<ナイト> 1

 

 

 

「蔵馬さんの欲しいものって、知ってますか?」

そう聞かれた時、飛影は一瞬何のことかよく分からなかった。

 

12月に入って間もない寒い日。
何となくパトロールが嫌になり(いつものことだが)、サボって人間界の幻海の寺へ来ていた彼。
寺の屋根での昼寝にも飽きたので、そろそろ行こうかと思っていたところだったのだが……。

境内の掃除をしていた妹の雪菜に声をかけられたのだ。

 

もちろん、雪菜は彼が実の兄であるとは聞かされていない。

しかし、彼女は飛影によく話しかけてくる。
割合怖がられることが多い飛影にとっては、かなり不思議なことなのだが。

多分、知らなくとも、親しみを感じているのだろう。
兄妹の絆というものは、例え存在を知らずとも、繋がっているものである……。

 

 

が、今回のはかなり意味不明な言葉だった。
雪菜の口から、蔵馬の名前が出ること自体、滅多にないことの上、しかも欲しいものとなれば……。

 

「……どういう意味だ?」
「あ、えっと……もうすぐクリスマスなので…」
「くりすます??」

ますます意味が分からなかった。

『くりすます』とは……初めて聞く言葉だが、一体何なのか?
人間界の日本在住者でクリスマスを知らない者などまずいないだろうが、魔界にクリスマスの習慣はない。
当然、飛影もその言葉さえ知らなかった。

しかし、飛影が知らないとなれば、雪菜も知らないことの方が多いが……多分、螢子かぼたんに聞いたのだろう。

 

 

「……よく分からんが、知らん。本人に聞け」

ハタから聞けば、思いっきりそっけなく、冷たい態度のように見えるであろうが…。
彼が「飛影」ということを考えれば、返答しただけ、まだいい方だと思われる。

 

「あ、すいません。あんまり蔵馬さん来られないので……」
「……」

確かに正論だった。
蔵馬は滅多に幻海の寺には来ない。
桑原ならば、二日に一度は来ているが…。

蔵馬は社会人になったこともあり、融通が利かないのだ。
雪菜が下山して、直接会いに行くという手もあるだろうが、それは世間知らずな彼女には危険なこと…。
まあ桑原に聞いてもいいのだろうが、雪菜の目から見て、蔵馬と一番仲がいいのは飛影に見えたのだろう。

 

「もし会うことがあったら、聞いてくれませんか?」
「あ、ああ……」

 

 

 

 

 

「へえ〜、なるほどな〜」

幻海の寺を後にし、とりあえず蔵馬の家に行ってみることにした飛影。
やはり優しいお兄ちゃんである。
本人に言えば、おそらくは相手が蔵馬でもない限りは半殺しだろうが…。

が、蔵馬は言ったとおり、社会人のため、昼間は家にいない。
当たり前のことだが、まだ日も落ちていない現時点では、蔵馬の家は空っぽである。

 

とりあえず、帰るまでその辺で寝て待っていようかと思ったのだが……。
偶然、幽助が近くで屋台の準備をしているのが見えたので、腹ごしらえに何か作らせようかと、そちらへ行ってみたのだ。

むろん、文無しなのだから、タダで……ついでに営業時間外だが、そんなことを気にする飛影ではない。
もし彼が気にしたとすれば、天変地異の前触れだろう。

 

まあ、今日はたまたま幽助も機嫌がよく、てきぱきとラーメン一つ作り、タダでおごってくれたのだが。
しかし、飛影の話を聞いた途端、その機嫌が更に上昇したようだった。

 

「……なんだ?」
「そんなの決まってんじゃん。もうすぐクリスマス。女が男の欲しがるものを聞くとなれば!!」
「……なんだ?」

 

「好きなんだろ、雪菜ちゃん。蔵馬のこと」

 

 

ガッターーン!!

