<黒鵺> 2

 

 

 

「……」

驚きを隠せない幽助。
冗談抜きで、本当に開いた口が塞がらなかった。

まさか……冥界といえば、よいイメージなど欠片もなく、とにかく敵としか思っていなかった。
螢子を攻撃し、ぼたんを苦しめ、幻海や雪菜も傷を負い、ひなげしという幼い少女も死にかけた……弁解の余地なしというか、もはや敵としか言いようのない世界だった。

最も、冥界自体はかなり昔に滅んでいるため、出会った冥界鬼は王を含めても、極々一部だけだったが……。
いや、むしろだからこそ、その極一部の最悪連中でのイメージが固定化され、冥界の連中全員=敵と思ってしまっていたわけだが。

 

まだ混乱の中にいる幽助に、蔵馬は落ち着いた声で言った。

「冥界はどちらかといえば、霊界に近い世界だったんだよ。魔界のように小国の集まりではなく、王である耶雲が完全に支配する世界。エンマ大王が治める霊界との相違点は、霊界は世代交代していくのに比べ、冥界は出現してからずっと耶雲が王。つまり、耶雲の存在そのものが、冥界のようなものなんだ」
「……よくわからん」

混乱が余計混乱したらしい。
頭を抱える幽助に、蔵馬は素直にくすっと笑って言った。

 

「分かりやすく言えば、冥界玉というのがあっただろう?」
「ああ」
「あれはいわば、耶雲の心臓だったんだよ」
「心臓??」

「結構余裕にしてたけど、内心焦ってただろうね。もし壊されたらって……最も、エンマ大王にも不可能だったらしいけど。破壊出来た幽助はかなりすごいよ」
「そ、そうか? …んで?」

「冥界の力の源である冥界玉と、王である耶雲は一心同体も同然。つまり、耶雲の存在が冥界の存在。冥界の連中は皆、耶雲の手の中……いつでも壊せるオモチャだったんだよ」
「……それ、かなり嫌だな」

無意識のうちに、両手を組み合わせる幽助。
自分自身、今の蔵馬の言葉に怒りを覚えているのは、よく分かった。

 

人の手の中で転がされる……それは幽助にとって、大切な人を傷つけられることの次に、嫌悪することである。
もちろん、桑原も飛影も……そして蔵馬もそうだろう。

誰かに命を握られるなど、ゴメンである。
自分の生き方は自分で決める。
自分の守りたい者は自分で守る。

誰かに生かされるほどの苦痛はない……。

 

 

 

一方、幽助が怒っていることが、逆に蔵馬にとっては嬉しかったらしい。
同じ事を考えてくれていて…。

しばらく間をおいてから、言った。

「そこに嫌気が刺したってね。黒鵺は冥界を出たんだ。もちろん簡単なことじゃなかったろうけど……どうやって冥界から脱出したのかは、聞かなかった。ただ…魔界にあいつが来た時、出会ったんだ」

カチャっと陶器の触れる音がした。
顔をあげると、蔵馬が再びカップをあげている。
今度はちゃんと一口飲んで、思いだしたように、少し笑った。

 

「実は最初は敵同士でね。当時、黒鵺は盗賊ではなく、アサッシンだった」
「あさっしん??」
「ああ、暗殺者のことさ。盗賊はポピュラーな職業なんだけど、実際は難しいんだ。何せ、自分の運と実力だけが糧になるものだからね。それを左右するのは、もちろん妖力もだけど、経験や知識、土地勘なんかも必要になってくる。だから魔界へ来てすぐの黒鵺は、いきなり盗賊をすることは出来なかったんだ。もちろん、何処の盗賊団にも入れなかったらしい。やっぱり差別はあるからね、冥界人ってだけでも」
「そう…なのか…」

魔界のことは最近何となく分かってきた幽助。
だが、盗賊など、深く暗い部分で暗躍する存在のことは、まだよく分かっていない。

 

いや幽助に限らず、魔界で盗賊をするために必要なモノ…蔵馬の言ったように、経験や知識など…それらを手に入れるのに、どれくらいの才能と時間が必要なのかは、やったことのある者にしか分からないだろう。
それこそ、人間の一生とは比較出来ないほどであることだけは、間違いないのだが、人間界で暮らしている幽助には、それすらも想像がつかなかった。

