<眼差しの温度> 1
「……であるからして……」
「ということで、検事側の意見は……」
「……裁判長、申し立てたいことが……」
「……」
耳元でのざわめき。
鬱陶しく五月蠅く……まるで、捨てられたあの日を連想させるような光景だった。
あの頃よりも力はある。
当然だろう。
いくら邪眼を移植し、最下級妖怪まで転落したとはいえ、生まれた瞬間より弱くなるなどあり得ない。
が、しかし今、彼の妖力はほぼ完璧に封じられている。
霊界の枷……これは妖怪の妖力を、一時的に「無」にしてしまうものだった。
一時的というのが、どれくらいかといえば、簡単なのだが、つけている間ずっとである。
つまりは呪布で包まれていたあの時と、あまり変わらない状態。
加えて、発信器までついているとかで、逃げ出すことはほぼ不可能。
魔界にその名を轟かせた、盗賊妖怪・邪眼師飛影ともあろう者が、何故このような状況に置かれているのか……。
簡潔に述べるとすれば、一言ですませられるだろう。
早い話……「捕まった」のである。
……さること二週間ほど前。
あの仕事は、霊界の長であるエンマ大王が出張中なのを見計らって決行された。
闇の三大秘宝、餓鬼玉・暗黒鏡・降魔の剣を盗んだのは……。
むろん、そのような大仕事を一人で行えるはずはない。
一人か二人…一時的にでも、仲間に引き込む必要があった。
一人はすぐに決まった。
偶然、腹を空かした吸魂鬼を見つけ、声をかけるとあっさり引っかかった。
バカのようだし、後々面倒を起こされても困るので、適当に殺すか…と、半ば冗談半分に考えながらも、とりあえず組むことにした。
しかし、こいつだけでは、はっきり言って一人でやるのと大して変わらない。
体力バカで、腕力は期待できそうだが、頭の方は多分空っぽだろう。
もう一人……そう、出来れば大まかでもいいから、全体の作戦を立てられる、頭のキレるヤツがいい。
霊界にも精通していて、なおかつ全ての世界で、あまり顔の知られていない者……。
ふいに脳裏に浮かんだのは、一年前に出会ったある妖怪のことだった。
妹の情報を聞きつけ、訪れた小さな街(まあ、デマだったのだが…)。
そこを仕切る妖怪だった。
赤い髪を持つ狐……。
別の妖怪に深手を負わされ、焦っていた際に、攻撃をしかけてしまった相手……だが、彼は突然現れた自分にも、混乱することなく、冷静に対処していた。
頭がキレるだけでなく、力においても申し分ない。
加えて、身内に危険がない及ばない限りは決して冷徹な態度を崩さぬ、落ち着きはらった男。
元々はたいそうな有名人だったが、姿が変わり果てた今となっては、彼の正体を知る者は、人間界のごく一部の下等妖怪くらいだろう。
一年経った今、どうなっているのかは分からないが、とにかく誘ってみるだけでも、損はないだろう。
問題は、人間として生きている彼が、霊界の三大秘宝に興味を持ってくれるかどうかということだが……。
意外にも問題はあっさりと解決された。
彼は飛影の話を聞くと、しばらく無言で考え込んだ後、首を縦にふって、承諾したのである。
これには流石の飛影も、拍子抜けしたが……理由はすぐに分かった。
どうやら母親の命が危ないらしい。
三大秘宝の一つ・暗黒鏡、満月の夜に何でも願いを叶えてくれるそれが目当てなのだろう。
そして……満月の四日前だった。
三つの宝は、いとも簡単に盗み出せたが……その後が問題だった。
まず狐の妖怪が仲間を抜けると言いだしたまでは、予想がついていた。
最初から母親を助けるためだったのならば、自分たちと一緒にいる必要性はない……。
しかし、それだけでなく、予想に反したことが、次々に起こってしまったのだ。
突然、ワケの分からない霊界探偵が現れ、吸魂鬼はそいつに倒され、餓鬼玉は奪い返され。
どういう風の吹き回しか、狐は彼を信用して自分の過去を語り、人間の方も暗黒鏡を使った狐を助け……狐は助かり、暗黒鏡は探偵の手に返却された。
狐は自首という形になったため、逮捕にも至らなかったらしい。
そこまでなら、まだよかった。
いや、あんまりよくないが……少なくとも、自分には関係がなかった。
吸魂鬼の失態と、狐の甘さだけですんだのである。
だが……狐が暗黒鏡を人間に返した、二日後。
経緯は色々あったが、飛影も吸魂鬼同様、霊界探偵に倒されてしまったのだ。
それこそ物の見事に……今なお、背中に受けた衝撃は大きく、まだ夜中に傷みが舞い戻ってくるようだった。
そして今……飛影は霊界の裁判を受けている。
闇の三大秘宝を盗んだ罪ということで……。
