番外編

 

〜ひとときの安らぎ〜

 

 

 

「薔薇(そうび)のことは覚えているな?」

 問われて、わたしはこっくり頷いた。

 

 薔薇というのは、お父さんとお母さんのお友達の渾名だ。
 お父さんと名前が同じだから、向こうはお父さんのことを「銀色」、お父さんたちは「薔薇」と呼んでいる。

 どうして名前が一緒なのかは、薔薇さんは知らないらしいけれど、お父さんは分かってるって言ってた。

 

 「蔵馬」というお父さんの名前を、お父さんのお姉さん……わたしたちからすれば、伯母さまに当たる人がすごく気に入っていて。
 昔言っていたらしいから。

 

 自分に男の子が生まれたら、名前を貰ってもいいかって。

 

 

 

 ……その伯母さまは、何年も前、お父さんがまだ子供だった頃に、好きな男の人が出来て。
 銀狐一族の皆に反対され、受け入れてもらえないからって、カケオチして。
 その後、行方知れずになってしまった。

 カケオチした先が分からないわけじゃない。
 そこは一族中、皆知っていた。

 グランバニアっていう大きな国で、カケオチした相手はそこの王様。
 だから、薔薇さんは王子様だ。

 

 でも……伯母さまは、そこから何者かに攫われてしまったんだ。

 

 お父さんはもう何年も、伯母さまを見つける旅をしている。

 吟遊詩人という表の職業と、盗賊という裏の職業を使い分けながら。

 

 

 そして、お友達の薔薇さんも――お父さんから見たら、甥にあたるのかな? わたしたちからしたら、従兄弟かな?――同じ目的を持って、旅をしているらしい。
 でもお父さんは、薔薇さんには、お父さんの正体も、伯母さまのことも伝えていないみたいだけど。

 協力した方がいいのに、何でって聞いたら、まだ早いとしか、教えてくれなかった。

 わたしには、よく分からなかったけど。
 一度はぐらかせたら、お父さんは何言ったって、答えてくれないから。

 

 

 

 

「その……薔薇さんがどうしたの?」
「故郷へ帰ったという知らせを最後に、手紙がなかったが、理由が分かった。行方不明らしい。黒髪の梅流も一緒にな」

「!?」

 

 薔薇さん。
 そして、その奥さんの……黒髪の梅流さん。

 話でしか知らないけれど。
 とっても強くて、しっかりしていて。
 何より、白狐も銀狐も全然気にしない、素敵な人たちで……。

 

 そうだ。
 わたしたちが生まれるより、ずっとずっと前に貰った……最後の手紙で、妊娠したって言ってたから。
 わたしと狐鈴よりも年上の子供がいるはずで。

 でも、そのことを最後に、手紙が途切れたって……そんな、そんなことになっていたなんて!!

 

 

 

「グランバニアに行って、はじめて分かったことだがな。流石に向こうの噂は、山をなかなか越えないようだ」
「じゃ、じゃあ子供は?」

 おそるおそる尋ねる。
 まさか……。

 無意識に握った拳に力が入っていた。

 

「い、痛いよ、狐白!」
「あ、ごめんっ」

 手元を見たら、握っていたのは、他ならぬ狐鈴の腕で。
 広げたら、少し爪痕が残ってる。

 

 

「痛い? 痛い? ごめんね、狐鈴」
「だ、大丈夫だよ。平気平気」

「それくらい、どうということはないだろう。薔薇の息子たちと散々やりあった時の方が酷かった」

 少しからかうようなお父さんの声。
 ってことは、

「じゃあ、薔薇さんたちの子供は無事だったんだね」
「ああ。向こうも双子だったらしい。男のな」
「よかった〜」

 ほっと胸をなで下ろした。
 だって、子供たちまで行方知れずになってたら……最悪、生まれる前に行方知れずになっていたら……あんまりだ。

 

 

 

「ねえ、どんな子たちだったの?」

 わくわくしながら問いかけた。

 だって、お父さんの甥の子供なんだもん。
 ちょっと遠いけれど、親戚みたいなものだ。
 とっても興味ある。

 

「ぼくらよりちょっと年上でね。紅光と碧っていうんだ。だから、ピカお兄ちゃんと碧兄ちゃんって呼ばせてもらってるよ」
「わ〜、綺麗な名前だね!」
「うん! 2人ともね、すっごく綺麗な人だったよ! とっても強かったし!」

