「蔵馬いるかい?」
……こんな風に、窓から無遠慮に訪問してくる客など、蔵馬は2人くらいしか知らなかった。
いや、彼女の場合、無遠慮というほどではないだろう。
いちおう、声はかけながら、入るのだから。
彼であれば、声かけどころか、いきなり入ってきて、いきなり用件を突きつけるものである。
最も、「声をかける」のは、入る前にすべき行為のような気もするが。
「ぼたん、こんばんは」
怒るほどのことでもないし、呆れるほどのことでもない。
また、ぼたんの口調から、焦る必要性もないと感じたのだろう、蔵馬はのんびりと挨拶をした。
「うん、こんばんは!」
元気に言うぼたんに、蔵馬は座布団を勧め、一度階下へ降りて、コーヒーを入れて持ってくる。
2人分も持っていっては、家族に奇妙に思われるだろうが、幸いにもこの時既に自分の分は部屋へ持って行っていたので、カップを変えて、入れなおしていると思われたようで、「お仕事も、ほどほどにね」と言われただけだった。
ここしばらく、仕事を家に持ち帰ることが増えていたのは、ラッキーだったと言えるだろう。
「ありがと」と素直に礼を言い、ぼたんはコーヒーを飲みはじめた。
彼女に出会ってから、何年経っただろうか?
高一だったから、もう10年は経ったはずである。
霊界・魔界・人間界も、表面的には落ち着いている、今日この頃。
幽助の後輩に当たる霊界探偵も、ヒマをもてあましているらしく、引き続き助手を務めているぼたんも、ヒマらしい。
霊界案内人としての仕事も、もちろんやってはいるが、いちおういつ指令が入るとも分からないため、最小限にしか出来ないとかで、ここしばらくはヒマにヒマ。
しょっちゅう人間界に来ては、幽助や桑原や、こうして蔵馬のところへ遊びに来るのだ。
「仕事どう? 今、どの辺?」
「この前と同じ。課長だよ。そう簡単には昇進しない。社長の義息子といっても、贔屓はなしだからね」
「それ、蔵馬が望んで頼んだんだろ? 他と同じに扱ってくれって」
「言わなくても、そうしてくれただろうけどね。義父さんは真面目だから」
「でもさ〜。課長って、一番ストレス溜まりやすいところじゃないか〜。心配だから、早く昇進しておくれよ」
「俺はそんなに神経細くないよ。仕事程度でストレス溜まるようじゃ、千年も盗賊なんて出来ない」
「それはそうか」
などと、いつもの雑談をしていた時だった。
ふいに、ぼたんの視線が、部屋の隅にあった雑誌に目がとまった。
「これ…」
ひょいっと持ち上げる。
それはおおよそ蔵馬が読みそうにはない、少年漫画の雑誌だった。
「ああ、それ? この間、幽助が持ってきたんだ」
「幽助が??」
ますます分からなくなるぼたん。
はっきり言って、幽助は漫画をあまり読まない方である。
格闘馬鹿のせいか、そういう系統の雑誌は読んでも、漫画は読まない。
「桑原くんのなんだけどね。少し読んでくれって」
「ああ、桑ちゃんのなんだ」
ようやく納得するぼたん。
桑原は格闘好きだが、野球好きでもあるし、猫好きでもある。
なかなか色々なものに興味を示す方で、漫画も読んでいるらしい。
「でもさー。何で、桑ちゃんの漫画を幽助が持ってくるんだい?」
「桑原くんの家に遊びに行った時、暇つぶし程度に読んだらしいよ。そうしたら、急に気になったって」
「気になった?」
「この雑誌、ぼたんは読んだことある?」
「さあ? 毎月本屋で立ち読みはするけど、雑誌は一通り読むから、どの雑誌にどの漫画が載ってたかまでは、全然覚えてないよ」
結構すごいことを平気で言うぼたん。
しかし、毎月の立ち読みならば、管理人もしていることなので、あまり悪いことも言えない(←おい!)
「じゃあ、この話は読んだことある?」
言ってから、蔵馬は雑誌をパラパラとめくって、目的の漫画の表紙を出した。
それを見て、ぼたんは「あっ」と声を上げる。
「知ってる、これ。毎月読んでるよ」
……それは、いちおう現代を舞台にした、ファンタジー漫画だった。
吸血鬼と人間、宇宙人の物語。
といっても、宇宙人は重要キャラでありながら、かなり端役だったが。
(というか、宇宙船とか以外、全く姿が描かれていなかったりした…)
登場人物は複数いるが、主人公は吸血鬼の王様だった。
彼は、とある理由から、千年、一人で戦っていた。
それはあまりに切なく悲しいものだった。
そんな彼を取り囲む数多の人々。
彼の義理の娘。
彼の二度目の妻。
彼を殺すためにいる少女。
彼を慕う小さな少女。
彼を憎む青年。
彼に対し、大きな感情は抱かず、真実を求める青年。
彼の死んだ一人目の妻と、その母親。
もっとたくさんの登場人物がいたが、話の流れで、大きな役割を担ってきたのは、このくらいだった。
それはかなり難しい話で。
幽助には一度読んだくらいでは、よく分からない話だったに違いない。
だからこそ、彼が気になったのは……おそらく、ある会話のせい。
吸血鬼の王様と、一度目の妻の母親の対話。
その母親の発した……言の葉だろう。
「……幽助、なんて言ってた?」
ぼたんの言葉は、少し震えていた。
蔵馬は少し悩んだ後、そのまま伝えた。
「『俺、このままでいいのか?』って。今のぼたんと同じような顔してたよ」
「そっか……」
しばらくの沈黙。
「……蔵馬は、なんて答えたの?」
おそるおそると言った感じで、ぼたんが訪ねる。
蔵馬は場の雰囲気を和ませるため、彼女の緊張を解かせるため、笑顔で言った。
「『いい』って言ったよ。大丈夫だって」