5.訪れ

 

 

 

 

「梅流。まだ寝ないの?」

 声をかけられ、テラスにいた梅流は振り返った。

 

「汀兎兄、起こしちゃった?」
「ううん。俺もまだ寝てなかったから。寝付けなくてね」
「そっか」
「隣いい?」
「うん」

 梅流の頷きを確認してから、汀兎は隣に腰を下ろした。
 後ほんの少しで触れ合える距離を保ったまま。
 幼い頃はくっつくことも躊躇わなかったけれど、今の汀兎には出来ないことだった。

 

 

「麓兄の様子、どう?」

 昼間は梅流がメインで看病しているが、深夜は同室で寝起きしている汀兎の役目だった。
 といっても、今晩などは食事にダイニングへ降りてくるくらいの元気があったから、もうしばらくすれば治りそうだった。
 食欲が回復したのが幸いしたらしい。

 

「うん、今日は咳もしていないし。もう安心出来ると思うよ」
「そっか、よかった。汀兎兄は?」
「え?」
「だって、寝付けなかったんでしょ?」

 心配げに見上げる妹に、汀兎は少し困ったように頬をかきながら、

「いや、具合悪いとかじゃないよ。何となく、だから」
「そう? しんどかったりしない?」
「平気平気」

 といっても、あまり平気ではない。
 しかし、彼の場合、兄とは違って肉体的には健康そのもの。

 

 本人も分かっている。

 気持ちの問題なのだ。

 

 

 強いて言うなら……恋の病。

 

 

 汀兎は梅流に恋をしていた。
 ずっと前から。

 叶わないと悟りながら、捨てきれない想い。
 だが、決して伝えまいと思っている。

 

 伝えることはすなわち……梅流を傷つけることに繋がるから。

 

 

 

 

(それに……今日が決定打だったかな……梅流。誰かに恋してるんだね……)

 

 ちらりと見た梅流の横顔は、いつも見ている妹ではない。
 誰かへの想いに苦しむ乙女の姿だった。

 多分、本人は気づいていないだろう。
 汀兎が知る限り、梅流は今まで恋をしたことがないようだった。

 それも道理で、同い年くらいの少年が周囲にいなかったから。
 同い年どころか、年頃の青年といえば、自分と兄くらい。
 彼女が自分たちを慕ってくれているのは分かるが、それはあくまでも『兄』としてでしかなかった。

 

 その梅流が……誰かは分からないけれど、恋して、それゆえに苦しんでいる。

 自分の気持ちにも気づかない内に。
 何故、自分が苦しんでいるのかも分からない内に。

 正直、相手の男を一発殴ってやりたい気持ちだった。

 

(何処の誰なんだろう……その果報者は……)

 会ったら、やっぱり一発殴ろうかな、それくらい許されるかな、でも梅流が泣くかな……そんなことを考えていて、眠れなかったのだ。

 

 

 

 

 

「そうだ。梅流」
「なあに?」
「ドワーフの爺さんの話聞いた?」
「ううん」

 ドワーフの爺さん…というのは、この村の南の端で、道具屋を営んでいる老人のことである。

 人付き合いが好きではないらしく、滅多に洞穴の奥深くから出てこない。
 村人でさえ、用事がない時以外は寄りつかない場所だった。
 というのも、あまりにも入り組んでいるため、一度入ったらなかなか出てこられないからなのだが。

 そんな中でも、梅流は例外的に、比較的会う方だったりする。
 何せ、村の外で護衛を頼まれるほど身体能力が優れているのだ。
 皆が息を切らすようなそこでも、けろりとして出入り出来る。

 また、梅流の人見知りしない無邪気で明るい性格は、老人も気に入っているらしく、厳格な祖父が不器用に孫を可愛がるように接してくれていた。

 ここしばらくは、兄の看病もあり、ご無沙汰しているけれど……。

 

 

 

「お爺さん、元気?」
「俺が直接会ったわけじゃないけど、元気らしいよ」
「そっか、よかった。それで、お爺さんの話って?」

「うん。何でも、サラボナから依頼受けたんだってさ。花嫁のヴェール作りを」

 その瞬間、梅流が倒れずにすんだのは、奇跡に近かったかもしれない。
 ぐらりと傾きかけたが、何とか自力で座っていられた。

 

「め、梅流? どうしたの? 大丈夫? 気分悪いの?」
「ううん……平気……」
「平気じゃないよ。顔色悪いし……何処か痛い? 頭? お腹?」

 心配して、オロオロする兄を、梅流は苦笑気味に見上げた。

「本当に大丈夫だよ。ちょっと昼間のこと思い出して」
「昼間……ああ、宿屋のおばさんの話? あ、そっか。爺さんが頼まれたのって、サラボナの商人なんだ」

 

 