 

 

思いっきり、ずっこける飛影。
椅子から転げ落ち、振り上がった足で屋台のカウンターを蹴り飛ばし、ラーメンの丼が宙を舞った。
慌てて、カウンターを起こし、身を乗り出して、丼をキャッチする幽助。
幸い中身はほとんど食べてしまっていたため、汁が少し飛んだだけですんだ。

「お前な〜。丼一個でも結構すんだから、粗末に扱うなよな」
「……」

幽助はため息混じりに文句を言ったが、飛影はそれどころではない。
頭の中が一瞬真っ白になり、今では色とりどりに染められ、完全に混乱の中にいる。
まるで、耳元で巨大な銅鑼か銅鐘でも鳴らされたような……。

 

しかし、そんな飛影の混乱をよそに、幽助は丼を片づけながら、

「桑原のやつ、失恋したな〜。でもまあ、蔵馬だもんな。しょうがねえか」
「……」
「どうした? 飛影」

「な、な…」
「菜? 喰いたかったのか? そりゃ、野菜入れなかったのは、悪かったけどよ。今日の分、まだ届いてねえから、具はナルトだけで勘弁…」
「何でそうなる!!」

起きあがり、バンッとカウンターを叩いて、叫ぶ飛影。
もちろん、カウンターはそこの部分だけが物の見事に崩れ去ったが……。
それについて、幽助が何か言おうとする前に、飛影が再び怒鳴った。

 

「何で、そういう結論に達する!? たかが、くりすますとやらにやるものを聞かれただけだぞ!?」
「お前な〜。喧嘩強えくせに、恋愛になるとまるでド素人なんだな。そのくらいガキでも分かるぜ……って、ああ。お前はクリスマス知らねえのか?」
「……知らん。魔界にはそんなものはない」
「あ、なるほどな。まあ、俺も詳しいところまでは知らねえけどよ。簡単に言えば、好きな野郎にプレゼントやる日ってところだな。それも恋愛感情で」

これはかなり間違った解釈の仕方のような気もするが……。
しかし、『くりすます』という言葉自体を知らない飛影に、その間違いを気付く要因があるはずがない。

 

 

 

……考えたこともなかった……雪菜に好きな男が現れるなど。

 

正直、桑原のアタックなど、気にもならなかった。
多少むかつくところはあったが、どうせ実らぬ恋だと……。

しかし、まさか蔵馬に……。

 

確かに蔵馬は、同性の飛影の目から見ても、よく出来た男だと思う。

力はある、頭は切れる、容姿も申し分ない。
自分に危害を加えようとしない限り、どんな者に対しても、割と優しい。
ついでに身長も高いし…。

性格の方は多少問題はあるが、からかう相手もある程度選んでいる。
雪菜は対象外だったろうから、からかわれたこともないだろう。

 

となれば、好意を持っても、特に不思議はないかもしれない。
恋愛には興味のない飛影。
当然、蔵馬がもてるタイプであるということは、考えたこともなかったが、よくよく考えてみれば、女に好かれても何の違和感もないはずなのだ……。

 

 

ショックに打ちのめされ、呆然としている飛影。
幽助は自分の言い出したこととはいえ、流石にここまでショックを受けられると、責任を感じ、

「あのな〜。おめえ兄だって名乗ってねえんじゃ、止める資格ねえぞ? 恋愛は当人同士の問題なんだしよ」
「……」

本人はいちおう慰めたつもりだったが……もちろん、これはますます飛影を追いつめることにしかならない。
まだ混乱から抜けきらぬ頭を持ち上げ、幽助を睨む飛影。
しかし、幽助は飛影が先程よりも酷く落ち込んでいることになど、まるで気付かず、

「雪菜ちゃんだって、いつまでも子供じゃねえだろ。好きな男の一人や二人、できたって不思議はねえじゃねえか」
「……」
「お前さ。いつまでも遠くから見守ってるナイトでいたいって思ってんのかもしれねえけど……だったら、祝福してやるのが普通じゃねえの?」

 

 

 

 

 

 

「親しいヤツに好きなヤツが出来たら? そりゃ、普通応援してやるもんだろ?」
「そうだよ。『がんばれ!』って言ってあげるべきだよ!」

そう言いながら、ぽんっと飛影の肩を叩いたのは、空いた片手でヨーヨーを操り遊ぶ少年。
その前の台詞は昼間っから酒を飲みまくっている酔っぱらいだった。
周囲には、おなじみの連中も揃っている。

