<朧夢> 1

 

 

夢……それは誰にでもあるものだ。

将来をどうしたいか、これから先をどう決めたいか。
眠っていても尚、見てしまうほどに憧れる夢。
例えその通りにならないと分かっていても見てしまう…。

 

それは決して悪いことではない。
夢を見るということは、この世を美しく見るということだ。

「目標」は、いつか手が届いてしまうもの。
つまりはある程度の限度を持って考えてしまうのだ。

だが、「夢」は届かないかもしれないもの。
だからいい。
遠い遠い、手の届かない存在でいい。
もし届けば、それはとてもこの世が綺麗に見えるだろうから……。

 

しかし……過ぎ去った夢というものもある。
決して、還れない戻れない。
永遠に叶うことのない夢。

そんな悲しい夢は誰にでもあるだろう。
こと、人よりも長く生きている妖狐蔵馬に至っては……。

 

 

 

「ナイトメア〜?」

浦飯幽助宅。
当たり前のように集合したのは、住人である幽助と、久々の休日だというのに呼び出され不満気味の桑原、いかにも面倒くさそうに仏頂面でいる飛影、ため息をつきながら腕組みしている蔵馬、そして呼び出した張本人であるコエンマだった。

「そうだ。またの名をバクともいうな」
「それが今回の敵ですか」
「つーか、いい加減にしろよな! いっつもいっつも面倒おしつけやがって!」

ブツブツ言いながら、コエンマを睨み付ける幽助。
霊界探偵クビを正式に通達されてから早2年。
クビにした相手に何度も何度も頼み事をするとは、余ほど霊界も人手が足りていないのか……。

 

そろそろ四代目の霊界探偵を雇えばいいと思うのだが、しかしコエンマにしてみれば、一番馴染みが深くて、面倒を押しつけやすく、かつ不真面目で簡単には精神のやられない神経の図太い奴に頼みたいのだろう。
むろん毎度引き受けてくれるとは限らないが、空腹時に土産の一つでも持っていけば、大概は釣れる。
時にはエビでタイどころか、ミトコンドリアでクジラでも釣るようなこともあるほど……相変わらず学習能力のない幽助である。

他三名は完全に道連れだが、しかし桑原は雪菜の名を出されては逆らえないし、飛影は躯によって説得してもらい、魔界から送還。
蔵馬はまあ、会社が休みの時限定だが、親切にも付き合ってくれていた。

 

 

「まあ、文句は後で聞く。あんまり時間がないからな」
「……どういう意味だよ」

文句を後で聞くと言って、聞いたことはあまりなかったようにも思うが…。
いつも、さっさと用件だけ述べて、あっさり霊界に帰ってばかりいるような…?

 

「蔵馬。ナイトメアがどういう妖怪か知ってるか?」
「噂程度なら。人の夢に巣くい、悪夢を見せる魔物でしょう? 宿主が廃人になったら、次の宿主に取り憑くという……通常、雌馬の姿だって聞いてますが」
「その通りだ。まあ廃人にならなくとも、自由に夢を出入り出来るらしいがな」

「ふ〜ん。悪夢ってどんなだ?」
「それは人それぞれだろうな。人によって、悪夢もそれぞれだ。テストで0点とったとか、サッカーの試合に負けたとか、受験に落ちたとか、彼氏彼女にふられたとか」
「俺にとっちゃ、全部くだらねえな」
「そうだな」
「螢子や雪菜に他の彼氏ができてもか?」

「……」

流石にそれは悪夢かも……想像しただけで、ぞっとしたらしく、少し青ざめている幽助と桑原。
彼氏とまではいかなくても、あれだけの可愛さを持つ二人である。
仲の良い男友達が出来て、二人で遊園地へ……などという光景など、死んでも見たくない。
最も、現在彼女のいない蔵馬や、そういうのが全く想像のつかない躯が相手の飛影は、平然としていたが。

 

 

 

「とりあえず、早く捕まえてくれ。奴に取り憑かれた宿主は分かっているから、追い出して生け捕りにしてくれればいい。ただし肉弾戦は避けろ。奴は実態のない妖怪だからな。霊気と妖気で攻撃しろ」
「へいへい。んで、そいつ何処だ?」
「もう連れてきとる」
「は?」

