その5 同一人物
「ぐ…げほ…ごほ……う…あ…」
宿の一室から、今にも死にそうな、か細い声が聞こえた。
が、隣室に長いこと泊まっている客人も、階下の宿のオーナーたちも全く頓着しなかった。
一ヶ月ぶりに品物をおろしにきた野菜売りの男だけが、
「おい、何だあの声……死にそうな感じだけど、大丈夫なのか?」
と問いかけたが、宿の主人がため息つきながら「大丈夫だ、ほっとけ」というので、それ以上はつっこまなかった。
しかし、それは裏を返せば、誰も気にしなくなるくらい、その状態が長引いているということ……。
もはや心配の必要性すら感じなくなるくらい、彼の病は長く、そしてじれったく続いているのだった。
「う…げほげほ…ご…」
「コエンマ、五月蝿い」
げし
綺麗に、寝込むコエンマの顔面にケリが入った。
仮にも病の父に対し、この仕打ちはあんまりといえばあんまりではないか。
重い身体を反転させ、咳のしすぎで涙目になった顔でにらみつけ、
「お前…それが…ごほ…病人に対する……態度か…」
「フン、ただの風邪だろうが。大げさだ」
「…これの…ごほ…何処が…ただの風邪だ…」
「コエンマ、喋らないほうがいいよ、喉にくるから。それに風邪は風邪だったでしょう、最初は」
「最初はそうだろうが、今は違う! …う、ごほごほ…」
「言わんこっちゃない…」
ため息つきつつ、コエンマの額のタオルを替える蔵馬。
熱は相変わらず高い。
「……宿で寝てるより、入院した方がよさそうだけど……病院ないものね」
「フン。寝てれば治る」
「は、薄情者どもが〜」
ただの風邪から、気管支炎になり、ついには肺炎になってしまったコエンマの面倒は、ほぼ蔵馬が一人で看ている。
ゲームのキャラに任せても、多分大した手当ては出来ないだろうし、持ち合わせの薬草は全て消えていようと、街やフィールド上の野草などは結構使える。
夜に出かける以外、昼間にやることなど特にないし、ほおっておくわけにもいかないだろう。
まあこの原因の半分は、なかなか城のイベントをクリアしていない自分たちにあるというのも、無きにしも非ず…。
が、そもそもこのゲームをやらされている原因がコエンマにあるのだから、同情の余地はあまりない。
それにイベントクリアはしないのではなく、出来ないのだから、どうしようもない。
本当ならば、さっさとクリアしたいところが、なかなか出来ないのだ。
クリアできない間、困っているのは、コエンマだけでなく、猫の蔵馬もそうである。
見ていて腹が立つため、あれ以来川の向こうには行っていないが、遠くであのガキどもの高笑いが聞こえてくることがある。
それだけで、何をしているか大体見当はつくというもの…。
「さて、今夜こそクリアしないとね。いい加減、一ヶ月も毎日同じことしていると飽きてくるよ」
「……」
ということで、この村へ着てから一ヶ月、毎晩毎晩お化け退治へ出かけている二人。
が、城のモンスターのレベルが高いというよりは、管理人のゲーム音痴が原因で、なかなかイベントはクリアできなかった。
現に管理人はこの城で迷いに迷い、最低30回は全滅し、呆れるほど時間を浪費したものだった。
「……何か、管理人がやると、本来俺たちがやった場合よりも、苦労するみたいだね」
「くそっ…」
そう言われても、ゲーム音痴は治そうと思って治せるものではないため、あしからず…。
……ということで、城攻略に挑戦して、早くも三十日、早くも三十回目。
ほとんど城の内部も丸暗記しつつあるほどだが、もうそろそろ飽きてきた。
しかしながら、攻略条件がさっぱり分からないのだ。
どらくえ3の時のように攻略本片手にやりたいところだが、攻略本を買うお金すらない貧乏人。
結局、管理人はインターネットにて攻略サイトめぐりをし、かなり事細かなところまで書かれてあるサイトさまにて、ようやく条件を発見し、更にかなり時間をかけて条件に辿り着く方法を見つけ出した。
「……つまり、ほとんどの攻略サイトでは省略されるほど簡単な条件だったわけか」
つまるところそういうわけだが、自力では見つけられないほどのゲーム音痴のため、あしからず。
前置きが長くなったが、とにもかくにも、攻略条件らしいものに出会うことが出来た蔵馬と飛影。
城のテラスに、向こうが見えるような薄く透けている人物がいたのだ。
