<死に場所> 1
「蔵馬。お前は…どう思っている?」
「どうって……何をです?」
突然聞かれ、蔵馬は口へ運びかけていたカップを受け皿に戻した。
それほどまでに彼女の口調も表情も真剣で……とても、ふざけているようには見えなかったのだ。
最も、蔵馬は彼女がふざけているところなど、一度たりとも見たことはなかったが。
ここは移動要塞・百足。
魔界に迷い込んだ人間を、送り返す仕事を始めてから、早数十年。
ところどころが傷んできているが、多分それは仕事のしすぎではなく、別の理由だろう…。
その最奥の、暗いが広い部屋にいるのは、部屋の主である躯と、突然彼女に呼ばれた蔵馬の二人きり。
表向きの理由は、百足の修復作業。
この間の誰かと誰かの大喧嘩のせいで、躯の寝室に大穴が空いてしまい、それを直せと呼び出されたのだ。
まあ、今のところ何もすることのなかった蔵馬は、しょうがないなと言いながらも引き受け、植物で綺麗さっぱり直してしまった。
もちろん、裏にはその時の喧嘩のことでも聴ければ楽しいかなと思ってだったが。
しかし……修復作業が終わったにもかかわらず、躯は蔵馬を帰さなかった。
珍しく、茶でも飲んで行けと言われたのだ。
これには流石の蔵馬も驚いたものである。
躯は基本的に対人関係が苦手な方。
飛影はもちろん普通に話せるし、幽助は何故か話しやすい雰囲気を持っているため、問題ない。
また相手が彼女の部下であれば、多少尊大な態度で出らえるため、気も楽なのだろうが、蔵馬とは今のところ対等の立場にある。
いくら蔵馬に適応力があるとはいえ、一時大きな敵になった相手に対して、敵意も悪意もなく、普通に話すのは彼女にとって結構難しいことなのだが……。
案の定、しばらくの間、向かい合ったままの沈黙があり、そして数分後にいきなり切り出されたのが、さっきの質問である。
「……飛影のことだ」
「飛影の何を?」
「全体的に」
「……」
躯の意図が読めたような読めないような……首をかしげずにはいられない蔵馬。
飛影に何かあったのだろうか?
しかし、昨日会ったが、飛影はいちおう元気だった。
『いちおう』というのは、腹やら頭に大怪我を負って、肉体的にはあまり元気ではなかったという意味なのだが。
まあ、死ぬほどの怪我ではなかったし、それをやった人物の見当も、その原因も瞬時に把握出来た。
そのため、手当した後、適当にからかってやったら、ものすごい剣幕で怒られた……ということで、『いちおう』は元気だったのだ。
その後向かった方角からして、百足に戻ったとは思えない。
喧嘩をしたのがいつかは分からないが、とりあえず飛影はここ数日戻っていないのだろう。
怪我の微妙な化膿具合から推察するに、多分喧嘩をしたのは一ヶ月ほど前だったろうし……。
ワケも分からないが、とりあえず嘘をつく必要性はなさそうである。
カップを机の上に置いてから、静かに言った。
「ちょっとひねくれてて、素直じゃなくて、結構自分勝手…というよりは、マイペースで、無口で、仏頂面で、」
「……」
結構なことを言われているらしい飛影。
今頃何処かでくしゃみでもしていなければいいのだが。
「でもいい奴です」
「……そうか」
またしばらくの沈黙。
蔵馬としては、躯も飛影のことをあれこれ言って、愚痴でも聞かせるのだろうと思っていたため、黙っていただけなのだが。
しかし、ここまで長い黙りっぷりを見ると、どうやらそうではないらしい。
次の言葉からしても、違ったことは明白だった。
「お前は……あいつの何でいたい?」
「何って?」
「だから…飛影の何でいたい?」
「……」
「恋人♪」
ガッターン!!
