「え? 王位を?」

 

 梅流がグランバニアで子供を産む決意をしてから、数日後のこと。
 彼女の体調が落ちついた頃になって、面会にやってきた蔵馬が、大事な話があると言ってきた。

 

 

 

 

 7.王に

 

 

 

 

「ああ。叔父上が俺に王位を譲りたいと言い出したんだ。父さんが亡くなった以上、王位を継ぐのは、息子の俺が妥当だろうと」

 言いながらも、蔵馬自身、少し釈然としないようだった。

 それはそうだろう。
 いくら蔵馬が王位継承者だといっても、赤ん坊の頃に旅に出て、つい数日前に帰ってきたばかり。
 国のことなど、ほとんど覚えていないし、王政だって分からないことだらけ。

 ましてや、国民にとって、自分は有能だった前王の『息子』というだけなのに。

 

 

「叔父上自身が、あまり国王に向いていないと思っているようなんだ。政治もほとんど大臣に任せているらしい。だが、それを不服とする者も多いらしいな」

 部下に任せきりの王では、支持と不支持が両極端で、いつ国が乱れてもおかしくないのだろう。
 今のところ落ちついているように見えるが、砂の上の城なのかもしれない。

 現にこの数日間で、国民の間では、親しまれていた前王の『弟』より、前王の『息子』の方が……という声も、珍しくないらしい。
 だが、大臣派として、甘い蜜を吸ってきた者にしてみれば、それは許し難いことで。

 

 内乱が起きる前に、地位を譲りたい。
 王の考えは、そこだった。

 逃げかもしれないが、戦うよりは犠牲は少なくてすむだろう。

 

 

 

 

「それと、叔父上が国民に認められないのは、もう一つ理由があるらしくてね」
「何?」

「代々グランバニア王になる者は、東の森にある試練の洞窟へ行き、王家の証をとってくる儀式があるそうだ。父さんは若い頃に実践し、成功した。だが、父さんがいなくなり、叔父上が継ぐ頃には、モンスターが増えて、儀式は危険と判断されたんだ」
「あ、つまり……王様は試練を受けていないってこと?」

 

 仕方ないことだと思う。

 王は、蔵馬の叔父は、決して悪い人ではない。
 庶民である梅流が蔵馬の妻と聞いても、心底喜んでくれたし、子供が生まれれば自分は大叔父だとはしゃいでいた。
 王家の住まいも何の迷いもなく提供してくれたし、まだ早いのに産婆の手配もすませ、周りの世話をさせるために、シスターたちにも声をかけてくれた。

 本当にいい人だ。

 

 だが、いい人であるのと、王としての素質があるのでは、全く違う。

 王はいい人すぎて、戦いには向いていないのだ。
 当然、試練の洞窟など不可能だろう。
 また大臣や官僚の間に挟まれるのも、向いてはいまい。

 ただでさえ、試練を受けずに王になったという、負い目があるのに、それ以上何を言えるだろうか……。

 

 

 

「グランバニアは帰ったばかりだけれど、俺の国だ。乱れるところは見たくない」

 亡くなった父、そして何処にいるか分からない母の国。

 旅に出た父は一度も故郷の話をしなかったけれど、それでも大切に思っていたことは確かだ。
 最愛の弟に、後を任せたことからも、よく分かる。
 当時はきっと有能な幹部を任命していただろう。

 大臣の任期を聞いたところ、父の居た頃にはいなかった人物だった。
 やり口も気に入らない。
 人のいい叔父を利用しているのは、火を見るよりも明らか。
 このまま野放しにはしておけなかった。

 

 

「もちろん、継いだからといって、旅を止める気はないよ。王位を継いで、政治体制を整えたら、すぐにでもね。時間はかかるだろうけど、その頃には子供も生まれるだろうから」
「あ……」

 にっこり微笑む蔵馬に、梅流は涙を堪えた。

 もう一緒には旅は出来なくなる。
 子供たちが大きくなるまでは。

 でもせめて。
 生まれるまでは、待ってくれるのだ。

 それがどれだけ、梅流にとって支えになるか……。

 

 

 

「蔵馬……」
「まあ、まずは試練が一番だけどね。だから、しばらくは留守にするけど」

「……大丈夫?」
「試練といっても、1人で行く必要はないようだよ。リオたちは連れて行くから」

 

