「こんなところに洞窟があるなんて……」

 梅流は驚きと感嘆の息を吐いた。

 見上げる天井は、岩のはずなのにきらきらと輝いているように見える。
 足元を流れる水は、はるか下流の海水と混ざり合って、不思議な匂いを漂わせていた。

 

「長くあの村に住んでたけど、全然知らなかった」
「だろうね。サラボナの人もほとんど知らなかったようだから」
「そっか」

 サラボナは、あの村と違って、数多くの冒険者や旅人が足を運ぶ。
 故に数多くの情報が集まっているのだ。
 そのサラボナでさえ、知らない人の方が多いということは、冒険者たちの間でも噂になっていないのだろう。

 

「綺麗だね。来られてよかった」

「あはは。お兄さんは心配していたみたいだけどね」

 

 

 

 

 8.滝の洞窟

 

 

 

 

 当初、蔵馬はモンスターたちと共に、自分らのみで行こうとしていたのだ。
 病名を聞き、良く効く薬草を手渡して。

 しかし、

「私も行く!」
「梅流……」
「梅流、危ないよ!」

 蔵馬に絶句され、汀兎にも止められたが、梅流の決心は揺るがない。
 こんな荒波の向こうに……いくらモンスターたちがいるといっても、蔵馬だけに行かせることなどできない。

 

 

「……分かった」
「「蔵馬!」」

 兄妹の声は、かたや歓喜で、かたや驚愕。
 対照的な声に苦笑しつつ、蔵馬は言った。

 

「自信があるんだね?」
「うん!! この10年で私も頑張ったんだよ! 魔法も上手くなったし、充分戦える!」

 蔵馬の元まで一人で来ただけでも、その証明であった。
 念のために、前日にその辺りの凶悪モンスターを一掃しておいたが、彼女が来るまで何日かかるか、あるいは誰かと来るかもと思っていた。
 梅流には言っていないが、第三者の存在も考え、はぐれさせるように、仲間のモンスターも配置していた。

 なのに、梅流は翌日に、たった一人で来てしまったのだから。

 

 

「汀兎兄。麓兄のことお願いね」
「梅流……」

 2対1。
 数だけでも勝ち目はないのに、その二人は共に意志の強さが半端でない。

 それに……二人の間に流れる、この空気は……。

 折れないわけにはいなかった。
 どちらにせよ、止めたところで無駄だろう。

 

「蔵馬……梅流のこと、頼む」
「ああ」
「怪我させたら、承知しないからなっ!!」

 何処か半泣きで汀兎は叫び、最愛の妹を見送ったのだった。

 

 

 

 

 

「でも、本当すごいね。最初はどうなることかと思ったけど」
「まあ、普通はそうだね」

 

 ……蔵馬が足を向けた方角。
 そこは、湾を挟んだ向こう側の陸地を少し上流へ遡った場所だった。
 しばらくは何とか流れに逆らっていたのだが……やがて、行き止まってしまった。

「滝……」

 呆然と見上げる梅流だったが、蔵馬は全く驚いた様子を見せない。
 当たり前のように船を滝へ向けたのだ。

 

「ちょ、ちょっと蔵馬!」
「梅流、伏せていて」

 舵を握り、絶妙なタイミングで滝の裏側へ。
 そこには……開けた空間があった。

「この洞窟の奥だよ」
「ふは〜。すごいね……」

 滝の裏に何かがあるのは、時々聞く話だ。
 しかし、そんなのはせいぜい祠だとか修行僧の入る穴だとかで、こんな巨大洞窟があるなど、誰が予想出来ただろうか。

 

 

 

「ねえ、蔵馬」
「何?」
「蔵馬はどうして、この洞窟のこと、知ってたの?」

 梅流の村の人々は元より、サラボナの住人でさえ、ほとんど知らないとなると、それより遠くの国の人が知っているとも思えないけれど。

 

「教えて貰ったんだよ」
「誰に?」
「あの人は嘘をつかない……つく必要がないから」

 答えになっていない。

 

「? どういう意味??」
「つまり、あの人が俺に嘘を教えることは、決してメリットがあることではないってこと。契約しているといっても、双方にメリットがない限り、成り立たないからね」
「???」

 ますます分からない、と首をかしげる梅流。
 言っている意味は分からないでもないが、要点を得ないのだ。

 

 

「その人って……誰なの?」
「吟遊詩人とか言っていたかな」
「詩人さんなんだ」

「自称だけどね。俺は『銀色』って呼んでる」
「銀色??」
「単純な話だけれど、銀髪なんだ。梅流のお兄さんたちみたいな『狐』の一族らしいけど」

 

 どくん。

 『狐』……その言葉に、梅流の鼓動が高鳴る。
 それは決していい意味ではなく。

 不安によるものだった。

 

 忘れていた。
 いや、記憶の中に封じ込めていた。
 つい昨日のことなのに。

 蔵馬に会って、嬉しくて、同時に不安になりたくなくて。
 無意識に強引に。
 記憶の底に閉じこめて、蓋をしていた。

 