どう見ても、普通の人間ではない。
これが普通であれば、世の中に普通でない者などいないだろう。
それくらい、普通でなかった。
まあ精神的なものでいえば、生身の人間の方が空恐ろしいときも、無きにしも非ずだが。
「こんばんは」
とりあえず、話しかけてみる蔵馬。
話しかけることが戦闘開始のスイッチになるケースは多い。
また話しかけなくとも、近くへ寄っただけで、戦闘開始になる場合もある。
念の為、少し離れた位置で薬草を使って回復しておき、警戒しつつ近づいた。
焦点のあっていない眼で、ぼ〜っと夜空を見上げていたのは、男のようだった。
背格好からいって、一緒にゲームへ入ったメンバーでないことは分かっていたが、それ以外の知り合い…というわけでもなかった。
やはりこのゲームには、主役の知り合いがキャラクターとして組み込まれる仕組みは反映されていないらしい。
蔵馬の声に、男はゆっくりとこちらを見た。
割合仕立てのいい格好。
年齢は20代そこそこだろうか。
割りにいい顔立ちだが、その瞳の様はいただけなかった。
うつろ…というより、全く色のない瞳。
透けた体にしても、明らかに幽霊でしかなかった。
最もまあ…そんなことをいちいち気にする二人ではなかったが。
『……どうも、こんばんは』
蔵馬たちの存在に驚きもせず、男は頭をさげて挨拶してきた。
なんだか拍子抜けである。
この出だしであれば、まず戦闘にはならないだろう。
「ぶしつけですが、貴方は幽霊ですね?」
『ええ…よく分かりますね』
そりゃ、その格好見れば、馬鹿でもわかる…と言いたいところだが、あえて言わない二人。
「何故この世にとどまっているんですか? 何か未練でも?」
『あ…あの実は……えっと、お暇でしたら、お話聞いてもらえますか?』
「ええ、どうぞ」
聞かなかったら、多分延々同じ質問をされ、OK出すまでイベントクリアにならないのは、火を見るより明らかである。
「えっと階段階段…あ、あった。飛影、こっち」
「…ああ」
松明の小さな明かりを頼りに、薄暗いどころか真っ暗にも等しい室内を歩く二人。
今、下へ降りる階段を発見したところ。
ちなみにこの松明は、台所で物色していた際に、拾ったものである。
男の話というのは、実に分かりやすく、かつありきたりだった。
まあゲーム冒頭のイベントといえば、以降で必要になる鍵などの重要物品収集か、中ボスとなる悪者退治が一般的。
今回は後者だった。
男――この古城の王だった男によると、今はオンボロで魔物の巣窟となっているこの城も、かつては普通の城として栄えていた。
が、よくあるパターンで、モンスターによって壊滅。
更にその後もモンスターの根城となってしまい、人間たちは成仏することも出来ずに、連中のために働かされているらしい。
じゃあ王があそこで何をしていたのかというのは、あえて聞かなかった。
「つまり、そのモンスターを倒せばいいんですね?」
『はい…引き受けてもらえませんでしょうか?』
引き受けなければ、話が進まないのは自明の理。
飛影はやっぱり嫌そうではあったが、蔵馬があっさり承諾したものだから、何も言わなかった。
最もまあ、蔵馬も相当呆れ顔ではあったけれど。
「あ、これも貰っておくか」
「これは売れんな…」
イベントと平行して、やっぱり空き巣行為に走っている元・盗賊たち。
おかげでかなり金になりそうな品々、さらに名産品らしい銀のティーセットなども手に入れた。
「現実に持ち帰れれば、相当な値で売れそうだな」
ちょっと惜しそうに聞こえたのは、聞かなかったことにしよう。
ということで、問題のイベントの最終ステージへ辿り着いた二人。
どう考えても戦闘以外に手段はなさそうな相手だった。
話など全く通用しない。
「さてと…流華南(ルカナン)」
蔵馬の防御力減退呪文・流華南発動。
どらくえ3の時に比べ、子供である分、魔力も威力もやや落ちている。
しかし、ここまで辿り着くのに時間がかかりすぎた分、レベルは結構上がっているのだ。
到達レベルはとっくに超えている。
じゃあ、何で何度も全滅したんだよという突っ込みがきそうだが、それは内緒にしたい。
「単に薬草けちって、HPがこまこま下がり続けただけだろうが…」
…つまりそういうわけである。
「はあっ!」
「だあっ!!」
僅か数ターンで、中ボス撃破!