コエンマのぞく全員の視線が彼へ集中した。
だが、彼はその視線には何も返さず、振り返って後ろにおいてあった箱を前へ押した。
小柄な人間一人くらいは入れそうな大きな箱。
さっきから何だろうとは思っていたのだが……まさかとは思うが。

 

「……その中か?」
「ああ。お前等もよく知ってる奴だぞ」
「まさか……ぼたんか!?」
「それにしては箱小さいけど…」
「ぼたんではない。元々、このナイトメアはぼたんが見つけてきたんだ。それがショックだったらしく、今は霊界で寝こんどるが」
「ぼたんが寝込んだ?」

その言葉に首をかしげる幽助。
ちらっと他の三人も見てみたが、全員不思議そうにしていた。
蔵馬に至っては、顎に手をあてて考えているほど……。

しかし無理もない。
ぼたんが寝込むほどの相手ということは、かなり親しい人物ということになる。
だが、螢子や雪菜、静流たちといった、人間界で彼女と仲のいい人物は、今朝会った時もいつも通りだった。
魔界にはそれほどぼたんが親しい人物はいない。
かといって、霊界となれば、幽助たちと親しい者はあまりないはずだが……。

 

 

「もしかして……ひなげしか?」
「ああ」

ひなげし。
その名を知らない者は、この場にはいなかった。

数年前、まだ幽助が人間だった時のこと。
ずっと昔に滅んだ冥界の王・耶雲が、霊界に攻め入ったことがあった。
最も、それが5ヶ月に及ぶ水攻めとあっては、審判の門が沈没するほどになるまで何故気がつかなかったのかと、少々首をかしげるところではあるが。

審判の門が封じ込められる直前、コエンマは冥界の力の源をぼたんに託し、幽助たちの元へ行かせた。
半死半生で人間界にたどり着いた彼女。
必死になって言い残した言葉が、旧友の名だった。

 

それが、霊界案内人のひなげし。
見かけはぼたんよりも数歳幼く、小学校の高学年くらいだった。
もちろん本当の年来はどのくらいか定かでないが。
蔵馬よりも明るい感じのする赤い髪と、大きな蒼い瞳が特徴的で……可愛らしい子だった。

何かドジをふんだとかで、人間界で謹慎中だったとか。
しかし、ぼたんとは霊界で働いていた時からの一番の友達だったらしい。
その彼女が妖怪に取り憑かれたとなっては、ぼたんが寝込むのも無理はないだろう。

 

 

 

「じゃあ、開けるぞ」
「ああ」
「いいか。言っておくが、ナイトメアは取り憑いた者を操ることも出来る。油断するなよ」
「わーってるよ。しっかし、ひなげしが相手じゃなー」
「確かに攻撃しにくいな…」

「それより俺たちの力で攻撃しては、ひなげしの身体の方が危険では…」
「それは大丈夫だ。予め施しをしてある。ある程度なら耐えられるようにな。念のために言っておくが、本気ではやるなよ」
「するか!! ったく…いいぜ。開けろよ」
「よしっ」

ガチャン

掛け金が外れ、箱の蓋がゆっくりと開いた。
途端、箱の中から何かが飛び出し、幽助の頭をかすめ、桑原の足をひっかけた。
幽助の頬から血が流れ、桑原が床に勢いよく床にひっくり返ったのは、ほぼ同時だった。

 

 

「うわっ!!」
「な、何だ!?」
「幽助、桑原くん、落ち着いて! 霊気を感じれば、追えない動きじゃない!」

蔵馬の一言に、はっと我に返る幽助たち。
確かに言われてみれば、いうほど素早くはない。
ナイトメアに操られているにしても、元が戦闘に不慣れなひなげしでは、それほどのスピードは出ないのだろう。

 

「いける! 手加減してやるからな! 安心しろ、ひなげし!!」

振り向きざま、向かってきた少女の腕をつかむ幽助。
一瞬彼女はびくっとしたが、すぐに腕を引き離そうと、空いている方の腕で引っ掻いた。
もちろんそんなことでひるむ幽助ではない。
間髪入れず、霊気を集中させた拳をひなげしのみぞおちに入れた。
寸止めにして、完全には入れず……だが、それだけでも充分な攻撃だったろう。

