<死に場所> 2
「あいつの生きる目的は……氷河の国と妹、それに氷泪石だ」
「……」
俯き呟く躯。
蔵馬は無言だった。
「あいつの妹が氷泪石を渡した時点で……飛影の生きる目的は失せた」
「……」
悔しさに唇を噛みしめる。
飛影に産まれた瞬間に目的を与えながら、結局やりとげさせることも出来なかった氷河の女を恨んだ。
蔵馬はまた無言だった。
「あいつは俺の元へ強くなるために来たんじゃない。死に場所を求めてきたんだ」
「……」
形のいい唇から赤い血が流れる。
噛みしめすぎて切れたことにも、今は気付いていない。
蔵馬はそのことにも触れなかった。
「俺の部下で…お前も戦ったな。時雨と戦わせた時、あいつは死んでもいいと思っていた。勝ちようはいくらでもあったのに、あいつは剣でのみ挑み、死に場所になってもいいと」
「……」
あの真剣勝負を思い出し、あの時はいいと思ったが、読み取った記憶に愕然とした。
意識は心地良い。
だが、今にも消えそうなほど儚かった。
蔵馬はそれを知って知らずか、何も言わない。
「あいつは……目的がないと……」
「……」
内に巣くう不安。
何十年経っても消えない負の想い。
いや、時と共に不安は増していく。
いつ飛影が死ぬんじゃないかと……。
目的がない彼に、この世界は……自分は一体何の意味があるのか。
いくら、死ぬにはまだ早いと本人が言ったとしても、それも何十年も前の話。
もうその時が来るんじゃないか。
今日がその時なんじゃないか。
不安に思って、問いただしても、つれない返事で。
つい、本気で殴って追い出しては、戻ってこないことに苛立つ。
こんな自分がすごく嫌で……戻ってこない飛影が、すごく不安になる。
分かってやれない自分が嫌で……自分に分かって欲しいと思わない飛影が、すごく怖くなる。
何故、自分では駄目なのだろうか……。
「……飛影は」
ふいに蔵馬が口を開いた。
一体、何十分ぶりだろうか。
多弁な彼にしては、すごく珍しいことだろうが、それだけ自分が独白していたのだと、気付いた。
しかし、蔵馬はそのことには全く気にせず、真っ直ぐ躯を見つめて言う。
「飛影は、目的がないと……怖いんでしょうね」
「……怖い?」
飛影にはすごく似合わない言葉。
ふっと涙に潤んだ顔を上げる。
「ずっと目的がある人生だと、なくなってしまうことがすごく……怖いと思いますよ」
「……!!」
考えたこともなかった……飛影が何かを怖がるなど。
自分はただ……飛影は純粋に生きる目的がない以上、死に方を選びたいんだと思っていた。
目的がない以上、生きていても仕方がないと。
だから、死に方を求めるほど強くはないと言ったのだ。
それが……怖かったなど。
「俺は…結構目的もない時期があって、適当に生きていた時期もあった。毎日、食べる分だけ盗って、寝たい時に寝て、戦いたい時に戦って。生きる目的なんて深く考えずに……最近ないけど、それでも当時に戻ったとしても、恐怖はない。最も今の生活が気に入ってるから、戻りたいとは思わないけど」
蔵馬のことは聞いていないが、しかしだからといって、真面目に話している彼に「先を言え」などと言えるわけがない。
そんな躯の心中を察したのか、もしくは自分のことを語るのが終わったからなのか、「でも…」と否定の言葉を述べる蔵馬。
それはつまり、真逆にいる彼のこと……。
「でも…飛影はずっと目的があって、そのために生きてきた。だから……怖いんでしょうね。目的をそがれること。だから、常に目的を持とうとする。目的を求めて止まない」
「……」
「だけど、不器用な人だから、死に場所・死に方くらいしか、求められなかった。遂げた後に、次の目的が見つけられないのが怖くて、最後になる目的を選んでしまったんでしょうね……けど」
