<元気印> 1
「は?」
正面に座る螢子の言葉に、蔵馬は口へコーヒーを運ぼうとしていた手を止めた。
それほどまでに彼女の「頼み」は突拍子もなかったのである。
しばし、ぽかんっとしている蔵馬に、再び同じ「頼み」をする螢子。
「だからその……ちょっとだけ、幽助の親戚の振りしてもらえませんか?」
「幽助の親戚??」
「出来れば、従兄弟とか……本当の兄弟って言ったら、いないはずなのにって思われちゃうし」
「螢子ちゃん、話が見えないよ」
本当に全く見えない。
今まで、勉強を教えて欲しいとか、そういう頼みならば、桑原も含め、結構あった。
しかしそういう頼み事は今回が初めての上、何故なのかさっぱり分からない。
「……実は、幽助が魔界へ行ってから……告白される回数が増えてて。困ってるんです」
「なるほど」
それは分からないでもない。
螢子は蔵馬の目から見ても、可愛らしい子だし、性格もいい。
長いような短いような、中途半端な付き合いだが、いい子だとは思うし、友達としては好きであることは間違いないと思う。
もちろん、異性として見たことは一度もないが。
……螢子によれば、告白されるだけなら、今まで結構あったから、丁重に断ってきたらしい。
しかし、幽助が魔界へ行って以来、その回数は急増していた。
以前、幽助が死んでいた時にも似たようなことはあったが。
もちろん全て断ったが、最近力づくでという不良もいるようで、その度にビンタか何かで応戦してきたが、これが二人か三人に増えては、相手も大変だということらしい。
「つまり、幽助の従兄弟が近くにいるなら、諦める奴も多いかも……ってこと?」
「はい。幽助の従兄弟だったら、別にその人が強くても弱くても関係ないみたいで。前に、幽助の従兄弟だって言って、カツアゲ逃れた生徒がいるって言ってたから」
ようするに別にいてくれるだけで、力を使ってどうこうしてほしいというわけではないらしい。
「でも何で俺に? 俺、あんまり幽助とは似てないし……」
言ってから、まあ飛影や桑原と比べてみれば、似ているかな〜とは思ったが。
(トレカなどで、2人が並んでいて、幽助が前髪下ろして真顔でいたりすると、他の2人の瞳や髪型が異質であるせいもあるだろうが、幽助と蔵馬がかなり似ているような気がするのは管理人だけか……)
「桑原くんはうちの学校にいて、幽助とは関係ないことはみんな知ってるし……静流さんに頼もうかなとも思ったんですけど、女の人だと、やっぱり効果薄いかなと思って」
「……分かった」
少しだけ考えた後、頷く蔵馬。
告白されまくって困る経験ならば、蔵馬にもなくもない。
螢子のことが少し気の毒だと思ったこともあるが、しかし本心では、幽助がいない間に螢子に何かあっては、魔界へ行った時、幽助に申し訳が立たないな〜と思ったのが一番である。
「ただ、俺もあんまり時間は……」
「今度の文化祭に来てくれるだけでいいんです。それだけで十分だと思うから」
「分かった」
「……やっぱり制服で行くか」
文化祭当日。
日曜日だが、蔵馬は制服に袖を通していた。
本当はラフなシャツやジーパンとかで行こうと思っていたのだが……前に私服で桑原と歩いていたら、彼女に間違われたことを思い出したのである。
(注:これはあくまで幽助が魔界で修行中の話。幽助が帰る直前に間違われた時のことではない。別に何度あっても不思議じゃないと思うし…)
学ランなら、男にしか見えないだろう。
それに盟王高校はここからそれほど遠くはない。
決して近くもないが……しかし、皿屋敷中学から受験する生徒もいるだろうし、そうなら制服くらい調べているだろうから、きっと男に見えるはず。
……そしてそれは正しかった。
いや、ある意味正しくなかった。
確かに男には完璧に見えたらしいのだが……。
皿屋敷中学の門は、文化祭のため、派手に飾られ、保護者や他校の友人たちを迎え入れていた。