 

……今日は久しぶりに六人全員が揃い、次のトーナメントへ向けての特訓をしていたのだが。
放心状態のまま、フラフラと魔界へ戻ってきた飛影と出会い、珍しく死ぬほど落ち込んでいる彼を見て、とりあえず事情を聞いた結果の会話だった。

最も、飛影はまだはっきりと言葉を言う元気もなく、言ったのは「知ってるヤツに好きなヤツが出来たらどうするか」という、これだけであったが。

詳しい事情を知らない酎と鈴駒。
当たり前だが、応援するという、あっさりした結論を出し、ますます飛影を落ち込ませていた……。

 

 

しかし、彼らよりかは幾分冷静な鈴木。
飛影が更に落ち込んだのを見て、勝手に盛り上がっている酎と鈴駒を制した。

「まあ待て。そうすぐに決め込むのはよくない」
「そうか〜? それ以外ねえだろ?」
「とりあえず待て。……飛影、その親しいヤツとは、お前にとってどういう人物なんだ? それによっても変わってくるぞ」
「……」
「好きなのか?」
「……」

この場合の好き…は、「恋愛対象」という意味だろう。
しかし、飛影は「妹」として好き…という意味なのだと受け取ってしまったらしい。
無言で頭を振りもせず…つまりは肯定も否定もしなかったが、何もしないということは、イコール肯定ということである。

 

 

「それは……きついな」

頭をかきながら言う鈴木。
自分の美に固着していた彼だが、初恋経験がないわけではない。
むろんフられた経験もあった。
それも面と向かってではなく、相手に好きな男が出来たという……つまりは、飛影と同じような状況(と、本人は思っている)。

「俺は…アドバイスにならないかもしれないが、何もしないな……」

つまりは何も出来なかったらしい……。

 

「お前らなら、どうする? 凍矢、陣、死々若」

「……悪いが、俺は女を好きになった経験はない」
「俺もねえべ」
「そんな無駄なことに時間を費やせるか」

あっさりと言ってのける三人。

確かに死々若はともかく、陣や凍矢はまだ初恋もしたことがなさそうである。
見た目も鈴木や酎より若いが、中身もかなり若いだろう。
最も、一度くらいしていてもよさそうだが……忍であった二人には恋などするヒマは、本当になかったのかもしれない。

死々若は暗黒武術会から見て取れるように、モテてはいたが、逆にその分誰にも本気で恋は出来なかったのかもしれない……。
いや、幻海には半分告白のような言葉を口にしていたから、あれが彼なりの恋だったのだろう。
しかしまあ…玉砕というか、何というか。
ともかく、相手に好きな人がどうとか言っている余裕はなかったと思われる……。

 

 

「酎や鈴駒は? 女を好きになった経験があるんだろう?」
「経験あるっていうか、オイラは現在進行形だよ。流石ちゃんとラブラブ…」
「どうすんだべ?」

鈴駒のノロケを遮って、尋ねる陣。
もちろん、彼のことだから悪気は全くない。
それがノロケの始まりだということすら、気付いていないくらいなのだから。

最も鈴駒としては、せっかく好きな人のことを話そうと思っていたのに、邪魔されたわけだから、面白くないに決まっている。
だが、いちおう問われた以上は、無視するわけにもいかないので、一呼吸おいてから、

「どうするったって、流石ちゃんもオイラのこと好きだもん」
「自信満々だな、お前」
「だって、付き合ってもう十一ヶ月にもなるもんね〜。酎と違って」
「お、俺は後一ヶ月以内に追い越せば、付き合えんだよ!!」
「後一ヶ月しかないんだろ〜。まだ棗の方が、圧倒的に強いじゃん。諦めたら?」
「あんだとー!!」

「……お前ら、話がずれまくってるぞ」

冷静にツッコミを入れる凍矢。
恋愛については、てんで疎いが、こういう点ではまとめ役として蔵馬と同じくらい適役である。

 

