<真の姿> 3

 

 

 

「……とう…かいとう……海藤!」

誰かに呼ばれた気がし、海藤はゆっくり薄目を開けた。
しかし、なかなか自分の置かれている状況が理解出来ない。
誰に呼ばれたのかも、目の前がどうなっているのかも……。
だが、もう一度、

「海藤!!」

と呼ばれたことで、はっと意識を覚醒させた。
目の前にいたのは、赤い髪と緑の瞳をした少年。
その顔は心配そうに曇っている。
呼んでいたのは、間違いなく彼だった。

 

「大丈夫か?」
「み、みなみの…か……?」

絞り出すような掠れた声だったが、何とかそれだけ言えた。
同時に安堵の息をもらす。
しかし、その直後、南野の襟首につかみかかり、

「み、南野!! ば、化け物が!! 化け物がーー!!」
「か、海藤?」

いきなりつかまれ、揺すられ、叫ばれ、驚く前に慌てる南野。
とにかく何とか冷静にさせねばと思い、しばらく考えてから、その汗だくの頬に平手を喰らわした。

パンッと乾いた音が廊下に響く。
同時に海藤の半狂乱と化していた声と行動が止まった。
所謂、ショック療法というヤツである。

「……あ」
「落ち着いたか?」
「あ、ああ……」

 

 

 

 

 

 

「……というわけなんだ」

事情を説明する海藤。
全てが終わるまで、南野は一言も喋らず、ただ黙って聞いていた。

「あんな恐ろしいヤツ……初めて見たよ。いや、俺は魔界虫と飛影くん以外の…ああ、浦飯さんも魔族だっけ? とにかく、他の魔族にも妖怪にも会ったことはないんだが」

海藤は一度大きく息を吐いてから、

「すごく恐ろしかった、怖かった。あれほどの恐怖心を感じたことは、今までなかった……あれが化け物ってヤツなんだな…」

話を終え、すっと南野を見上げる海藤。
ふとその顔が曇り、複雑そうな…何処かもの悲しそうな表情になっていることに気付いた。

 

 

「南野は……出くわさなかったか? 平気だったか?」
「……」
「南野?」

「……俺だよ」

「へ?」

 

 

「俺だよ。それは……その化け物は」

 

 

数十秒…いや、数分の沈黙。

「あ、いや…南野…冗談にもならな……」
「嘘でも冗談でもない。お前の言う、銀髪で金色の瞳の妖怪は俺だ。俺の正体、妖狐蔵馬さ。さっき一時的に戻っていた」
「くらま…って、お前、それあだ名じゃないのか?」

海藤とて、『蔵馬』という名前に聞き覚えがないわけではない。
浦飯幽助や桑原和真、飛影も幻海もそう呼んでいた……いや、魔界の境界トンネルに関わった者で、自分以外の全員がそう呼んでいた。
変わった呼び名だが、てっきりあだ名だと思っていたのだが……。

 

「蔵馬は俺の本当の名前さ。南野秀一になる前の……妖怪・妖狐としての名前さ」
「お前…よう、かい……」
「……やはり知らなかったのか」

立ち上がり、海藤から視線をそらして、窓から夜空を見上げる蔵馬。
月が暗雲に隠れ、お世辞にも美しいとはいえないものだった。
しかし、蔵馬は海藤に視線を戻そうとせず、背を向けたまま、

「そうだと思っていたけれどね。俺の正体が妖怪だと知っていると仮定すると、態度が少しおかしいから。能力を持った人間と見ている目だった」
「……」

海藤は黙ったままだった。
何を言えばいいのか……分からなかった。

 

 

まだ信じられなかった。
あの恐ろしい化け物が、今、目の前にいる南野なのだと……。

だが、彼は嘘を付いているようには見えなかった。
まるで天沼に事実を告げた時……ゲーム機に向かっていたあの時、ほんの少しだけ見えた、怒りと悲しみの混ざり合ったあの表情のような……。
だから、真実を告げているとしか思えなかった。

 

しかし、理解出来ても、納得は出来ない。

今の南野は全く怖くない。
いくらあれが自分だと言ってきても、どうしても南野を恐怖出来なかった。
だからこそ……あの恐怖の塊のような化け物が、南野なのだと思えなかった。

 

いや、思いたくなかったのかも知れない。

思ってしまったら……今の南野まで怖くなりそうで。
それが怖いのかも知れない。

怖くなりたくなくて、怖くなっている。
辻褄があっていないことは、自分でも分かっている。
だが……この奇妙な感覚はどうしても打ち消せなかった……。

 

それに……あれだけ散々、化け物だの怖いだの言いまくったのだ。
彼とは知らなかったとはいえ、本人の目の前で。

それすら、認めてしまうことが……また怖いのかも知れなかった。

 

 

 

 

葛藤の中にいた海藤に、何気ない言葉が降ってきた。

「別に怖がっていいよ」

はっと顔を上げる海藤。
南野はこちらへは向かず、うっすらと月光がにじみ出した夜空を見上げていた。
しかし、海藤が何か言う前に、続けた。

「別に怖がってもいいんだ。それが普通だからね。恐怖は隠す必要なんかない」

まるで海藤の心中を見透かしたような……しみいる言葉だった。
海藤は何も言わなかった。
南野は続ける。

 

「俺を見て、驚愕しない人間なんて滅多にいないよ。いや、人間だけじゃなく、妖怪もね。普通、こんな姿を見て驚かない奴なんか、いないだろ? 飛影みたいに外見がほとんど人間と変わらないならともかく」

……実際、飛影の額には邪眼がある。
だから外見が人間とほとんど変わらないとは言い切れない。
だが、おそらくは海藤は知らないだろう。
彼の前ではずっとバンダナを巻いていたから…。

 

 

「それに……恐れて当たり前なんだ。誰でもね。俺は……自分が恐れられるように…恐怖されるように、強くなったんだ」
「恐怖…されるように?」

海藤が南野の言葉を反芻する。
南野はこちらを向かぬまま、こくりと頷いて、

「魔界では力が全て。恐怖されることこそ、力の本質だと思っていた。今は少し違うけれど。……でもだから、恐怖されるよう、常に冷たい瞳と蔑む表情でいるようにした。どんな時で揺るがないように……だから」

くるりと南野がこちらを横顔を向いた。
一瞬、びくっとする海藤。
南野の瞳が……淡い月光の反射をうけ、金色に見えたのだ。

 

南野は海藤の震えをどう理解したのか……何故か、笑顔で言った。

「恐れていいんだ。俺を……」