4.もう一つの噂

 

 

 

「あ、それでもう一つの噂話って?」

 

 しばらく泣いた後。
 ようやく梅流の涙は止まった。

 女性は何がどうなっているのか分からないままだったが、深く尋ねようとはしない。

 ふわりと上げた梅流の表情が……今までにないくらい、晴れやかなものだったから。

 

 

 

「もう一つっていうのはね。ここから南へ行ったサラボナ、分かるかい?」
「行ったことはないけど、話だけなら」

 山をいくつも超え、大きな川を渡らねばならないと聞いている。
 行かなければならない用事もないし、梅流は一度も訪れたことはない。

 

 だが、どんな場所かは知っている。
 以前、兄たちが訪れた時のことを、帰ってから語ってくれた。

 とてもとても大きな街だという。
 立派な教会があり、立派な見張り台があり、宿屋も大きく、道具屋・防具屋・武器屋、各種揃っている。
 更に巨大な豪邸があり、世界でも指折りの商人がいるのだとか。

 

 

「そう。それで、そのサラボナの大商人には、孫娘とやらがいるらしいんだよ。しばらく外へ修行に行ってたらしいが、今年帰ってきたとかでね」
「修行か〜。すごいね、格闘家?」

「あっはっは! 違う違う。修道院で教育を受けてきたって意味だよ」
「ふ〜ん。そうなんだ」

 何となく納得したような気もするが、そもそも修道院に縁がない梅流には、よく分からない世界だった。

 女性だって、分かったように言っているが、実際は半分くらいしか分かっていない。
 ようするに、徳が高かったり、金持ちのお嬢さんたちが教育するために行く場所……というイメージしかなかった。

 

 

 

「それで、今度その孫娘の花婿を選ぶことになったって話さ」
「へ〜、いくつなの? その子」
「さあねえ。あんたよりは下だったはずだけど」

「え!? なのに、もう結婚しちゃうの!?」
「何言ってんのさ。あんただって、もういい年頃だよ。あんたの兄さんたちなんか、独身でいる方がもったいないくらいなのに」
「…………」

 確かに、姉たちは今の梅流と同い年くらいで嫁に行った。
 しかしそれは単に急いでいたからというのもある。
 現に何事もなければ、話が纏まっても、嫁入り自体はもっと先の話だったはずだ。

 

 けれど……確かに、彼女の言う通りかもしれない。

 梅流も兄たちも、もう幼子では…ない。
 周りに同い年くらいの若者がいないため、意識することもなかったけれど。
 もう、そんな年頃なのだろう。

 

(でも、麓兄が結婚しないのは、前に来た冒険者のお姉さんと約束してるからだし……汀兎兄は何でなんだろう?)

 まさか、自分に惚れているから……とは夢にも思わない梅流だった。

 

(私は……やっぱり、まだ早いよ)

 何故結婚しないのか。
 相手がいないからというよりは、まだしたくない。

 だってまだ……誰にも、恋していないはずだから。

 

 

 

 

「でもねえ。大変そうだよ、その子」
「? どういうこと?」
「だって大金持ちの唯一の孫娘だよ? 絶対に寄ってくる男どもは、金目当てに決まってるじゃないか」

 言われてみれば、そうなるような気もする。
 そんな世界を直接的に見たわけではないけれど。
 冒険者から聞く噂話では、よくあるパターンだった。

 

 

「しかも、白狐の血が濃いっていうから、尚更……」

「白狐の血が濃い? って、麓兄たちみたいな?」

 

 

 『白狐』

 

 それは、獣の耳と尾を持つ少数民族。
 純血は滅んだと言われているが、時折その血が隔世することがある。
 確かサラボナの街を作ったのは、その白狐たちであるから、末裔に血が濃く出たとしても不思議はない。

 現に、サラボナを訪れた兄たちは感嘆しながら帰ってきたものだ。

 自分たちと同じ人がいた、と。

 

 そう、両親は共に白狐の末裔だった。
 その血を兄たちや姉たちは色濃く受け継ぎ、梅流を除く、4人とも白狐そのものなのだ。

 梅流だけが人間の耳を持ち、尾のない姿。
 髪の色も梅流だけが違う。

 幼少時は、そのことを時折寂しく思ったこともあったが。

 

「外見がちょっと違うだけで、梅流は梅流だ。俺たちの妹だからな」

 そう言ってくれたことが嬉しくて。
 以来、気にしたことはなかった。

 

 

 

 

「でも……白狐だからって、何か問題あるの?」

 アルカパ時代、冒険者の間では『白狐の宿』として有名で、特に問題を感じたことはなかった。
 この村には、他にもホビットやドワーフがいるから、気にされたこともない。
 時折訪れる冒険者たちの前には、麓や汀兎はあまり姿を見せないのもあるけれど。

 

「腹が立つことだけどね。白狐っていうだけで、嫌な目をする連中はいるらしいよ」
「そんな……あんなに綺麗なのに……」

 梅流は悲しくなった。
 今までずっと誇りだった。
 兄も姉も。
 もちろん、今もそう思っているし、これから一生涯ずっとそう思い続けていくだろう。

 なのに……それを分かってくれない人がいる。

 

「あたしだってそう思うがね。嫌なヤツってのは、何処にでもいるもんらしいよ」

 心底嫌そうに言う彼女に、梅流はどう言っていいか分からなかった。

 

 

 

 

「けどね。そこら辺はやっぱり世界に名を馳せる大商人だねえ。しっかり考えてるようだよ」
「どんな考えなの?」

「金目当ての連中は、命をかけることはしない。つまり、命をかけた勝負をさせるって噂さ」
「命!?」

 これには流石の梅流も声を張り上げた。
 結婚相手を決めるために、命をはるなんて……。

 

「ちょ、ちょっとやりすぎなんじゃ……」
「いやあ、それくらいやらせないと、本心は分からないだろうからね。第一、金目当ての連中は勝負にも参加しないよ。言うなれば、参加した時点で勝とうが負けようが、求婚の資格は得られるってわけだからね」
「あ、そっか」

 それならば納得がいく。
 参加することに意義があるのだ。

 勝ち負けは二の次で。

 

 ほっとしたのも、つかの間。

 

 次の瞬間、梅流の頭に雷が落ちたような衝撃が走った。

 

 

 

 

「その求婚者の中にね。さっき言った、赤毛の男がいるって噂なんだよ。まあ、国を救った英雄みたいなもんだ。真面目なんだろうがね」