彼の意見で、やっと言い争いをやめた酎と鈴駒。

「で、何だっけ?」
「……簡単に言えば、棗や流石が他の男を好きになったらどうするんだ、お前等は」
「絶対、ぶっとばす!!」
「そんなヤツ生かしておけるか!!」

「お前ら、落ち着け。女の方が好きになるってことなんだぞ? 男の方が女に言い寄っているわけではあるまい」
「……早い話失恋ってことになるか」

「んなの、認めたくね〜!! つーか、ありえねえ、ぜってー!」
「酎はともかく、オイラはありえないー!」
「あんだと、鈴駒、てめえなー!」
「なんだよー!」

「……」

 

 

 

 

 

「親しい者に好きな相手が出来たら?」

所変わって、こちらは霊界。
霊界の次期長であるコエンマの仕事場である。
妖怪である飛影が、あっさり出入り出来るというのも考えもののような気もするが……まあ、今回はその点は置いておくとしよう。

酎や鈴駒の意見は参考にならないと、連中がギャーギャー怒鳴りまくっている間に、さっさとその場を後にした彼は、悩んだ末、霊界へ足を運んだのである。
相談相手はもちろんコエンマとぼたん。
少なくとも、自分よりは年長だし、参考にならないこともないだろうと思ったのだが……。

 

「そりゃ普通に応援さね! 『がんばれー!!』って!」
「……それが万一、自分も好意を持っている者だったらどうする」
「つまり自分の好きな人が、別の人を好きになったら…ってこと?」

思ったより理解力があってくれて、助かった。
内心飛影はそう思ったが、とりあえず無言のまま(喋るのが面倒だっただけとも言うが)、答えを待った。

「そうだな〜。コエンマさま、どうします?」
「ほっとく。助言や助っ人をするのは性にあわん。かといって、邪魔はしたくない。だからほっとく」
「ふ〜ん。コエンマさま、冷めてますね〜」
「じゃあぼたんはどうする?」

上司の言葉に、ぼたんは笑顔で言った。

「あたいは応援しまくるよ! 好きな人が幸せになれるのが、一番じゃないか!」

 

 

 

 

「親しい子に好きな子が出来たら?」

再び場所が変わり、人間界へ。
大衆食堂という言葉がピタリと一致する料理店・雪村食堂。
飛影にとっては初めて訪問するところである。

そのカウンター席に座り、飛影はいつもの三白眼でじっと螢子を睨み付けていた。
もちろん本人は単に見ているだけのつもりであり、螢子もまた飛影のそういう顔には慣れているので、何とも思わず、普通に接していたが。

 

「そうね。やっぱり応援してあげるかな」
「……幽助でも、か」
「幽助が好きになる人!? いるわけないじゃない〜! あのケンカ馬鹿が!」

おかしそうに、ニコニコと笑う螢子。
確かにそうだった……と、今更考え直しても仕方がない。
だが、彼女はひとしきり笑うと、真面目な表情になり、親切にも答えてくれた。

「でももし出来たら……悔しいかな。きっと素直におめでとうとは言えないと思う」
「……で、どうするんだ」
「そうね。心の整理がついたら、助言くらいしてあげるかな」

 

 

 

 

「親しい子に好きな人が出来たら?」

桑原家のリビング。
飛影が来るのは、本当に珍しいことなのだが、実際彼はそこにいた。
桑原の家にまで来るとは、よほどせっぱ詰まっているのだろう……。
しかし、どちらかといえば、助言して欲しかったのは、弟の方ではなく、姉の方らしい。
何故かと言えば、和真の方は、飛影がその言葉を言った途端、別に聞いてもいないのに、

「そりゃあ、もちろん決闘だ!!」

と叫んで、一人で突っ走っているからである。

 

「決闘以外に何があるってんでい!! 男は決闘! それ以外には考えられねえ!!」
「和、あんた黙ってな」

バコンっと実の弟の後頭部に本気の一撃を入れ、撃沈させる静流。
その様子を、飛影は特に呆れることも感心することもなく眺め、目の前に座った静流からの言葉を待った。

 

「そうね。私は影から応援かな。きっと直接には何も出来ないと思うわ」