しかし、別に蔵馬は今、幽助に盗賊の生き方を言うつもりなどない。
言いたかったのは、あくまでも別のこと……。

 

 

「その点、暗殺者は何処かのギルドに所属すれば、一定収入は確定される。差別はもちろんあるけど、団体行動を主体にする盗賊よりはまだマシだ。基本が単独行動だからね」
「……なあ、ぎるどって、何だ?」

「日本語に訳すなら、特権同業者組合……つまり、同じ職業の人たちの集まりさ。中心になる人物がいて、その人物があらゆる場所から仕事…暗殺以来を集める。所属している者は、中心人物から与えられた仕事をこなす。ただし、基本は単独行動で、仕事以外は、邪魔にならない限り一切関与しない。まあ、短期バイトだけを取り扱っている職業安定所ってところかな。暗殺業専門の。もちろん、運も実力も必要だけど、ある程度の情報は中心人物から与えられる。つまり、土地勘や知識は低くても問題ない。後は回数を積むだけ……ここまで、分かった?」
「な、何とか」

実質は半分くらいしか分かっていないが、多分これ以上説明されても、あまり分からないだろう。
とりあえず、黒鵺が暗殺者だったということだけは、何とか分かった(当たり前だ、さっき蔵馬が言ったところなのだから)。

 

 

「黒鵺は才能があるヤツだった……だから、すぐに強くなった。俺の暗殺を任されるほどにね…」
「つまり、お前が暗殺のターゲットだったのか? 誰が依頼したんだ?」
「さあ? 依頼人と実行者の接点が全くないところが、ギルドの特徴だからね。ま、恨みなら死ぬほど買ってるから、不思議もないさ。黒鵺以外にもたくさんの暗殺者に襲撃されたしね」

「で……どっちが勝った?」
「俺が負けてたら、俺はここにいないだろ?」
「あ」

確かにそうである。

蔵馬が自分を襲った者を生かす可能性は、結構低いことなら、幽助も知っている。
自分に危害を加えようとする者に対する冷徹さは、半端でない。
妖狐の時なら、尚更だろう。

だが……盗賊は盗むことが本業。
暗殺者は文字通り、殺すことが本業のはず。
となれば、ターゲットが生きているのは、明らかにおかしい。

 

つまりは、蔵馬が勝って、何らかの理由で生かしたとしか、考えられなかった。

……しかし、生かした理由は結構単純なものであった。

 

 

 

「俺も勝つには勝ったけど、結構深手を負ってね。トドメをさす前に逃げられた。だが、その後、黒鵺は俺の暗殺が失敗したことで、ギルドから処分されたらしくてね。数日後に、瀕死の重傷で倒れていたところを、偶然見つけた。一度殺そうとした相手だったけど……何となく助けた」
「何となく?」
「うん、何となく」

ニコッと笑って言う蔵馬。
幽助はそんなもんかと、ため息をつきながらも、納得していた。
別に特別な理由がない時があっても、不思議はないだろう。

 

蔵馬には人を見る目がある。
一度殺そうとした相手だろうと、殺さなかった時がないわけではない。

凍矢や、死んでしまったが画魔がそうである。
彼らは根はいい妖怪だった。
蔵馬が冷酷に対峙するのは、本当に蔵馬の大嫌いな「悪」だけ。

だから……黒鵺はそうではなかった、ただそれだけなのだろう。

 

 

 

「あんまり俺は組むのが好きじゃなくてね。かなり大きな集団になったこともあるけど、やっぱりまとまりきらないし、反乱は起こるし、突っ走るヤツもいるし……結局面倒になって、第三位に任せて、やめた」
「第三位? 二位じゃねえのか?」
「まあ…色々事情があってね」

まさかその第二位が黄泉で、やめる少し前に殺そうとしたとは、流石に言えなかった。
別に言ってもよかったかもしれないが……幽助には今の黄泉を見て欲しかったし。

 

 

「けど、黒鵺だけは……違ってた」

天井を仰ぎながら言う蔵馬。
過去を思いだしているのだろう、その目はもっと遠くを見つめていた。

「すごく…楽しかったよ。盗賊の仕事も、普段の生活も。極悪非道と呼ばれ、俺自身そう思っていたのに……楽しいって、生きてることがすごく楽しく思えた……」
「……」

「今思えば…俺が妖狐として生きていた中で、一番楽しい時間だったかな……」