5.訪れ
「梅流。まだ寝ないの?」 声をかけられ、テラスにいた梅流は振り返った。
「汀兎兄、起こしちゃった?」 梅流の頷きを確認してから、汀兎は隣に腰を下ろした。
「麓兄の様子、どう?」 昼間は梅流がメインで看病しているが、深夜は同室で寝起きしている汀兎の役目だった。
「うん、今日は咳もしていないし。もう安心出来ると思うよ」 心配げに見上げる妹に、汀兎は少し困ったように頬をかきながら、 「いや、具合悪いとかじゃないよ。何となく、だから」 といっても、あまり平気ではない。
本人も分かっている。 気持ちの問題なのだ。
強いて言うなら……恋の病。
汀兎は梅流に恋をしていた。 叶わないと悟りながら、捨てきれない想い。
伝えることはすなわち……梅流を傷つけることに繋がるから。
(それに……今日が決定打だったかな……梅流。誰かに恋してるんだね……)
ちらりと見た梅流の横顔は、いつも見ている妹ではない。 多分、本人は気づいていないだろう。 それも道理で、同い年くらいの少年が周囲にいなかったから。
その梅流が……誰かは分からないけれど、恋して、それゆえに苦しんでいる。 自分の気持ちにも気づかない内に。 正直、相手の男を一発殴ってやりたい気持ちだった。
(何処の誰なんだろう……その果報者は……) 会ったら、やっぱり一発殴ろうかな、それくらい許されるかな、でも梅流が泣くかな……そんなことを考えていて、眠れなかったのだ。
「そうだ。梅流」 ドワーフの爺さん…というのは、この村の南の端で、道具屋を営んでいる老人のことである。 人付き合いが好きではないらしく、滅多に洞穴の奥深くから出てこない。 そんな中でも、梅流は例外的に、比較的会う方だったりする。 また、梅流の人見知りしない無邪気で明るい性格は、老人も気に入っているらしく、厳格な祖父が不器用に孫を可愛がるように接してくれていた。 ここしばらくは、兄の看病もあり、ご無沙汰しているけれど……。
「お爺さん、元気?」 「うん。何でも、サラボナから依頼受けたんだってさ。花嫁のヴェール作りを」 その瞬間、梅流が倒れずにすんだのは、奇跡に近かったかもしれない。
「め、梅流? どうしたの? 大丈夫? 気分悪いの?」 心配して、オロオロする兄を、梅流は苦笑気味に見上げた。 「本当に大丈夫だよ。ちょっと昼間のこと思い出して」
夕食の際に、噂話の件は兄たちにも話してある。 ……蔵馬のことは口に出せず、彼の父が無実だったことだけしか伝えられなかったが。
最初は驚きと動揺を隠せなかった二人だが、亡くなった父も母も、彼のことを信じていたのだ。 だから、麓も汀兎もあの人のことを心から恨むことなど出来ずにいた。 無実を知って、むしろほっとしていた。
「大変だよね。その大商人の女の子。私より年下のはずなのに、もう結婚だなんて」 そう言う汀兎は、梅流に気づかれないように、小さく溜息をついた。 聞く度に、やっぱり梅流は自分のことを『兄』としか見ていないことを痛感させられるから。
(でも……) けれど、そのたびに思うことは、いつも同じ。 (俺は梅流が幸せになるなら……それでいいよ)
できれば、もう少しだけ傍にいてほしいけれど。 ……そして、それは確かに当たっていた。
カランカラン
「「!!!」」 突如、夜の闇に響いた乾いた木の奏でる音。 村人たちは、村の入り口を一カ所に決めており、見張りのいる其処以外から出入りすることはない。 つまり、村の人間ではない。
「モンスター!?」 兄妹は同時にかけだした。
「おじさん! おばさん! 起きて!!」 こんな時のために、各家庭には軒先に大音量で鳴る鈴が取り付けられている。 といっても、元から人口の少ない村。
「分かったよ! 南西の方角だ!」 鳴子の糸先を見に行った汀兎の声に、全員が持つ松明が夜の闇を照らす。 「メラミ!」 梅流の持つ杖の先から、炎がほとばしる。 当てるつもりはない。 そこだけが昼間のように明るくなった。
「いたぞ! あれだ!」 誰かが叫び、全員が息を呑んだ。
「な、何だあれは……」 全員がどうしたものか、と思ったのも無理はない。
大きさは、そこら辺にいる犬くらい。 警戒しているらしく敵意はあるが、害意はなさそうである。
出来ればこのまま立ち去ってほしい……と思った、その時。 モンスターは踵を帰して、森の中へ消えていったのだった。
「やれやれ。行ったか」 ぞろぞろと家へ向かう村人達。
そんな中、梅流は未だに自分の目が信じられず、呆然とその場に立ちつくしていた。
「今の……まさか……」
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