 夕食の際に、噂話の件は兄たちにも話してある。

 ……蔵馬のことは口に出せず、彼の父が無実だったことだけしか伝えられなかったが。

 

 最初は驚きと動揺を隠せなかった二人だが、亡くなった父も母も、彼のことを信じていたのだ。
 町を出て行かなければならなくなった時でさえも。

 だから、麓も汀兎もあの人のことを心から恨むことなど出来ずにいた。
 ここでの生活が安定していたこともあるのかもしれないけれど。

 無実を知って、むしろほっとしていた。

 

 

 

「大変だよね。その大商人の女の子。私より年下のはずなのに、もう結婚だなんて」
「でも、紅唖姉も流籠姉も結構早かったしさ。理由があったにせよ。それに、梅流より少し年下なだけだろ、その子。だったら、早すぎることはないよ」

 そう言う汀兎は、梅流に気づかれないように、小さく溜息をついた。
 やはり恋する相手から、結婚だの何だのの話を聞くのは、辛い。
 それが例え、本人のことでなくても。

 聞く度に、やっぱり梅流は自分のことを『兄』としか見ていないことを痛感させられるから。

 

(でも……)

 けれど、そのたびに思うことは、いつも同じ。

(俺は梅流が幸せになるなら……それでいいよ)

 

 できれば、もう少しだけ傍にいてほしいけれど。
 今夜の彼女を見ていると。
 何となくそれも叶わないような気がしたのだった。

 ……そして、それは確かに当たっていた。

 

 

 

 

 

 カランカラン

 

 

「「!!!」」

 突如、夜の闇に響いた乾いた木の奏でる音。
 それは村全体に張り巡らされた鳴子だった。
 風などの影響は受けぬ位置を的確に選んでいるため、誰かが触れなければ、決して鳴ることはない。

 村人たちは、村の入り口を一カ所に決めており、見張りのいる其処以外から出入りすることはない。
 第一、こんな深夜に森へ出るなど、自殺行為もいいところ。

 つまり、村の人間ではない。
 とすれば。

 

 

「モンスター!?」
「梅流! 皆を起こして! 俺は音の元を探ってくる!」
「分かった!」

 兄妹は同時にかけだした。
 梅流はまず、寝ていた兄の麓に声をかけ、絶対に家から出ないよう言い置いてから、隣家へと走った。

 

「おじさん! おばさん! 起きて!!」

 こんな時のために、各家庭には軒先に大音量で鳴る鈴が取り付けられている。
 梅流は一軒一軒回って、それを鳴らしていった。

 といっても、元から人口の少ない村。
 差ほど時間はかからず、起きられる者は皆、村の見張り台へ集結した。
 村の出入り口に建てられてはいるものの、そこからはぐるりと村が見渡せるようになっている。

 

 

「分かったよ! 南西の方角だ!」

 鳴子の糸先を見に行った汀兎の声に、全員が持つ松明が夜の闇を照らす。

「メラミ!」

 梅流の持つ杖の先から、炎がほとばしる。
 補助呪文が得意な梅流だが、炎の技も少しならば使えた。

 当てるつもりはない。
 明かりの代わりになればと思ったのだ。
 現に、狙いは大幅に外し、木々よりも遙か上を炎は巡っている。

 そこだけが昼間のように明るくなった。

 

 

 

「いたぞ! あれだ!」

 誰かが叫び、全員が息を呑んだ。
 そこにいたのは……確かにモンスターだったけれど。

 

 

 

「な、何だあれは……」
「獣みたいだが……モンスターだよな? 爪も牙もすごいし」
「目つきはわりーけど……何かあんまり怖くねえっつーか」
「派手じゃあないが、変わった色だな……」

 全員がどうしたものか、と思ったのも無理はない。
 何せ、この辺りでは見かけない顔だったから。

 

 大きさは、そこら辺にいる犬くらい。
 色は闇の中でも分かるくらい明るめで、毛がふさふさしている。
 瞳は丸く、開いた瞳孔は緑だった。

 警戒しているらしく敵意はあるが、害意はなさそうである。
 たまたま鳴子に引っかかっただけなのだろうか?
 牙をむき出しに唸っているけれど、どうも一般的なモンスターのイメージからかけ離れていて、どうすればいいのか分からない。

 

 出来ればこのまま立ち去ってほしい……と思った、その時。

 モンスターは踵を帰して、森の中へ消えていったのだった。

 

 

 

「やれやれ。行ったか」
「全く人騒がせなモンスターだな」
「皆、帰ろうぜ」

 ぞろぞろと家へ向かう村人達。
 安堵と疲れ、安眠を妨害されたちょっとした苛立ちの中、ふわっとあくびをする。

 

 

 

 そんな中、梅流は未だに自分の目が信じられず、呆然とその場に立ちつくしていた。

 

「今の……まさか……」