を持っていたという。

 そんな祖母の息子なのだから、勇者かも知れないという淡い期待を込めて、家系を調べたとしても不思議はない。

 大叔父や家臣たちも、色々教えてはくれたけれど、今ひとつはっきりしない部分が多く、今日まで知らないことだらけだった。
 銀色はひたすら開いていた穴を塞いでくれたのだ。

 

 

 

「なら、碧の獣耳や尾は、貴方の一族のものか?」
「多分だがな。梅流の方の家系に、他の『狐』がいる可能性も、ゼロではないからな」

「分からないのか?」
「孤児らしい。行方不明になっていると知って、少し調べたが、兄たちも生まれは知らないらしいからな」

「え? 兄? 母さん、兄がいるのか?」
「ああ。白狐の兄が2人な。サラボナの近くだ。機会があれば、会いに行けばいい」

 

「へえ……あ、じゃあ、兄さんの金髪は?」
「グランバニアの先々代が同じ色だ。というより、この国の王位継承者は金髪が多いようだがな。むしろ、赤毛の薔薇の方が珍しいだろう。ただし」

 一度言葉を切って、銀色は言う。

 

「お前の目は、碧の獣耳等と同じく、俺たちの家系だ。今は碧眼だが、緋色になることがあるだろう」
「私の目……」

 否定しないのが、肯定の証だった。
 元より、紅光も隠すつもりはない。

 銀色は続ける。

 

「感情の高ぶりによって、色が変わる瞳。それも決まって、碧眼から緋色になる……それは銀狐一族でも、極まれにしか発動しない、先天性特殊能力、『緋の目』だ」
「緋の目……一体、どんな力が?」

 何もないとは言わせない。
 うっすら赤みを帯びた瞳で、紅光は銀色に詰め寄った。

 

 

 

「気づいていないのか? お前が緋の目になった時、周囲で変化があるだろう」
「変化……」

 しばらく考えたが、これといって変化らしいものは思いつかない。
 首をふると、銀色は呆れたように溜息をつき、

「少し手合わせするか」

 そう言って立ち上がり、近くにあったホウキを手に取った。

 

「お前は真剣でいい」
「…………」

 つまり、ホウキと真剣でも勝てると言いたいのだろう。
 流石の紅光もムッとし、携えていた剣を抜いた。

 力量の差は分かっている。
 放っているオーラが、並ではないから。

 だが、逃げたくなかった。

 

 

 

「はあっ!!」

 両刃の剣で斬り込んでいるにもかかわらず、その全てを銀色はホウキと素手で受け止めていた。
 受け流してすらいない。
 刃を本当に受け止めていたのだ。

 そのことが余計に紅光の神経を逆撫でする。

 

「だああっ!!!」

 体重を載せた一撃。
 ほとんどの人間もモンスターも、昏倒どころか絶命を余儀なくされそうなそれを、やはり銀色は片手で止めてしまった。

 だが、紅光がその驚愕冷めやらぬ内に、

 

「リオ、喋ってみろ」

 

≪え? 何をですか?≫

 

「!!?」

 

 突然聞こえた音……それは、聞いたことのないものだった。
 声色がというのではない。
 確かに「言語」なのに、「声」として聞き取った気がしなかったのだ。

 驚きのまま、ゆっくりと発信源を見つめる。

 いつものように、見慣れた獣がこちらを見上げていた。
 その木賊色の瞳に映る自分は……緋の目をしている。

 

「……リオ?」

≪何? ピカくん≫

 気のせいではない。
 それは間違いなく、本来声を発するはずがないモンスターから聞こえていた……。

 

 

 

「分かったか? 緋の目は、モンスターなどの邪心に反応する力。かつては邪心を消し去るものだが、そこまでの力が発動する者はほとんどいない。薔薇もモンスターを仲間に引き入れるくらいだったし、お前の場合は、言葉が分かるくらいだろうな」

