<8 出産>

 

 

 

 痛い……

 痛い痛い痛い

 痛い痛い痛い痛い痛いーっ!!

 

 心中ではそう思っているのだが、声に出なかった。

 というより、言葉が出てこない。

 

 息が出来ない。

 鬼婆と間違えた老婆を見上げた時にも、息が詰まったけれど、あの時とは比較にならない。

 

 息が出来ない上に、痛みが全身を駆け抜ける。

 今までどんなモンスターに攻撃を受けたとしても、これほどの痛みや苦しみを味わったことはなかった。

 

 

 

「奥方様! しっかりなさいまし!」
「息をしてください! ほら、ゆっくり吸って、ゆっくり吐いて」

 シスターたちの声が遠く聞こえる。
 意識がもうろうとしているらしいが、それよりも痛みの方が先立った。

 いっそ失神してしまいたいのに、それすら出来ない。

 いや、失神したら確実にあの世いき。
 それだけは絶対に避けねばならない。

 

 だが、そんなことすら、梅流の頭の中にはなかった。

 とにかく痛い、苦しい。

 そればかりであった。

 

 

 

 

 

「……難産なのか」

 下の階では、王が謁見の間を行ったり来たりしている。
 足元が土ならば、大きな溝が掘られていそうなくらいだ。

 

「蔵馬殿は……まだ帰還されないのかっ」

 苛々するのも無理はない。
 梅流の陣痛が始まって、もうかなりの時間が経過しているのだ。
 生まれるのも時間の問題……いや、いっそ生まれてくれた方が落ちつく。

 難産な上に、夫は不在。
 どれだけ梅流が心細く思っているか、痛いほど分かるだけに、自分で王位を譲ろうとしたのに、さっさと帰ってこない蔵馬に苛々しても仕方がないだろう。

 なまじ、自分が挑戦していないだけに、どれほどの困難なのかが、見当がつかないのだ。
 兄が挑戦して、数ヶ月帰ってこなかった事実など、今の彼からは綺麗さっぱり抜け落ちている。

 それだけ甥の嫁が可愛く、その子供達の誕生を心待ちにしているのだから、やはりいい人なのだろうけれど。

 

 

「ああ、蔵馬殿は一体……」
「王!! 蔵馬様がご帰還なさいましたっ!!」

「!!」

 天窓から見える見張り台の兵士の声に、王はがばっと顔を上げた。

 

「本当か!?」
「はい! 森の向こうに馬車の影が……あ、ああーっ!!?」
「どうした!?」

 兵士の返事を待つ必要もなかった。
 謁見の間の天窓に、段々と大きくなってくる影。
 馬車もモンスターも一緒くたになって飛んでくる。

 城に激突すると思われた直前に、馬車とモンスターだけが中庭に落ち、窓を開いて人影が舞い降りる。

 

 

「遅くなって申しわけありません。ただいま帰りました」

 軽やかに着地をしながら、蔵馬は王家の証を王に差し出す。
 ところどころに包帯が巻かれ、垣間見える傷跡は痛々しい。
 蔵馬ほどの手練れであっても、かなりのダメージであることは明白。
 王は先ほどまで自分の中にあった苛々を、酷く恥じた。

 

 

 

「いや、よくやってくれた……って、そんなこと言ってる場合ではない!」
「は?」
「もう生まれる! 陣痛が始まっておるのだっ!」

「!」

 流石の蔵馬も顔色を変えた。
 王の横をすり抜け、階段を駆け上がる。

 その姿に、一瞬広間にいた者はぽかんっとしてしまったが、次の瞬間には、

「いや、お若いですな」
「いい父親になられますよ」

 と、張り詰めた空気が切れたような、ほのぼのした雰囲気になったのだった。

 

 

 

 

 

 一方、梅流は蔵馬の帰還にも気づかず、未だ苦しみの中であえいでいた。

 痛みは酷くなるばかり。
 呼吸も苦しさを増して行く。

 生みたい。
 我が子を抱きしめたい。

 その気持ちは強いのに。

 

「はっ……はあ…は……」

「奥方様っ!!」

 何度目かになる産婆の平手。
 意識を失いかけるたびに、叩かれて、何とか起き続けた。
 それも間隔が酷く短い。
 陣痛が長引き、既に完徹ほどの時間、起きているのだから無理もない。

 出産体制に入った頃には、体力は底をつきかけていた。

 

 けど……。

 

 

 

(私を生んでくれた人も……こんな感じだったのかな……)

 

 ふと頭の片隅で思った。
 痛みで意識がぼうっとしているのに、そこだけ妙に冴えていた。

 今まであまり考えたこともないことなのに。

 

 

 

 ……梅流は、麓たちの妹。
 なくなった白狐の両親の子ども。

 だが、血の繋がりはなかった。

 

 梅流は物心つく前に孤児となったのだ。
 理由は知らない。
 亡くなったのか、それとも……。

 そのことを知ったのは……もう随分前だ。

 けれど、知ってからも知る前も。
 育ててくれた『両親』の愛情を疑ったことは、一度もない。
 実の子である兄姉たちと変わらぬ愛情でもって育ててくれた、優しい『両親』。

 

 

 生んでくれた人たちのことを悪く思ったことはない。
 だって、その人達がいなければ、梅流はこの世に生まれることが出来なかったのだから。
 でも、梅流にとっての『両親』は彼らじゃない。

 ずっと育ててくれた……梅流に愛情を教えてくれた、お父さんとお母さん。

 あの人たちこそ、間違いなく、梅流の『両親』。

 

 

 そう思っていたし、今でもそうだ。

 けど。

 

 

(ありがとう……生んでくれた……私をこの世に送り出してくれた人達……)

 

 今、心から感謝している。
 本当にありがとう、と。

 

 

 

 

 

 そして。

 

 

 ほぎゃほぎゃ…

 ほぎゃほぎゃ…

 

 

 

「梅流っ!!」

 蔵馬が駆けつけた、丁度その時。

 

 新しい命が誕生した。