2.伝説の勇者

 

 

 

「はじめまして。おれは躯。この国の王だ」

 威厳に満ちあふれながらも、恐怖以外の、人間味溢れる精神も感じられる……さりとて、それだけでない、神秘的な雰囲気。
 梅流も初めて会うタイプの女性だった。

 

「お初にお目にかかります。私は蔵馬と申します」
「梅流です」

 まず蔵馬が会釈をし、梅流も頭を下げた。
 幽助の弟には謁見したけれど、女王相手はこれが初めて。
 失礼でなかったかと、少しぎくしゃく気味に、ゆっくり面を上げた。

 躯は特に表情を変えていない。
 というより、彼女の視線は蔵馬へと向けられていた。

 

 

 

「お前は……」
「?」

「……着いて来い」

 すっと立ち上がる躯に、蔵馬と梅流は一瞬顔を見合わせたものの、着いていくことにした。
 特に敵意や害意は感じない。
 無礼をしたわけでもなさそうだ。

 むしろ、何かに期待するような……そんな感じがする。

 

 

 

 躯に連れられていったのは、庭園を出て、謁見の間も抜け、更に城の外壁を歩いてやっと辿り着ける、最奥の間。
 頑強な扉の向こうには、地下へと伸びる階段があった。

 庭園とは違い、何処までも深いそれは、まるで無限地獄への入り口にも思える。
 強烈な圧迫感は、拭いがたい恐怖をまとわりつかせた。

 

 思わず、梅流は蔵馬の服の裾を握った。

 降りたくないのではない。
 一緒に行けない方がもっと嫌だ。
 ただ……。

 

 

「…………」

 蔵馬はそんな梅流の心中を正確に察した。
 裾を握る、自分より一回り小さな手を取り、きゅっと握りしめる。

 大丈夫。

 見上げた瞳が、そう言っていた。

 

 

 

「仲がいいんだな」

 先を行く躯が、面白そうに言った。
 いたづらっぽい表情でありながら、女王としての風格は消えていない。
 生まれついての……かどうかまでは分からないが、王としての資質が並大抵でないのだろう。

 

「ええ。見たとおりです」
「敬語なんざ使うな。タメでいい」
「しかし……」
「おれがいいと言っている。他の連中にも、とやかく言わせんさ」

「……分かった、躯」

 呼んで、蔵馬はふっと笑った。

 

 

「君だね? 飛影の恋人って」

 彼の言葉に、躯は一瞬目を瞠ったが、すぐにその顔は呆れへと変わる。

 

「……やはり、飛影の知人だったか」
「まあ、そこそこの付き合いはあるよ」

「? 蔵馬。飛影って誰?」

 梅流は初めて聞く名前だった。
 蔵馬と再会してから随分になるが、それでも蔵馬の人生全ての話を聞いてきたわけではない。
 むしろ、毎日が冒険で、まだ聞いていない部分の方が多いくらいだろう。

 

 

「例の場所を抜け出してから、出逢った冒険者だよ。正確に言えば、銀色の裏の同業者なんだけど」
「銀色の……」

 ということはつまり、盗賊なのだろう。
 だが、銀色の人柄を知っている梅流は、もはや特別驚くこともなかった。

 また、蔵馬が楽しそうだし、この躯という女王の恋人とあらば、決して根っから悪い人ではないだろう。

 

 

「お前に会った後だろうな、一度帰ってきた。三日もしないで、出て行ったが」
「飛影らしいね」
「お前も飛影が言った通りの男だな」
「何て?」

「口の減らん、気にくわないヤツ、だそうだ」
「否定はしないけどね」

 くすくすと笑う蔵馬の姿に、梅流は一度会ってみたいな、とこっそり思っていた。

 

 

 

 

「まあいい。着いたぞ」

 そこは長き階段の最下部。
 あったのは……墓だった。

 

「此処は?」
「……伝説の勇者」

 瞬間、蔵馬の顔色が変わる。
 梅流も思わず、口を押さえた。

 

 

 

 

 『伝説の勇者』。

 それは、蔵馬が語った過去の中でも、特に衝撃的なことだった。

 

 蔵馬の母は、亡くなったのではなく、闇の世界によって連れ去られていた。
 蔵馬の父は、彼女を取り戻すため、幼い蔵馬と共に旅を続けていた。

 だが、話はそこで終わらない。
 実は、父が探し求めていたのは、闇の世界の手がかりだけではなかったのだ。

 

