<心配性> 1

 

 

 

「ねえねえ、蔵馬」
「はい?」
「あんたさ。ほっぺた、どうかしたのかい?」
「頬?」

例によって、いつものように浦飯宅へ集合した、蔵馬・飛影・桑原・ぼたん。
ちょっとしたお菓子や×ゲームを賭けてのカードゲームも、いつものこと……だったが。

この日、蔵馬がいつもほど言葉を発していないことには、全員が気付いていた。
勝つ回数は普段と変わらないのに、それに乗じてのからかいの言葉が常より少ないのだ。
そういう日もあるだろうと、内心、からかわれる回数が少ないことに、一同はほっとしてもいたのだが。

 

流石に飛影はとっくに気付いていたのだが、次に気付いたのは、蔵馬の正面に座っているぼたんだった。
時折、彼が頬に手を当て、その度に一瞬眉間にしわを寄せることに。

 

 

「ああ、これね」
「傷むのかい?」
「大したことないよ」

蔵馬はにこっと笑うが、しかし「何でもない」と言い切らない時点で、軽傷ではないことを全員が悟った。
手にしていたトランプを絵柄を上にして、テーブルの上へ置くまでは全員がやったこと。
丁度、右隣に座っていた幽助は、やや無遠慮にその頬に触れてきた。

「…おい、熱くないか?」
「え? どれどれ」

テーブルから身を乗り出す形で、ぼたんも白い頬に触れてみる。
蔵馬は抵抗こそしなかったものの、やはり触れられて多少痛いのだろう、少しだけ顔をしかめた。

 

「本当だ、熱もってるよ。腫れてはいなさそうだけど……」
「いちおう解熱剤は飲んでるし」
「解熱剤!? そんなもん、飲むほどなのかい!? 痴話ゲンカでもしたのかい!?」
「…誰と?」
「誰とって……」

真顔で返され、言葉に詰まるぼたん。

 

幽助なら分かる。
いつものことだ。
今更、頬が腫れるなど日常茶飯事……といっても、彼の場合は、次の瞬間には綺麗さっぱり治っていたりするのだが。

飛影もまた分かる。
あまり多くはないがいつものことだ。
最も彼の場合、頬に熱…程度ではすまず、当分の間は塞がらない風穴が開いたりするから、幽助以上に始末が悪いのだが。

桑原も……分かるだろう。
ある意味いつものことだ。
痴話ゲンカとは親しい間柄の男女による喧嘩。
彼らの場合、またの名を姉弟ゲンカとも言う。
怪我の程度は幽助よりも若干酷いが、飛影ほど酷くはないから、治りも早い(と思われる)。

 

しかし、蔵馬だけは違う。

彼は喧嘩をするような恋人もいなければ、姉妹もいない。
母親はいるが、喧嘩をするとも思えないし、第一あの志保利が手を出すことも想像つかない。

更に言えば、恋人どころか、女友達自体、いるのかいないのかも不明なのだ。
人間界に限らず、魔界においても。
ぼたんや静流、螢子や雪菜を友達と呼べたとして、彼女たちくらいしかいないのではなかろうかというくらい…。

そんな彼がどうやって痴話ゲンカなど出来るだろうか?
言ってから、死ぬほど後悔したぼたんだった。

 

が、蔵馬の方は至って普通で、特に怒ってもいなかった。
多分、いつも幽助や桑原に言っているノリなのだろうと、苦笑した程度で。
真相もあっさり教えてくれた。

 

「親知らずがね。少し傷んで」
「親知らず? ってことは、それほっぺたじゃなくて、歯が問題なのかい?」
「ああ」

「んだよ…」
「なんで〜」
「フン…」

蔵馬の発言に、他男子三名がかなりつまらなそうにため息をついたことに、流石の彼も怪訝に眉ねを寄せた。

「? 何で全員で…」
「あ、いやなんでもねえ!!」
「……」

焦りまくり否定している時点で、何を考えていたくらいは誰にでも分かることだろう。
大方、自分たちに黙って、親しい女性が出来て喧嘩して……などと、蔵馬にはあり得ないと思いつつ、密かに期待していたのだ。
まあ幾分不快はあるものの、歯の痛さであまり喋りたくないため、とりあえず今日は黙っておいた。

