<noble flower> 1

 

 

 

「なあ、蔵馬」
「何、幽助?」

とある日曜日。
温子に家事を押しつけられるのが面倒で家を飛び出した幽助と、いつもながら姉弟ゲンカに大敗し、逃げるように飛び出した桑原、そしてコエンマにドジを叱られる前にと、そそくさと審判の門を飛び出したぼたん。
今や駆け込み寺と化している南野家に転がり込んで、数時間後。
四人でゲームやらなんやらをしていた折り、ふっと幽助が蔵馬に尋ねたのが、きっかけだった。

 

 

「前から思ってたんだけどよ。お前って薔薇を武器にしてんだろ? 何か意味あるのか?」
「あ、俺も気になってた。何か理由あんのか?」
「そうそう! あたいも気になってた!」
「……理由…と言うのは?」

三人の満場一致の問いかけに、きょとんっとして首をかしげる蔵馬。
いくら彼が頭脳明晰とはいっても、何の前触れもなく尋ねられれば、疑問符の一つや二つ飛ばしたくなるものだろう。

 

「いや、だからさ。薔薇って、確かに棘あるけどよ。別にお前にとっちゃ、そんなのあんまり関係ねえだろ? 道端の雑草だって、武器になるんだから」
「まあ、そうだね」
「だろ。わざわざ、薔薇を主流の武器に選んだ理由って、なんかあるのか?」
「薔薇ってそれこそ、枯れやすいんじゃないのかい? 髪の毛の中じゃ、水切りも出来ないしさ」

そういう問題でもない気もするが……。
少し、顎に手をあてて考えていた蔵馬だったが、苦笑しながら言った。

 

 

「大した理由じゃないよ。ただ単に、初めて武器にしたのが、薔薇だっただけ。以降、しばらくの間、薔薇しか使わなかったから……まあ、慣れかな」
「慣れか…」
「幽助や桑原くんもそうでしょ? 力を使い始めた頃は、ほとんど同じ技しか使ってなかったんじゃない?」
「……っていうか、俺らの武器って、お前ほどパターン広がらねえけどな」

それはセンスの問題であって、武器の問題ではなさそうだが……。
しかし、彼らの場合、武器の質を広げるよりも、僅かに絞り、専念した方が圧倒的に向上する。
それが分かっていたからこそ、幻海もあえて難しい技などは一切教えなかったのだろうし。

 

「それにしたって、薔薇なんてすごいセンスいいよね。流石、蔵馬! 本当、綺麗だもん! 名前だって、かっこいいし!」
「ぼたん、それ何か? 俺らのは、センスねえってのか!?」
「そ、そんなこと言ってないだろ! 被害妄想だよ〜!」
「いーや! 顔に書いてある!」
「え、どこどこ? ホントに書いてある?」
「お前なー!!」

人の家だというのに、きゃいきゃいと喧嘩混じりにじゃれあっている三人を見ながら、微笑む蔵馬。
そして、三人に気付かれないよう、そっとため息をついて、窓から外を見上げた。

 

 

「(最も…それだけじゃないけどね。俺が薔薇にこだわるのは……)」

 

 

 

……あれは蔵馬が、幽助や桑原やぼたんに出会う前のこと。
その一年前に対決した飛影ともまだ出会っておらず、更にその千年ほど前に組んでいた黒鵺や黄泉とすら、出会っていない時分。

人で言うなれば、「幼き頃」という辺りだろう。
最も、時間的には既に人間の寿命などとっくに達成していたが。

 

さらさらと夜風に靡かせ、盗賊として名をはせるのには打って付けのロングヘアはまだ短く、脇を過ぎるくらいまでしかなかった。

肌の色も今ほど白くはなかった。
子どもらしく、血色のいいものだったと思う。
といっても、滅多に鏡を覗き込むようなこともしない上、常から長袖長袴という恰好をしていたから、あまり明確には覚えていない。

いや、それ以前に……子供の頃の顔立ちどころか、どんな生活を送っていたのか、日々をどんな気持ちで生きていたのかも、ぼんやりとしか覚えていなかった。

それらは別段、忘れたくて仕方が無くて、自ら記憶を封じたとかいうわけではない。
過去の記憶ほど、時が経つに連れて、忘れていくのは当たり前のこと。
千年以上経てば、全て覚えている方が逆に変だろう。

むしろ印象の深いことのみを覚え、それ以外を忘れていったという方が正しい。

 

当時のことで覚えているのは……多分、あいつのことだけ。

 

 

 

 

 

「……ま、蔵馬!」
「ん?」

呼ばれて、ゆっくりと蔵馬は起きあがった。
長い時間、芝生に寝転がっていたため、ややボサボサになった銀髪をかき上げながら、声のした方を見ると、一匹の妖怪がこちらを見ている。
彼に向かって、蔵馬は笑みを浮かべ、

「お帰り」

とだけ言った。
妖怪の方は、ややため息をつきつつも、諦めたように言った。

「……ただいま、とでも言っておく」

 

 

 

……あの妖怪の名は、今になっても思い出せない。
どんな男だったのかは、よく覚えているけれど。
黒い髪で、素直じゃない……とても底意地の悪い男。

時と共に忘れたわけではない。
強引に忘れさせられた。
無理に思い出そうとすると、頭が割れるように痛む。

思い出したいけれど……思い出せない。

 