 真に彼女を救い出せるのは……『伝説の勇者』しかいないのだと。

 

 

 かつて、世界を救ったと言われる伝説の勇者。
 その存在は、今では御伽噺のように思われているが、しかし真実の歴史だった。

 彼は、天空の鎧を纏い、天空の兜を被り、天空の盾を左手に、そして天空の剣を右手に構え、世界を邪悪なる存在から救ったのだと。

 今ではその武器防具もバラバラになり、勇者の行方は皆目不明。
 後継者になれるかもしれない血縁者が残されているのかどうかも分からない。

 そんな状況にもめげず、蔵馬の父は勇者の手がかりを探し続けていた。

 

 そして、蔵馬に遺されたのは……天空の剣。

 そう、蔵馬の父は僅かながら、希望を手に入れていたのだ。
 万が一、己が死んだ時のことを考え、綿密に隠した上で、蔵馬に託したという。

 

 

 残念なことに、蔵馬にはその剣は使えなかったらしい。
 重い上に、鞘から抜けず、どうすることも出来なかったのだ。
 試しに梅流も持たせてもらったが、すぐに落としてしまったくらいである。

 それでも蔵馬は、馬車の隠し倉庫に乗せ、交代でモンスターに見張らせている。
 いつか、母を助ける手がかりを。
 伝説の勇者に渡すために。

 

 

 

 

「……此処は、そいつの墓だと言われている場所だ」
「……言われている?」

 躯の言葉が引っかかり、蔵馬は反芻して尋ねる。

「どういう意味だ? 此処は勇者の墓ではないのか?」
「最終的な勇者の行方は、誰も知らん」

 きっぱり言うと、躯は墓に歩み寄った。

 

「この国は元々、伝説の勇者の供を勤めた者が作り上げたらしい。だから、勇者縁のものが数多く残されている。これはその一つで、最も重要な代物だ」

 言いながら彼女が持ち上げたのは、蒼い兜。
 さほど豪華な装飾ではなく、一見すると、大した価値があるものには見えない。
 だが、そこに秘められた力には、蔵馬も梅流も瞬時に気づいた。

 

 

「……天空の兜。そうか、此処は墓ではなく、兜の隠し場所なのか」
「ご名答。被ってみるか?」

 差し出すが、蔵馬は首を振る。

「無理だろう……俺は、天空の剣も使えなかったし、盾も装備出来なかった」

 悔しそうに言う蔵馬。

 

 

 ……彼の言う天空の盾は、実はサラボナにあった。

 当初、蔵馬はその噂を聞いて、サラボナへ向かったのだ。
 今回こうして、テルパドールを訪れたのは、南国最大の古都市ゆえに何かしら手がかりがあるのではと思ってのことだが、サラボナはそれ以上の手がかりを確信してのこと。

 例え扱えずとも、何か手がかりがないか、と。
 その道中で、銀色に出逢い、指輪のことを聞いたという。

 そして件の盾は、瑪瑠の家の家宝であった。
 出立の際、瑪瑠の祖父は必要ならば……と言ってくれたが、やはり蔵馬には扱えず、剣と一緒にしては、闇の世界に感づかれやすいと、断ったのだった。

 

 

 

「そうか。ならいい」

 蔵馬の気配に、無理を悟ったのか、躯はそれ以上強いることなく、兜を元に戻した。 

 

「必死なんだな」
「まあね」
「……何があった?」

 蔵馬の様子から、彼の心中を察したのだろう。
 特に隠す必要もないと、蔵馬は事情を話す。

 

 どうやら躯も、飛影からはそのことに関しては、聞いていなかったらしい。
 蔵馬を此処へ案内したのも、知っていたからではなく、彼の気迫を感じ取ったからだという。

 そのため、全てを聞き終えた時には、深く溜息をついた。
 若干の驚きも込めて。

 

 

 

「……お前、故郷は何処だ?」
「さあ?」

 そうとしか答えようがない。
 蔵馬は物心ついた時には、父親と旅をしていたのだ。
 サンタローズも、正確には生まれ故郷ではなかったらしいし。

 

「実はな……お前の話とそっくりな国王の噂があってな」
「どのような?」

「グランバニアの王の話だ。十数年前、王妃が攫われ、国王自ら、生まれて間もない王子と共に旅立ったと。名前は……」

「…………」

 硬直した横顔に、梅流もすぐに理解出来た。
 その名が、蔵馬の父親の名であることを……。