 言いながら、ホウキを戻そうとした、その時。
 彼の手はほとんど反射的に、ホウキを構えなおしていた。

 

「何だ?」

 『伝説の勇者の剣』を受け止めながら、銀色は答えの分かっている問いをした。

「決まってるだろ……兄さんだけなんて、ずるい。俺もやる」
「……いいだろう」

 

 

 

 

 ……その夜、城壁外のその家は、とてもとても賑やかであった。

 何度挑んでも勝てなかったけれど。
 それでもいい経験になった。
 いずれ出会う父との戦いの予行演習になった気分だった。

 

 

「強いな、お兄ちゃんたち。かなわないや」
「お前いくつだよ。年下のお前に負けてたら、俺の方が落ち込むよ」

 また、狐鈴との組み手は、まるで弟が出来たようで楽しかった。

 双子というものは、あまりに近くて、感情的に上下の差がない。
 年下の兄弟というものは、こうも可愛いものなのかと、思わず溜息が出た。

 聞いたところ、双子の妹がいるらしい。
 親戚なのだし、狐鈴の妹ならば、きっと可愛い子だろう。
 なかなか他人に興味を抱かない2人が、揃って、一度会ってみたいなと思っていた。

 

 

「……リオ」
≪何、ピカくん≫

「よし、聞こえた。もう一度だ……」
≪……は〜い……≫

 紅光は何度も緋の目になったり戻ったりと、感情に左右されず、自力で緋の目を発動させる特訓をした。
 いつでもモンスターの声が聞ければ、旅にこれ以上便利なものはない。
 一晩中、リオに付き合わせて、何とか4割くらいの確率で発動に成功した。

 

 

「次に来る時までに、完璧にしておけ。碧はもう少し基礎練習をな」

 そう言って、去っていった銀色と狐鈴。
 見返すために、次の日から碧も紅光も必死に特訓を重ねた。

 特に、面倒なことは嫌いだけれど、負けず嫌いな一面もある碧の努力は生半可ではなく、城の誰もが感心を通り越して、何かの前触れではないかと、口々に噂した。

 

 最も、それは間違いではない。

 次に銀色が来たら、『剣』と『盾』を持って、旅立つ。
 どちらが言うでもなく、そう決めていたのだから。

 

 

 

 

 当然、数ヶ月後のその時になってみれば、大叔父はじめ、家臣たちにも大反対されたけれど。

 それでも出発を許されたのは、内心、彼らも必死だったのだろう。
 もはや、王と王妃を取り戻せるのは、王子たちしかいない。

 そんな気持ちだったのだ。

 

 当たり前のように、数多くの兵士たちが同行を申し出たが、もちろん全て断った。
 ぞろぞろと出かけるのは趣味ではないし、彼らでは「王子」であることを意識して、少しでも危険と判断すれば、すぐに引き返してしまいかねない。

 それでもしつこく食い下がってきた連中を、さてどうしようかと思っていた紅光の目に入ったのは。
 城に入るのは面倒だと、城壁の外で『天空の盾』を手に待っている銀色の姿。

 

「あの人に勝てたら、考えても良い」

 一瞬の沈黙。
 そして、次の瞬間には、手に手に剣や槍を携え、皆が決死の表情で銀色に立ち向かっていった。

 

 

 ……結果は言うまでもないけれど。

 それも、後々面倒を背負いたくないと、誰一人殺していないし、怪我すらさせていない。
 完全に意識だけを飛ばされていた。
 明日には何事もなかったかのように目覚めるだろう。

 

 その様と、『伝説の勇者』が纏っていた『天空の盾』を持参したことで、大叔父たちは銀色を信じることにしたらしい。
 完全に信用したかどうかは定かでないが、彼がずっと同行してくれることを条件に、碧たちのみの出発を快諾したのだった。

 あまりの強さと威圧感に、何も言えなかったともいうかもしれないが……。

 

 

 

「自分の身は自分で守れ」

 小さくそう言われていたことは、皆には黙っておいた。