3.噂
「そういえば、梅流。アノ噂、知ってるかい?」
木の実取りから帰ってきた梅流は、一度家に戻り、兄の様子を見てから、今度は温泉の手伝いにやってきた。 といっても、源泉の方へは行かない。 客がほとんど来ないといっても、キレイにしておくにこしたことはない。 そして、噂というものは、ほとんどがそういった冒険者や旅人から仕入れたものだ。
「えっと……あの頃は、麓兄の看病であんまり宿に顔出さなかったから……」 宿屋の女将は、きっぷのいい女性で、若い梅流をとても可愛がってくれている。 ダークな噂話には興味はない梅流だけれど、そういった話を彼女はこんな楽しそうに語ろうとはしない。
「噂は二つあってね。一つ目はまあ、私らにはあんまり関係ない話だがね。地元ではとんでもない騒ぎになったらしいよ」 「東の方に、ライン…えっと、なんだっけ? 何とかって国があるらしいんだがね」 梅流がびくりとしたことに、女性は気づかなかったらしい。 もし、忘れておらず、さらりと言ったならば。
「ああ、思い出した! ラインハットだ、ラインハット!」 なるべく声を落ちつかせ、平静を装う梅流。
「それがね。その国、10年前からずっと荒れていたらしいんだよ。何でも、皇太后の荒っぽさのせいでね。周辺の町や村も迷惑してたって話さ」 自分たちが後にして、10年。 何せ……あまり良い思い出とは言えないから。 ましてや、ラインハットのこととなると……。
「でも、それがびっくりさ! 一晩で全てが解決されたんだっていうからね!」 心底分からないという表情に、女性は更に身振り手振りを大きくして、力説する。
「ある日、2人組の男がやってきてね。皇太后を倒したんだよ! といっても、その皇太后は偽物だったのさ。モンスターが化けていたんだよ!」 「ちょ、ちょっと待って!! 行方不明になってた王子って……」
どくん。
鼓動が高鳴る。 忘れなどしない。 第一王位継承者の誘拐。 誰も信じたくなかったことだ……。
「ああ。10年前だったらしいね。何でも、冒険者だか旅人だかに誘拐されたって言われてたとか」 「王子が言うには、モンスターに攫われてたって話さ。誘拐犯だと思われたその冒険者は、10年前に死んでたらしいよ」
死ンデタラシイヨ……。
女性にとっては、他人事……しかも噂話でしかない。 梅流にとっては、聞き流すことなど、到底出来ない言の葉だった。
だって、その冒険者は間違いなく……蔵馬の父。
「……梅流? 一体どうしたんだい?」 がくがくと肩を揺さぶられ、ようやく正気に戻った梅流。
「ご、ごめんなさい……」 「そ、その……王子様と一緒に来たっていう、もう1人の男の人……どんな人か分からない?」
賭けだった。 もしこれで、最後の頼みの綱を否定されたら。 梅流は……。
「ああ。ただの冒険者らしいけどね。しかし、すごいもんだよ。こういうのは、行方不明の王子様ってので盛り上がるのが、その男があんまりにも綺麗なもんで、そっちがメインに語られてたねえ」 「き…れい?」 「そうだよ。真っ赤な長い髪に、緑の瞳をした男だってさ……って、梅流!?」 ぎょっとする女性だが、梅流はどうして彼女がそんな顔をするのか分からなかった。
梅流は……泣いていた。 泣きたくて泣いているわけではない。 涙が勝手に出てきて。
けれど、その涙は……間違いなく、うれし涙だった。
(蔵馬……生きてたんだね……)
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