4.不調の理由(ワケ)

 

 

 

 夕飯は至って普通だった。
 険しい岩山でも育つという植物から作られたお粥と、干し肉のあぶったもの。
 てっきり、何か尋ねねばならないような代物が出てくると思っていた梅流は、拍子抜けしてしまったほどだ。

 少量ではあったが、満腹感があり、疲れもあった梅流は、食後早々に寝入ってしまった。

 

 

 ……違和感に目が覚めたのは、かなり時間が経った頃だった。

 何か妙な音がする。
 視線を巡らせるが、誰も気づいていないらしく、モンスターたちはよく眠っている。
 蔵馬は確か、眠る前に見張りを買って出ていたはずだ。

 

 だが……戦っているにしては、モンスターたちは起きない。
 第一、これは戦いの音ではない。

 けれど、何処かで聞いたことがある。

 

 

(何処だろう……そう。そうだ。台所だ)

 母親が存命の頃、台所から聞こえていた音だ。
 亡くなってからは、聞こえなくなった音。
 それは、彼女がしていたことを、近所の婦人たちにお願いしていたから。

 その、していたこととは……。

 

 

 

(包丁研ぐ音……だよね)

 

 さあっと背筋が凍りつく。
 山奥、山姥、包丁……シチュエーションとしては、あまりにありがちで、あまりに有り難くない。

(ど、どうしよう! そうだ、蔵馬に知らせ……あ、あれ? 体動かない!?)

 そういえば、さっき顔を動かそうとしたのに、頭が重くて、仕方なく視線だけ動かしたのだ。
 手足は重いどころではない。
 硬直したように、全く動かなかった。

 

(な、何で!? どうして!?)

 パニックに陥りかける梅流の耳に、更なる音が。

 

 ひたりひたり。

 足音。
 それはゆっくりと、しかし確実に、こちらへ向かってきた。

 蔵馬ではない。
 彼はこんなにゆっくりと歩かないし、第一足音が違う。

 

 

(う、嘘っ!? こ、来ないで! 動いて動いてっ!)

 目を瞑り、必死に内心で言い聞かせるが、どちらも聞き入れてはくれなかった。
 足音は近づき、体は動かない。
 せめて片方でも叶えばいいものを。

 どちらも叶わぬまま、足音はついに梅流の枕元までやってきた。

 おそるおそる目を開くと、眼前には白髪を振り乱した老婆が……にやりと笑った。

 

(く、蔵馬ぁっ!!!)

 

 

 

 

 

「こりゃ、そんな様では息が詰まるぞよ」

「……?」

「ほれ、しっかり吸ってみい」

 ぐっと背中に手を入れて起こされ、パシパシ背中を叩かれる。
 途端、張り詰めていた息が切れ、呼吸が開始された。

 

「はあはあ……」
「何をしとるかい、ニヒヒ……」

「え? あの……」

 ちらりと見上げた老婆は、先ほどと寸部も変わらない。
 が、冷静になってよくよく見てみると、彼女が手にしていたのは包丁ではなく……、

「それ……蔵馬の剣?」
「ああ、随分と刃こぼれしておったからな。見張りの礼じゃ」
「そう……なの……」

 何だかどっと疲れが出た。
 ようするに、包丁を研いでいると思った音は、蔵馬の剣を研いでいた音だと。
 しかし、つまり今蔵馬は丸腰ということになるが……。

 

 

「ああ、安心せい。やつには代わりの刀を貸しておるわい。ニヒヒ……」
「そ、そなの……はあ……」

 妙な笑い方だが、どうやら悪い人ではなかったらしい。
 考えてみれば、モンスターたちにも寝床を貸してくれるほど、親切な老婆なのだ。

 早とちりしたと、己を恥じる梅流。

 とはいえ、人を外見で判断するような梅流ではない。
 老婆はそれほどまでに、鬼婆っぽかったのだから。
 しょうがないといえばしょうがない。

 

 

 

 

「それはそうと、娘よ」
「え? なあに?」

「お前さん、これからも旅を続ける気かい?」
「……どうして?」

 先ほどまでの笑みが消え、真剣な眼差しになった老婆に、梅流は少し身構えてしまった。
 見抜かれたのだろうか、己の不調が。

 もし、蔵馬に告げられたらどうしよう。
 何とか口止めしなければ……。

 だが、老婆の口から出たのは、衝撃の言葉だった。

 

 

 

 

「赤子を宿した体に、旅は酷じゃろうが」

 

「……え?」

 

 

 赤子?

 

 赤子って、赤子って……赤ちゃん!?

 

 

 

「ええっ!?」

 思わず自分の腹を見下ろす梅流。
 反射的に抱きかかえてしまったが、いきなりすぎて実感が湧かない。
 というか、いきなりすぎて信じられない。

 その梅流の様子に、老婆は呆れたように、

「何じゃ。気づいておらなんだか」
「き、気づくも気づかないも……わ、私、妊娠してるの!?」
「しとる」

 きっぱり言い切られ、梅流は先ほどと別の意味でパニックになりかけた。

 

 

 赤ちゃんがいる。
 此処に。

 

 ……蔵馬との子が。

 

 

 そりゃあ、欲しいか欲しくないかと聞かれれば、欲しいと答えるけれど。

 結婚してまだ間もないのだ。
 第一、蔵馬には大いなる目標があるのだし。
 まだまだ先の話だと思っていた。

 

 それがいきなり、第三者から言われて。

 嬉しさよりも驚きの方が大きかった。

 

 

 

「娘よ」

 老婆は声を落として、梅流を見据えて言う。

「わしからは何も言わん。自分で言うがええ」
「……はい」

 つまり、自分で選べと言っているのだ。
 これからも、蔵馬と旅を続けるか、それとも子供を産むことに専念するか……。

 

 だが、梅流には……、

(どっちも……選べないよ……)