最近、凶悪犯罪などが増加しているため、生徒から配られるチケットがなければ入れないことにはなっているが。
蔵馬も螢子から預かっていたチケットを受け付けに出し、そして名簿に名前を書いた。
一瞬、浦飯とでも書こうかと思ったが、しかし後々調べられて、南野だと分かれば、怪しまれるかもしれない。
従兄弟ならば名字が違っている方が多いくらいだし、まあいいかと、きっちり南野秀一と書き残した。
門をくぐり、すぐに校舎の方へ。
確か螢子のクラスは、本来の教室の位置で喫茶店をやっていると聞いている。
受付でもらった地図を頼りに、校内を歩いたが……。
何か視線を感じるようだった。
しかしこういう視線に心当たりがないわけではない蔵馬。
中学生の時、告白されて以来、こういう視線がどういうことを示すのかは分かるようになってきた。
とはいえ、ここまで数が多ければ、気付かない方が不思議なくらいだろう。
「(マズいな……螢子ちゃんなら、多分虐められるなんてことないとは思うけど)」
ため息をつきながら、それでもサクサクと歩き続け、一つの教室の前で止まる蔵馬。
和をモチーフにしているらしい。
風鈴がチリンチリンと鳴り、暖簾が風に揺れている。
螢子の教室であることを確かめ、そして螢子が売り子をやっている時間帯かどうか改めて確認した後、入室する。
「いらっしゃいませ…!!」
入り口のすぐ脇で軽くオジギをした女生徒が、顔を上げた途端、言葉に詰まった。
同時に赤面して、頭の頂点から蒸気が噴出する。
が、相手が一人ではどういう視線なのか分からない蔵馬。
つくづく、勉強と戦いと自分に関係ない恋以外には、疎いらしい。
女生徒が硬直しているため、案内してもらえず、勝手に席をとるのも悪いかと、しばらくその場に立っている蔵馬。
幸い、他の客の邪魔になることはなかったが、しかし入ってきたはずの客からの注文がないことに気付いたのか、奥から別の売り子たちが顔を覗かせた。
もちろんその中には螢子も含まれている。
瞬時にお互いに気付き、蔵馬が声をかけ、螢子も歩み寄った。
「来てくれたんですね、ありがとう」
「いいや。可愛いね、浴衣」
笑顔で言った後、耳元で小さく、
「幽助に見せられなくて残念♪」
と囁いたため、螢子は他の女生徒とは別の意味で真っ赤になってしまった。
「螢子!! 今の誰!?」
「誰なの一体!?」
「え? え?」
蔵馬を席に案内し、注文を受けて戻ってきた螢子は、奥で他の女生徒に質問攻めにあってしまった。
彼女らの瞳にはキラキラを輝くものが見える。
これはどう見ても……。
「えっと……あの人は、くら…」
言いかけて、少し黙る螢子。
そういえば、呼ぶ時には、いちおう妖怪の方ではなく、人間の方の名前にしておいてほしいと言われていた。
万が一、盟王高校へ確かめに来られた時、蔵馬では通じないからである。
最も一部の生徒の間では、以前桑原が叫びまくったことにより、あだ名として認識してくれている者もいるが。
「えっとね。南野秀一さんっていって…幽助の従兄弟なの」
「ええー!!?」
「浦飯くんの従兄弟!?」
「うっそー!!」
その数分後。
蔵馬と螢子が質問攻めにあいながら、何とかお茶をしている時。
「おい。浦飯の従兄弟が来てるらしいぜ」
「近くの高校生だってよ」
「はあ…あいつがいない間に雪村ゲットしようと思ったのによ……従兄弟が近くにいるんじゃ、危険過ぎるじゃねえか」
「あいつの従兄弟っていうからには、無茶苦茶な不良なんだろうしな〜」
皿屋敷中学の中庭。
何人かの男子が集まっていた。
ほとんどの者はため息をついたり、落胆したり……とにかく文化祭らしい活気も見られず、暗いものだった。
しかし……たった一人、違う者がいた。
そして彼の言葉に皆が賛同してしまったのだ。
「本人じゃねえんだ……あんな化け物、いくら血の繋がりがあったって、そうそういねえ……この人数でいけば…」
帰り道。
文化祭の後片づけは明日だが、生徒会の彼女の帰りは遅い。
