7.信じてた

 

 

 

「あ、そうだ。蔵馬」

 しばらく、お互いの近況などを語り合っていた時だった。
 梅流はふと、此処へ来た理由を思い出した。

 

「あの……あの子、どうしてる? ほら、蔵馬と一緒にお化け城に行った時に会った……」
「ああ。そこにいるよ」

 言いながら、蔵馬は船を振り返り、口笛を吹く。
 見上げると、甲板の手すりから何かがこちらへ飛び降りてきた。

 

 梅流の目前に着地したそれらは全て、モンスターだった。
 スライムナイト、クックルー、ブラウニー、ドラゴンキッズ……そして、

「やっぱり、あの子だったんだ」

 梅流が笑みを向けたのは、犬ほどの大きさのモンスター。
 そう、昨日の夜、村の鳴子を鳴らした、張本人。

 

 ……あの頃と大きさは違うけれど、やはりそうだった。
 蔵馬との冒険で出逢った、あの獣。

 梅流を見上げる瞳に、昨日の敵意は見られない。
 どころか、何処か微笑んでいるようですらあった。

 

「久しぶりだね、リオちゃん。覚えてる?」

 梅流の問いかけに、モンスターは――リオはこくりと頷いた。

 あの時に巻いたリボンは、昨夜は暗くてよく見えなかったけれど、今でも首にしている。
 2巻せねばならなかったそれは、今では1巻で充分のようだった。

 

 

 

 

「梅流なら気づいてくれると思ってたよ」
「え? じゃあ、昨日鳴子を鳴らしたのって、わざとだったの?」
「ああ。昼間だと村人総出で追われかねないからね。夜ならすぐに退散すれば、誰も深追いしないだろう?」
「そうだけど……何で?」

 わざわざ偵察に行かせただけでなく、あえて村人の前に姿をさらした。
 それも、梅流が気づいてくれることを計算に入れて。

 梅流だけが、探しに来ることを予想して。

 

 

「……梅流の家族が、俺と父さんのことを恨んでないとは言い切れなかったから。ラインハットの真実がここまで届いている保証もないしね」
「そ、そんなことあるわけないよ! 私も家族みんな、誰も恨んでなんかない!」
「うん。さっきの話で分かったよ」

 でも聞くまでは、分からなかった。

 それはそうだ。
 10年間も奴隷として扱われてきたのだ。
 外の情報など入るはずもない。

 ましてや、蔵馬が梅流の家族と一緒にいたのは、ほんの短い時間。
 10年の間に、どんな人たちだったのか、朧気になっても仕方ないだろう。

 

 

「でも……じゃあ、どうして私を呼んだの?」

 獣の姿を見せて、梅流だけが追ってきてくれるように、し向けた。

 それはつまり。
 梅流は、梅流だけは、蔵馬のことを恨んでいないと思ったから。

 

 

 

 

「信じてたから」

 

「!」

 

 

 

 

「他の誰も信じられなくても……梅流だけは信じられたから」
「蔵馬……」

「奴隷として扱われて10年。世の中に悲観することも少なくなかったよ。昔のことも、記憶からそぎ落とされていって……でも」

 一度言葉を切って、蔵馬は真っ直ぐの瞳で告げる。

 

「梅流のことだけは、ずっと信じてた」

 

 

 

 

 

 その後、蔵馬に手伝って貰って、梅流は口実であった薬草集めを終え、一端村へ戻ることにした。
 蔵馬の目的はやはり水門を開けて貰うことだったのだが、今日は湾の波が高くなってきたので、危険と判断。
 今日明日と急ぐことでもないとかで、蔵馬も了承した。

「ね。蔵馬も行こうよ」
「いや、俺はいいよ」
「どうして? 麓兄や汀兎兄にも会ってよ」
「…………」

 少し難しい顔になる蔵馬。

 

「大丈夫だって。ラインハットのことはもう知ってるから!」
「……いや、そうじゃなくて……」
「?」

 きょとんっとした梅流の様子に、蔵馬は深く溜息をつく。
 どうやら、未だに彼女は兄たちのシスコンぶりに気づいていないらしい。

 

 サラボナで聞いた兄たちの様子からして、此処10年で変わったとは到底思えない。
 というか、グレートアップしていることは間違いないだろう。
 それも、汀兎という兄はシスコンを通り越しているという噂だ。

