5.決意

 

 

 

「梅流?」

 ふっと目を開けた時、目の前にあったのは心配げな蔵馬の顔だった。

 

「大丈夫?」
「え? あ、私……」
「急に倒れたんだよ。何処か痛くないか?」

 言われて思い出す。

 

 数日前、老婆に礼を言って、翌朝には再び山を登り始めた。
 それからも、急勾配の道を何度も何度も上り下りして。

 ようやく、チゾットという山頂の村へ到着した直後だった。
 突然、視界が真っ暗になり、意識が飛んだのだ。

 

 

 

「梅流?」
「あ、ごめん。大丈夫だよ」

 起き上がろうとしたが、眩暈がして布団に沈む。

 

「無理しないで」
「でも……」

 山頂に到着したのだ。
 下山すれば、グランバニアはもう目と鼻の先。
 ゆっくり寝ているわけにはいかないのに。

 

「モンスターたちにも無理をさせすぎたから、休ませてある。2〜3日泊まることにしたから、梅流も休んで」
「……うん。分かった」

 倒れたことで、何か感づかれたのでは……と思ったが、どうやら気づかれていないらしい。

 蔵馬は梅流を布団に押し込むと、一度外へ出て、すぐに戻ってきた。
 手には何か持っている。

 

 

 

「なあに? それ」
「チゾットのコンパス。さっき貰った。これから先、どうしても要りようになるらしい」
「先?」
「ああ。グランバニアへ行くには、相当入り組んだ洞窟を抜けないといけないとかでね。場所が分からなくなると、なかなか抜け出せないだろうからって」

「そうなんだ……ねえ、蔵馬」
「ん? 何?」

「……ううん。何でもない」

 

 これから先、蔵馬はもっと過酷な地へ赴くのだろう。
 こうして倒れただけでも分かる。

 いつまでも、黙っているわけにはいかないと。

 だが、まだ……。

 

 

 

 

 老婆に知らされてから、もう何日になるか。
 梅流は未だ自分では、何一つ決められずにいる。

 だからといって、こんな重要なこと、自分で何も決断せずに蔵馬に一任することも……出来なかった。

 ただでさえ、蔵馬が背負っているものは重くて大きい。
 そこへ自分のことまで、背負わせたくはなかった。

 

(分かってる……いつまでも黙ってなんかいられない)

 でも、まだ決められない。

 子供を諦めるなど、最初から考えていない。
 宿った命を捨てることなんて、絶対に嫌だ。
 生むと決めている。

 

 

 だから、悩んでいるのは。

 無理してでも、大きなお腹で旅を続けるか。
 それとも隣に立つのを諦めるか。

 その、二つに一つの道だった。

 

 

 妊娠した自分は、明らかに蔵馬にとって負担になる。
 そのことを分かった上で、一緒にいるか。

 もしくは生んで、子供がある程度大きくなるまで……それこそ、蔵馬がそうだったように、一緒に旅が出来るようになるまで、兄たちの下へ帰るか。

 

 不可能ではない。
 蔵馬にはルーラがある。

 何処か目印になるような地点さえあれば、一度梅流だけ連れて行って、すぐに戻ってこられるはず。
 ロスは差ほどのものではない。
 もしもそれが難しいようなら、子育てしやすそうな村か町で留まるという手もある。

 

 ただその場合、最低でも2年か3年は一緒にいられなくなる。
 その間、また蔵馬が1人で(モンスターはいるにしても)旅をすることになる。

 出来ることなら、もう蔵馬を1人にしたくない。
 自分が一緒にいたいという気持ちと同じくらい、蔵馬を1人にしたくなかった。

 彼が……1人でいることを、辛く思っているのが、分かるから。

 

 

 

 

(どうしよう……)

 お腹が目立つ前に決めなければ。
 幸い、老婆に体力回復のまじないを施して貰ったおかげで、かなり楽になっている。
 身重の体で、山頂まで倒れずにこられたくらいだ。
 また躯から貰った薬についてもアドバイスしてくれたので、以前よりも有効活用出来るようになった。

 まだしばらくは大丈夫。
 時間はある。

 そう自分に言い聞かせた。

 

 

 そして、

(……そういえば、躯がこの薬持ってたってことは……躯も妊娠してたのかな?)

 そんなそぶりは見せなかったけれど。
 しかし、女王の懐妊は国にとって一大事。
 安定期に入るまで、黙っているつもりだったのかもしれない。

 そう思うと、ちょっとだけ何処かへ行ってしまった彼女の恋人に腹が立つ。

 

(傍にいてあげればいいのに! 何処に行ってるんだろ!)

