<黒> 3

 

 

 

それからしばらくして。
ある晩のことだった。

飛影と呼ばれることにも、すっかり慣れ、親からもらった名のようにいや、それ以上に大切な名となっていた頃。
盗賊どもから名を聞かれれば、自ら飛影と名乗り、5歳にしてA級にまで上り詰めた凶悪妖怪・飛影として名を轟かせるようにまでなった頃。



「おい」
「何だ?」

黒鵺は振り向かずに、飛影の次の言葉を待った。
手には、飛影の氷泪石。
妖怪との戦いで血がついてしまったところ、黒鵺が拭いてやるというので、渡したものだった。
どうも戦闘以外は不器用な飛影。
こんなことはしょっちゅうだった。

あの自分を捨てた女から受け取って以来、触れさせたのは黒鵺だけだ。



「貴様のそれは氷泪石ではないだろう」

問いかけというよりは、確信を持っていた。
色が違いすぎるというのもあるが、彼の持つ石には飛影の氷泪石のような温かさがないのだ。
もっと別な……冷たいような熱いような、不思議な感覚はあるのだけれど。




「ああ。俺の氷泪石は俺が生まれると同時に叩き割られたからな」
……

あっさり言ってのける黒鵺だが、飛影は少し黙った。
飛影にとって氷泪石は、血を求めるための道具だけの存在ではない。
石を見ていると、どこか、落ち着く。


……
それが和んでいる、表情が緩んでいると気付くのは、もう少し後のこと。

しかし、飛影にとって大切なものであるというのは、最初から気付いていた。
黒鵺にとっては違うのかもしれないが、叩き割られるなど、あまりいい気分ではないはずなのに……




「で、なんだ?」
……その石は、どこで手に入れた? ただ盗んだだけならば、わざわざ身につけんだろう」

飛影の問いに、黒鵺は少しだけ悩んだようだった。

……言いたくないなら」
「いや、別に言いたくないわけじゃないんだ。ただ、少し長くなるが……いいか?」
……ああ」

 

 

黒鵺はゆっくりと話し始めた。
それは、無口な飛影との会話の中では、かなり長い方だった。
が、飛影は飽きることなく、聞いた。


「これは、手に入れたというより、もらったものでな」
「もらった?」
「ああ。俺を拾ったヤツに」

その言葉に、一瞬眉がぴくんと動く。
考えてみれば、当然のことなのだが、黒鵺にも育ての親のようなものはいたはずである。


氷河の国から捨てられるのは、赤子それも生まれた直後。
いくら、凶悪で残忍な性格になりやすいといわれる忌み子でも、生まれた直後に捨てられ、そのまま誰にも拾われず放置されれば、大半は生き延びられない。

よほど父親の妖怪の性質上、誕生直後から大人同然に動けなければ、無理な話。
黒鵺の父親がそうだったと聞いたことはなかった。
だが、同時に、黒鵺の育ての親の話を聞くのも、初めてだった。
何となく面白くない。
黒鵺は自分を生まれた日から知っているのに……




一方、黒鵺はそんな飛影の心中を少し察したのだろうか。
少し苦笑し、

「拾ったといっても、一緒にいたのは、ほんの僅かだがな。せいぜいが1ヶ月程度だ。俺は成長が早くてな。半月くらいの時には、お前くらいの大きさになっていた」
……

飛影は何も言わなかった。



「そいつが俺を拾ったのは、偶然と気紛れだったらしい。氷河の国から落っことされて、砂漠のど真ん中に落ちていた俺を、たまたま通りかかったから、拾ったとか言っていた。気分がよくて、殺す気も起こらなかったから、とりあえず拾ったらしい」

笑いながら言っているが、結構怖い話かもしれない。
下手をすれば、黒鵺はその時死んでいたはずである。
最も飛影はそうは思わなかったが……気分で殺したい時と殺したくない時があるのは、飛影にはよく分かっていたから。


……で、そいつがそれをよこしたのか? 何のために」
「気紛れ」
……だけか?」
「ああ」

言いながら、磨き終わった氷泪石を飛影に投げて渡し、同時に胸元のペンダントを持ち上げる。
赤い石。
それを眺め、少し目を細める。

それは懐かしんでいるようで……もっと違うようでもあった。

 

 

「本当に気紛れなヤツでな。俺が生まれてから1ヶ月くらいした頃、『この土地から移動する。お前ともこれまでだ』って、あっさりとな。まあ当時の俺の妖力とヤツが向かった方角を考えれば、当然だったが」
……何処へ向かおうとしていた」
「名前言っても仕方ないぜ。随分前に滅んだ。正確には滅ぼされたはずだ。嘘か事実かは知らないが、魔界の三竦みの一人にな」
……

三竦みの噂は飛影も知っている。
黒鵺から聞いたからだ。
だが、黒鵺が彼らのことを興味なさげに言うのと同じように、飛影もまたお伽話だと思っていた。
しかし今、あまり真実に興味はない。


……それでどうなった」
「ああ。それで、これをよこした。盗品だが、売るところで売れば、100年は何もせずに生きていける。血が欲しいなら、首から提げるだけで十分だってな」

チャリと鎖が擦れて、音がした。
血色のペンダント。
一体何の石で出来ているのかは、分からない。
しかし、一度だけ、それを狙った盗賊どもを見た。
全て黒鵺が撃退したため、飛影はひまだったが。


だが、あの時の連中の目は尋常でなかった。
死にものぐるいとでも言うのだろうか。
黒鵺に斬り殺されたとはいえ、死体になっているとはいえ、数分前まで仲間だった妖怪を、足蹴にしてでも奪おうとしていた。

それだけ高価なのだろう。
しかし、とすれば逆に疑問も残る。




……何故、持っている?」
「ん?」
「何故手放さず持っている? 高価と知りながら、何故売らない? 盗品だの、一通り愛でたら売るお前が。血を求めるなら、今更それである必要はないだろうが。もっと別のもので代用出来るはずだ」
……鋭いな、貴様」

黒鵺はため息をついた。
上手く誤魔化したと思ったのに……といった顔だった。


「正直言えばな……もう一度、ヤツに会いたいからだ。ヤツにとっては、気紛れ。これがあったとしても、分からんとしても
……
「深い理由はない。感謝も恨みもない。ただ、ヤツに会いたいだけだ」