もちろん、隣の被告人席には同罪である狐や吸魂鬼もいる。
吸魂鬼は頭部に大怪我を負い、包帯がぐるぐる巻きで顔がよく見えない状態だったが、狐は表面的には元気そうである。
むろん無傷ではない。
例の人間と自分との戦いに割って入ったため、服に隠れて見えない腹部に深手を負っているのだが、しかしあえて何でもないような顔をしていた。
自分に気を使っているのか……少々、腹も立つが、本人がそう言ったわけではないのだし、とりあえず何も言わず、視線だけ合わさないように務めていた。
「……以上、閉廷」
裁判長の発言で、検事や傍聴人などがわらわらと席を立つ。
しかし、罪人たちは留置所を担当する警官によって連れて行かれるため、全員が外に出るまではその場で立ったままである。
そう、通常は誰もがそうなのだが……。
「……それじゃあ、また」
被告人席から、一人の妖怪が動いた。
本来このようなことが起これば、その場で即刻死刑判決も珍しくない。
元々、霊界は基本的に妖怪に優しい世界ではないのだから……。
しかし、彼は特別扱いされていた。
人間界で人間として生きる狐。
改心し、自首し、所在もはっきりし、更に妖怪を捕らえるため、霊界探偵に手を貸した。
そのために深手を負ったことも加わり、彼は裁判の時のみ、霊界を訪れ、後は人間界で今まで通りの生活を送っているのである。
戸籍がある以上、突然失踪しても人間界が混乱するだけ。
それに母親も回復してきているとはいえ、楽観は出来ない。
今、息子が行方不明ともなれば、身体にも心にも、いいはずがない。
逆にいえば、失踪して姿をくらますという手が使えないということにもなるので、とりあえずは執行猶予ということになったのである。
そのため、裁判が終わると傍聴人などに混じって、先に法廷を引き上げる。
いつも、他の二人を申し訳なさそうに見ながら。
法廷に入る前もそう。
留置所から直接来る自分たちとは違い、彼は人間界からやってくるため、留置所は通過もしないのだ。
最も最初の裁判の時だけは、霊界側にも決まりがあるため、留置所に一時だけいたのだが。
運悪く隣の檻に入れられ、ほとんど動けずにうめいていた自分に手当などしようとした時は、本気で殴ろうかとも思ったものである(まあ、そんな元気もなかったが)。
「私で最後です。では…」
「ああ」
年若い傍聴人が最後に法廷を出る際、入り口にいた警官に声をかけた。
これが合図となり、警官が法廷に入ってくるのである。
そして二人の妖怪に手錠をかけ、留置所まで連行するのだ。
枷のついでに手錠までかけるとは、随分と念入りというか何というか……。
「さっさと来い」
ジャラジャラと手錠と鎖の音が、霊界裁判所の廊下に木霊する。
この長い廊下を行ったところが霊界留置所。
段々暗く狭くなり、最後には蝋燭の照明すらなくなり、人一人がやっと通れるくらいの通路になる。
正に闇に閉ざされたような場所。
協力して脱走を図れぬよう、罪人たちは全て一人一人の檻に入れられる。
サイズは色々と用意されているが、飛影は一番小さな檻だった。
檻の前で手錠を外され、ボロボロの藁がしいただけの冷たい床に腰を下ろす飛影。
格子窓もないここでは昼も夜も分からなかった。
食事はいちおう運ばれてくるが、不味くて食べられたものではない……というか、毒に近い。
仕方がないので、ここへ来てからは絶食している。
どうせ食べたところで体力がつくとも思えないし、また体力がついたところで、脱走は不可能だろう。
どういう処分になるかは、さっぱりだが、もうこの際大人しくしていた方が身のためである。
……と、考える者もいれば、考えない者もいるのが、世の常というもの。
飛影とは全く逆…彼と共に悪事を働いた吸魂鬼は全く懲りていなかった……。
その夜、留置所で大爆発が発生。
飛影も当然飛び起きたが、目の前が煙だらけで何が何だかさっぱり分からない。
妖力が封じられている以上、邪眼も使えないため、本当に何も見えない。
しかし焦ったところで無意味である。
とにかくここにいるのは危険だと、鉄格子や壁を手当たり次第殴ってみた。
と、爆発のせいか鉄格子の一部がもろくなっていた。
思い切り蹴飛ばすと、すぐに外れ、そこから脱出。
今のところ、脱走する気はないが、しかしここにいるわけにもいかない。
ともかく何処か煙の届かない場所へ……と、思った次の瞬間!!
「……っ!!」
突如、留置所の廊下を突風が駆け抜けた。
当然廊下に出たばかりの飛影も、それをもろに受け……。
風に巻き込まれたまま、外へ。
そこは何と人間界への入り口だった……。