途端、周囲の色が変わった。
「……イベントクリア、といったところかな」
「…らしいな」
テラスから屋上が光っているのが見え、とりあえず上ることにした。
そこには先ほどの王と、いつ頃会ったのかを管理人が忘れてしまったため、文中から削除された王妃の姿があった。
『今、かなり酷いことをさらりと言われたような気がするのですけれど』
「気のせいにした方がいいですよ。それより、もう大丈夫ですか?」
『はい。おかげさまで、皆、無事に成仏できました。わたくしたちも、これより向かいます』
『本当にありがとうございました』
丁寧なお礼を言いながら、王と王妃の姿はすうっと空気に溶けるように薄くなった。
元々薄かったが、更に薄くなっていった。
そして朝陽の中、きらきら光りながら、消えていったのだった……。
「……」
「……帰ろうか」
「ああ」
感慨というものがないのか、君たち。
「ゲームはじめてまだ少しだけだから」
そういう問題か?
というか、ゲームはじめて既に32日以上経ってるけど…。
「さてと…? 飛影、どうかしたのか?」
王と王妃が立っていたところに、しゃがみこんでいる飛影。
立ち上がり振り返った手には、小さな玉のようなものがあった。
「何それ?」
「知らん。落ちていた」
「もらっておけば? こういうときに拾うものは、かなりの金になるか、何か役に立つ道具か、重要物品の可能性が高いから」
「……」
蔵馬の言うとおりにするのもシャクだが、とりあえず懐にしまいこんだ飛影だった。
「さ、約束だよ。その猫を頂戴」
「う、うん」
村へ帰った頃には、何故かお化け退治したことが村中に知られていた。
一体どうしてそういうことになったのか謎だが、とにかくそうなっていた。
しかし、説明する手間が省けたことは有難い。
さっさと31日前に渡った橋を渡り、例のガキどもの元へ。
案の定、31日間ずっと虐められていたらしく、やや傷が増えている猫……もう一人の蔵馬。
額に青筋立てながら、先ほどの台詞を述べた蔵馬に、子供たちはややビビっているようだった。
普段穏やかな人ほど、キレると怖いというが、彼はその言葉が一番似合っている。
ただの子供が怯えるのも無理はなかった。
猫を地面に下ろし、逃げるように己の家へ転がり込む子供たち。
最も、蔵馬は既に連中など、見てもいなかったが。
「……やっぱり自分が虐められてるというのは、気分がいいものではないね……」
もう一人の蔵馬の怪我は重傷というものはなく、全て軽症ですんでいた。
薬草で回復し、川の水で洗って、泥を落とす。
布で身体をぬぐいながら、ため息をついていた。
この作業、全部やってもらったわけではなく、猫の蔵馬本人が、薬草だの布だのもらって、一人でやっただけである。
「はあ、酷いめにあった」
「ああ。ちゃんと喋れるのか」
「多分他の人間には分からないと思うよ。何を言っても、子供にもその親にも通じなかったから」
「……で」
「「で? とは?」」
川岸に寝っ転がっていたため、寝ていると思っていたが、どうやら起きていたらしい飛影。
二人の蔵馬は同時に振り返り、同時に同じことを言った。
同じ顔で同じ声、やはりどちらも蔵馬に間違いはなかったが…。
「猫の蔵馬はコンピュータなのか? それとも…」
「「両方俺だよ」」
またしてもステレオ。
自分ならばこう答えるだろうなと思ったが、しかしずっとステレオは五月蝿かろうと、猫の蔵馬が頷いて黙り、人間の蔵馬が言った。