 

 

 

「相変わらず素直じゃないな」
「ほっとけ。どうせ、お前に迷惑はかからんだろう」
「確かに。お前がどんな奴でも、俺には関係ない……お前はお前だからな」
「……よくそういうことが平気で言えるな」

再びため息をつきながら、妖怪は蔵馬の横に座った。
それを見て、苦笑を浮かべる蔵馬。

 

この時間……決して長くはないが、この時間が蔵馬も妖怪も大好きだった。

 

かたや、あまり見たくもない、祖父と父の争いを見た後の、憂鬱に浸っていた者。
かたや、あまりしたくない、敵国のスパイを倒して、肉体的にも精神的にも疲れてきた者。

そんな嫌な気分が、この時間だけはふっとぶのだ。

 

身分が違いすぎて。
いつも一緒にいられない。

男同士なのだから、身分違いの恋に発展して……ということがなくとも。
周囲は認めてくれない。
例えそれが、友達であっても。

 

魔の国の春宮と、国に影から仕える者。
本来ならば、出会うことすらなかったはずの間柄。

会ってしまったこと自体が、もしかしたら罪なのかも知れない。
まして、人目を忍んで、こっそり会っているなど……。

知れれば、互いにただではすまない。
けれど、会いたかった。
会いたくて会いたくて。

 

お互い以上に、自分を分かってくれる人はいない。
お互い以上に、自分を分かって欲しいと思える人もいない。

お互い以上に……一緒にいたいと思える人もいない。

 

 

 

「……それで…どうなんだ?」
「何が?」
「帝と…院のことだ」
「ああ、あいつらね」

言いながら、蔵馬は空を仰ぐ。
同時に少しだけ顔が曇った。
それが何を意味しているかは、妖怪にも分かっていた。

「……無理、か」
「無理だろうな、和解など。考え方は似ているくせに…」
「相手を蹴落としたがる?」
「そういうことだ。自分がのさばることしか考えてない。どっちが悪いとも言えないがな。隠居したくせに、いつまでも勢力を広げたがる院も、まだ国のトップになるほどの実力がないくせに、自分だけの力で一番になっていると思いこんでいる帝も」
「……仮にも、お前の父と祖父だろう。言い過ぎじゃないのか?」

本日二回目のため息を吐く妖怪。
だが、内心は決して穏やかではなかった。

蔵馬の父、祖父…そして、自分自身への怒りで。

 

 

帝と院の対立。
人間の世界では、この数千年後、日本という国において、同じような状態になる。
所謂、院政と呼ばれるもの。

この国では、実の父子の間でそれがおこっていた。
当然、院の孫であり、帝の子である蔵馬も、それに巻き込まれている。
ほとんど生まれ落ちた瞬間から。

蔵馬はどちらの勢力にも加わらず、中立の立場にいる。
後数年もすれば、第三勢力にもなるかもしれない。
そうすれば、ある意味三竦み状態で、楽になるかもしれないが……今はまだ、蔵馬も子供。
いくら頭がよかろうと、子供である彼は耐えることしかできないのだ。

 

そんな、まだ幼い蔵馬を傷つける、彼の父と祖父が許せなかった。
しかし、同時に自分自身も妖怪は許せないでいる。

何も出来ない自分に。
敵国のスパイを倒すこと以外、何一つ力のない自分に。

 

 

「……すまない、蔵馬」
「何故、お前が謝るんだ?」
「何となく……だが」

 

いつものこと……と思いつつ、頭を抱えずにはいられない蔵馬。
彼に会えるのは嬉しいのだが……彼は、会えば必ず、一度は謝る。
何に対してなのか、分からないわけでもない。

彼に罪はないにしろ、彼の性格を考えれば。
申し訳ないというより、自分の力のなさを嘆いているのだと。
それくらい分かっている。

 

だが……出来れば、あまり謝って欲しくない。

謝罪の言葉は、彼からは欲しくない。
他の誰が言っても、それは自分をはめるための上辺の言葉だから、気にも留めないけれど。

彼の言葉は、本心だから。
逆に聞きたくなかった……。

 

 

 

ポン

「はい。これ」
「……」

蔵馬から手渡されたものを、妖怪は無言のまま受け取った。

一輪の紅い薔薇。
出会うたび、蔵馬はいつも妖怪に渡し、妖怪も素直に受け取っている。

……必ず、別れの際に。

 

「じゃあ、また」とも「今度また」とも言わない。
次があるかどうかなど、どちらにも分からないのだから。
今回が最後、そうなっても全く不思議でない。

 

だからこそ、この薔薇が……二人の言葉の全てとなってくれるのだ。

 

 

 

見送る蔵馬の背が坂の向こうに消えて後、妖怪は手の中にある薔薇をじっと見つめた。

 

守りたい。
守れる力が欲しい。

そう思わずにはいられない。

たった一人、自分に言葉をかけてくれた、若い王子。
彼だけでもこの手で守りたい。
守れるなら、どんな手段でも厭わない。

 

そう思っていた。

例え、己の身を投げだしてでも……。