番外編
〜ひとときの安らぎ〜
「薔薇(そうび)のことは覚えているな?」 問われて、わたしはこっくり頷いた。
薔薇というのは、お父さんとお母さんのお友達の渾名だ。 どうして名前が一緒なのかは、薔薇さんは知らないらしいけれど、お父さんは分かってるって言ってた。
「蔵馬」というお父さんの名前を、お父さんのお姉さん……わたしたちからすれば、伯母さまに当たる人がすごく気に入っていて。
自分に男の子が生まれたら、名前を貰ってもいいかって。
……その伯母さまは、何年も前、お父さんがまだ子供だった頃に、好きな男の人が出来て。 カケオチした先が分からないわけじゃない。 グランバニアっていう大きな国で、カケオチした相手はそこの王様。
でも……伯母さまは、そこから何者かに攫われてしまったんだ。
お父さんはもう何年も、伯母さまを見つける旅をしている。 吟遊詩人という表の職業と、盗賊という裏の職業を使い分けながら。
そして、お友達の薔薇さんも――お父さんから見たら、甥にあたるのかな? わたしたちからしたら、従兄弟かな?――同じ目的を持って、旅をしているらしい。 協力した方がいいのに、何でって聞いたら、まだ早いとしか、教えてくれなかった。 わたしには、よく分からなかったけど。
「その……薔薇さんがどうしたの?」 「!?」
薔薇さん。 話でしか知らないけれど。
そうだ。 でも、そのことを最後に、手紙が途切れたって……そんな、そんなことになっていたなんて!!
「グランバニアに行って、はじめて分かったことだがな。流石に向こうの噂は、山をなかなか越えないようだ」 おそるおそる尋ねる。 無意識に握った拳に力が入っていた。
「い、痛いよ、狐白!」 手元を見たら、握っていたのは、他ならぬ狐鈴の腕で。
「痛い? 痛い? ごめんね、狐鈴」 「それくらい、どうということはないだろう。薔薇の息子たちと散々やりあった時の方が酷かった」 少しからかうようなお父さんの声。 「じゃあ、薔薇さんたちの子供は無事だったんだね」 ほっと胸をなで下ろした。
「ねえ、どんな子たちだったの?」 わくわくしながら問いかけた。 だって、お父さんの甥の子供なんだもん。
「ぼくらよりちょっと年上でね。紅光と碧っていうんだ。だから、ピカお兄ちゃんと碧兄ちゃんって呼ばせてもらってるよ」 狐鈴の笑顔に、わたしも嬉しくなった。 狐鈴もわたしも、誰かを傷つけたりするのは大嫌いだけれど、組み手とかお互いの強さを実感出来る勝負は好きだ。 皆が「楽しい」って思える空気が、大好きだから。
「それでね、碧兄ちゃんすごいんだよ! 『伝説の勇者の剣』を使えたんだ!」 狐鈴の言葉に、わたしは一瞬ぽかんっとしてしまった。
『伝説の勇者』もその人の『剣』も、知ってる。 いつか、勇者に手渡すために。 お父さんにも、薔薇さんにも、誰にも装備出来ない剣。
……それが装備出来たってことは……。
「じゃあ……その、碧兄ちゃんが、伝説の勇者?」
どくんっと胸が熱くなった。 だって、もし本当なら……。
「じゃあ、狐鈴、もう旅に出なくていいの!?」 ドキドキを抑えて叫んだ。
だって、狐鈴がお父さんと旅をしているのは。 その伝説の勇者のためだったから。
……忘れもしない。 お父さんがまだ1人で旅をしていて、わたしとお母さん、御祖母様と曾御爺様、それに狐鈴でお留守番をしていた時。
突然、襲ってきたモンスターたち。 わたしでもお母さんでも、他の誰でもなく、明らかに狐鈴だけを狙っていた。
たまたま帰ってきてたお父さんが撃退してくれたけれど。 お父さんが白状させたら、モンスターたちは『伝説の勇者』を探しているって。 勇者の末裔が何処にいるのか分からないから、とにかく身分の高い男の子を攫っているんだそうだ。 サラボナの大富豪。
だから……お父さんは狐鈴を連れて、旅に出た。 少なくとも、わたしは女の子だから大丈夫だろうって。
本当は留守番なんて嫌だった。 だって、生まれた時から……ううん、生まれる前から、ずっと一緒なんだもん。
でも、まだ小さかったわたしたち2人を連れての旅は、お父さんでも難しいって。 何より、わたしも一緒に行ったら、お母さんが1人になっちゃう。
だから、お父さんは狐鈴だけを連れて行った。 戻ってこられるのは、年にほんの何度かだけ。 それまで、手紙もほとんどやりとり出来ずに。 いつもいつも、わたしとお母さんは待っているだけだった。
寂しくないわけ……なかった。
だから、本物の『伝説の勇者』が見つかって、狐鈴が間違われることがなくなったんなら……。
……けど。
「いや、それは無理だ」 お父さんがすっぱり否定してしまった。
「……ダメなの?」 言われた言葉に、わたしは何も言えなかった。 碧兄ちゃんが『伝説の勇者』なんだとしたら、それは絶対に闇の世界には知られちゃいけない。 だからむしろ……分からずにいる方がいい。 でも、
「じゃあ……狐鈴はずっとずっと旅をしないといけないの?」 このままいつまでも。
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