3.噂

 

 

 

 

「そういえば、梅流。アノ噂、知ってるかい?」
「噂?」

 

 木の実取りから帰ってきた梅流は、一度家に戻り、兄の様子を見てから、今度は温泉の手伝いにやってきた。

 といっても、源泉の方へは行かない。
 露天風呂と併設された宿の掃除が主な仕事だ。

 客がほとんど来ないといっても、キレイにしておくにこしたことはない。
 極々稀に、迷い込んだ旅人や冒険者などもいるのだし。

 そして、噂というものは、ほとんどがそういった冒険者や旅人から仕入れたものだ。
 ついこの間、二泊ほどしていった一団がいたから、多分彼らからの情報だろう。

 

「えっと……あの頃は、麓兄の看病であんまり宿に顔出さなかったから……」
「知りたいかい?」
「うん!」

 宿屋の女将は、きっぷのいい女性で、若い梅流をとても可愛がってくれている。
 梅流も快活な彼女に、とても懐いていた。

 ダークな噂話には興味はない梅流だけれど、そういった話を彼女はこんな楽しそうに語ろうとはしない。
 きっといい話なのだろう。

 

 

 

 

「噂は二つあってね。一つ目はまあ、私らにはあんまり関係ない話だがね。地元ではとんでもない騒ぎになったらしいよ」
「どういうこと?」

「東の方に、ライン…えっと、なんだっけ? 何とかって国があるらしいんだがね」

 梅流がびくりとしたことに、女性は気づかなかったらしい。
 眉間に手を当てて、必死に思い出そうとしている。

 もし、忘れておらず、さらりと言ったならば。
 梅流の動揺に、酷く驚いたことだろう。

 

「ああ、思い出した! ラインハットだ、ラインハット!」
「……その国が……どうかしたの?」

 なるべく声を落ちつかせ、平静を装う梅流。
 流石に、いつにない梅流の様子を、女性は不思議に感じたようだが、それでも「遠くの国の噂が来るなんて珍しい」程度だと思ってくれたらしい。

 

 

「それがね。その国、10年前からずっと荒れていたらしいんだよ。何でも、皇太后の荒っぽさのせいでね。周辺の町や村も迷惑してたって話さ」
「そ、そうなんだ……」

 自分たちが後にして、10年。
 蔵馬のことはよく思い返したが、アルカパやサンタローズのことを思い出すのは、稀だった。

 何せ……あまり良い思い出とは言えないから。

 ましてや、ラインハットのこととなると……。

 

 

 

「でも、それがびっくりさ! 一晩で全てが解決されたんだっていうからね!」
「ひ、一晩だけで? 何で??」

 心底分からないという表情に、女性は更に身振り手振りを大きくして、力説する。

 

「ある日、2人組の男がやってきてね。皇太后を倒したんだよ! といっても、その皇太后は偽物だったのさ。モンスターが化けていたんだよ!」
「!」
「しかも、その2人組の内、1人は行方不明になってた王子だったらしいよ。でもって、王位を継ぐのかと思ったら、結局放棄して……」

「ちょ、ちょっと待って!! 行方不明になってた王子って……」

 

 どくん。

 

 鼓動が高鳴る。

 忘れなどしない。
 蔵馬の父の罪状を。

 第一王位継承者の誘拐。

 誰も信じたくなかったことだ……。

 

 

「ああ。10年前だったらしいね。何でも、冒険者だか旅人だかに誘拐されたって言われてたとか」
「……『言われてた』?」

「王子が言うには、モンスターに攫われてたって話さ。誘拐犯だと思われたその冒険者は、10年前に死んでたらしいよ」
「!?」

 

 死ンデタラシイヨ……。

 

 女性にとっては、他人事……しかも噂話でしかない。
 だが、しかし。

 梅流にとっては、聞き流すことなど、到底出来ない言の葉だった。

 

 だって、その冒険者は間違いなく……蔵馬の父。

 

 

 

「……梅流? 一体どうしたんだい?」

 がくがくと肩を揺さぶられ、ようやく正気に戻った梅流。
 しばらくの間、意識が飛んでいたらしい。

 

「ご、ごめんなさい……」
「いや、謝るこっちゃないけど。何かあったのかい?」
「……あ、あの、おばさん」
「なんだい?」

「そ、その……王子様と一緒に来たっていう、もう1人の男の人……どんな人か分からない?」

 

 賭けだった。

 もしこれで、最後の頼みの綱を否定されたら。

 梅流は……。

 

 

 

 

「ああ。ただの冒険者らしいけどね。しかし、すごいもんだよ。こういうのは、行方不明の王子様ってので盛り上がるのが、その男があんまりにも綺麗なもんで、そっちがメインに語られてたねえ」

「き…れい?」

「そうだよ。真っ赤な長い髪に、緑の瞳をした男だってさ……って、梅流!?」

 ぎょっとする女性だが、梅流はどうして彼女がそんな顔をするのか分からなかった。
 女性がタオルを持ってきて、梅流の顔に当てるまでは。

 

 

 梅流は……泣いていた。

 泣きたくて泣いているわけではない。

 涙が勝手に出てきて。
 止まらないのだ。

 

 けれど、その涙は……間違いなく、うれし涙だった。

 

 

(蔵馬……生きてたんだね……)