かくんっとその場に膝をつき、床に倒れるひなげし。
その瞳は閉じられ、どうやら眠っているようだった。

 

「あんだよ。あっけねえな」
「残念そうに言うなよ、桑原。その方がいいだろ」
「まだ分からんぞ。取り憑かれたままかもしれん…」

机の影から様子を窺っていたコエンマが、こそっと言った。
なので、いちおうは緊張して、構えておくことにした幽助たち。

しばらくの間、沈黙が続いたが、やがてゆっくりとひなげしが瞳を開けた。
その瞳には、先程のような殺気は感じられなかった……。

 

 

「ひなげし、大丈夫か?」
「え、あ、ここは…」

キョロキョロと辺りを見回していたが、目の前に幽助がしゃがんだため、彼に視線を向けた。

「平気か? いいとう手加減したけど、痛くねえか?」
「あ、うん。大丈夫…」
「よしっ、じゃあもうナイトメアってのは、出たんだな! んじゃ、その辺にいるんだろうから。さっさとトドメを…」

「幽助!! 危ない!!」
「へ? うわっ!!」

自分との間、僅か数十センチメートル。
さっきまでオロオロして座っていたひなげしの顔が、豹変した。
引きつった鬼のような……箱から飛び出した彼女と同じである。

 

まだ取り憑かれていた……そう感じる前に、幽助は勢いよく投げ飛ばされた。

ガラスを突き破ってベランダの柵に激突!
そのまま柵が外れて、下の駐車場へ落下。
幸い車は止まっていなかったが、つまりそれはコンクリートの地面に大激突したということに…。

打ち所は悪くなかったが、それでも痛かった。
しかし、痛覚があるということは、殺されてはいないらしい。
いくら身体がひなげしとはいえ、あれだけの至近距離だったのに……。

 

ナイトメアには肉体的に殺す力はないのか。
そんなことを考えながら、頭をさすりつつ、部屋へ戻る幽助。
だが……部屋を一望して驚愕した。

そこでは、彼の予想だにしなった事態が起こっていたのだから……。

 

 

 

 

「……おい…おい! どうしたんだよ!?」

叫びながら、幽助は駆け寄った。
混乱はしていないが、動揺はしまくった。
予想にしなかった……何故、倒れているのが、ひなげしではなく、蔵馬なのか。

「おい! 蔵馬! 蔵馬!?」
「近づくな、浦飯!!」
「あにすんだ! 離せ、桑原! ……桑原?」

ふと振り返って、後ろから自分を引っ張り抑えていた桑原を見る幽助。
いつもと…いや、さっきと何処かが違うような…。

 

「…何か、おめえ。いつもに増して顔が曲がったな」
「いつもは曲がってねえ!! てめえな、世紀の美男子をつかまえて…」
「おい、飛影。どうしたんだよ、腕の傷」
「人の話聞けー!!」

ぎゃんぎゃん怒鳴っている桑原を無視し、部屋の脇で左手に包帯を巻いている飛影を見やる幽助。
彼が包帯を巻いているなど、右手ならば、当たり前。
だが、左手となれば、怪我以外の何物でもないだろう。
現に手の甲辺りには血が流れてきているし……。

 

「……蔵馬にやられた」
「蔵馬に!? どういう意味だよ!?」
「か、簡単に言うとだな…」
「…コエンマ」

ふっと声のした方を向くと、先程よりも更にバリケードを増やして隠れているコエンマがいた。
側には寝ているらしいひなげしの姿もあるが……コエンマが近づいているということは、もうナイトメアは完全に抜けたのだろうか?
しかし、ならば事態が余計に悪くなっているのか。

 

「簡単に言うと、ナイトメアはひなげしから抜け出して、蔵馬に入り込んだんだ」
「なっ…何でだよ!? さっき奴はひなげしから抜けて…」
「罠だったに決まっろとうが! ナイトメアは宿主を操れると言っただろう! ひなげしの振りして、お前に取り憑こうとしたんだ! 間髪で蔵馬がお前を投げてくれたが、逆に蔵馬が取り憑かれた…」
「……」