ようやく帰り支度を終えた頃には、初夏だというのに、真っ暗になる刻限だった。
教師たちに帰ることを告げ、生徒会室の鍵を返却し、少し足早に家路につく。
こういうまだ真夏というほど暑苦しくない時期は、変質者も結構出やすい。
一対一なら、逃げようもあるが万が一ということもあるので、なるべく早めに家に……と思っていたのだが。
校門に見覚えのある影を見つけたため、速度を上げ、走り寄っていった。
「あっ、くら…秀一さん!」
「やあ」
笑顔で手を振ったのは、もちろん蔵馬。
誰が聞いているとも限らないので、いちおう秀一の方で呼んだ。
「待っててくれたんですか?」
「効果はどうだったか、ちょっと気になって。明日でいいかなとは思ったんだけど、暗くなりそうだったから」
「大丈夫だと思います。あの後、何人かの男の子が『君は諦めることにするよ』って言ってくれて……本当にありがとう。助かりました!」
「いいや」
蔵馬としても、こんなに簡単に事が進むとは思っていなかったらしい。
これくらいで螢子に余計な虫がつかないと思えば、安いもの。
幽助が帰ってきた時、虫だらけであれば、人間界であろうと大暴れしそうなもの……それは出来れば避けたい事態だったから。
「送っていくよ」
「え、でも」
「暗いから危ないよ。ね?」
「じゃあ、お願いします」
一瞬躊躇したが、暗いのは事実だし、蔵馬がいてくれて心強いのもまた事実。
軽く頭を下げると、横に並んで歩き出した。
街灯と月明かりの下、住宅街を歩く間、二人はとめどない話をしていた。
幽助と螢子の昔話、幽助と蔵馬の何気ない対話、幽助と螢子の喧嘩話、幽助と桑原の喧嘩を仲裁する蔵馬のこと。
……考えてみれば、全てが幽助がらみ。
しかしそれくらいしか二人には接点がなかった。
まあ、他のことを話しても、多分話し上手な二人だから盛り上がるだろうが、しかし身内の話ほど楽しいものもない。
「それでね。幼稚園の劇で、幽助、鬼の役やって、桃太郎倒しちゃったの!」
「あはは。それはそれで楽しそうだけどね。それでキジ役の螢子ちゃんは?」
「もちろん、鬼倒しちゃって。しばらく、『桃太郎物語』じゃなくて、『最強キジ物語』って言われてたの」
「是非見たかったな、俺も。その頃は小学生だったけど」
「蔵馬さんも劇とかしたことあります?」
「俺も幼稚園の時だけね。『白雪姫』で王子役やったよ」
「王子様! すごーい!」
「そう?」
「すごいよ! 王子様なんて! 幽助は鬼とかの役しかやったことなかったもの」
笑いながらそう言って、ふいに顔を上げる螢子。
隣を歩く蔵馬の横顔を思わず、じっと見つめてしまった。
「(そういえば……今まであんまり意識してなかったけど)」
ふうっと少しだけため息をつく。
「(蔵馬さんって綺麗な人なのね…)」
幽助よりも若干長身。
だが、体重は推測だが多分幽助よりも軽い。
着痩せする方なのだとしたら別だが、螢子は長袖長ズボン以外の蔵馬を見たことがなかったから、そこまで考えることは出来なかった。
女の自分よりも長い睫、奥二重の理知的な緑色の瞳、すっと通った鼻筋、上品な口元、綺麗な白い肌。
長い髪の毛は優雅に夜風に揺れ、ぴんっと伸びた背筋は、それでも疲れを感じさせない。
そうであって、中性的ではあっても、女性らしさというものはなく、やはり男の人なのだと納得させられるのは、何故だろうか?
しかし……不思議と惚れることはなかった。
もしかしたら、自分の好みではないのかもしれないが……あまり好みなどを意識したことはないため、よく分からない。
物心ついた頃には、幽助と一緒に遊んでいて、知らぬ間に好きになっていた。
他の男子を見ても、何の感情も浮かばない。
幽助しかいない。
だから……多分幽助のようなタイプが好みなのだろうが、正直よく分からなかった。
「(好みか〜。あんまり考えたことなかったな。恋愛占いとか、友達と一緒にやったことあるけど……でも、私は…幽助の何処が……)」