<黒> 2
「おい、飛影。それは食べられないぞ。こっちにしろ」
言いながら投げつけられた食べ物。
避けるか受けるかしないと自分に当たる。
飛んでくる間に少し考えて、やっぱり腹は減っているから、受け取った。
ついでに自分で手にした、よくわからないモノは、その辺にほおっておいた。
……黒鵺という名の妖怪に出会ってから、数ヶ月が経った。
見た目は20そこそこだが、黒鵺という男は、結構物知りらしく、出会ってから今まで、世界のこともほとんど彼から教わった。
別に頼んだわけでも望んだわけでもない。
勝手にそういう状況になっただけだったが、今のところ退屈でもないから、甘んじて受け入れている。
そもそも何故そういう状況になったかといえば、初対面が悪かった。
というより、初対面の時の反応が悪かった。
自分の名を聞いても、眉一つ動かさないことに、黒鵺はいささか不機嫌になったらしい。
広い魔界とはいえ、そこら辺りでは、比較的名の通った盗賊である自身があっただけに、腹も立ったとか。
「よ〜く分かった。なら、徹底的にお前に世の中を教え込んでやろう」
と、半ば強引にというか、ほぼ強制的に、黒鵺の元、あれこれ教わるはめになったのだ……。
「何だ、不味いのか? しかめっ面して喰いやがって」
「……」
この顔は生まれつきだと言おうかとも思ったが、またからかわれそうなのでやめた。
共に過ごした今なら分かる。
黒鵺がどれだけ力のある妖怪であるかということが。
知能の高さはもちろんのこと、攻撃力防御力ともあり、妖力も高い。
また言葉の駆け引きにも長けている。
時折、盗賊の仕事に連れて行かれるが、その際だけは多少尊敬する面もあった。
知識も豊富で、母の形見の氷泪石が至高の石だと教えてくれたのも彼だった。
ついでに……まあこれはいいのか悪いのか知らないが。
度胸があるというか、考え方が自分に似ているのか知らないが…。
血が噴き出す寸前の真っ赤な肉の切れ目が好きだと言ったら、
「じゃあ、氷泪石首からかけておけよ。血に不自由しないぜ。俺もそうしてるぜ」
などと言って、首から下げた赤い石をちらつかせた。
全く。
自分と同じ考えを持つ者がいるというのは…。
でも嫌ではなかった。
四六時中、共にいるわけではない。
彼の隠れ家にいることはいるが、盗賊の仕事で長期で帰ってこないこともある彼とは、毎日顔を合わせるわけでもなかった。
また、こっちが無断で出かけることもある。
しかし彼は別段何も言わないし、殺しを終えて帰ってきても、「よお、帰ったか」程度で終わらせる。
そんな彼との生活は……少なくとも、楽しくないわけではなかった。
……それにしても。
「おい、貴様」
「何だ? 飛影」
「……その『ひえい』というのは何だ?」
大分前から、何度も彼が口にしている言葉だ。
自分を呼ぶ時に使っているように思うが。
何のことか、分からなかった。
黒鵺はやや呆れたように言った。
「貴様、今更何を言っているんだ? 貴様の名前に決まっているだろう?」
「……名前?」
「ああ、名前だ」
「……俺に、名などない」
『名前』という単語なら、知っている。
黒鵺に教えられた。
いくつか意味があるが、この場合は多分、物や者につけられる固有名のことだろう。
だが、物はともかく、者の場合、それは大抵親がつけるものだ。
自分に親などいない。
父親は何処の誰ともしれないし、母親は多分もうとっくに死んだはずだ。
首から提げた氷泪石は、『もらいうけたもの』から即刻『形見』になったはずである。
そんな自分に名などあるわけない。
「まあ、だろうな。親がつけるって意味では。忌み子は大抵名前つけられる前に捨てられるからな。だが、ないと不便だろう?」
「……別に」
「何だ、もしかして気に入らないのか? 飛影。飛行する影で飛影っていい名前だと思ったんだがな……何なら、『とびかげ』にでもするか? いっそ『とかげ』でもいいぜ。十個の影でも悪くないだろう」
「飛影でいい!!」
冗談ではない。
とびかげだの、とかげだの、どう考えてもギャグだ。
そんな名前、絶対にゴメン被る。
「なら、飛影で決まりだな」
にっと笑う黒鵺に、飛影は何か言おうとしたが、諦め、大きくため息をついた。