<黒> 5
……ヤツは年を取らない。
おそらくは、半永久的に生き続ける。
肉体が壊れても尚、新たな肉体に宿って生きる。
『命』を奪われたりでもしない限り、ヤツに最期の時は来ない。
時がヤツの記憶を奪い、過去を忘れ、全てを忘れても……ヤツは生きるんだろうな……。
飛影に話しかけるというよりは、自分に語りかけるように言う黒鵺。
手の中の紅い石を見つめ、
「それでも思い出して欲しいんだ、俺は。ヤツに、俺を拾った時のヤツのことを……会いたいんだ。俺を拾った時のヤツに……」
「……」
「無理だとは分かってるんだがな」
久しぶりに飛影を向き直り、苦笑したように言った。
「大人になって、改めて会った時、これを見せても眉一つ動かさなかった。見知らぬ妖怪を見る目だった。だから、今更ずっと首から提げていたところで、ヤツが思い出すはずがないんだがな……」
「……何処か…」
「飛影?」
「……何処か違うのか?」
「妖狐がか? 今と昔と?」
「ああ…」
思い出して欲しいというからには、相当違うところでもあるのが普通。
しかし、黒鵺は首を振って、
「大して変わってねえな」
「……は?」
「今も昔も。不敵な笑みを浮かべて、冷たい眼した妖狐だった。そのくせ、時々甘い顔になりやがる……変わってないな、何処も」
「……なら、何故…」
飛影にしてみれば、当然の疑問だった。
変わっていないのならば、今でも昔でもどちらでもいいはずだ、と。
「飛影はさ……忘れられるって…どういうことだと思う?」
「……忘れられる?」
「ああ。誰か…自分を知っていたはずのヤツが、自分を忘れたら、どう思う?」
「……」
今のところ経験のない飛影には、想像もつかないことだった。
しかし、
「どうでもいいだろう。他人がどうであろうが、俺は俺だ」
「飛影らしいな」
黒鵺は怒るでもなく、軽く頷いた。
「俺もそう思ってた。昔はな……いや、今もそうか。大概の連中には忘れられたところで、どうということはない。その方が便利なこともあるしな」
「……」
「だが……ヤツには忘れられたくなかったんだろうな。俺自身、甘いとは思うが…」
遠い目で、何処というでもなく、見つめている黒鵺。
飛影はかける言葉もなかった。
忘れて欲しくないという感情が、この時の飛影には理解出来なかった。
氷河の国の連中は覚えていようがいまいが、殺してやろうというだけの感情しかなかった。
だから、向こうがこっちを忘れていても、どうでもいいことだった。
襲ってきた雑魚の盗賊などには、名乗った者もいたが、別に覚えていなくても気にならない。
黒鵺目当てで尋ねてきた連中だろうと、忘れていたところで、また名乗ればいいだけの話。
飛影にはそうとしか思えなかった。
「……無理に分かる必要はないぞ、飛影」
「!」
考えを見抜かれたようで、一瞬飛影の目が見開かれた。
慌てて視線を彷徨わせるように外して、
「……何のことだ」
素っ気なく返した。
返したつもりだった。
やや紅潮した顔では、感情が追いついておらず、動揺しているのが見え見えである。
黒鵺はあえて、何も言わなかった。
ただ一言だけ笑って言った。
「今に貴様にも分かる日が来るさ。それまでは、分からなくていい」
紅い石を握りしめながら、真っ直ぐな藍色の瞳で告げた。
☆☆☆
「……フン、くだらん…」
再び同じ台詞を吐いた。
少し後、すぐ傍で、大げさにため息をつく声が聞こえた。
「飛影。一体、何がくだらないんだ?」
机に向かって『べんきょう』とやらをしていた紅い髪の男が、呆れ顔で振り返った。
ここはヤツの家、ヤツの部屋。
数時間前、勝手に押しかけて、適当に茶菓子を出され、雑談した後(といっても飛影はほとんど喋っていないが)、窓からぼんやり空を眺めていた。
「さっきから何度も何度も『くだらない』って、何が?」
「……そんなに言っていない」
「言ったじゃないか。2時間49分の間に58回。2〜3分に一度は言っている」
「……」
熱心に『べんきょう』しているのかと思えば、ご丁寧に数えていたらしい。
こっちこそ呆れるモノがあるが、しかしそれを言えば、ヤツに別のことでからかわれるのは必須。
黙っているに限るというものだ。