「両方とも、蔵馬としての記憶があって、感情も蔵馬のまま。外から来た存在だ。コンピュータの創りだした架空の人物じゃない。どっちも俺、なんだよ。しいていうなら、テイルズシリーズのソーディアンみたいなものだろうな」
「何だそれは」
そういうゲームがあるのだよ、飛影くん。
最も管理人は友達から借りたはいいが、クリアどころか冒険の仲間にすら出会えず、結局挫折したゲームである。
ゆえに、書いておきながら、ソーディアンというのも、人格を宿した剣で、最初のマスターはそれぞれ当人(一部違うらしいが)であるということくらいしか知らなかったりする。
「……小説と友達の話と4コマ漫画だけじゃね…」
宿に戻ろうとすると、角から宿の前にコエンマと蔵馬の母の姿が見えた。
どうやら風邪は治ったらしい。
あれだけぎゃーぎゃー言っていたわりには、一晩で完治…。
やはりクリアが風邪を治す条件だったようである。
遠いのではっきりとした会話は聞き取れないが、旅支度をまとめているところを見ると、出発するらしい。
もちろん、人間の蔵馬はここが家なのだから、一緒に行くことは出来ないだろう。
これが十代くらいであれば、同行も可能かもしれないが、子供に選択権などない。
「俺はここまでらしい。後は頼む」
「ああ」
「……」
自分自身と会話しているにも関わらず、蔵馬はすんなりと馴染んでしまっている。
これまであったことなど、人間の蔵馬は分かっていることを猫の蔵馬に伝え、猫の蔵馬もあっさり納得している。
猫の蔵馬も、人間の蔵馬に自分の知る限りは伝えたが、この世界について詳しいことは彼にも分からないらしかった。
更にお互いの意識や記憶について話し合ってみると、どうやら記憶はどらくえ3終了時までしか共通しておらず、意識は今も共有はしていない。
つまり、つい最近まで全く同じ環境で、同じことをしていた双子のようなもののようである。
だからこれ以降の行動や経験によっては、違う成長になるかもしれない…ということらしい。
「俺の荷物は全部渡しておくから…」
「武器や防具は売れそうなものは売って…」
最後に荷造りや今後のことを話し合う二人。
この二人だと、とにかく話が早い。
自分自身なのだから当然だが、これが相当優柔不断な人であれば、1日経っても解決されないだろう。
やはり彼だから、なのだ。
自分と会話するというのは、一体どんな気分なのか……多分、自分は出てこないだろうなと思うと、少々複雑な飛影だった。
「そうだ。これ、結んでおいて」
人間の蔵馬が頭に手をやり、お下げに編んである髪の毛からリボンを一つ取り外した。
解いて、猫の蔵馬の首に巻いてやる。
長さは丁度だった。
「何?」
「俺がしていた髪留めだけど。何もしていないと、野生と勘違いされると面倒だろう」
「そうだな」
リボンなど、人間の時にされれば、相当怒っただろうが、今は猫なのだし、他に目印になりそうなものもないし、仕方ないだろう。
「じゃあ、飛影」
「何だ」
「次いつ会えるか分からないけど。気をつけてね」
微笑を浮かべながら言う人間の蔵馬。
一緒に行けないのは仕方がないが、少しつまらないようである。
それでも言の葉は、蔵馬だった。
「……フン、貴様に言われるまでもない」
「そう。ならいいけど。じゃあ」
コエンマと連れ立ち、村を後にした飛影。
もちろん、猫の蔵馬も一緒。
しかし、人間の蔵馬は村に残ったまま…。
飛影は振り返らなかった。
どうせ腐れ縁、すぐにまた会うことになる。
……そう思っていた。
まさか彼との再会が、十数年も先のことになるなど、この時は夢にも思わずに……。