 

 

「梅流?」

 急に黙った梅流に、蔵馬は立ち止まって、彼女の顔を覗き込んだ。

「あ、うん……蔵馬、あのね……」

 聞くな聞くな。
 頭ではそう分かっているのに、唇が勝手に動いた。

 

「噂……聞いたの……」
「噂? どんな?」

「その……サラボナの大商人の『狐』の女の子が……お婿さんを探してるって……それで……その候補に……」
「『赤毛で緑の瞳の男』もいる?」

 反射的に見上げた先で、蔵馬は……

 

「?」

 

 梅流の心の暗雲が霧散するほど、イタヅラっぽい笑みを浮かべていた。

 

 

 

 

「あ、えっと……蔵馬?」
「噂って思った以上に早く広まるものだね」
「へ?」
「まあ、広まることを前提として流したものだけど。まさか、梅流のところにまで行っているとは思わなかった」

 楽しそうにクスクス笑う蔵馬。
 梅流はますますワケが分からなくなり、

「もう、蔵馬! 分かんないよ、ちゃんと教えて!」

 

 少しふくれて蔵馬を見上げる。
 その様子に、彼は分かった分かったと言い、

「教えるよ。ただ、他の人には黙ってて欲しい」
「うん、約束する」

 梅流は迷わず頷いた。

 

 

 

 

「じゃあまず、最初に。俺にこの場所を教えた『狐』は、結婚相手を探している大商人でもなければ、婚約を迫られている女の子本人でもないよ」
「そう…なんだ」

 それだけで、少しほっとした。
 何故、ほっとしたのかは分からないけれど……胸につっかえていた軽くなったのは、事実だった。

 

 

 二人は話しながらも、洞窟を進んで行く。
 それも常人であれば、とっくに置いていかれているようなスピードで。

 五感の鋭いモンスターたちを先頭に、防御力の高いモンスターを後方に配置し、警戒は怠らない。
 曲がり角にさしかかる度、会話は中断された。

 流石に人が踏みいらない秘境、モンスターもなかなかに手強い。
 それも、凶悪でないモンスターは、始めて見るであろう人間に動揺しているのか、気配はあっても襲ってこない。
 襲ってくるのは、全て厄介な殺気を漂わせる連中ばかりである。

 しかしおかげで、梅流は蔵馬の、蔵馬は梅流の実力のほどを悟ることができたのだった。

 この10年で……強くなっていた。
 どちらも。

 

 そして、梅流は言わなかったけれど。

 やはり感じていた。

 蔵馬と一緒に戦うと、凶悪なはずのモンスターたちが、消える瞬間、とても綺麗になっていく。
 それは、梅流が攻撃しても、リオをはじめとするモンスターたちがトドメをさしても、同じだった。

 蔵馬が傍にいる。

 それだけで、モンスターたちは、とても綺麗に消えていくのだった……。

 

 

 

「じゃあ……誰なの? 『狐』って『白狐』じゃないの?」
「違う。『銀狐』の生き残りだって」
「銀狐……」

 名前だけは梅流も聞いたことがある。
 だが、実際に出逢ったことはなかった。

 それもそのはずで、銀狐は白狐より更に遙か昔に滅んだと言われる血族なのだ。
 大人しく、仲間意識の強い白狐に比べ、銀狐は攻撃的で単独行動を中心とし、プライドも高く、ゆえに出生率が極端に低かったという。
 そこに少数民族という迫害が加わり、また彼らもそれを受け入れることが出来ず、滅びの一途を辿ったらしい。

 白狐がかろうじて血を残せたことに対し、銀狐は完全に滅んだというのが、通説だ。

 だが、蔵馬は末裔ではなく、生き残りと言った。
 それはつまり……滅んでいなかったということなのだろうか。

 

 

「本当に言い伝えの通り、美しい容姿に、流れる銀色の髪をしていてね。それで『銀色』って呼んでる。あっちもあっちで、俺のこと、薔薇みたいに赤い髪だから『薔薇(そうび)』って呼んでいるしね」
「へえ〜」
「それで、銀色と取引したんだ。サラボナに来る前にね」
「取引? どんな?」

「サラボナの大商人が募集している花婿に立候補し、その資格を得ること……といっても、表向きにね。梅流? どうかした?」
「う、ううん。何でもないの」

 蔵馬の言葉を聞いて、何故か胸が苦しくなって、眩暈がした。
 なのに、表向きと聞いた途端、それがなくなった。

 

(何だろう……私、昨日から、変だ……何処か悪いのかな? でも、今は何ともないし……蔵馬、気がつかないでいてくれるかな)

 知られたくない。
 こんなおかしな自分は。

 ただでさえ、今は大変な時なのに。

 

 

 しかし、梅流の内心とは裏腹。
 蔵馬は彼女に見えないところで、小さく笑んでいた。

 

 

 

(脈あり……なのかな)