<傷> 1

 

 

 

「出てきたら、どうなんです?」

 そう問いかけても、彼は答えようとしなかった。

 

 ……蔵馬が今いるのは、とある建物の中。

 うち捨てられ、古びた洋館。

 複雑に絡み合う階段は、あちらこちら痛みが走っており、向こう側が見えているところもあるが、手すりなどに残された細工から、以前は凝った装飾であったことが伺える所だった。

 

 其の分、お化け屋敷などという噂もあり、滅多に人は寄り付かない場所。
 一年ほど前、近くの町で、不良グループのいくつかが、廃マネキン工場から変わり果てた姿で見つかってからは、滅多に≠ヌころか、ほぼ誰も♀り付かなくなっていた。

 100%ではないのは、こうして蔵馬が時折訪れているから。

 奥の方の部屋には、造り置いていたり、実験途中だったりする薬草の類が、ゴロゴロ陳列されている。
 人間になりすましている手前、家には最小限しか保管できない以上、こういった場所に置いておくしかない。

 最も、今のところ一人暮らしなので、ある程度は持ち帰っていたが、近いうちに母も退院するので、改めて場所を移しに来たのだ。

 ……もう一つのついでに。

 

 

 

「分かってるんだ、そこにいるのは。ずっとこっち、見てたでしょ?」
「……何故分かった」

 今度はちゃんと声が返ってきた。

 無理もないと、蔵馬は苦笑する。
 居るのはバレていると思っていたろうが、まさかそれ以上気づかれているとは、おそらく思っていなかっただろう、と。

 

「そっちの階段の踊り場、鏡があったんだよ。今は破片しか残ってないけどね。そこに、ちらちらと影が」
「……悪趣味なヤツめ」

「こっち、来たらどうです?」
「……ここでいい」

「そうですか。それで、飛影」

 飛影と呼んだ彼は、相変わらず出てこないまま。

 しかし、蔵馬は気分を害した様子もなく、踊り場を下った廊下で、視線の先の天窓を見つめている。

 

 正直、ホッとしていた。
 霊界探偵である幽助に協力し、結果的に飛影をお縄につかせてしまったのだから。

 一年前、再会できるかという問いかけに対し、「敵としてなら」と言ったのは彼だし、「どちらでも」と答えたのは自分だったけれど。

 やはり、多少なりとも申しわけなくは思っていた。
 自首した分、こちらの方が情状酌量されているものだから、尚更に。

 あの日からさして日数は経っていないのに、こうして殺気なしに現れたということは、彼も執行猶予ですまされたのだろう。
 盗みの際にも、霊界の鬼やら警備員を殺したのは、剛鬼だけで、彼は気絶ですませていたから、その辺が認められたと思われるが。

 

 

 

「用件は?」

 

 大体見当はついている。

 裏切ったことへの恨み言か、何かだろう。
 殺気がないから、殺すつもりはないようだけれど。
 まあ、執行猶予中に、妖怪同士とはいえ騒ぎをおこせば、面倒なのは目に見えているから、当然だが。

 一発二発は殴られるかと思って、ここで待っていた。
 流石に家でドンパチやられて、近所に聞こえては、後々母が心配する。

 

(出来れば、腹はやめてほしいかな。この体、いちおう人間だから、治りが遅いし)

 

 大分、妖怪化しているとはいっても、元々はひ弱な人間のもの。

 飛影の背中からは、もう血の匂いはしない。
 おそらく、完治しているのだろう。
 D級とはいえ、妖怪の体だ。
 霊丸覚えたてらしい幽助の一撃では、気絶と多少の傷が精一杯だったらしい。

 しかし、こちらは未だに傷が塞がっていない。
 治ってないのではなく、本当に塞がっていないのだ。

 薬草を詰め込んで、思いっきり縫ってあるが、如何せん治りが遅い。
 日常生活に支障はないけれど、それも半分は気力だ。

 

 ただの刺し傷ならよかったのだが、何せ降魔の剣で刺された上、それにあの時……

 

 

 

 

「……傷は、どうだ」

 

「!」

 

 

 飛影のその言葉に……蔵馬は、とても驚いた。

 驚いてしまった。

 意外すぎた。

 想像の範疇外だった。

 

 

 

「…………」

「……どうだと聞いている」

 ぽかんっとしている蔵馬に、飛影は重ねて問いかける。

 それでも蔵馬は答えられなかった。
 口から滑り出してきたのは、思ったままの驚愕と疑問。

 

「……気に、してくれてるのか?」

「……答えろ」

「どうして? 君を裏切ったのに?」

「答えろと言っている」

「…………」

 また蔵馬は黙ってしまった。
 理性が「ああ、頭が真っ白ってこういうのなんだな」と言っているが、それ以外はパニックだった。

 

 

 

「……もういい!!」

「っ!」

 次の瞬間、蔵馬の視界はひっくり返った。
 乱暴に押し倒され、制服の上着をはがされる。

「ちょっ、飛影!」
「…………」

「飛影、俺そういう趣味は……」
「俺にもない」
「それはよかった」

「…………」
「…………」

 

「……治って、ないのか」

「……ええ」

 諦めて、蔵馬は溜息をついた。

 そして手振りで、どいてくれと意を伝える。
 飛影は素直にどいた。
 知りたかったことは、確認できたから。