 城内で暴れても困るので、付き人の彼の家に居させているモンスターたちは、ヒマさえあれば、門を跳び越えて、周辺のモンスター退治に勤しんでいる。
 おかげで、門番たちもすっかりヒマになってしまったけれど、それでも蔵馬が、

「彼らは言葉は通じるが語れない。人間の君たちが必要だ」

 と言ってくれたおかげで、路頭に迷うことはなかった。

 

 

「いつ出発するの?」
「季節的に、今はよくないらしい。だから、しばらくは此処にいるよ。王政についても勉強した上で、少し改革してみる。後、王家の書物も手がかりになるかもしれないしね」
「あ、じゃあ私も手伝うよ」

 安静にしていなければいけないが、全く動かずにいるのは、むしろお腹の子によくない。
 蔵馬は少し驚いたようだが、

「無理はしないこと。これ、条件だからね」
「了解っ!」

 元気に返事をした梅流に笑顔を向け、蔵馬はほんの少し目立つようになったお腹に、そっと手を当てた。

 とくん。

 掌ごしに伝わるそれを、蔵馬は確かに感じていた。

 

 

 

 

 

 そして、数ヶ月後。

 蔵馬はモンスターたちと共に出立した。

 

 季節が移り変わっただけでなく、その頃にはグランバニアも大分落ちついてきたのだ。
 元々、荒れていたわけではないにせよ、反乱分子は意外にも多く、それらを一つ一つ潰し、あるいは緩和させてきたのが、ようやく実りつつある。

 彼の政治的手腕は、本人が思っていた以上に優れており、改革は順調、大臣以外の官僚なども味方になってくれた。

 今では、大臣はかなり孤軍奮闘状態だ。
 それでも曲げずに、蔵馬にイヤミを言い続けている。
 もちろん、蔵馬は警戒しながらも、気にせずに聞き流しているが。

 

 

「気をつけてね……」

 すっかりお腹の大きくなった梅流は、あまり動かない方がいいと医師に告げられたため、ベッドから彼を見送った。

「ああ。梅流も安静にね」
「うん……皆、蔵馬をよろしくね。全員怪我しないようにね」

 モンスターたちにも、蔵馬を頼み、また彼らの安全も願う。
 もう一緒に行くことは出来ないから。

 次に一緒に行くのは、この子たちが生まれてから。
 この子たちが旅に出られるようになってから。
 それまでは、留守番だ。

 

「皆の無事を……祈ってるよ」

「ありがとう。梅流」

 

 

 

 ……グランバニアの試練の洞窟とは、決して遠方ではないものの、ものすごく近いというわけでもないらしい。

 もしかしたら、出産に間に合わないかも知れない。
 シスターはそう言ったが、梅流はそのことを蔵馬には黙っているように頼んだ。

 

 試練の洞窟は、一年の間でも、ほんの一時しか入ることが出来ないらしいのだ。
 今期を逃せば、次は来年。
 既に政治体制を整え、後は王位を継承するだけなのだ。

 王になりさえすれば、大臣とて、もう口を紡ぐしかないだろう。
 そうすれば、グランバニアの安泰は約束されたようなものだ。

 

 

 国さえ安定すれば、蔵馬も安心して、母親を捜しに行くことが出来る。

 毎日、国のことに奔走している彼だが、その影で王家の機密書類などを読み解き、闇の世界についての情報収集を行っていることを、梅流は知っている。
 出来る限り、手伝ってきたけれど、分かることは少なかった。

 

 ただ、王から母親の故郷は此処ではない、別の場所だと教えられた。
 何処なのかは不明だが、しかしそれが新たな目的地であることは明白。

 今のところ、それ以上の手がかりはないが、グランバニアほどの国に嫁いだのだ。
 二十年ほど前のこととっても、人々の記憶には残っているはず。

 今まで廻ってきた国では、聞いたことがなかった。
 イコール、希望は新天地にある。

 

 目標が掲げられた以上、蔵馬は今すぐにでも探しに行きたいはずだ。

 それを堪えて、国を支えてきたのだ。

 これ以上遅らせるような真似は、絶対にしたくなかった。

 

 

(生まれてから、ずっと会えないわけじゃないもん。帰ってきたら、すぐに会えるんだし)

 元々、梅流が冷静でいられる自信がないと、立ち会いは遠慮していたのだ。
 だったら、数日遅れても、大したことはない。

 

 だけど、早く帰ってきて欲しい。

 そう思う気持ちだけは、とめられなかった。