ということは、つまりうかつに近づいた幽助の責任ということに……。
が、そういう方面のことがイマイチよく分かっていない幽助は、自分の責任だとは分かっていないらしい。
まあ過ぎたことに文句をつけても仕方がないと、全員黙っていたため、彼は落ち込まずにすんだが。
あまり気落ちするタチではないが、今嘆かれても困るだけである。
とにかく今度は蔵馬からナイトメアを追い出さねば……。

「じゃあ、今度は蔵馬攻撃すんのか?」
「いや…お前が上がってくるまでに色々やってみた。だが、結果がこれだ。蔵馬も攻撃は受けたが、こっちもヘトヘトでな…」
「んじゃ、蔵馬が寝てる間に俺が…」

「やめろ! やっとのことで、眠らせたんだぞ! 寝た子を起こすな!!」
「……それことわざだろ。こういう時に使う言葉か?」
「やかましい!! 国語苦手のくせに、こんな時だけつっこむな!!」
「いつ俺が国語苦手だって言った!!」
「12点の理科が得意と言っとる時点で、全科目苦手に決まっとろうが!!」

 

「……おい。いい加減に話題を戻したらどうだ」

あまりのあほらしさに、思わずため息をもらす飛影。
こういうのを止めるのは、本来蔵馬の仕事だと思いながらも、止めねば当分帰れそうにない。
しかし、飛影の意外な制裁で、結構すんなりと幽助たちはケンカをやめた。

 

 

「で、マジで無理なのか?」
「ああ。考えてみれば、本来蔵馬のように…って、お前ら全員だろうがな。意志が強くて、自制心の強い奴は、滅多なことじゃ取り憑かれたりせん。そういう奴は決まって、取り憑かれた時が厄介で、簡単にはいかんのだ」
「じゃあ……どうすんだ?」
「外部からの攻撃は不可能となれば……内部しかないな」
「内側からってことか? どうすんだよ、具体的には」
「ナイトメアの巣くう場所に行く……つまり、蔵馬の夢の中に入り込むということだ」

「出来んのかよ、んなこと!?」(×2)

幽助と桑原が同時に叫んだ。
どうやらここまではまだ話が進んでいなかったらしい。
飛影は大体展開が読めていたのか、冷静だったが……考えてみれば、蔵馬がこのようなことになって飛影が暢気に包帯を巻いているなど、これから今まで以上の接戦が始まるからに他ならない。

しかし、夢の中へ入るなど、常識では…いや、非常識極まりない幽助たちが叫ぶくらいなのだから、非常識でも考えにくい(どういう理屈だ…)。

 

「わしの霊力で道が開ける。ただし、あまり霊力が溜まっていないんでな。桑原は残って、わしに霊力を供給し続けろ」
「お、おお…」
「けどよ、コエンマ。そんな簡単な方法があるんだったら、最初から…」
「全然簡単じゃない。はっきり言おう。これは命に関わる問題だ」
「……今なんて言った?」

「命にかかわると言ったんだ。はっきり言って、今まで以上にな。他人の夢の中では霊力も妖力も使えん。ただの人間になったと思っていい。むろん、ナイトメアと同じ環境に立つわけだから、ナイトメアに対して素手での攻撃は可能だ。だが、夢は奴の領域。完全にこちらが不利だ。死んでも不思議はないし、肉体の消滅とは若干異なるから、霊界にも行けん」

何だかとんでもないことを、さらっと言われてしまったが……。
しかし、行かないわけにはいかない。
このまま蔵馬が一生寝ているなど……。

 

 

「じゃあ、さっさと道開けよ」
「繰り返すが、霊力は使えんぞ。霊丸撃とうとして、スキつくるなよ」
「わーってるって! 早くしろ!」
「…開くぞ!」

口からおしゃぶりを取り、力を込めるコエンマ。
同時に桑原が後ろから彼の背を支え、霊力を送った。
おしゃぶりからは金色の光が放たれ、それは段々と大きくなり、蔵馬の身体からも同じ色の光が生まれた。
しばらくの間、共鳴するように輝いていたが、やがて光は蔵馬を包み込んでしまうほど大きく膨れあがり……幽助と飛影は迷わず飛び込んだ。