 それぞれ事情もあるから、一概には言えないが。
 それでも誰にも言えない妊娠ならば、尚更傍にいて欲しいと思うはず。

 ……まあ、知らないのならば、仕方ないけれど。

 

 

 

(また……会いに行けるよね)

 彼女のところには、天空の兜がある。
 縁は切れていない。
 きっとまた蔵馬は行くはずだ。

 だって、お母さんの手がかりなんだから。

 

 (勇者……伝説の勇者……何処に居るんだろう……)

 せめて何処にいるかだけでも分かれば……そう思いながら、溜息をついた時だった。
 ぐっと何かがせり上がってくるような、気分の悪さに襲われる。
 多分悪阻だ。

 

 

 

 

「梅流? 何処か苦しいのか?」
「え? ううん、何でもないよ。ちょっと考え事」

 無理に明るく振る舞う。
 今はそれしか出来なかった。

 

(伝えられない……ゴメンね、蔵馬……)

 梅流は心の中で、少し泣いた。

 悲しかったのではない。
 決断出来ぬ、自分が悔しかったのだ。

 

 

 

 ……しかし、この後。

 梅流は嫌でも決断せねばならない自分を、実感することになるのだった。

 

 

 

 

 

 

 ……グランバニアまでの洞窟というのは、登山の時と比べ、確かに入り組んでいた。
 というか、入り組み方が半端でない。

 梅流は確信した。
 自分一人だったら、絶対に迷子になっていただろうと。

 

「迷子じゃすまないよね……絶対に、一生出られなさそう……」

 なさそうというよりは、確実に出られなくなる。
 蔵馬でさえ、コンパスを見ながら、慎重に動いているくらいだ。
 とてもではないが、自分には攻略出来そうにはなかった。

 

 今のところ、体に不調はない。
 この調子で行けば、もしかしたら旅を続けられるかもしれない。

 お腹が大きくなったら、なるべく馬車に乗せてもらって。
 共に冒険するようになってから、モンスターたちも増えてきた。
 戦力的には問題ない。

 ひょっとしたら、このまま一緒に……。

 

 そう思った……けれど。

 

 

 

「梅流」
「え? 何?」
「此処から飛び降りるみたいだけど……いい?」

 蔵馬は軽く聞いただけかもしれない。
 だが、梅流は表情を変えないことに精一杯だった。

 

 彼が指さす先を、そっと覗き込む。
 暗くてよく見えない。
 しかし、決して浅くはなかった。

 だが、いつもならば大して気にしなかったろう。
 危ない場所にも、よく踏み込んで、兄たちに心配かけてきた身である。

 でも今は……、

 

(お腹……大丈夫かな……)

 老婆から聞いた限り、安定期には入っている。
 多少の動きは問題ないだろう。
 だが、飛び降りるとなると話は別だ。

 かといって、今妊娠していると告げても、こんな洞窟内ではルーラは使えないはず。
 今まで降りてきた道を逆戻りだ。
 蔵馬が馬車に乗るように言ってくれたおかげで、梅流自身は差して疲れていない。
 だが、モンスターたちの疲労は火を見るよりも明らかだった。

 

 

 

「……えっと、蔵馬……」
「スライム」

 梅流が答えるよりも前に、蔵馬がモンスターを呼んだ。
 名前で呼ばない時には、馬車にいるスライム全員のことだ。
 もちろん、キングスライムもスライムナイトも含まれる。

 ぽにょぽにょと転がるように出てきたスライムで、辺りは賑やかになった。
 彼らに何事か告げて、蔵馬は目の前にぽっかり開いた穴を指さす。

 スライムたちは、合点承知と言わんばかりに、次々穴へと飛び込んだ。
 脇目に見て確認し、蔵馬は梅流の方へと歩いてくる。

 そして有無を言わさず、抱き上げた。

 

 

「え? え?」
「下でスライムたちがクッションになるから。馬車ごと飛び降りるよりは、こっちの方が安全だと思うし」

 抱えて飛んでくれると言っていると気づき、梅流はぎゅっと彼にしがみつく。
 確かに、1人で飛び降りるより、ずっと安定する。
 気づかれないよう、そっと片手でお腹を庇った。

 

「行くよ」
「うん!!」

 

 

 

 

 

 ……梅流は気づいた。

 一番大事なことに。

 

 

 蔵馬と一緒にいたい。
 蔵馬を1人にしたくない。

 その気持ちに偽りはない。
 今でもその気持ちはちゃんと自分の中にある。

 本心だ。

 

 

 けれど、この一件で分かった。
 子供をお腹に宿したまま、旅を続けることの危険性を。

 今回は蔵馬が抱えて飛び降り、スライムたちのクッションで事なきを得たけれど。
 いずれは、あれすら簡単に思えるような難関もやってくるはず。

 そんな時、果たして自分はお腹の子たちを守れるだろうか?

 

 

 

(私……まだ、母親になってなかった……)

 生まれていないから、という意味ではない。
 母親ならば、我が子の安全を何よりも優先させるべきだったのだ。

 自分たちの気持ちよりも。
 自分たちの想いよりも。
 自分たちの願いよりも。

 

 

(蔵馬……私、旅をやめるよ)

 グランバニアに着いたら、言おう。
 そう決意した。