「「君たちに協力することで、免罪も可能ということになっている」」
……いつだったか、蔵馬が言った言葉だった。
確かに彼はそう言っていた。
霊界探偵である浦飯幽助の助っ人、それが彼の免罪条件だと。
しかし……
「じゃあ、今日はここまで」
「お、おう…」
暗黒武術会を間近に控え、幽助が幻海師範の元へ修行へ行っている間。
同じように招待(と言っていいのかどうか…)されている自分が、何もせずにいるわけにはいかないと、特訓を開始した桑原。
といっても、自分でやれることは限られている。
自分で思いつく範囲で修行しまくったところで、短期間でそんなに強くなれるわけがない。
なれるのならば、とっくになっていなければおかしいのだから。
修行のやり方一つで、力の上がり方は全く違ってくる。
桑原は、以前幻海師範の元から帰ってきた幽助を見たとき、切々とそう感じたものだった。
師範の鍛え方は、地獄のように厳しい反面、効果は抜群。
自分流で霊剣を具現化できるまでにはやり遂げた桑原だが、レベルアップの違いは歴然だった。
となれば、方法は一つ。
誰かに特訓してもらうしかない。
師範のところには幽助がいるし、飛影は一度手合わせ申し込んだが、あっさり負けて以来、相手にしてくれない。
結局、桑原が叩いたのは、南野家の門だった。
…まあ正確にいえば、人気のない竹林に呼び出したのだけれど。
「どうしても?」
「ああ!」
「飛影は貴方が人間だと手加減をしていた。俺の特訓は飛影のよりも厳しい」
あれ、手加減してたのか…。
そう思うと、やや腹も立つ桑原。
しかし、今はそういう場合ではない!
「かまわねえ! 強くしてくれ!」
正直、蔵馬の実力のほどははっきりとは知らない桑原。
迷宮城の玄武との1回きりが、彼が見た戦い全てだった。
養殖人間との戦いもあったが、あれは数が多すぎただけで、実力的には大したことはないから、あれで力は図れなかった。
玄武との戦いも、確かに強くはあったが、あれが実力の全てとも思えない。
はっきり言って、玄武は再生能力と部屋との同化さえなければ、あの場の誰でも勝てた相手だろう。
幽助の霊丸ならば、100%打ち抜けたし、飛影の剣でもおそらく切れた。
それに……多分、自分の霊剣でも切れた…と思う…。
しかし、その問題となった再生能力と同化を見破り、勝利した蔵馬だから、強いことは知っている。
といっても、あれは戦いの強さというより、動体視力と嗅覚…ようするに五感が鍵になっていたのだ。
後は明らかに自分よりも戦い慣れしているところから見ても分かるように、経験の違いだろう。
そういうのが無しでの戦いにおける強さ……とにかくそういうのは、本当によく分からない桑原だった。
飛影のように見えないほどのスピードがあるわけでもなし、幽助のように爆発的な霊力があるわけでもないようだし。
にも関わらず、彼らは蔵馬のことを、悲しいが自分よりもず〜っと信頼している。
彼にはきっと何か秘密の強さがある。
そう思って特訓志願したのだが……事態は予想以上の展開となってしまったのは言うまでもない。
蔵馬の特訓は、後にS級妖怪となる6人にさえ「地獄」と称されるもの。
地獄も地獄。
無限地獄のど真ん中に落っことされたような感じだった。
でもってやっぱり強かった。
スピードも飛影ほどではないが、自分よりはずっと早い(つーか飛影が早すぎる)。
パワーも幽助ほどではないが、自分よりはずっと強力で強大(つーか幽助が桁外れ)。
あの、長さはあっても、ほそっこそうな手足の何処にそんな力があるんだというほど、腕力も脚力もかなりある。
加えてあの植物ならなんでも武器にできる技……出し入れ自由で、媒体がいらないはずの自分より、何であんなに便利そうに見えるのだろうか?