「き、き、きさま…そ、そう、そ、そういう…趣味が……」
椅子ごと派手に後ろへひっくり返り、真っ赤になって、よく回らない舌を必死に動かし、言葉を紡ぐ躯。
がくがく震える指で蔵馬を差しながらも、身体全体はそれ以上に震えていた。
そんな彼女の様子は、蔵馬の予想範疇外だったのだろう。
しばしぽかんっとした後、くすくす笑いながら、
「冗談ですよ、冗談♪」
何とも嬉しそうに言った。
こんな顔、躯の前では一度も見せたことはない。
何と言っても敵だった相手、それに話すこともほとんどなく、ついでに下手なことを言えば、飛影に睨み付けられるような人である。
「俺はそういう趣味ないですから」
言いながら、手を差し出す。
しかし、躯はその手はとらずに自力で起き上がり、どっと疲れた顔でため息をつきながら、言った。
「年上をからかうな…」
「見た目的には大して変わらないでしょう。それを言うなら、飛影なんて俺たちよりも、いくつ年下なんだか」
「少なくとも何百歳も下だな」
「でしょう」
手をはねのけられたようなものだが、全く気にしていない蔵馬。
今なお、笑顔で躯を見つめている。
自分より年上なのに、純粋すぎる彼女の態度が、可愛らしくて仕方ないといった風である。
椅子に座り直し、その笑顔を見て、またため息をつく躯。
しかし、ここで話をはぐらかされるわけにもいかないと、
「で。どうなんだ」
と、改めて聞き直した。
それに対し、蔵馬は笑顔のまま、しかしそれ以上に真面目な様子で答える。
「今のままでいいですよ。仲間のまま、それ以上は特に」
「俺は……贅沢なんだろうな」
蔵馬の答えの後、またしばらく黙ってから、躯が独り言のように、しかし蔵馬にはっきりと聞かせるように言う。
「どういたいんですか?」
「……俺は…飛影の力になりたいって思ってしまう」
その言葉には、僅かに悔しさと悲しさが感じ取れた。
すっと蔵馬の表情からも笑顔が消える。
真顔のまま、少しうつむき加減の躯を見つめた。
「分かってるんだ。あいつは俺の力なんかなくたって、一人でも立派に闘える。生きていける」
「……そうですね。飛影は、ずっと一人で戦ってきた」
「でも……あいつの過去、すごく……」
「……氷河の国から捨てられた」
「! 知ってたのか!?」
ばっと顔を上げ、驚きの表情で蔵馬を見る。
彼は自分の戸惑いの面は気にせず、静かに続けた。
「本人に聞いたわけじゃないけど。双子の妹が氷女となれば、大体見当はつきますよ」
「……何故双子だと思う? 母親違いの兄妹だとは思わないのか?」
実際、蔵馬は聞いていないが、飛影は幽助に「母親が違う」と言ったことがあった。
むろんそれは嘘以外の何物でもないが。
しかし、あまりにも似ていないあの兄妹を見ていれば、片親が違う、年の離れた兄妹だという方が有り得そうである。
「それも少しは考えたけれどね。でも、飛影は氷女の血を引いている。そう考えると、自ずとね」
「何故だ。何故、氷女の血を引いていると思う? あいつは炎の使い手だぞ」
「そうですね。しかし、彼は割と凍気に強い身体をしている。普通の妖怪たちよりもね。以前、彼は氷の妖怪と戦ったことがあって、少し凍らされたけど、全く効果がなかった。炎の妖気を操る飛影には、通常あり得ないこと……となれば、氷の妖気を受け継いでいる。どちらかの片親に氷系統の妖怪がいるとなれば……魔界で最も冷気の強い妖怪といえば、氷女だ」
蔵馬は淡々と言葉をつづった。
「氷女は男を産めば、即死に至る。次の百年周期まで生きるとは思えない。となれば、双子しかない。最も極めてマレな例なんだろうけど……いずれにせよ、氷河の国は決して同胞以外の存在を受け入れない。雪菜さんは同胞として認められたとしても、飛影は認められなかった。そうなれば、答えは一つ」
一つ息を吐き、少しばかりの憎しみを込めて言い放った。
「捨てられた以外考えられない」
「……怖い奴だな、お前」
「あいつは……産まれた瞬間に、生きる目的を定めた」
「氷女を皆殺しってところですか?」
「そうだ」
「でも雪菜さんが人間界へ来ていることを考えると、実行はしなかったようですね」
「……よくそこまで分かるな。本当に怖い奴だ」
「これは簡単ですよ。氷河の住民が全滅しているなら、雪菜さんがこっそり人間界へ来て、幻海師範の寺に避難する必要なんてない。行く当てはなくても、彼女の性格を考えれば、無理に誰かの世話になろうなんてしないだろうしね。追っ手がかかる心配がないのなら、だけど。兄捜しに期限付きで…なんてこと、氷河の国で通るわけがない」
「なるほどな」
そこまでは躯も知らなかった。
氷河の国が兄捜しを許したのが、嘘だというのは飛影の記憶からとって知っていたが。
誰も出ないはずの氷河の国から追っ手が来るのか? と思いもしたが、蔵馬は魔界を駆け抜けた盗賊。
いくら年下だろうと、自分より知っていることも多いのだろう。
「あいつは幻滅することで、氷河の国への復讐を終わらせた。手を下すまでもないとな」
「なるほど。飛影らしい」
「……同時にそこで妹の失踪を知った」
「あ、それは初耳ですね。雪菜さんのことは、最初から知っていたわけではなかったと?」
「同時に産まれたのだから、存在自体は知っていても、名前までは知らなかったらしい。ついでに行方不明だということもな…」
「つまり、邪眼も最初は、氷河の国と母親の形見の氷泪石のためだった、というわけですか。まあ、普通に考えれば、雪菜さんは氷河の国にいるはずだったから、当たり前か」
「……氷泪石のこと…いつから知ってた?」
「飛影が貴女の元へ行く直前に。雪菜さんが自分のを渡してるところを見たので。もう一つは貴女が持ってたみたいですね」
「……何で分かった」
「トーナメントの会場で飛影が2個もってたから。俺が指摘したら、慌てて隠したけど」
「……」
何もかも、お見通し。
全てを見透かされているような、奇妙な感覚。
もちろんそれは自分のことではなく、全て飛影のこと。
蔵馬は自分の過去を知らない。
玩具奴隷だったことも、その苦しみを糧に強くなったことも。
氷泪石に救われたことも。
でも多分これは知っている……気付いている。
自分の、飛影への気持ち。
その根本に巣くう、不安さえも……。