 

 

 

「歯医者行かなくていいのかい?」
「予約は入れてあるよ。明日の夕方」
「痛くないかい? 幽助、痛み止めある?」
「そんな大げさな。熱は抑えてるし」
「だって、あれ痛いだろう? 熱だって、完全に引いてもいないみたいだし…」

心底心配そうに言うぼたんに、今度は幽助たちが不思議そうな顔になる。

実のところ、幽助も桑原も、当然飛影も……『親知らず』というものを、あまり詳しく知らないのだ。
というか、飛影に至っては親知らずという単語自体、さっき聞いたばかり。
会話上、歯の何かなのだろうと推測出来たが、その程度である。

 

「なあ、ぼたん。そんなに酷いもんなのか? その親知らずってやつ」
「……ひょっとして、幽助知らないのかい? 親知らず」
「名前くらいは聞いたことあるけどよ。どんなもんなのかまでは、知らねえよ」

投げやりに言う幽助に、ぼたんは呆れたようにため息をついた。
同じように若干ため息をついたものの、蔵馬は特に呆れはせず、彼の疑問に的確に答えた。
最も、結構難しい言い回しではあったが。

 

「親知らずは正式には下顎第三大臼歯と上顎第三大臼歯で、成人後に生え始める歯なんだ。他の歯は、子供の頃に生え揃うから、両親に育てられている時に生えることになるだろう? だが、成人後に生える歯の存在は、親が知り得にくい。だから、『親知らず』」
「ほ〜。つまり、それ、最近生えたのか?」

付属受験勉強以来、幽助よりは理解力に長けた桑原が、納得したように頷く。
その様子に幽助が内心ムッとしたのは、言うまでもない。

 

「ああ。それが向きが悪いらしくてね。まあ、珍しくもないけど。日本人の食生活ではそうなりやすいから」

のんびりと他人事のように言う蔵馬。
いや、彼の場合、本当に赤の他人のことでなければ、こんな風には言わないだろう。
自分のことだからこそ、他人事のようになるのだ。
これが飛影たちのことであれば、心配げに言うものである。

とはいえ、これだけゆったりしているのだから、その親知らずとやらも大したことはないのだろうと、幽助たちはタカをくくっていたのだが……。

 

 

「蔵馬。あんた今日はもう帰りなって」
「お、おい。ぼたん」
「これ以上酷くなったら、厄介だよ。もううちに帰ってゆっくり休みなって。ね?」

どちらかといえば、心配性なぼたんだが、たかが歯ごときでここまで言ったことはない。
それこそ幽助や桑原が痴話ゲンカして、頬が腫れ上がったところで、笑っているくらいである。
それが幽助たちをやや不安にさせることまでは考えていないらしいが。

 

「ぼたん。さっきの質問、もう一回するぜ? そんなにひでーもんなのか?」
「酷い時は酷いよ。何ともなければ、ほっといてもいいけどさ。痛みがあって、熱もってる時点で、酷いはずだよ」

つまり蔵馬の今の状態は、「酷い」状態の中でも、「かなり酷い」ということらしい。

「……酷いって、どんくらいだ?」
「あたいがまだ新米の頃なんて、親知らずのせいで死んだ人もいたね」

 

「!?」
「げっ、マジ!?」
「うそだろ!?」

 

がたんっと椅子が倒れる音が3回し、ばんっと机を叩いて立ち上がる姿が3つあった。
その様子に一瞬驚いたものの、ぼたんはきっぱりと言い切った。

「嘘言ってどうするのさ? 当時は医療が発達してなかったからさ」

ということは、彼女一体いくつなのだろうか…。

 

しかし、ぼたんの言葉に、蔵馬のぞく全員が蒼白になったのは言うまでもなく。
同時に、「もう帰れ!」「歯医者、今日行けねえのか!?」「薬なんかいるか!? 痛み止めでもなんでも買ってくっから!」などと、普段心配する側なのに、散々心配され、呆気にとられた後、蔵馬が苦笑したのも言うまでもなかった。