 サラボナへ来た時、妹への手土産選びに、実に6時間も費やしたのだと……そこからも、買っていったものが綺麗な髪飾りだったことからも、既に彼の感情が『兄』としてのものでなくなっていると推察するのは容易だった。

 最も、この様子では、当の本人は全く気づいていないようだが。

 

 

 

「まあ、その方がありがたいけど……」
「何か言った?」

「何でもないよ。それより、モンスターはあまり村に入れない方がいいだろうから」
「平気平気! 敵意のあるモンスターは危険だって皆言ってるけど、そうじゃないモンスターは村の中にも結構いるから」

 閉鎖社会の村には珍しく、他民族で構成されたあそこには、ドワーフなどの異種族だけでなく、モンスターもちらほらいる。
 畑の傍で転がる猫も、実はモンスターの血が入った混血児だ。
 農作業を手伝うロバも、ただのロバではない。
 山奥という土地柄、普通の生き物には酷ゆえに、そういう変わった生物が家畜として飼われてきた結果らしい。

 

 蔵馬は少し考えたが、此処しばらくずっと船に乗っていた。
 地に足をつけて眠りたいという気持ちもなくもない。

 何より、出来るなら……もう少し梅流の傍にいたかった。

 

「じゃあ……」

 お邪魔しようかな。
 そう言おうとした、その時だった。

 

 

 

「!」

 突然、リオの耳が立ち、しっぽが二倍にふくれあがる。
 他のモンスターたちも同様だった。

「何か……来る?」

 蔵馬も腰の剣に手をかけた。
 梅流も杖を構えようとして……やめた。

 

 

「梅流―――っ!!!」

 

 

 遠くから聞こえてきたのは、紛れもなく、兄・汀兎の声。

「汀兎兄だ。どうしたんだろ」

 梅流の言葉に、蔵馬も剣から手を離し、モンスターたちを静める。
 伏せの状態になった彼らの前に立ち、声の方向を見つめた。

 

 やがて、藪の奥から兄が転がるように走り出てくる。

「梅流!! 大変なんだっ!! ……って、誰?」

 梅流の横に立つ蔵馬を見て、汀兎の瞳が丸くなる。
 それはそうだろう。
 汀兎が蔵馬に会ったのは、10年前のほんの数時間だけ。
 特徴的な髪と瞳だが、瞬時に結びつかなくても無理はない。

 

 

「汀兎兄。蔵馬だよ! 覚えてない?」
「蔵馬……ああ、蔵馬か!」

 やっと分かったが、それが尚驚きを増長させた。

「何で此処に??」
「旅の道中で……それよりも、何かあったんじゃないのか?」

 問われて、汀兎ははっとする。

 

「そうなんだ! 梅流、大変なんだよ! 麓兄が!!」
「えっ……」

 

 

 

 ……汀兎によると、それは急変としか言いようがない速さだった。

 朝には起き上がって梅流を見送ったはずの長兄が、突然倒れたのだ。
 病がぶりかえした、そう言ってしまえば、それまでだけれど。

 しかし、今度はかなり危険な状態だった。

 

「そんな……」

 思わず絶句する梅流。
 朝、あんなに元気だったのに……いつもの調子で戸口に立って、手を振ってくれたのに……。

 

 

「とにかく梅流。すぐに家に……」
「梅流。今すぐ、水門を開けてくれ」

 汀兎の言葉を遮って、蔵馬が言う。

「お、おい。蔵馬……」

 咎めようとした汀兎に、蔵馬はきっとした視線を送って、制する。
 数多くの修羅場を駆けめぐってきたであろう強い眼差しに、汀兎の言葉も詰まった。

 そして、蔵馬は梅流を見つめる。

 

「俺が此処へ来たのは、この先の入り江にある洞窟へ行くためだ。そこにあるモノを取りに来たが……あそこには確か、エルフの飲み薬がある」
「エルフの……それ、どんな病気に効くの?」

 名前からしてすごく効力がありそうだが、実際どんなものか知らない梅流には、手放しには喜べない。

「魔法使いの力を最大限に高めるほどの力を持っている。ほとんどの病気の治療も容易いそうだ」
「本当!?」
「ああ。波は高いが、これくらいなら出航出来なくもない。だから、すぐに水門を……」
「開けてくる!!」

 叫んで梅流は水門の入り口へ駆け込んだ。

 

 

 

 

 

 *注意*

 本来、エルフの飲み薬はそういう使い方はしません。
 お間違いのないように……。