躯が動揺していることに気付いたのか、幾分表情を和らげる蔵馬。
口調は柔らかで落ち着きを取り戻してくれるものだった。
「……けど?」
「けど、今は怖くないと思いますよ。貴女がいるから」
「……」
躯は何も答えない。
蔵馬は気にせず、笑顔で言い切った。
「貴女がいるから、飛影は貴女を越える、貴女と一緒にいるという目的ができている」
「……お前は…本当に飛影のことが分かってやれるんだな」
すごくすごく悔しそうに、さっきとは別の意味で唇を噛む躯。
飛影のことで苦しんでいるわけではないと分かっている蔵馬は、笑ったまま、
「そうでもないかもしれませんよ。現に俺は飛影に何もしてやっていない。はっきり言って、俺と飛影の力量を考えれば、人間の身体に憑依してる分、俺の方が弱い」
「……」
「俺は飛影の目標にはなれないし、別に飛影は俺と一緒にいる必要はないから」
……嘘だ。
飛影は蔵馬を必要としている。
それは間違いない。
死に場所を見つけたくなったのだって、もしかしたら蔵馬と完全に敵対するのを見越してのことだったのかもしれない。
戦うのは好きでも、蔵馬を「殺す」かもしれない現状が……怖かったのかも知れないではないか。
蔵馬は気付いていなくても、飛影はいつも蔵馬を見ている。
それは分かる。
トーナメントの会場で、魔界をパトロール中に百足の中で。
蔵馬が人間の肉体に憑依しているせいで、バカな妖怪には美味そうに見えるかも知れないということだろうが、それでも。
戦って、蔵馬が少しでも傷つけば、はっと立ち上がる。
地面に伏せろうものなら、驚愕の顔で固まってしまう。
笑顔で振り向けば、むっとした顔で睨み付ける。
真面目に説教すれば、苛々しながら立ち去りつつ、視線は蔵馬を追っている。
いつも……蔵馬を見ている。
目前の赤い髪の男を睨み付ける躯。
笑っていた蔵馬は気付いていなかったが……その睨みには、僅かな殺気があった。
僅かといっても、その僅かなもので彼女は相手を殺しかねないのだけれど。
だが、蔵馬が気付かなくても無理はない。
躯にだって、自分にそんなものがあるとは思わなかったのだから。
嫉妬。
信じたくなかったが、今の躯には確かにそれがあった。
男同士だろう。
そう思っても打ち消せなかった。
蔵馬といる時、飛影はすごく嫌そうなくせに、いなかったら不安そうに探している。
自分にはそんな視線、一度も向けてくれたことなどない。
現に喧嘩してから、一ヶ月も戻ってこない。
蔵馬は昨日会ったばかりだと言った。
自分には会いに来ないくせに、何で蔵馬には……。
蔵馬は悪くない。
蔵馬に悪意はない。
そんなことは分かり切っている。
逆恨みであることくらい分かっている。
飛影を分かってやれる蔵馬に。
飛影を分かっていなかった自分に。
何も知らず、飛影に怒りをぶつけていた自分に。
苛立っているだけだということも。
飛影が蔵馬を見ている理由など、十の昔に分かっているではないか。
現に今、それが証明されたばかり。
何も知らずに殴りつける自分と、何も言わないのに、ちゃんと分かってやっている蔵馬。
どちらを目で追うかなど、分かり切ったこと。
それが恋愛の感情でなく、ただちょっとした頼りの気持ちだということも。
親や上の兄姉のいない飛影が、親のように兄のように慕っているだけという気持ちであっても。
蔵馬にその気がなくても、飛影の力になってしまっており、それを飛影が嬉しく思っているだけということも。
消えて欲しくないと、思っているだけだと分かっていても。
……嫉妬の炎は消えてくれない。
自然、右手に力が込められる。
蔵馬は気付いていない。
気付いたとしても、至近距離から打てば、避けられないだろう……。
今……蔵馬がいなくなったら…飛影はこっちを向いてくれるのだろうか……?