知能においては、もはや桑原の理解できる範囲ではなかった…。
ということで、特訓始まって1ヶ月、武術会まで1ヶ月。
蔵馬による桑原強化大作戦は、着々と進んでいっていた。
「じゃあ、明日までに今日のところは全部出来るようになっておいて」
「え」
「何が『え』なんだい?」
振り返る笑顔は絶対零度。
流石は、魔界に名を轟かした盗賊妖怪。
これに反発できる人間など、世界中探したって絶対にいようはずがない。
「え、い、いや〜、そんじゃ、早く帰って、やらねえとな〜!」
かなり挙動不審ではあったが、桑原の返事に満足したように蔵馬はいつもの笑顔に戻った。
「それじゃあ、俺はここで」
「おう。あ、そういえばよ」
「何?」
「おめえ、いつも終わったら、何処行ってんだ? おめえの家、あっちだろ? いつも向こうに行くけどよ」
「ああ。これからちょっとね…雑用が」
「雑用?」
「まあ、いろいろと」
何処か遠い眼になって言う蔵馬。
視線はぼんやりしているが、空に注がれているように見えた。
それだけで、なんとなく事情が飲み込めた気がした。
「……大変だな、おめえも」
「まあね。じゃあ」
「また明日もよろしくな」
がたがたになった手足を何とか動かして帰路につく桑原。
とにかく急いで帰って、今日の復習をせねば、明日が怖い。
しかし、自分はこれだけやればいいわけだが、蔵馬は……。
「マジでぶっ倒れねえのが不思議なくらいだぜ、あいつ。これからコエンマの雑用かよ…」
心底気の毒そうに言う桑原。
最もだからといって、自分の特訓の方をやめられては困るので、それも言えない。
ぶっ倒れないように祈りつつ、とにかく家へ急いだのだった。
「……倒れれば、楽なのかもしれないけど、生憎そんなにやわでもないんでね」
犬よりもいいと言われる狐並の聴覚を持つ蔵馬。
まだ見える範囲にいる桑原の独り言など、聞こえないわけがなかった。
まあ、分かっていてなお、特訓続行を願うのは、強くなりたいと思う者には必要不可欠だと、むしろ喜んでいたが。
「さてと」
桑原が見えなくなった後、数歩歩んで、霊界への入り口を通り抜ける蔵馬。
一瞬で景色は変わり、霊界の審判の門の前に辿り着いた。
死者の霊魂が訪れる正門ではなく、従業員が使用する通用口へ回る。
インターホンを鳴らすと、すぐに鬼が出た。
『はい』
「蔵馬です」
『ああ、お待ちしてました』
……数ヶ月前に、盗賊を働いた相手に対し、こういう接し方でいいのだろうか?
しかし、鬼たちは蔵馬が訪れることなど、もう慣れ切っている上、彼をとてもとても頼りにしているため、どうしてもこういう態度に出てしまうのだ。
ドアが開き、長い廊下が現れる。
蔵馬は迷わず進み、いつもの部屋へ辿り着いた。
「失礼します」
中へ入ると、待ちかねていたように、紙に埋もれたお子様が顔を上げた。
「遅いぞ。早くやってくれ」
「はいはい」
散らばる紙は分別も何も出来ていない、しかも大量の書類の山。
大概の人が見れば、逃げ出したくなるか、焼き捨てたくなるようなもの。
蔵馬はため息混じりに拾い上げ始め、ものの数分で分類と整頓をすませてしまった。
これが蔵馬の日課。
学校が終わった後、桑原の特訓をし、すぐさま霊界へ訪れ、書類の整頓。
その後は書類処理の手伝いか、もしくは霊魂の管理か、あるいは人間界の妖怪退治か…。
仕事は吐いて捨てるほどあり、このところ蔵馬はその日のうちに家に帰ったことがなかった。
「全く。少しずつやればいいんでしょう?」
「人手が足りんのだ、仕方ないだろう」
「だからって俺が盗んだものを、俺に片付けさせますか? 普通」
霊界大秘蔵館にて、閲覧書類にチェックを入れるコエンマの横で、闇の三大秘宝の手入れをする蔵馬。
これは数ヶ月前、蔵馬が飛影たちとつるんで盗み出したもの。
剣が血でサビ、鏡が霊丸で割れて以来、手入れにはより慎重さと精密さを要されるものとなった。
確かにそんな危ない品、手入れできるのは手先も器用で、頭もいい蔵馬しか出来ないだろうが……普通、盗んだ張本人に改めて触れさせるものなどいないだろうに。
「わしには出来んのだ! 第一、その剣、お前のでサビたようなもんだろうが」
「まあそうですけどね」
実際、降魔の剣は螢子の額も切っていたが、サビの原因の血は全部蔵馬のもの。
腹を貫通したのだから、無理もないが。
「腹立ち紛れに、折るとか考えないんですか?」
「お前、そういうタイプじゃないだろうが」
「キャラクターの意外性という点ではいいアイディアだと思いますが?」
「やめろ…」
などと結構のんびりと会話していた二人。
そこへ轟音にも近い、警報ベルの音が鳴り響いた。
「な、何だいきなり!?」
「コエンマ、何処か変なところ触りました?」
「何でそうなる……賊かっ」
「賊ならここに」
「ああそうか…って、違うだろうがー!」
漫才をやっている場合でもないと思うのだが…。