 狐鈴の笑顔に、わたしも嬉しくなった。

 狐鈴もわたしも、誰かを傷つけたりするのは大嫌いだけれど、組み手とかお互いの強さを実感出来る勝負は好きだ。
 たとえば、かけっことか鬼ごっことか。
 大きな怪我をしないものなら、魔法の勝負だって楽しい。

 皆が「楽しい」って思える空気が、大好きだから。

 

 

 

「それでね、碧兄ちゃんすごいんだよ! 『伝説の勇者の剣』を使えたんだ!」
「……え?」

 狐鈴の言葉に、わたしは一瞬ぽかんっとしてしまった。

 

 『伝説の勇者』もその人の『剣』も、知ってる。
 かつて世界を救った勇者さんのことで、その剣っていうのは、薔薇さんが持っているものだ。
 元々、お父さんが持ってたもので、薔薇さんのお父さんに渡したもの。

 いつか、勇者に手渡すために。

 お父さんにも、薔薇さんにも、誰にも装備出来ない剣。
 きっとやってくる勇者を、いつまでも待ち続けている……。

 

 ……それが装備出来たってことは……。

 

 

 

「じゃあ……その、碧兄ちゃんが、伝説の勇者?」

 

 どくんっと胸が熱くなった。

 だって、もし本当なら……。

 

 

「じゃあ、狐鈴、もう旅に出なくていいの!?」

 ドキドキを抑えて叫んだ。

 

 だって、狐鈴がお父さんと旅をしているのは。
 わたしとお母さん、御祖母様と曾御爺様だけで、留守番をしているのは。

 その伝説の勇者のためだったから。

 

 

 

 ……忘れもしない。
 幼い頃の記憶で、一番鮮明に覚えてる。

 お父さんがまだ1人で旅をしていて、わたしとお母さん、御祖母様と曾御爺様、それに狐鈴でお留守番をしていた時。

 

 突然、襲ってきたモンスターたち。
 たくさんいた彼らは。

 わたしでもお母さんでも、他の誰でもなく、明らかに狐鈴だけを狙っていた。

 

 たまたま帰ってきてたお父さんが撃退してくれたけれど。
 ただのモンスターにしては、態度がおかしかった。

 お父さんが白状させたら、モンスターたちは『伝説の勇者』を探しているって。
 そして、勇者はその血族の末裔と、高貴な身分の者の間に生まれる男の子らしいって。

 勇者の末裔が何処にいるのか分からないから、とにかく身分の高い男の子を攫っているんだそうだ。

 サラボナの大富豪。
 高貴な身分としては申し分ないって。

 

 

 だから……お父さんは狐鈴を連れて、旅に出た。

 少なくとも、わたしは女の子だから大丈夫だろうって。

 

 

 本当は留守番なんて嫌だった。
 狐鈴と別れたくなかった。

 だって、生まれた時から……ううん、生まれる前から、ずっと一緒なんだもん。

 

 でも、まだ小さかったわたしたち2人を連れての旅は、お父さんでも難しいって。
 ただでさえ、盗賊として指名手配されているお父さん。
 狐鈴一人を護るだけで精一杯だって。

 何より、わたしも一緒に行ったら、お母さんが1人になっちゃう。
 お母さんも一緒に行くなら、4人の大所帯だ。
 忍ぶ盗賊としては、目立ち過ぎちゃう。

 

 だから、お父さんは狐鈴だけを連れて行った。
 御祖母様と協力して、できるかぎり、お屋敷に結界を張って、わたしたちの安全を確保して。

 戻ってこられるのは、年にほんの何度かだけ。

 それまで、手紙もほとんどやりとり出来ずに。

 いつもいつも、わたしとお母さんは待っているだけだった。

 

 寂しくないわけ……なかった。

 

 だから、本物の『伝説の勇者』が見つかって、狐鈴が間違われることがなくなったんなら……。

 

 

 

 ……けど。

 

 

「いや、それは無理だ」

 お父さんがすっぱり否定してしまった。
 期待していただけに、失望は大きかった。

 

「……ダメなの?」
「ああ。おそらく勇者に間違いはない。だが、確証があるわけではないしな。第一、闇の住人共は知らないことだ。知られるわけにもいかない」
「…………」

 言われた言葉に、わたしは何も言えなかった。
 確かにそうだ。

 碧兄ちゃんが『伝説の勇者』なんだとしたら、それは絶対に闇の世界には知られちゃいけない。
 知られたら、それこそ世界が求めている『勇者』は、すぐに消されちゃう。

 だからむしろ……分からずにいる方がいい。

 でも、

 

「じゃあ……狐鈴はずっとずっと旅をしないといけないの?」

 このままいつまでも。
 わたしは待つしかないの?